第25話 下弦の月
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マジカルスティックの感じは明らかにいつもと違った。瑠衣は、両腕から駆け上がってくるしびれのような気味の悪さを、意識の外に追い出そうとしていた。

赤星と黄龍のフレームモードはアトリスに強力なダメージを与えているわけではない。とはいえ本能的なものか、さしものスパイダル怪人も浴びせられる炎から逃れようとしている。だが、二人が代わる代わる逃げ道へ先回りするので、それもままならなかった。

火線の交わるその場所が、今の自分の着地点。スティックから放出される超低周波音振動をできるだけ長く相手のボディに流し込まなければならない。少女は目を閉じると、大きく一つ深呼吸をした。マジカルスティックの出力を最大に切り替える。増大した不快感を握り潰すかのようにスティックを掴み直した。落ち始める直前のジェットコースターのような覚悟とエネルギーを秘めて、しなやかな身体がすっと伸び上がる。そして、だっと走り出した。

その瞬間。赤星も黄龍も引き金から指を放したくなる衝動を抑えるのに苦労した。己の手から放たれる灼熱のラインの中に少女が分け入っていく‥‥。そのスーツが最高の科学力によって支えられた驚異の耐熱耐火性能を持つとわかってはいても、背中がぞっと粟立った。

リーブ粒子の作り出すフレームは、相手のボディにぶつかったところで、その亜麻色の身体を包むように広がっている。怪人はその炎から頭部を庇うかのように両腕を上げていた。高熱のゆらぎの中に飛び込んだ少女は、ターゲットの左脇をマジカルスティックで強打した。

太い腕が一閃して、小さな身体を薙ぎ払おうとする。だが瑠衣はスティックを素早く構え直すと、逆に相手の肘のあたりを内側から打ち据えた。
「うがっ!」
アトリスは経験したことのない感覚にわめき声をあげた。腕がビリビリと震えて動かない。その隙にナマイキな小兵が回り込んできた。不気味な鳴動が亜麻色の太い胸部を襲った。



アラクネーは焦っていた。
グリーンリーブスのデータは頭に入っている。こちらも敏捷さには自信があるし、そのうえ眼前の敵の身体は自分より少し大きいだけだ。
なのに。倒せると見込んでいたのに、相手の身体に糸をひとえに巻くことすらかなわない。彼女の武器である溶ける糸と切れない糸。どちらが飛んでくるのかわからないから脅威がより増すというのに、グリーンリーブスは籠手から放たれた一瞬にそれを見分けているようだった。

オズリーブスを殺せるに越したことはない。しかし今の使命はあくまで囮だ。はっきり言ってOZの科学力は侮り難い。何かコトが起った時の対応が異常に速いのだ。ブラックインパルスとスプリガンは次元回廊を開くための開発を重ねている。OZの連中に怪しまれてはならない。へたをすればスプリガンの電磁波透過システムが破られる可能性もある。とにかくアトリスには今しばらくオズリーブスの目を引きつけておいて欲しい。

アトリスの方に駆け寄ろうとした少女の眼前を緑銀の煌めきが走る。アラクネーは間一髪でそれを避けた。左手に三日月刀、右手にパワーアップしたらしい長剣を握りしめ、グリーンのボディがスパイダル最年少将軍の行く手をふさいだ。
「いいかげんに、おどきッ!」
甲高く、いらついた声が叫ぶ。
「ぜったい行かせないっ!」
張りのある弾むような声がそれに答える。
「この‥‥っ!」
アラクネーの右手が何かを投げつけるように動いた。あの長剣はこの糸を切ることができる。しかし残りを全部放出してやる。かわしきれるはずはない。

驚いたことに、グリーンリーブスはスピードを殺してそれを切るかわりに、糸を左腕で受け止めた。左手首から伸びた三日月型の刃もろとも左の前腕が巻かれる。こうなってしまっては金属部をへし折ってからでなければ、腕をねじ切ることはできない。舌打ちした刹那、長剣が降ってくる。アラクネーは必死に左の籠手でそれを払った。

輝のほうも間合いが近すぎてブレードの長さがジャマになっていた。払われるままに長剣を捨てる。糸を放ってくる籠手を右手で掴むと、相手の鳩尾のあたりに押しつけるようにして黒衣の痩身を地面に押し倒す。腕と一緒くたに巻かれてヒレのようになってしまっているトンファーの刃の部分をアラクネーの喉元に押し当てた。このままではもちろん切れないが、敵を封じることはできそうだった。

