第26話 黒騎士、影に消ゆ
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「あなたたちは‥‥っ」

スピンドルの動きを確認するために地上に出ていたアラクネーは、基地の近くで意外な三人と出くわした。それは彼女にとって同定できる数少ない三次元人だった。

不現理絵という名でこの世界で生活していたときにアルバイトをしていた喫茶店の従業員と常連客だ。真ん中にいるのがルイという少女。なんの屈託もなく懐いてきた。ある意味最高の話し相手で、三次元の怪談を色々話してくれた。その隣にいるのはアキラといった。ぱっと見た目は女性体に近いが性別は男。他人の居心地をいつも気にかけているのにそれに疲れた風も無いのが不思議だった。

そして‥‥敬愛する司令官に驚くほどよく似た男。クロバ・ケン。大げさな仕草も話し方も、そしてたぶん表情も、几帳面で節度を失わないあの方とは全然違う。だのについ目を奪われた。

大好きな珈琲の香りに満ちた建物。責任者の呑気さが伝染しているような変わった空間だった。幼い時から実の親との間にすら張りつめた空気しかなかったこの少女にとって、身構えるのが馬鹿らしくなるようなあんな雰囲気は初めてだった。心地よい、だが、浸っていたら堕落していきそうな、奇妙で印象深い時間‥‥。

こんな無人島でそんな連中と会うなどどう考えてもおかしいと少女が思い至るより早く、すっと身構えた3人の姿は、夢物語の登場人物からいきなりスパイダル最年少将軍の現実に変わった。
「あ‥‥っ オズリーブス!?」

「ピンク、残り、頼む」
「了解!」
ブラックに渡されたデイ・バッグのようなものを抱えて、ピンクが身を翻す。反射的に追おうとしたアラクネーの行く手を、ブラックとグリーンの二人が遮った。
「アラクネー。ここから先は行かさんぜ」

暗黒次元の存在であるアラクネーの聴器官は、三次元人が"人声"として認識する周波数帯のうち、かなりの部分を逃してしまう。言葉は理解できるが、あとはせいぜい女性と男性の区別がつくぐらいで、時にはそれすらおぼつかないこともあった。それでもイントネーションはなんとなくわかる。それは言葉の内容以上に、語り手の心情を示した。

そんなに話したことがあるわけではないが、クロバ・ケンはいつも余裕と茶目っ気を漂わせた話し方をする男だった。実の両親とは幼い時に生き別れになったと語った時でさえ飄々と穏やかで、だからつい、私もやっかい払いのように親元を離れたと、必要もないことを話してしまった。

(そいつはシンドイ話ですなぁ‥‥)
男の唇からいつものにやにや笑いが消え、瞳がしんと深い色を帯びた。小さな自分の手を取って何も怖がることはないと言ってくれたかの人と、あまりに似通っていた。
(でも親子の出会いだって運命ですからね。たとい縁が薄かろうが、恨んだりしちゃいけませんや。自分の生き方してりゃあ、おのずと仲間が出来ていく。それで十分なんじゃないですか?)
こんな顔も持っていたのかとまじまじ見つめ直したほどに、柔らかな微笑みと話し方だった。


だが、今、眼前の男から発せられた声にはそんなものは微塵もない。それはつい先日、自分をあっさりと斬り伏せようとしたオズリーブスのナンバー2以外の何者でもなかった。理由のない羞恥と怒りが華奢な全身を貫き、アラクネーはコントローラーに向かって叫んだ。

「スピンドル! この死に損ないを冥土に叩き込んでおやりっ!」
スピンドル・ゴルリンの反応は申し分なかった。プリズムでくみ上げられたような独特のボディがアラクネーの前にずいと踏み出すと、白い球体を三次元人に向けて投げつける。二人はとっさに左右に分かれた。美しい丸いグラスが爆発し、どん、どん、と大地を震わせる。自分を追ってきた第2弾を輝がかろうじてトンファーで弾き返した。

「こいつってば倒したヤツじゃなかった!?」
「双子の弟でもいたんだろ! 目眩ましに気をつけ‥‥」
黒羽の言葉が終わらぬうちに、今度はスピンドルの体内で屈折を繰り返して集約された光のエネルギーが二人を襲った。
「うわっ!」
「オズブルーン!」
忠実なる白い機体が滑り込んでくると宙に黒い煙をまき散らす。朝で光量が少なく威力は抑えられているものの、どこから反射してくるのかわからないこの怪人の攻撃は、類い希な黒羽のカンや輝の動体視力を持ってしても読み切れない。前回はオズブルーンの煙幕で防ぐことができたから、試してみる価値はあった。


