第28話 欲説還休
(1) (2) (3) <4> (5) (6) (7) (8) (9) (戻る)
「主任のお兄さまが帰ってきたんだって?」
「そうなんだよ。聞いてたのか」
「へー、有望さんって兄弟いんの」
 赤星と黒羽と黄龍、三人並んで泡だらけの頬に剃刀を当てながら朝の世間話に興じている。
「帰ってきたって、どっかに行ってなさったのか」
「ああ、10年中国に行ってたんだってよ。仕事で帰ってきたらしい」
「華僑だ、華僑」
「華僑は逆だろ・・・」
「お前らも会ってくれよ。亮平兄ちゃんってんだ。すげえいい兄ちゃんなんだぜ」
 黄龍が何か言ったようだが、ばしゃばしゃと顔を洗いながらの声は何を言っているのか分からなかった。
「そりゃ勿論会うさ。お前さんの未来のお義兄様なんだから、オレからも是非挨拶しとかんとな」
「なんだよぉ」
 と、黄龍が顔を上げ、タオルを取りに腕を伸ばす。
「あんたらお兄様はいーけどさ、これからしばらく特警行っちゃうし会えそうにないんじゃん。いつぐらいまで日本いんの?」
「あっ、それ聞いてなかったな。でもなんかゆっくり出来るみたいな事言ってたぜ」
「ふーん」
 黒羽も泡を落とし、顔を拭いた。一番髭の濃い赤星は、剃り終えるのも一番あとになった。
 黒羽と黄龍はそのまま上着に腕を通し、裏口から静かに出掛けていった。店をたいがい離れてから、
「旦那に余計な事話さなかったろうな」
「ん?」
「仕事の話だよ」
 二人は前を向いて歩きながら話した。
「ん?そりゃああんた、話すよ」
「何だって」
「だってあんた酔っ払って帰ってくんだもん、心配すんべ・・・・仕事タイヘンだってから、そっとしといてやってとは言ったよ」
「そうか・・・それだけならいいが、とにかく余計な」
「分かってるよぉ、赤星さんに仕事の話しなきゃいいんしょ。こう見えても口堅い方なんだから、信用しろよ」
「無理言うな、出来るか」
「あっ、言ったね。俺様あんたの事に関して言えばけっこう優秀な社会人の自信あんのよ」
「もっとまともな事で自信持て」
 黒羽は自分より1cm高い位置にある隣の頭を叩いた。




 切符の金が足りず、蘇州で列車を降ろされた。騙し騙し香港まで乗れたら、文無しでもそこで必ず仕事にありつけると踏んでいた二人は、全ての当てが外れて駅裏に座り込んだ。
「ああ、どうすっかなあ」
 空腹でもあった。志飛は大きく伸びをしたまま、仰向けに倒れた。
「どうするこうするも、金がねえとどうしようもねえよ。文無しは北京でこりごりだ」
 星亮も倒れた。ずっと三等客車で志飛の隣にいたこの元日本人は物覚えがよく、既に三等風の志飛によく似た口汚い北京語を一端に喋る。
「星亮よう、お前ちょっと表通り行ってよ、その辺歩いてる成金から頂いて来いよ。北京でやってたみてえに」
「いやだ。もうあれはやりたくねえ・・・腹も減ってるし、上手く逃げらんねえよ」
「だよな・・・・・」
 しかし、懐も胃袋も空ではあるが、久々にぎゅう詰めの空気の悪い客車から解放された清々しさはあった。車窓を介さない外の風を鼻先で味わっていると、隣の志飛が肩を揺らしてくる。
「おい、あれ、あれ」
 と、ちょいちょい指差す方へ顔をちょっと上げると、駅の隣の倉庫か何かの陰に男が三人いる。袋に入った饅頭を食べている。
「ああ、いいなあ・・・」
「美味そうだよな」
「ああ」
「あんなの食ってんだから金も持ってるよな」
「だろうなあ」
「お前、目いいか」
「けっこうな」
「あいつらのガタイ分かるか」
「ん?」
「全員お前より全然ひよわっちいぜ」