だが、一呼吸して初めて、輝は自分の膝と手の下にある身体の感触に気付いた。黒布の下にはウェットスーツのような手触り。そしてその中に包まれている柔らかさと頑なさの混合物は、完全に少女のそれだ。
「あ‥‥っ あのっ キミって‥‥」
輝は目を丸くする。自分の下にいる女性の頭部は黒いフードで覆われ、鼻梁の上から顎まですっぽりと黒いマスクで覆われている。磁器のように白い肌の中から、炯々とした光をたたえて、黒紫の瞳が睨み上げて来る。だが、その瞳がすっと閉じられて、押さえ付けた身体が完全に脱力した。見下ろす輝の方は妙にあたふたしたキモチになる。

「あっ!」
アラクネーの喉元からゆるゆると離れ始めていた輝の左上腕にいきなり鋭い痛みが走った。同時に華奢な身体に恐ろしいまでの力が込められて、虚をつかれた翠の身体を押しのけて跳ね起きる。どこから取り出したのか、アラクネーは大きめの独鈷杵のようなものを握りしめていた。

そのままアトリスに向かって駆けながら、左の籠手に仕込まれている瞬間移動装置を作動させた。だが飛べない。もう一度。やはり何も起らない。黒紫の瞳が大きく見開かれる。先ほど組み合った時に壊れたらしかった。振り返ると、左腕の糸を切り払ったグリーンリーブスが迫ってくる。アラクネーはぎっと奥歯を噛みしめた。


===***===

暗黒次元に戻ったブラックインパルスは、真っ先に自分のラボで最も大きい実験棟の参謀室に入った。
「司令官殿!?」
少し驚いたような声で迎えたのはシェロプだった。この部屋は、天井までぶち抜きになった広い実験棟の上部にあり、ガラス張りになった面からは棟全体を見下ろすことができた。

「こっちに居たのか、シェロプ。ディメンジョンクラッカーの出力増強の方は順調か?」
「実用規模までは、まだもうしばらくかかりそうです。試作品から2倍の規模にするだけでも、ずいぶんと不安定で‥‥。実際に実験を見ていたのですが、あまり急かせてもムダのようですな」
ブラックインパルスは兜の奥で少し微笑んだ。どちらかというと前線や現場にはあまり出たがらないシェロプが、今回はずいぶんと熱心に取り組んでいるようだ。

「で、三次元の方はどうなのですか?」
「スプリガンが全力で取り組んでいる。皮肉な話だが、クラッカーの動作はあちらの次元の方が安定しているようだな」
「と、いいますと?」
「もちろん出力をあげれば不安定にはなるが、こちらほどではないらしいのだ。スプリガンは1週間ほどで、実用規模の試験ができるのではないかと言っている」
「OZの動向は‥‥?」
「今のところ問題ないようだ。やつらはアラクネーとアトリスに釘付けになっている。その上、スプリガンがアラクネーにホーネットを供出してくれたこともあるしな」
「ほう‥‥」

平民は平民同士、仲のいいことで‥‥と、喉元に上ってきたいつもの嫌味をシェロプは慌てて呑み込んだ。今は心から協力しているように見せかけておかなければならない。
このラボに入り浸り、ディメンジョンクラッカーの全てのデータと状況は逐一ファントマ参謀に連絡している。もしかすると、あちらのラボの方が早く開発を進めてくれるかもしれない。あの金髪碧眼の参謀はどれほどの力を持っているのか。疑っているわけではないが、その実力を見てみたい気もあった。

ブラックインパルスが、ふっと宙を見上げた。何かに耳を澄ますように小首を傾げる。
「どうしました、司令官?」
「皇帝陛下のお呼びだ」

まったく無意識にマントの襟元や裾を整えるブラックインパルスを、シェロプは少し眩しげに見上げた。目の前の鎧の男は、幼い時から皇帝陛下の声を聞いて育ったという。もちろんシェロプとて皇帝の声を聞いたことはある。だがその場にいるその他の人間と同じ言葉を聞いただけで、自分にだけ話しかけてもらったことなどなかった。
‥‥いったいなぜ‥‥皇帝の選んだのはこの男だったのだろう‥‥。

ブラックインパルスはシェロプの白い顔をみやると言った。
「シェロプ。ディメンジョン・クラッカーの実用化、急いでくれ」
「はっ‥‥」
軽く目礼したシェロプを満足そうに見下ろすと、重い金属音が響いて、スパイダルの参謀は部屋を出ていった。

