第26話 黒騎士、影に消ゆ
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きん、と透明な音が響いて、ブレードが宙に舞った。

デュプリックの伸びた両前腕部は反り返った大きな刃に変形している。右のそれで黄龍のブレードをはじきとばし、左の刃で長身に襲いかかる。飛び込んできた輝がたった1本になったルートンファーの三日月刀を渾身の力を込めて怪人の腹部に打ち込んだ。だが紅い身体はあざ笑うようにゆらぎ、トンファーは空を切った。

デュプリックは二つの状態を巧みに使いこなした。攻撃を受ける時は三次元の存在ではなくなって、幽霊のように素通しになってしまう。だが攻める時はしっかりと実体化する。実体化した状態だとて相当に頑丈なのだ。せめてもの救いは幽霊状態の時は空間を歪めないことだけだ。

後退した黄龍に赤星がリーブラスターを渡し、自分はブラックインパルスの剣を構えてデュプリックに突っ込んだ。非実体になった怪物はエアホッケーのパックの様に浮いてスライドして逃げる。そのうち実体化して緑色に輝き始めたら、再び攻撃をしかけて空間を歪曲させないよう妨害する。その繰り返しだった。

空間を歪めることに関しては怪物はまるでプログラミングされたロボットのように融通が利かなかった。少し距離が稼げると満足そうに立ち尽くしてはびかびかと稲妻を走らせる。だが接近戦になると明確な殺意と的確な判断力を持って攻撃してくる感じだった。頭脳があるとは考えにくいが、精巧な学習機能を持っているのかもしれなかった。

確実に倒せる方法があるならそれが一番いい。だがスターバズーカはもう使えない。自分が囮になって後の3人にドラゴンアタックを撃たせてもパワー負けする可能性の方が高かった。どっちにしろ幽霊になって逃げられたらそれでおしまいだ。リーブメカももう到着する。だが、あの巨大なロボットで人間大のこの敵を追いつめるのは難しそうだった。
周辺の島々から人々が安全な場所に避難するまで、とにかく攻め続けて空間の安定を図らねばならない。その前にムチャをしてもし負ければ、避難中の沢山の人命が失われてしまう。

あと2時間。なんとしても持ち堪えなければ‥‥。賭はそのあとだ。

決め手の無い持久戦は、4人を精神的にも疲弊させていた。


===***===

(親父さん連れて、早く脱出しろ。いいな)
赤星はそう言って、こちらの返事も聞かずに走り去った。

時間稼ぎが取りうる最善の手なのは確かだろう。問題は皆の体力だ。だいたい昨夜のダメージだって残ったままなのだ。それにデュプリックを倒せなければ、最終的にはこの海域一帯は歪みに沈み、暗黒次元の一部になってしまう。こちらはその世界には足を踏み入れることすらできないのに、そこからスパイダルが好き勝手に攻めてくるようになって‥‥。

「早く‥‥行ってやるがいい‥‥」
黒羽が視線を落とすと、腕の中から漆黒の瞳が見上げてきた。その眼差しは奇妙に安らいでいた。

再び白煙を上げ始めたY山の麓で、ブラックインパルスはぐったりと仰向けていた。顔色は青白く頭部を息子の胸にもたせかけている。口元には拭い切れなかった喀血の跡が刷毛で引いたように残っていた。黒羽は背中から父親の上半身を抱き支え、うずくまるように座り込んでいた。

いったいどんな選択があったのだろう。

事実がわかってからというもの、毎夜毎夜、眠りにつくたびに、生みの親だろうがなんだろうが切るのだと自分に言い聞かせた。父もまた、容赦はしないと言った。お互いそのつもりだったのだ‥‥。なのに‥‥

身体中で感じるこの鼓動も重みも温かさも、どうしようもなく懐かしくて‥‥。情けないほどに、この手を放したくない。

幸せに暮らしていてくれたらと願っていた。

そうして、いつか逢えて、虹色の光に満ちたあの時間を分け合えたら、どんなにいいかと‥‥‥。



ブラックインパルスが左手をあげ喉元に手をやった。黒羽は父が息苦しいのかと思い、慌てて襟を緩めるのを手伝った。
「‥‥なにか‥‥。‥‥ナイフのような、ものを‥‥」
男は二つ目の釦に手をかけながらそう言う。黒羽が少し当惑の表情を浮かべ、それでも素直に、返してもらった肥後守定駒を取り出した。

