第30話 心つなぐ手
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(な‥‥なんなんだろ、あの人‥‥)

輝は、人混みの中、見え隠れしながら歩いてくる一人の男に注意を奪われていた。

5月の連休の中日。S駅周辺は通行人でごった返している。輝はマウンテンバイクを引きながら、駅に向かうなだらかな坂を下りていた。歩行者天国になっていてもなんとなく中央部が空いているのが面白い。ちょうど出店のラムネが目に入って、どうしようかと立ち止まり、男に気付いた。

その男は、輝の歩いているのと反対側の端を上ってきていた。真っ白なスーツに金縁の濃いサングラスという出で立ち。似合ってないとは言わない。言わないが‥‥。日頃、黒羽を見慣れた輝の目にも、"浮き"過ぎに見えた。はっきり言って、ドラマの撮影かと思った程だったのだ。何人かの通行人も振り返るが、当の本人はまったく気にしていない。左手をスラックスのポケットに突っ込んだまま、ゆったりした歩みで雑多にうごめく人間たちを交わしていく。


S駅周辺でディメンジョンストーンが発する電磁波がキャッチされた。ブラックインパルスの一件以来、スパイダルは新型のアセロポッドを使うことが多くなっている。新型は体内にディメンジョン・ストーンを持っていないから、電磁波走査でひっかからない。今、S駅周辺を動き回っているのは、旧型か、ヘタすれば怪人だ。そのうえ、電磁波の強度から考えると、数匹で行動しているのは間違いないようだった。

警察の方では不穏な動きはキャッチしていなかった。今の状態で厳戒態勢を引くとなると、範囲がかなり広くなりパニックも起きかねない。ということで、オズリーブスの面々は着装せずに不審な人物がいないかを手分けして探していた。リーブレスには、周囲の電磁波の変化をサンプリングしてベースに送信する仕組みがある。携帯電話の電波など雑音も入ってしまうが、そこから、ディメンジョンストーン特有の波形を抽出することは可能だった。


と、坂の上の方から怒声と悲鳴の入り交じった騒音が聞こえてきた。
「たっ 助けてっ!」
茶髪の高校生ぐらいの若者が二人、まろぶように駆け下りてくる。その後ろから四人、同い年ぐらいの男達が追いかけてきた。典型的なチーマーという雰囲気だ。
「てめェ! 待ちやがれっ」
「人の女、ナンパしようってか! カクゴ、できてんだろーなァ!」

通行人が両脇に避ける。確かに関わり合いにはなりたくない状況だ。だが、物見高い連中も多い。おっかなびっくりの人垣の間を、なりふり構わない二人が走っていく。
マウンテンバイクにチェーンロックをした上に、ちゃっかりと人垣の一番前に進み出ていた輝が、助けに入ろうか、警察に電話しようかと悩んだ時だった。通行人の中でただ一人、自分の進路を確保し続けていた男に、逃げる男達がぶつかって転んだ。

(はっや‥‥)
白いスーツの男は二人の若者が衝突する直前に身体を開いてまた元の体勢に戻った。二人はつんのめったにすぎない。あまりに紙一重の動きだったので、周囲の人間には完全にぶつかったように見えたろう。優れた動体視力を持つ輝だけが、男の‥‥的場陣の本当の身体さばきを見ていた。

的場はちょうど逃げる者と追う者の間に入った形になった。四人が的場に詰め寄る。
「なんだ、てめェは!」
「ただの通行人ですが」
「そいつら、庇おうってェのかよー」
的場は若者たちににっこりと笑いかけた。
「いえ、そういうつもりはありません。どうぞ、ご自由‥‥、あ‥‥行っちゃいましたね」

二人は既に逃げていた。だが、もっとなぶり甲斐のある玩具を手に入れた四人にとっては、それはどうでもいいことだった。
「オジサンが、でしゃばんじゃねェよ!」
的場よりも背の高い若者が、スーツの胸元を掴もうと手を伸ばす。が、的場の上半身がそのままスライドするかのように下がり、若者の手は空を切った。的場が冷笑を浮かべて襟元に手をやった。
「汚い手で触らないでもらえますか?」

「なにいッ!」
若者が的場の四方を囲む。背後に回っている二人が的場を両脇から捉えにかかり、背の高い男が殴りかかった。こういうことに関しては連携と分業がきちんとできあがっているらしい。