ちょっとだけ息をついた黒羽が反射的に身を沈める。頭上を銀の糸がかすめた。その時既にアラクネーは黒羽の間近まで飛び込んでいた。黒羽はすくい上げるように入ってくる金属の突端を仰け反って避け、後ろに飛びすさる。
「ブラックリーブス! 礼はきっちりさせてもらうわ!」
顔のほとんどを覆うフードとマスクの中で黒紫の瞳が見開かれ、華奢な肢体に似合わないぎらりとした光を放った。

アラクネーが冷静さを失って、こちらにかまけてくれるのは好都合だった。瑠衣は低周波音発生装置の残りを撒きに行っている。赤星と黄龍は同じ物を持って基地内部に潜入していた(身長不足でアセロポッドになりすますのはムリだと言われた輝はちょっぴりおかんむりだったが‥‥)。次元回廊を生じさせている設備を同定してそれを止めるためだった。
「ご指名とあらば、喜んでお相手しましょう、お嬢さん?」
黒羽はブラスターをブレードに変化させると、動かせない左肩を隠すように半身に構えた。



「リーブラスター、シェルモード!」
超特急で戻ってきた瑠衣は、いきなりシェルモードにしたブラスターを両手で構えた。
「わっ だめだよ、ピンクっっ」
輝の制止も聞かず瑠衣がシェルモードを発射した。あたりに重低音が響き、スピンドルの脇腹に光弾が飛び込んでいく。輝は反動でバランスを崩した瑠衣を支えつつ岩陰に飛び込んだ。前の時、この怪人はブラスターを反射して撃ち返してきたのだった。だが‥‥。

「あ! 壊れた!?」
「わーい 当たったvv」
瑠衣の言葉に輝が思わずこける。だが、あの体勢でシェルモードを命中させたのは確かに凄い。
「足下を狙えば胴体のどっかに入るだろって言われてたんだー。うまく行ってよかった!」
黄龍の入れ知恵だったらしい。

「納得! オレもやってみよっ!」
小柄な二人が岩をぽんと乗り越えると同時に、スピンドルの身体全体が強烈に発光する。
「きゃあっ」
「目、つぶって!」
瑠衣が薄目を開けた時、輝はもう怪人に向かって走り出していた。
「グリーン!」
「任せて! いっくよー!」
ほとんど目をつぶったままカンだけを頼りに一気に間合いを詰めた。飛び込んで胸の発光体を破壊しなければならない。それは小柄な身体にとっては賭。しかし赤星がいない今、それは自分の役目だった。



お互い決め手がなかった。オズリーブスの新型ブレードは、出力を上げるとアラクネーの溶ける糸を昇華させてしまう。だが黒羽のほうも片腕では、ぶちまけるように降ってくる糸をかわすだけで手一杯で、次の攻撃に移れない。
「これで、どう!?」
ブラックの頭上を飛び越えざまにアラクネーが狙ったのはブレードの持ち手の部分。黒羽の右手が束ごと大量の糸で絡み取られる。間一髪、黒羽はブレードをブラスターに変化させた。くるまれた右手をアラクネーに向けてぴたりと上げる。
「シェルモード!」
光弾が凶暴な牙を剥き、真っ白な繭玉を食い破って飛び出す。アラクネーが硬直した。

「なにっ!」
金色がかった光が少女の身体に到達する寸前でぺしゃりとひしゃげた。遮ったのはエネルギーに曝されて少し青みがかった黒い鎧‥‥。
「ブラック‥‥インパルス‥‥ッ」

「生きていたか‥‥。だがその肩‥‥。大人しく休んでいればいいものを‥‥」
「‥‥あんたが‥‥そんな口、叩いてるっていうのに‥‥‥」
黒羽がびゅっと音をたてて右手を振った。綿くずのように白い糸が千切れ落ち、ブラスターが再び長剣に変化する。
「オレが‥‥。寝てられる、と思う、のか」

