第27話 鋼の守護神
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有望は眼鏡を外すと机の上に肘を付いた。昨夜は短い仮眠を取っただけだ。コンタクトレンズは外していたが目の奥がとても重い感じだった。掌の手首に近いあたりで目やこめかみのあたりを押すようにすると、そのまま両手に額を埋めて俯く。その前には基板が剥き出しになった瑠衣のリーブレスがあった。


リーブ粒子の正体は活性化ネオンだ。本来、非常に安定していて反応を起こさないはずのネオン原子。そのL殻から数個の電子を高い準位に押し上げると、残った電子が擬似的な価電子のように働く。こうなったネオンは非常に特殊な物性を持つようになり、電子が「離れる」特徴からリーブ粒子と呼ばれるようになった。
リーブ粒子は最初の電子の離し方によって様々な振る舞いを見せた、ある状態のものは空気中の酸素や窒素と多重結合をし柔軟にして堅牢なポリマーを形作る。またあるものは水素を取り込みエネルギー準位の高い状態をキープする。もちろん希ガスであればヘリウムでもアルゴンでもリーブ粒子になるのだが、ネオンが一番変化が多様だった。

それらの状態変化をコントロールしているのがリーブグリッドだ。あるリーブ粒子群をAという状態にしたければA'という状態に活性化されたリーブ粒子を放り込む。すると連鎖反応によって全体の状態がAに変化するのである。リーブグリッドから放出される"きっかけ"になるリーブ粒子は、キューと呼ばれた。

リーブグリッドの製造設備はOZの日本支部が破壊された際に失われた。現存するリーブグリッドはオズベースの実験室にあるシュミレーション用の大きなものが1つと、皆のブレスレットに実装されている5つだけだ。その貴重なリーブグリッドが機能しなくなったと聞いた時は相当に青ざめた。だがリーブグリッドの最もコアな部分、つまりリーブ粒子を種々の状態へ変化させるトランスレーターは無事なことがわかりほっとした。もしこのパーツが壊れていたら本当にオズリーブスは消滅してしまうところだった。


そっと簡易クリーンルームのドアが開いた。顔をあげると葉隠が気遣わしげな表情がある。外のエアシャワーの作動音に気づかなかったらしい。
「少し休んだ方がいいですぞ。だいぶ疲れたじゃろ」
有望はゆっくりと首を振ると、柔らかい笑みを浮かべた。
「いいえ。私は大丈夫‥‥。博士こそ無理なさらないで下さい。博士に何かあったら私、赤星にどやされますわ」

葉隠はほっほっと笑うとイスに腰掛け、有望の手元を覗き込んだ。
「それで状況は?」
「はい。まず、電源のトラブルの方は中村技師が直して下さってます。あとはキューを射出する加速ギャップが作動していません。今、加速ギャップそのもののトラブルなのか、トランスレーターのフィードバック信号が届いていないのか原因を特定中だったんです。ほら、これがこの箇所での変化を記録したもので‥‥‥‥」

有望は細いテスターの先で、基盤の問題の箇所と紙の束に走り書きした数値を交互に示しながら説明していく。有望はもともと理論物理の専門でこういった電子工作まがいのことは実験レベルでしかやったことがなかった。だがこちらの仕事をすると決めてから、基盤回路設計と実装のエキスパートである中村技師に徹底的に教わり、今やリーブレスを巡るあれこれについてはほとんど有望と中村の二人で処理していた。

葉隠は説明を聞きながら、夢中になって話す有望の顔をしみじみと見つめた。素顔のままでも美しいのが常だが、今日ばかりは目元にうっすらと隈が浮き、いつもの艶やかさがない。だがそれが逆に、この女性の科学者としての本質を剥き出しにしているようだった。

星加有望もまた「神のパズル」に魅せられた一人だった。物理現象を表す数式の美しさに、風景の美しさと同じくらい感動できる人間。こだわりを持った点についてはわずかな不明も忽せにせずに追求してしまう。いざそういった話になれば、彼女が雑談の中の単語すら厳密に選んでいるのがよくわかる。それはまさに若かりし頃の葉隠自身の姿だった。
一方でこういう女性にありがちなことだが、有望は科学以外のことにあまり頓着がなく、一般的な物事に対してはひどく鷹揚だった。生来の美貌と穏やかな立ち居振る舞いも相まって、研究室を出た彼女は実に品のいい女性に見えるのだった。