シェロプはその黒い背中を見送った。黒騎士が皇帝の寵愛を受けていることは周知の事実だ。だからこそ誰も彼を陥れようとはしなかった。ブラックインパルスが皇帝の庇護下にある人間に対して、愚かなほど無防備なのは、そんな理由もある。だが‥‥ここにもう一人、皇帝の寵愛を受け、とんでもない身分を持っている貴族が現れた‥‥。

基本的に賭け事なぞ好まない。だが‥‥乗った賭には勝つ。

それがシェロプの信条だった。


===***===

ブラックインパルスは早足で首領Wの間に入ると、兜をとり、ざっと髪を整えた。そのまま緞帳の端をそっと引いて静かに内側に入る。驚いたことに既にそこにはいつもの揺らぎが存在していた。

「申し訳ございません。お待たせいたしまして‥‥」
ブラックインパルスが慌てて跪く。
「かまいません。忙しいのに、急に呼び立てたのはこちらですから‥‥。部下との話は聞きました。順調に進んでいるようですね?」
「御意。四天王達がよくやってくれます」
「‥‥昔のように‥‥ですか‥‥?」
ブラックインパルスは照れたように俯くと、小声で言った。
「‥‥いえ‥‥。大将軍たちは‥‥。私のほうが彼等に育てられたようなものですから‥‥」
空間が、シャボン玉の表面のようにゆらゆらと虹色に揺れた。笑っているかのようだった。

皇帝陛下の忠実な下部は、しばしの時間の後、いつもの声音で言った。
「皇帝陛下。お呼びの趣は‥‥」
「‥‥ブラックインパルス‥‥。その身に、新しい力を得るつもりはありませんか?」
ブラックインパルスが思わず顔を上げ、皇帝の方をまじまじと見つめる。
「‥‥陛下‥‥。それは‥‥私めに戦闘形態を持てとの‥‥‥」
スパイダルの貴族にとっては、肉体に改造を加えてより強靱な戦闘形態を持つことは、ごくあたりまえのことではあった。

「もちろんムリにとは言いません。お前は今まで、どれだけ激しい戦いであろうとも、せいぜい鎧を着けるだけで乗り越えてきた。生身の姿のままで、私のために働いてきてくれた。その思いはとても有り難く思っています。ただ‥‥戦局を考えると‥‥」
生身に拘っていたわけではない。ただ安易に改造に走る上流の人間のやることに、なんとなく嫌気があっただけだ。それに、苛酷な状況になればなるほど、己のこの身は強靱になっていくようで、正直なところ、あまり必要性を感じたことがなかった。

だが、一方で、スプリガンのようなあり方に羨望に近い感覚を持っていたのも事実だった。ブラックインパルスが彼に注目するようになった頃、スプリガンの右腕全部と左脚、そして左手首から先は既にメカになっていた。無鉄砲で、常に最も危険な戦線に行きたがり、何度も重傷を負い、そのたびにダメになった部位を機械のパーツに置き換えては戦場に戻ってきた。

そこには壮絶なまでの強さへの渇望があった。剥き出しの執着心は潔くすら見えた。自分も常に皇帝陛下の御為に強くあるのだと思っていたが、いざ肉体に欠損が出た時、あそこまでのなりふり構わぬ熱さを持てるかどうかは、なってみなければわからないと思っていた。

これは、無様な未練を断ち切れという思し召しかもしれんな‥‥。

ブラックインパルスは深々と頭を下げた。
「皇帝陛下。全てお任せいたします。どうぞ陛下の意のままに‥‥」


===***===

炎の中で、太い尾がピンクのスーツを横殴りに襲った。反射的に後ろに避けた途端、華奢な右肩が急に重くなっていた。一瞬戸惑った瑠衣の身体を亜麻色の太い腕が抱きすくめ、締め上げる。のけぞった少女の口から、思わず苦痛と恐怖の悲鳴が漏れた。

「リーブライザーッ!」
飛び込んできた赤星がアトリスの大きな頭に金色に輝く右拳を叩き込む。同時に相手の腕を左手で強く引いて瑠衣を解放すると、後ろに軽く押しやった。
「このやろーっ」
アトリスが吠えた。いつのまにか炎が消えていることも、怒りまくった怪人を慰める役には立たなかったようだ。もう誰でもいい。とにかく絞め殺すなり引き裂くなりしなければ気がすまなかった。だが三次元の人間は、今のアトリスにとってはいささか敏捷すぎた。