 志飛の見込みは当たり、1人が星亮と同じような背丈だったくらいで、全員細身で小柄だった。あえて見込み違いと言えば、星亮が喧嘩はさほど上手くなく1人を伸して財布を引っ張り出すのに多少手間取った程度で、饅頭の袋も無事奪い取った。
 残った1人が懐に手を入れた。金を出してくるかと、志飛は一番大柄な星亮ほどの体格の男の襟を掴んだまま意地悪く破顔する。
 が、男の手に拳銃があった。
「この野郎、よくもやりやがって。手ぇ放せ!」
 ぢゃき、と撃鉄を下ろす。志飛は男の襟を掴む手をゆるゆる離した。
「お、おい、ちょっと待て・・・・な。おい星・・・」
 少し離れたところにいた星亮を降りかえる。が、既にじりじりと後ずさっていた星亮は、その場からパッと逃げ出した。
「ああ!ちきしょうこの野郎、裏切り者め!!」
 怒鳴ったが、しかし向けられた銃口に足がすくんで身動きできず、風のように消えた星亮を見送るしかない。
 あの野郎、腹が減ってひったくりも出来ねえなんて言いやがったくせに・・・・
「でかいの、ぶっ殺してやる・・・動くなよ!」
 男は震える銃口を両手で押さえるように構え、指に力を入れた。男は銃を撃とうとしている事に激昂しているようだった。
「ちょ、ちょっと待て!殺したらお前もただじゃ済まねえぞ!やめろバカ!」
「うるせえ!」
 次の瞬間、しかし銃声はせず、耳の横で風を切る音がした。直後、男の背後の倉庫のシャッターが轟音を中心にへこむ。それが5回も続き、6回目、それは銃に当たった。銃が宙を舞った。男が驚いている間に、志飛は転がった銃に飛びついた。
「次は当てるぞ!」
 駅の方から声がした。振り向くと、上着を脱ぎ小石を持って、それを投げにかかっている星亮がいた。
「さっさとどっか行け!本気で当てるぞ!」
 小石を持った腕を大きく振りかぶる。男はあちこちへこんで用を成さなくなったシャッターを盗み見、さっきの星亮のように後ずさり、後ろも見ずに逃げ出した。動けるようになっていたらしい他の2人も、ふらつきながら男を追っていった。
「星亮!」
 志飛はまろぶように星亮に駆け寄り、星亮は小石を握ったままその場にへたり込んだ。
「やったぜこの野郎、いきなり行っちまったから逃げやがったかと思ったじゃねえか!」
 ふと見ると、地面に置いた上着の上にたくさんの小石が乗っている。
「線路の砂利だよ」
 志飛の視線に気づいて、星亮が言った。
「この辺まっ平らで石なんかねえから、取りに行ったんだ。あいつが銃出しやがった時やべえと思って、ぱっと思いついてよ。危ねえ時には頭が働くもんだ」
 と、今頃震えが来たのか、歯の噛み合わない強張った顔に、しかし安堵の笑みを浮かべる。
「へへ、良かった間に合って」
「お前ぇ・・・・」
 志飛はやおら目の前の石投げ名人を抱きしめ、肩を強く掴んだ。
「ありがとよ星亮、お前は命の恩人だ。これからは何があっても俺はお前を助けるぞ」
 が、星亮はぎょっとしたように体を離し、
「そ、そりゃいいから、それどっかやってくれよ」
 ふと見ると、さっき咄嗟に拾った銃を手に持ったままだった。
「あ、悪い悪い。それにしてもあの野郎よくこんなもん・・・」
 志飛は銃を軽く掲げ、ひらひらと動かしながらためつ眇めつ眺める。男が撃鉄を下ろしたままのそれは、5連発式のわりあい古めかしい姿をしていた。
「ホンモノかな」
「やっぱそうだろ・・・・ちょ、ちょっと持ってみろよ」
「あ、ああ」
 手渡す瞬間だった。緊張で力の入った志飛の指が、引き金を引いた。
「うわぁ!!」
 2人は銃を放り出し、両側に弾かれたように倒れ腰を抜かした・・・が、
「・・・あれ?」
 投げ出された銃は、地面に転がったまま無言だった。志飛は恐る恐る銃を拾い上げ、撃鉄を下ろし地面に向けて再び引き金を引いた。がちん、と撃鉄だけが跳ね上がった。
「志飛、それさあ・・・・」
 2人は顔を見合わせ、銃を睨み、弾奏を開けてみた。空だった。そのあと2人は長いこと笑い続けた。




 港の片隅で跳ねた硬球は、真新しい物だった。転がったそれを拾い上げ、志飛は星亮に投げ返してやった。
「我的工作是連絡。从公司有了申話。(俺たちは連絡係だけやってりゃいいってよ。今本社から電話があった)」
「対。(そうか)」
「イ尓有工作。イ尓会説日語。(まあ、お前は他にもなんかあるだろうけどな。日本語ちゃんと分かんのお前だけだしよ)」
「是ロ阿。(だろうな)」
 星亮は再びゆっくりセットポジションに入り、壁に向かって投げた。手から離れたボールは、次の瞬間を待たず、壁を叩いていた。
「李経理用日語説了。在日本出生成了喝?(しかしあの李社長ってのは日本語しか話さなかったよなあ。生まれも育ちも日本かな?)」
「不・・・ロ畏?(うーん、さあ?)」
 転がって戻ってきたボールを拾い、また投げる。ボールはさっきとほとんど同じ場所に当たった。
「日本人喝、部下曾是全体成員日本人。少説曾可怕、穿了全体成員K衣服。完全没会話。(ひょっとすると日本人かもよ。子分の連中もみんな日本人だったみてえだしなあ。でもあいつらちょっと不気味だったよな、みんなして黒ずくめで顔も似たような感じでよ。ひとっ言も喋らねえの)」
「是ロ阿・・・。(そうだなあ)」
 次の投球は壁の寸前で横に曲がり、壁をこするようにしてそのまま転がっていった。ボールはコンテナに当たり、律儀に星亮の近くまで戻ってきた。
「那个李経理・・・ロ畏、聽著、星亮?那個社長最可怕!(でもあの李社長ってさ、おい、聞いてんのか星亮。あの社長が一番気味悪かったよな!)」
 ボールを拾った星亮は、ようやく志飛の方を向いた。昔からボール遊びを始めた星亮は人の話をろくに聞かなくなるが、こうして手を止めた辺り、志飛と同感であるらしかった。
「イ尓也那樣思念。(な?やっぱりお前もそう思うだろ)」
「是ロ阿・・・(そうだなあ・・・)」
 星亮は志飛の横の段差に腰を下ろした。志飛も倣う。
「做會話的時候,稍微心情壞。那樣的人沒有在上海看過。(話しててちょっと気持ち悪かったな。見た目も怖いし、あんなの上海でも見た事ないぜ)」
「好ロ阿、皮膚白禿頭、穿白的套裝、好像怪異白蛇男人的。(だよな。生白くてツルツルの坊主にしててよ。白いスーツなんか着ちゃって、怪奇白蛇男って感じ)」
 星亮はひとしきり笑った。