一瞬、白い姿がすっと沈む。右脇の男が、ぐえ、といったうめき声をあげて倒れ、左側の男は驚きの声とともに腰から崩れた。見物人がきちんと理解できたのは、的場の黒い革手袋が殴りかかってきた男の顔面に決まった場面だけだった。

「うぎゃあぁっ!」
鼻骨をへし折られた男が悲鳴をあげて転げ回った。腿裏に痛烈な蹴りをくらって尻餅をついた男は、逃げようとするが腰が抜けている。右肘を鳩尾に打ち込まれた男は、すでにうずくまったまま動かなかった。

(う‥‥、うそ‥‥‥‥)
かろうじて的場の動きを追うことのできた輝は絶句していた。右の肘打ちと左足先で男を蹴り上げたのはほとんど同時だった。左足を戻すより早く右拳は前に動き出していた。それも手加減して‥‥。本気でやったら、カウンター気味のあの右拳は鼻を陥没させた上に頬骨まで折っていただろう。左手はずっとポケットに入ったままだった? その上‥‥‥‥

「あーあ。気に入ってたのに、血がついた。仕方がない。これ、あげます」
的場は、いつのまにか右拳に被せていたポケットチーフをふわりと投げ上げ、さも汚さそうにつまみ直すと、一人残って硬直している若者に突き出した。肘打を食わした直後にポケットチーフで拳を覆い、それで正面の若者を殴りつけたのだった。

残った男はがくがくと震えたままだ。的場は少し肩をすくめ、チーフをするりと落とす。
「大した力もないなら、最初からそうやって大人しくしてればいいんですよ」
蔑んだようにそう言ったあと、唇の端がにやりと歪んだ。
「もっとも、下手な根性とやらで向かってこられても、よけい不快ですけどね。では失礼」

的場は、軽く会釈までしてみせるとおもむろに歩き出した。呑まれた観客達が機械人形のように道を開ける。色白の顔は濃いサングラスのせいもあって、もはや何を考えているのか見当もつかなかった。

呆然とその白い姿を見送った輝は、そこで初めてリーブレスが振動していることに気付いた。人垣をくぐり抜けてバイクのところまで行くと、携帯を取り出してベースに電話をかけた。
「おお、輝くん! よかった。心配したぞ!」
葉隠のほっとしたような声が聞こえた。
「え? なっ 何かあったのっ?」
「君のすぐそばに、例の電磁波の発信源があるようなんじゃ。気を付けるんじゃぞ!」

輝は思わず、小さくなりつつある的場の白い背中を見た。携帯電話からは、またもや葉隠の心配そうな呼びかけが続いた。


===***===

輝は銀杏並木を見上げながら、ゆっくりとギアを落としたマウンテンバイクを踏んでいた。その先にはさっきの白い背中があった。左右には芝生が広がっているが、某放送局の裏庭と公園のはずれの境界にあたるこの道は、人気がない。

繁華街を抜けて、人通りが少なくなってきたあたりから、輝とベースの結論は固まっていた。前を歩いている男がディメンジョンストーンの持ち主であるのは確実なようだ。輝は、これはきっとアセロポッドではないだろうと思っていた。怪人が人間に化けているのか、アラクネーやブラックインパルスのような人間型の何かなのか‥‥。あちこちに散らばっていた仲間たちも、そろそろ集まってくるころだった。

前を進んでいた白い背中がいきなり立ち止まった。輝も思わず一緒に止りそうになったが、それでは付けてきましたと白状するも同然だ。何気なくそのまま素通りしようとした。

「いいんですよ、無理しなくて。わかってるんですから」
笑みを含んだ声に、思わず立ち止まる。男がゆっくりと振り返った。

「え‥‥え? オ、オレのこと?」
片足を地につけてわたわたとする輝に、男は声をあげて笑った。
「ハハ‥‥。慣れないことはおやめなさい。どういうご関係です、OZとは?」
男の目がぐっと険しくなり、光を帯びた。
「それとも‥‥何色の方ですか、とお聞きした方がいいのかな?」

輝はバイクから降り、その前に進み出ると同時に、相手の死角でリーブレスを全送信モードにした。これで状況は皆に伝わるはずだった。
「なんのこと? OZとか、何色って、どういう意味?」 一応しらばっくれてみせた。
「オズリーブスの中の誰ですか? という意味ですよ」
「オレ、よくわかんない‥‥」