俺だって輝にゃ負けねーぜ! という快活な声が聞こえてきそうなヒットアンドアウェイ。アトリスの爪を紙一重でかわしてはマックスモードの痛烈な打撃を加えていく。アタックポイントは最も肉厚の胸部と打ち合わせてあった。瑠衣の"仕事"も確かだった。手応えにブロックのような脆い感じが混じっている。太い尾が廻ってくれば絶妙なローキックを放つ。アトリスはそのたびに尾でバランスを保たなければならず、有効な反撃ができなかった。


少しよろめくように後退した瑠衣の身体が、しっかりと支えられた。
「お疲れ! だいじょぶか?」
その声は頭上から少女を包み込むように降ってくる。
「う‥‥うん!」
瑠衣はスティックの出力を上げると右肩の固まりにあてる。悪寒のような不快感に襲われ、ゴーグルの中で瑠衣の顔が少し歪んだ。

黄龍が長身をかがめるとブラスターの銃床で慎重かつ大胆にその岩を崩した。つい先ほどまで熱せられていたせいか驚くほど簡単に外れた。瑠衣は解放された肩を軽く回してみせた。
「ありがと」
瑠衣が黄龍のゴーグルを見上げる。お互い顔は見えないのに、表情がとてもはっきりと心に浮かぶのが不思議だった。ぽんぽんと瑠衣の肩を叩くと、黄龍はアトリスに向かって飛び出した


何発めかのリーブライザーが決まった瞬間に、みしり、という音がした。
「なんだぁ? ‥‥ウ、ウソだろーがよっ!?」
アトリスの声がぼやっとした感じから一挙にはね上がる。胸に明らかに亀裂が入っていた。赤星が跳び退ると同時に、リーブラスターのシェルモードが怪人の胸部に続けざまにぶち込まれた。
「ぐあ―――っ!」
モンスター軍団一の強靱な外甲を誇るアトリスが絶叫した。

赤星もまた後退しながらリーブラスターのシェルモードを数発ぶち込む。黄龍の側に来るといきなりリーブレスを外して黄龍に渡した。
「バズーカの用意だ! みんな集めろ!」
「レッド! おい! 大丈夫なのか!?」
リーブスーツを保持するためにはリーブレスに組み込まれているリーブグリッドが必須だ。無いとスーツは1分も持たないから、着装したら絶対に外すなと言ったのは赤星自身だ。だからリーブレスを外す必要があるスターバズーカは確実にタイムリミット内で撃てる時しか使えないというのに。

「俺のはもうちょいもつんだ! 早くしろ!」
そう言い置くと再びアトリスに突っ込んでいく。イエロー以下のスーツと比べて原始的であるレッドのそれは、きめ細かい制御を行っていない分、リーブグリット無しでも3分程度は実体化している。たとえ性能は低くてもプロトタイプ第一号を着ていることはこの男のささやかな誇りであったし、もし黒羽が戻れなければ、こんな手もやむを得ないと覚悟していた。

「スターバズーカッ!!」
黄龍の声に、弾けるように瑠衣が走りよってくる。輝も疾風のように戻ってきた。輝はアラクネーの所作から、この敵幹部がいつもの移動手段を失っていると読んでいた。ならば今はほっておこう。とにかく怪人を倒すことが最優先だ。苦しんでいる人たちを一刻も早く助けなければならなかった。

小さな飛行物体が舞い降りてくる。黄龍が自分と赤星の二つのリーブレスを、そして輝と瑠衣も自分のリーブレスをセットする。スターバズーカが火砲の形に変形した。赤星はなんとかアトリスをその場に引き止めている。アラクネーも黄龍のブラスターのために近づけなかった。
バズーカのチャージ状態を示すメーターが、イヤになるほどゆっくりと上がっていく。リーブレスの無い赤星は一切の武器が使えない。スーツも時間と共に機能が落ちていくはずだ。助けにいくには短すぎ、なのにあまりに長すぎる20秒だった。

「OKだぜ、レッド!」
黄龍が叫び、そしてぎょっとした。アトリスの脇の少し手前の空間がゆらりと歪んだ。現れた二つの固まり。輪郭もはっきりしないうちに、そのうちの一つがバズーカとアトリスの延長線上に飛び込んできた。そして残った一つの固まりが、自分たちに何かを向けたのがわかった。

「撃てっ! 伏せろ!!」
赤星の咆吼が響いた。アトリスを庇うべく割り込んできたホーネットに、赤いスーツが勢いよく体当たりしていた。パールグレイの身体が突きのけられ、無防備になった亜麻色の姿が真っ正面に晒されていた。

「ファイヤーッ!!」
スターバズーカが光の砲弾を放つと同時に、実体化したスプリガンの両腕の銃口が吠えた。


2002/11/10

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background by La Boheme