「‥‥もうすぐ中村技師が戻ってこられるので、それまでにもう少し詰めたいんです」
「なるほど。では続きは儂もお手伝いしようかの」
「ありがとうございます! でも田島博士の方は‥‥」
「ペッカーとオウルへのリーブトロンの組み込みも順調に進んでおる。というか、今の人員で、これ以上早く進めるのはムリじゃて」
「そうですか‥‥。田島博士もお休みになるヒマもなくて‥‥」

「田島君はとても頑健じゃからの。大丈夫大丈夫。じゃあ、その数値を分析してみますか。だが儂には思いつきしか出せませんぞ? この子たちについてはもう有望君の方が上じゃよ」
「博士ったら、何を‥‥」
尊敬して止まない偉大な科学者にそう言われて、有望の頬にさっと朱がさした。少し俯き、それからおずおずとした感じで葉隠の顔を見やった。
「‥‥あの‥‥博士‥‥。赤星、電話でどんな感じだったんでしょう‥‥?」

最初の病院からの電話。そして暫くしてからの特警に行くという電話も葉隠が応対した。二度目の時にスパイダルがテレビでとんでもない映像を流したと聞いて、みんなで慌ててテレビを見たら、各放送局ともその3分強の映像をなんども繰り返し流していた。

いったい赤星はどんな気持ちでこの映像を見たのだろうと思った。怒りで熱くなっていないか、それとも責任を感じて落ち込んでいるのではないか‥‥。結果的にはシェロプの言った通り、オズリーブスは暫くこの世に現れることはできないのだ。

「流石にだいぶ参っとったようじゃな‥‥」
「そうですか‥‥」
有望はテスターを置き、机上で軽く組み合わせた白い手をぐっと押し合わせた。深い一呼吸に合わせて、背筋をすっと伸ばすとすとんと肩の力を抜く。それは赤星が時々見せる所作にとても似ていた。
「とにかくできるだけ早くリーブレスを直さなければ。今、私にできるのはそれだけですから」

昨日の午後、皆はM島に出撃した。それから最も過酷だった1日が過ぎたのに、ストーリーはまだ終わっていないのだった。


===***===

警察庁の会議室では浅見が出て行ったのとほとんど入れ違いに西条が飛び込んできた。
「本部長。例の妨害電波の発信源が特定できました!」

風間と赤星がばっと立ち上がった。西条が早口で続ける」
「港区のR6地点。マンションの建設現場で警邏中の警官が不信人物を発見。職質した結果、アセロポッドだったんです」
「そっちに向かえる者は?」
「柴田以下4名が出先から現場に急行中。島が戻って来たんで私も出ます!」
「よし、急げ。私もすぐに部屋に戻る」

「お、俺も行きます!」
風間と西条は思わず赤星の顔を見た。赤星は早足で西条の傍に歩み寄った。
「西条さん、俺も連れてって下さい」
「ばか言うな。お前は休んでろ」
「だいじょぶです。まだ動けます。俺も何かしたいんです!」

「赤星。今の君はただの民間人だ。我々は意味もなく民間人を現場に連れて行く訳にはいかん」
ぴしりとした風間の声が響いた。赤星が目を見開いて近寄ってくる風間の顔を見やった。風間もまた赤星を見据えたまま言った。
「西条、早く行け。状況が許せば島もそっちにやる」

西条は赤星から視線を引きはがすように踵を返し、部屋を出て行った。つられるようにそちらに動いた赤星とドアの間に風間がすっと身体を滑り込ませた。
「赤星。あとは我々に任せて病院に戻るんだ」

赤星は怒りとも哀しみともつかぬ眼差しで風間を見つめていた。
「‥‥オズリーブスじゃない俺たちには‥‥用が無いってことですか?」
「おい、いったい何を‥‥」
「‥‥俺‥‥確かにレッドで、みんな、オズリーブスで‥‥。だけど‥‥」
赤星には風間の声は届いていないようだった。その黒い瞳はぽかりと空いた深い淵のようにも見える。
「風間さんや、みんなが思ってるのと違う! 俺たち象徴とか人形じゃない! 俺はずっと俺で、黄龍も黄龍で、輝も、瑠衣も‥‥。黒羽も‥‥。黒羽は‥‥っ」