「‥‥持っていて‥‥くれたのか‥‥」
小さな折り畳みナイフを見て、ブラックインパルスは明らかに嬉しそうな表情を浮かべた。そして不自由そうに、それでもなんとか上着の襟元をはだける。喉のくぼみから少し下、胸骨に埋もれるように、エメラルド色に輝くそれがあった。
「健‥‥。これを‥‥。私のストーンを‥‥持って行き‥‥なさい」
「‥‥え‥‥?」

「し‥‥、司令官ッ!」
今まで少し離れた所で、命令を待つように跪いていたアラクネーが悲鳴をあげた。まろぶように走り寄り、横たわる男のすぐ傍に膝をついた。
「何をおっしゃいます!? 他の次元でストーンを手放したら身体が崩壊してしまいます!‥‥あたくしが安全な場所にお連れします。それで、すぐに手当を‥‥っ」

ブラックインパルスが力無く微笑んだ。
「‥‥ムリ、だ。‥‥もう、助からん‥‥。いいのだよ、アラクネー‥‥。‥‥健。私が死ねば、ストーンは数分で消えてしまう。‥‥今のうちに‥‥‥」
「し、しかし‥‥‥」
ためらう黒羽に、ブラックインパルスは言葉を重ねた。
「これを‥‥あれの体内に撃ち込めば‥‥実体化できる。今のままでは‥‥お前たち‥‥しのぎきれん‥‥。島も‥‥沈んで‥‥‥」

男はふと、自嘲的な、それでいてどこかいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「‥‥‥己の、感じたまま‥‥考えたまま‥‥だったな‥‥‥?」

黒羽が目を見開いて、男の顔を見つめた。
あの山の中で、自分自身が、男と決別しようと投げつけた言葉だった。

地球人の寿命より遥かに長く生きているらしいこの男の立場に立てば、母と自分との事はまさに微細な脇道であり、けもの道に過ぎなかったはずだ。

‥‥なのに貴方は‥‥‥‥。


鳩尾のあたりから熱い固まりがせり上がって来る。それを言葉に変えようとするのだが、口元はわななくばかりで用を為さない。黒羽は唇をぐっと噛みしめ、父の瞳を見つめて深く頷いた。
手早く上着を脱ぐ。ざっと畳んで地面に置きそれが枕になるように注意深く父親を横たえ直した時、黒羽の眼前に角錐形にとがった金属の先端が突きつけられていた。

「そうはさせぬ!」
大きめの独鈷杵のような得物を黒羽に向けて、アラクネーが叫んだ。
「‥‥その汚い手を離せ‥‥。司令官に触るな! 貴様が‥‥‥!貴様たちがいなければ、こんなことにはならなかったのに‥‥ッ!」
激しい憎悪に炯々と底光りする少女の瞳は紫がかって見えた。鼻梁から顎にかけてはすっぽりと黒いマスクで覆われているが、いつもかぶっているフードは脱げ、さらさらした髪が風に吹き散らされていた。

黒羽は目を逸らさず、さりとて睨み返すこともせず、ただ黙ってその視線を受け止めた。複雑な想いだった。参謀を陥れたスパイダルの中で、少なくともこの少女は死にゆく父親を慕ってくれている。若々しさと妙に機械的な無感情がアンバランスな印象のスパイダル四天王が、まるで泣き喚かんばかりに感情を剥き出しにして‥‥。仲間やこの世界やそういった諸々の存在と実の父親を天秤にかけなければならない身としては、一抹の羨望さえあった。

右手で得物を構えたアラクネーは黒羽を見据えたまま、左手で上司の手を探る。だがブラックインパルスは娘の手をそっと押しやると、鉛の詰まった袋のように己の身体をずるりと引きずり上げた。アラクネーの武器と怒気から息子を庇うように上半身を起こし、哀しげな表情で少女を見やった。

「司令官、なぜっ!」
「‥‥もう‥‥司令官では‥‥ない‥‥。せめて、おのが心のままに‥‥死にたい‥‥。すまぬ‥‥アラクネー‥‥‥‥」
少女の射るような眼差しがはらりと砕けた。黒紫の瞳をみるみるうちに覆った涙が、宝石のように光を散らした。ブラックインパルスがふらりと周囲を見回した。1本の鞘を見つけると心もとない所作でそれを掴み、少女に差し出す。それだけでも立派に武器になりそうな重みのある金属製の鞘。栄誉あるスパイダル参謀ブラックインパルスの名を刻んだ、ソニックブームの鞘だった。