こっちの言葉半ばで、だっと突っ込んできた。輝はとっさに後ろのバイクに足をかけると、バイクを男の方にぐんとおしやりながら後ろに跳んだ。距離をかせいで身構える。さっきのこの男のスピードとパワーを、見切ることはできても、受けきれるかどうか自信はなかった。
「さて‥‥。噂通りすばしこい。グリーンリーブスですね、貴方」
男はマウンテンバイクのフレームを掴むとぐいと横に押しやり、にっと笑った。輝はごくりと唾を飲み込んだ。

「‥‥あんた‥‥誰なの?」
「答えにくいですねぇ でも、貴方が追いかけてきた理由は、これでしょう?」
男が左手をポケットから出し、革手袋の掌を開いて、輝に見えるように差し出した。そこにはきらきらと輝く緑の石が5、6個載っていた。
「ディメンジョン・ストーン‥‥‥!?」
「これがあればそっちから現れるって話、本当だったな」
「じゃ‥‥じゃあ、あんたの目的は、最初から‥‥?」
「そう。あなた達。さあ、早く他の人も呼んでもらえませんか?」

きいっとタイヤの軋む音がして真っ黒な車と大型の単車が一台突入してきた。バイクが急ブレーキで道の端にとまる。後ろのシートから華奢な肢体がとんと降りるとヘルメットをとった。長身がフルフェイスのメットを脱ぎながら、長い足を前から回す独特のやり方でバイクから降り立つ。乗用車からは男と対照的な黒ずくめの姿が降りてきた。

3人がざっと輝のそばに駆け寄る。瑠衣を庇うように立った黄龍がメットで乱れた髪を掻き上げながら、男を見つめた。
「俺様たちをおびき出そうなんて、おたく、いい根性してるね〜」
「僕も嬉しいですよ。みなさん、倒しがいのありそうな顔つきをしておられる」
男をぎっと睨め付けながら、黒羽が3人の少し前に進み出た。
「お前も人間型なのか。それとも怪人が化けてるのか? 正体を見せてもらおうか!」

「僕もスパイダルのことは、まだよくは知らないんですよ。でも、余計なことを気にせず、好きなことがやれる世界を作ってくれそうなんで、ちょっと手を貸そうかと思いましてね」
「知らない‥‥? それって‥‥まさか‥‥あんた‥‥」
輝が、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしかけた時だった。

ひときわ大きなエキゾーストノートが響いて、左手から芝生のなだらかな斜面をバイクが下ってきた。乱暴な近道で公園を突っ切ってきたらしい赤星が、エンジンを切ったバイクを滑るように倒す。走り下りながらヘルメットをむしり取って放り投げると、そのまま仲間達と男の中間に飛び込んできた。

「どういうことだ、的場っ!!」
赤星ががなりたてる。一瞬、目を見開いた的場が、くっくっと笑い出した。
「おやおや、君もオズリーブスかい? いや、まあ、君らしいといえば、君らしいけどね。何かと僕の分岐点には君がいるのが運命ってわけか‥‥。本当にうっとうしいよ、赤星君」
「本気でスパイダルに手ぇ貸す気かっ! お前、自分が何やってんのか、わかってんのかよっ!」

黄龍も輝も瑠衣も、目を丸くして二人のやりとりを聞いていた。赤星の表情は見えない。だが、その両肩は荒い息に大きく上下し、握りしめた拳が震えていた。オズリーブスを倒すと宣言した白い服の男が、れっきとした人間で、それも赤星の知り合いであるのは確かなようだった。

一方黒羽は、思わぬ展開に内心舌打ちしていた。赤星と因縁があるという殺し屋がこんな形で出てくるとは‥‥。強化スーツを着た人間をわざわざまとめて相手にしようというのだから、この殺し屋に何か策があるのは明らかだった。赤星は、自分の所為で道を外したと罪悪感を持っている相手とは、きっとまともに闘えない。それはこの男の強さと表裏一体になっている弱さなのだ。だからこそ、ハンドの件については赤星は囮の役にしか立たない。そう、思っていたのに‥‥‥‥。


的場の脇の空間が、ゆらりと歪んだ。何度か見たその陽炎のような揺らめきに、赤星が数歩下がる。的場より頭一つ以上高い異形がそこに出現した。
「シェロプ!!」
「これはオズリーブスの諸君、ごきげんよう」
「てめぇが的場をそそのかしやがったのかっ!」