突然、男が苦しそうに顔を歪めた。右手でジャンパーの襟元とTシャツを一緒くたに鷲づかみにすると酸欠になったように喘ぐ。風間が手近な椅子を引き、赤星を座らせてやった。
「‥‥俺‥‥どうかしてる‥‥。風間さん、早く行って‥‥」

そう言いながら顔を上げた赤星は少し驚いた。風間がもう一つの椅子を引いてそこに横から座ると投げ出した足を組む。いつもぴしりとした印象を崩さない特警本部長の少々ものぐさなその様子に、赤星はつい目を奪われた。風間はそのまま机上に立て肘をついてそこに頭を預けると、どこかくつろいだ猫のような顔で赤星を見やった。

「赤星。いったいどうした? 今日は最初からおかしいぞ。戦闘続きで参っているのはわかるが、それだけじゃないな?」
「‥‥いえ‥‥‥‥」
「かまわん。何かあれば島が連絡をよこす。言ってみないか?」
赤星は少し躊躇った。だが、破壊されたリーブロボを俯瞰した瞬間から胃の腑のあたりにでんと居座っていた大きな石が、だいぶ軽くなった気がしていた。今までその石がずっしりと突っ張っていたおかげでちゃんと立って、歩いて、動いてこられたのは確かだ。だが、それは同時に、ずっと赤星自身の呼吸をジャマし続けていたのかもしれなかった。

「‥‥シェロプの放送ん時、病院のロビーにいたんです。見てる人達が凄いショックを受けてて‥‥。俺、それ見てる方が苦しかったんです。象徴ってこういうことだったのかって‥‥」
風間がゆっくりと頷く。赤星が続けた。
「‥‥浅見さんの話を聞いてるとそんなバカなって思っちまう。でも、あの病院にいた人達みたいにショック受けた人が沢山いるんだったら、浅見さんの言う通りなのかもしれない。それでもまたもう一度、今朝みたいなことが起こったら、きっと同じようにしかできない‥‥。‥‥俺には、ムリだ‥‥。そんなに色々考えて、動けないんです‥‥」

風間が頭を起こして背筋を伸ばし、赤星をまっすぐに見た。
「そうだろうな‥‥と言うより、そもそも私が迂闊だったようだ」
「え?」
「自分が御輿であると意識した上で御輿を演ずるには君は若すぎる。そういうことはうちの局長程度にはタヌキにならんとムリだな?」
風間がいたずらっぽい顔でそう言い、赤星は目を丸くした。

「大勢で難局立ち向かう時は御輿が必要だ。今は君達が御輿なのも事実だ。だが私は、それを当の本人に言うべきではなかったのにな‥‥。」
呟くように視線を落とした風間は、赤星にはますます意外に思えた。こう考えろとか、そういったことを言われると思っていたからだ。

「あの‥‥風間さん‥‥?」
「なんだ?」
「‥‥結局のトコ、俺、どうしたらいいんですか?‥‥」
一方の風間は、自分を見つめてくる黒い瞳にどう返すべきかしばし悩んだ。自分で自分を追い詰めながら、それでもいつものように真摯な瞳だった。素直なこの男を言いくるめるなど造作もないだろう。なのになぜかこの青年に対しては隠し事がしにくいのだった。

「今の君にできる範囲でいい。何も意識せず、今まで通りで」
「本当に?」
「ああ。‥‥ただ、我々は君たちを利用させてもらう。戦力だけでなく、象徴としても」
ちょっとだけ震えた唇を、赤星はぐっと噛みしめた。
「‥‥わかりました。それについてはお任せします‥‥っていうか、俺、考えないようにします」
「それで、いい」

赤星が立ち上がるとぺこりと頭を下げた。
「すみませんでした。俺、基地に戻ります」
「そうだな。まずは風呂でも入って休め。君の髭面はどうも似合わん」

赤星は鳥の巣のような頭を掻いて気恥ずかしげな笑みを浮かべた。この男らしい生気が少しだけ戻ってきていた。


===***===

赤星がオズベースに戻ってきたのは午後1時半を少し回った頃だった。誰もいない通路を歩きながら自分のほっぺたを数度叩く。頬を両手でむぎゅっと掴んでからにっと笑ってみせた。誰かに見られたら気が変になったかと思われそうだが、落ち込んだ時には笑ってみることにしていた。