 喫茶森の小路は、バイト学生がひとり店番中。。
 店長不在の折、たまにこうして店をアルバイトの女子高生一人に任せているらしい・・・と言うのも、この店を奇妙で胡乱な色に染め上げている。それがかえって興を誘い客寄せになったら慰めにもなるが、決してそうではない。
 立地にせよ建物自体にせよ条件が悪く、メニューや値段を見てももう一つ店側に販売努力が見られないのでは仕方がなかった。出すものは決して悪くはないが、良い豆を使っているとの触れ込み通りではあるが一般受けするかは怪しく、腕のいい職人の仕事との噂のケーキもあったりなかったり、あっても数がなかったり。コーヒーが良くても店は流行らんよ、とフリでやってきた出張中のコーヒー好きがこぼしていった。
 それでもバイトの女子高生は明るく、ごく稀にしかやってこない客を可愛らしく迎えるのだ。
「いらっしゃいませ!」
「あら、今日は瑠衣ちゃん一人?」
「あっお姉さま、いらっしゃい!」
 有望はカウンターのいつもの椅子に座り、瑠衣は素早くいつものコーヒーを差し出す。
「ありがとう、いただくわ」
「どう致しまして」
 と、瑠衣はカウンターに身を乗り出し、声を落として囁いた。
ねえお姉さま、アセロポッドの調査の方、どお?」
「なかなかね。OZから生物学の方に来て頂いてるんだけど・・・みんなは?」
「赤星さんは下で田島博士の実験のお手伝い。黒羽さんと瑛那さんは特警のお手伝いで、輝さんはどこかな・・・下でトレーニングするって言ってたわ」
「そう、みんな忙しいのね」
「瑠衣だってお店忙しいですよー」
「あらあら、ごめんなさい」
 むくれた仕草を見せた瑠衣だったが、すぐに笑顔に戻る。
「ねえお姉さま、こないだお兄さまからもらったお金、まだ持ってる?」
「ああ、あの一万円?ええ、まだあるわよ」
「やったぁ!ね、崩してもらった5千円ともう5千円返すから、あのお札、瑠衣にくれる?」
「いいわよ」
「ありがとう!待っててね、今お財布持ってくるから!」
 踵を変えそうとした瑠衣を、有望は軽い手の動きで制した。
「いいわよ、あとで。お札は今あげるわ」
 ハンドバッグから財布を取り出し、札入れを開ける。2段目の札入れの一番内側の一万円札を引き出した。
「はい。新札で助かったわ」
「ありがとうお姉さま!お金あとで渡すね」
「どう致しましてよ。でもどうして?」
 瑠衣は、ほとんど真新しい札の端を両手で持ち、透かしを天井の照明に照らしてみた。
「だって、せっかくもらったんだもん。お兄さまが直接くれたものを持ってたいなって・・・輝さんには悪いけど」
「そう、お兄ちゃんが聞いたら喜ぶわ」
 大事そうに一万円札を持って眺めている瑠衣を見ながら、改めてなぜ兄は見も知らない少女に金を与えたのか考えた。兄に限らず、お小遣いをあげるという行為に一体どういう意味があったのだろうか。一般的に言って優しい大人のする事、と言うことか。
 有望個人は、親戚や無関係な大人がむやみに子供に金を与えるのは好きではなかった。定期的に適度な額を親が与える以外では、子供のためにならないと思っていた。誰々博士の令息、令嬢と言った子供に小遣いをやる学者を苦々しく思ったことも何度かあった。有望は、数少ない身近な子供である赤星の甥にすら小遣いを与えた事はなかった。
 兄や彼らの気持ちは量りかねる。
 それでも喜ぶ瑠衣の姿は嬉しかった。
 瑠衣に喜ばれている兄が嬉しかった。


===***===(つづく)===***===
2004/3/7