シェロプは猛った赤星を悠然と見つめた。この男がレッドリーブス。スパイダルの‥‥いや、自分の邪魔をしてきた、憎むべき男‥‥。オズリーブスは、主従の形がきちんとしていない曖昧で不完全な部隊だ。それでもその要になっているのは、レッドリーブスと呼ばれるこの男であるのは間違いなかった。
赤星の決めつけたような問いかけに、シェロプは普段通りの極めて尊大な口調で言った。
「これは失敬な。我々は、ここにいるハンド君に正式な依頼をしただけだが? 諸君らの抹殺をな」

オズリーブスが普通の人間と分かった時は流石の自分も少し驚いた。だが、怪人同様の闘う為だけの戦闘タイプにしては妙に甘い部分があったのも事実だ。だがそれも普通の人間故と分かれば、あとは精神面を突くのが一番効率的で面白い。同士討ちさせるためにこの殺し屋気取りを手に入れた。まさかレッドリーブスの直接の知り合いとは思わなかったが、結果的に最高の見せ物になりそうだった。


シェロプの書いた筋書きの、その行間すら埋めるように、白い男は旧知に向かって甘やかな物言いで続ける。
「そう。そして、僕はこの魔神将軍と契約をしたのさ。僕は君たちの命を土産に別の世界に行かせてもらう。強さだけが全ての世界にね」
「バカなこと云ってんじゃねえ! そいつら、急に踏み込んできて、この世界、自分たちのものにするってんだぞ! そんなヤツらの仲間になって、うまく行くわけねえだろーがっ!」
「素晴しいじゃないか。法律や義理や、わずらわしい友情や、自信の無い者が群れるだけの仲間意識、そういった下らないものは何もない。自分自身の力だけが評価される世界さ」
「人間を‥‥この世界を裏切って、それでいいのかよ!? それでお前に何が残るってんだ!」

「人を裏切ったのは、いったいどっちだ!」
笑みを含んだ的場の声がいきなり凍るように冷たくなる。赤星は唇を噛みしめた。
「違う‥‥。どうしたら、分かってくれんだ! あの話、俺が云ったんじゃ‥‥」

その言葉を遮るように、的場がディメンジョンストーンを載せた左掌を赤星の前に突きだした。その手をゆっくりと握りしめる。ぱきんという音をさせながら、的場は握り拳を少しよじった。もう一度左掌を開くと、粉砕されたストーンが風に舞った。
「君の命、半日も延びなかったね。けれど、変身すれば、もうちょっとだけ延ばせるかもね」

的場の両手が、不思議な動きを見せ、印のように組み合わさった。
「みんな、着装だ! 赤星っ」
黒羽が叫ぶ。その声で他の3人も着装に入る。だが赤星は的場から目をそらすことができなかった。

「魔性降臨」
瞑目した的場が呟く。その目がかっと見開かれ、激しい気合いが吐き出された。的場の左手から義手の黒い機械が増殖しだした。ケーブルやコイルやそんなものがわらわらと的場の身体を覆っていく。
機械に喉元まで覆われた男のひどく好戦的な表情が、逆に、学生時代の的場を強烈に思い出させた。

早く‥‥。早く、あれを取ってやらねえとっ

赤星は的場に駆け寄ろうとした。が、既に黒いスーツを身に纏った黒羽に引き止められる。
「ばかやろう! 早く、着装しろっ!」

「ああ、ごゆっくり。僕なら待ってる」
しゃべり方は完全に的場のものだった。トーンが少し低く、くぐもった感じになっているだけだ。だが、今や頭部まで全身を漆黒で覆われたそれは、まさにスパイダルの怪人の姿だった。

赤星が、子供がいやいやをするように首を振り、かろうじて声を絞り出した。
「うそ‥‥だろ‥‥」

「うそじゃない。今となってはこれも僕の姿さ。君たちのようにスーツを着てるだけじゃないよ」
的場の答えを、シェロプが面白そうに裏付けた。
「やはり素材がいいと出来が違う。素晴しいよ、ハンド君。本気で期待してよさそうだな」
「当然でしょう?」
的場がざっと一歩進み出た。

「赤星っ」
赤星を背中に回した黒羽が、もう一度強く叫んだ。

「ち‥‥着装‥‥っ」
とうとうリーブレスを掴んだ赤星は、あの日、突然に空っぽになっていた病室のことを思い出した。スパイダルとは闘わなければならないという思いと、この男をここまで押しやったのは、結局、自分なのかという思いに、引き裂かれそうな気がした。


2002/7/7

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