コントロールルームの厚いドアの前でちょっと立ち止まり、一度だけ深呼吸をした。手を触れてドアを開け‥‥‥‥中にいる人間に驚いて声を上げた。
「あれ、おい! 大丈夫なのかよ!?」

「あっ リーダーっ」
「お疲れ〜。どーだったんよ」
さすがに少し辛いのか輝は椅子から立ち上がっただけで手を振った。洗ってからごしごしと拭いただけの髪が例によってむちゃくちゃだ。一方、椅子にふんぞり返ってこちらを見やった黄龍はいつもながらにさりげなく洒落たシャツ姿。とはいえ黄龍の額から長髪の中に消えているのはバンダナではなく包帯だし、輝の半袖のTシャツから伸びた腕にもぐるぐると包帯が巻かれていた。

「なんだって帰って来ちまったん‥‥。あ、博士。色々すみませんでした」
文句を言いながら二人に近づいた赤星は、奥の席の葉隠に頭を下げた。
「儂も病院に居た方がいいと言ったんじゃがのう。でもこうして、みんなの無事な顔を見られてほっとしたわい」
その顔には、半分心配しつつもほっと安堵の色があった。

「瑠衣と黒羽は?」
「まだ病院。なんか特別室っての用意してくれたんだぜ。ラッキーって感じ?」
「そっかぁ。しかしお前達だけ戻るって、あの黒羽がよく大人しくしてたな」
「そりゃあもう。美人の看護婦さんにさ、アイツちょっと性悪なんで、大量に鎮静剤ぶちこんで下さいって頼んだんよ。あれじゃ起きようったって起きらんねーよ」

いつもながらの黄龍の言い方に赤星が吹き出す。
「そりゃ、いいや。で、瑠衣は? やっぱ具合そうとう悪いのか?」
「ううん、そうでもないって。でも黒羽さんの見張りで残ってもらったのっ」
輝の答えに赤星が目を丸くした。
「見張り?」
「だって、ほら。オレたちの中で黒羽さんに言うこと聞かせられるの、瑠衣ちゃんだけでしょ?」
目から鱗のその判断に赤星は思わずがくりと脱力した。

「それに瑠衣ちゃん、そうでも言っとかないと絶対に自分も帰るって言うから」
「およ、テル、お前そこまで読んでたのかよ。やるじゃん」
「そのぐらい普通だよっ エイナも瑠衣ちゃんのことスキなら、少しはマジメに考えないとダメなんだからねっ」
いきなり輝に人差し指を突きつけられて、黄龍が固まった。
「お‥‥俺様が、いつ瑠衣ちゃんスキだって言ったよ!」
「顔に書いてあるよっ イエロースーツにも、でっかくっ」
「なに言って‥‥っ おっ 俺は、あんな年下の子は‥‥っ」

「ちょっ、ちょっと待てっ 今、俺の頭、これ以上ややこしくしないでくれよっ」
黄龍と同じくらいどもりながら赤星が割って入った。
「え? リーダー、また警察からややこしいこと言われたのっ?」
「いや、そーゆーワケじゃ‥‥そーじゃなくて‥‥、えーと‥‥、とにかくっ!!」
赤星はしばらく言葉を探すと、精一杯威厳を取り繕って言った。
「二人とも、とにかく休んでくれ。どっちにしろ俺たち出動できねえし。な?」

「うん、そだね。じゃ、エイナさん、寝ましょvv」
「おえええっっ」
からかいモードに入った輝に、気持ち悪げなリアクションを返しながら、黄龍が椅子から立ち上がる。輝の女装姿を思い出して2歩も3歩も引いてしまった赤星に、二人がドアのあたりから振り返った。
「赤星さんも、しけたツラしてねーで、ちゃんと休みなよ」
「あ、ああ‥‥」
「なんかあったら一人で行かないですぐ起こしてねっ オレたち仮眠室いるから」
「ああ、そうする。ありがとな」

ドアが閉まり、部屋には赤星と葉隠だけになった。
「博士たちも大丈夫ですか? 昨日からみんなほとんど寝てないんじゃ‥‥」
「まあ、研究が盛り上がった時なぞ、こんなもんじゃて」
「そーゆー問題じゃ‥‥。で、リーブレスは‥‥?」
「有望君が頑張ってくれたおかげで原因はわかった。修理方法ももう少しで確定するじゃろう」