「‥‥もし‥‥私の名に、まだ、お前を護る力がある‥‥なら‥‥、これを‥‥。だが、‥‥お前に災いをもたらすなら‥‥溶かしてしまうが、よい」

娘は華奢な身体には無骨すぎる鞘を受け取ると、それをぎゅっと抱きしめた。俯いた少女の両肩は小刻みに震えて、あまりに頼りなげで、黒羽をして、一瞬、抱きしめてやりたいと思ってしまったほどだった。

肘をついたブラックインパルスの腕からかくりと力が抜けた。黒羽が慌てて抱き留め、再び父親を静かに横たえる。
「‥‥健‥‥。立派になったな‥‥本当に‥‥‥」
仰向けた男は、もう何も見えていないようだった。ガラス玉のように焦点の合わない瞳に白い雲が映り込んでいた。
「‥‥お父さん‥‥‥‥」
黒羽の視界の中で、父親の顔がにじみ始める。
「‥‥お父さん‥‥。‥‥お母さんはお元気です。お幸せです。‥‥‥ごめん、なさい‥‥」
こらえた嗚咽に言葉が埋もれた。

ブラックインパルスがほのかな‥‥されど晴れやかな微笑みを浮かべた。
「そうか‥‥。良かった‥‥。冴のことを、頼んだぞ‥‥」
「はい‥‥」
「‥‥さらばだ、健‥‥。お前の、為すべき事を‥‥しなさい‥‥」
「‥‥はい‥‥‥」

黒羽は両の手袋を脱ぎ、左手を父の胸に置いた。鼓動と温かさが伝わってくる。がくがくと軋みが聞こえてきそうなほど、自分の手がおののき始めた。噴き出した汗で滑りそうな肥後守を右手で握り直し、どんどん浅くなる息を無理やり長めに整え、やっと少し震えを止めることができた。素肌を通してそれを感じ取ったブラックインパルスは、唇の端に満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。

ついこの間丁寧に研ぎ直したちびたナイフの切っ先は、緑色に輝くストーンと胸骨の間に滑り込むように入った。出血はわずかしかない。父親の顔も穏やかだった。手に刃の感触が伝わってこない。自分は自分の外にいて、ロボットがごとき肉体の動きを見ているような、そんな錯覚に陥った。

「‥‥おとうさん‥‥」
つぶやくような息子の声に、父が小さく頷いた。

右手首をくいと返すとストーンが浮きあがる。左手でおそるおそるその貴石に触れたら、ぽろりと手の中に落ちてきた。途端、男の身体が真珠色に光り始める。ところどころに緑色の稲妻が走ったと思ったら、全体が霞のように薄くなっていく‥‥。
「お父さん!」
思わず肥後守を膝元に放り出し、手を伸ばす。だがその手は父親の身体の中を突き抜けて、大地に触れた。黒羽が両手をついて俯いた時には、靄はすべて霧消していた。

「‥‥う‥‥‥‥」
その霞と一緒に自分の周りの全ての空気が消滅してしまった気がして、黒羽は苦しげにあえいだ。さっき遮断されていたもろもろの感覚が両腕を駆け上がってくる。父親の骨に刃を入れたごつりとした手応え。ディメンジョンストーンを抉り取った時のその感触‥‥‥‥。

自分の両腕を切り落としたい衝動に駆られた。それを押さえ込むと身体を起こし、絞り出すように息を吐き切る。やっとのことで新しい空気が肺を満たした。硫黄の匂いに混じって、ほのかに潮の香りがした。


海辺が好きな人だった。磯も、砂浜も、潮風も‥‥‥‥。


あの虹色の時間は、確かにあったのだ。
自分を慈しんでくれた、力強い手も、厚い胸も、夢ではなくて。
そして、その血が、肉が、この身体の中に息づいている。


男は立ち上がった。
振り返りもせずに、仲間と、血色の化け物に向かって足を踏み出す。

あとには、頬を濡らし、瞬きすることすら忘れて、かの人の消えた大地を見つめる少女だけが残った。

2003/4/29

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background by Studio Blue Moon