「リーブロボの回収の方はどこまで進んでるんでしょう。ヤツラの基地、壊してくる時間が無かったから‥‥」
「こっちから柳君のグループが行って、あと浅見さんが空自に手を回してくれての。修理隊の方々が協力してくれたおかげで、リーブトロンに絡んだパーツは既に輸送中じゃ。M島には徹底的に電磁波走査を集中しとるが、新しい司令官が不在だったのが幸運じゃった。ただ残りの部分は国会の承認が降りてからにしてほしいと風間さんから連絡があった。そうすれば、もしスパイダルが出ても自衛隊の武力で対抗できるからのう」
「‥‥そうだったんですが‥‥」
「浅見さんや風間さんも、夕べからべったり張り付いて下さって、ほんに助かったわい」

赤星は黙って頷いた。さっきは浅見や風間が事態に対処するためにどれだけ奔走してくれたのかなど、考える余裕もなかった。だが今はそれを敢えて知る必要はない。やらなければならないことは一刻も早くオズリーブスとして出動できるようにすること。不幸にして復活する前に怪人が出現したら、OZの科学力で対策を講じられるようにすること。そして‥‥

「博士、ガーディアンは?」
「不眠不休でやったとしても三日はかかるのう‥‥‥」
「‥‥ですよね。レヴィンが飛んできた時、俺、幻影かって思っちまったぐらいだから‥‥」
ちょっとうなだれかけた赤星に、葉隠が明るい声で言った。
「ところで竜。有望君にはもう会ってきたかな?」
「いえ‥‥まだ‥‥」
「しょーもない朴念仁じゃの。第2クリーンルームにおる。とても心配しておったぞ。早く安心させてあげなさい。それでお前も少し休むんじゃ」



瑠衣のリーブレスと悪戦苦闘する有望は、呼び出し音の5回目で内線の受話器を取った。
「はい。星加です」
<有望。俺だよ。疲れてねーか?>
「赤星! どこから?」
<すぐ外。でも俺、ひでーカッコしてるから‥‥>

有望はその言葉を全部聞いていなかった。かしゃんと受話器を置くと内側のドアを開ける。外ドアにはめ込まれた型板ガラスの向こうに赤い人影がいるのがわかった。外ドアを開け、疲れた様子の幼馴染みを目にしたとたん、有望は立ちつくした。よっと笑いかける男は、笑顔だけは普段の赤星に近いが、ずいぶんとひどい有様だった。

「有望、ほら、そこいると、閉まんねーって」
少し離れた処にいる赤星がちょいちょいと手を動かした。有望は慌ててセンサーの圏外に出て、そのまま赤星に駆け寄る。赤星が避けるヒマも与えずその上腕を両手でぱっと捉えた。
「お帰りなさい」
その無精髭の疲れた顔を見つめて、もう一度言った。
「お疲れさま」

有望の顔を見つめ返した赤星の唇が泣き笑いのように歪むと、いきなり両腕を広げ、華奢な身体を抱きすくめた。
「有望‥‥。色々ごめんな。それに、ありがと‥‥」

腕の中にある柔らかさとか細さ。掌が触れている白いうなじから伝わってくるちょっと早めの鼓動。アップにまとめた髪の先端のくすぐったさ。いつも有望が好んでつける香水のかすかな残り香‥‥。そういった感触の全てが、有望の存在と自分の存在を確かなものにする。「いつものお前がここに在る」と赤星に囁きかける。護りたいものの全ての始まりが、この手の中にあった。

と、有望がいきなりくすくすと笑い出した。赤星が慌てて身体を離した。
「ご、ごめん。つい‥‥。大変だ、埃が‥‥」
「ううん、違うの。髭が痛かったの」
「あっちゃ‥‥ごめん、ごめん」
赤星が顎をひと撫ですると笑い出した。

「で、どう? リーブレス?」
「ピンクので成功したら、真っ先に貴方のを直すわ」
「サンキュ。よろしく頼むな」
最悪失敗するならまずはピンクを‥‥。それでダメならグリーンを‥‥。赤星の気持ちを、有望はまさに完全に理解してくれていた。



赤星が昼よりはよほどさっぱりした気分で仮眠室のベッドにもぐり込んで、2時間半ほどが過ぎた頃、それまで沈黙していたサルファが喚きだした。

「次元回廊ノ反応有リ! ぽいんとU7!」


2003/6/22

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