さっきまで感じていた肩の痛みはいきなり消えていた。だが体温が一挙に上がった気がして、ひどく喉が乾いてひりつく。声がひっかかってうまく出てこない。

夕べのあの驚異的なスピードとパワー。不気味な怪物と身体を一にしてそれを使いこなしていた。特殊空間の中でバズーカやシェルモードが使えず、リーブスーツも動きにくいという状況があったにしろ、五人でかかって手もなくあしらわれたのだ。

だからこそ‥‥自分が見逃されてきたことをイヤでも思い知らされる。あの洞窟でも、先だっての山の中でも、そしてたぶん昨日も‥‥。

こっちを馬鹿にしてるワケじゃない。こいつは本心から、オレを‥‥‥‥。

いや、そんなハズはない。ただ、オレを寝返らせて、利用するつもりなだけだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥。

なんでもいい‥‥。オレにこいつを憎む理由をくれ。殺したいほど憎む理由を‥‥。

今は、その力でも、借りたい‥‥。


「ブラック!」
よく通る声が二つ、重なって響いた。輝と瑠衣が黒羽の背後に位置づけて、背中合わせにスピンドルに対峙する。オズブルーンの作り出した曇り空の下で、3人の戦士は黒い甲冑とプリズムの固まりに挟まれた形になった。

ブラックインパルスが斜め後ろのアラクネーに命じた。
「アラクネー。スピンドルを引かせよ」
「え? は、はい」
アラクネーが手元のコントローラに命令するとスピンドルは疾風のように主人の脇に戻ってきた。輝と瑠衣が黒羽の両脇に位置づけてスパイダルの参謀に向き直る。

「ブラックか‥‥。私のこともそう呼んでくれる友がいる。お前もそうなのだな‥‥」
黒い鎧から小さくこぼれてきた声はあまりに穏やかで、あまりにこの場にそぐわなくて、輝と瑠衣は少し驚いた。優しく深みがある響き。そこには甘美すぎる陰湿さは欠片もない。

"お前"という単語が黒羽を意味しているのは歴然だ。二人はちらりと黒羽を見やり、黒いボディがひどく荒い息をしていることに気づいた。左肘をぴたりと体の側面に押しつけ、ブレードを持つ右手は心無しか震えている。傷の状態がかなり悪いようだった。

黒い兜がわずかに動き、グリーンとピンクを交互に見やった。昨夜、着装の解けたこの二人は、意識が無いことも手伝ってあまりに子供に見えた。
「グリーンリーブスにピンクリーブス。お前達があんなに幼い人間とは思わなかった。だが‥‥」
ブラックインパルスがすらりと大剣を抜いた。
「戦場に立つのなら、容赦はしない」
「望むところよ‥‥」
瑠衣が握りしめたスティックをぐっと突き出して叫んだ。
「パパとママを殺した敵と戦うのに、若いかどうかなんて関係ないわ!」


上司の背後でアラクネーは黒紫の瞳を見開いた。不現理絵として生活していた頃、目の前にいるピンクリーブスであるサクラギ・ルイに両親は事故で死んだと聞いた。研究者と言っていたし、たぶん機甲部隊のOZ急襲の時に巻き込まれたのだろう。
‥‥死んでしまっても愛している、と、あの時少女は言った。この世にいないものに対して、思いだけが存在できるのかどうか、未だによくわからなかった。


瑠衣の言葉に黒羽の身体も一瞬こわばった。だが、男は静かに息を吐き出すと両肩から力を抜いた。
「ブラックインパルス。今までみたいにはいかねえ。覚悟しろ」
右手を引いてブレードを八相ぎみに構えると言った。
「ミド、ピンク。旦那の側はオレに任せるんだな」
「ブラック。冗談きついよっ」
不安が払われた輝の声は、いつも通り澄み渡ってよく通った。旦那すなわち赤星。つまり紅い化物を引きつける役目は自分が負うという意味だ。ずいぶんな例えではあるが、いつもながらのその物言いが、若い二人をほっとさせた。

グリーンとピンクが左右に展開する。二人のブラックがまるで絵のように対峙した。空中に散布されたオズブルーンの煙幕が薄らいで、まるで予定の効果のように春の日射しがラインを描いた。


その時だった。三人のリーブレスにいきなり呼び出しが入った。
<レッドだ! ブラックインパルスと会ったら変身させるな! 島がぶっこわれるぞ!>
「なんだと! どういう意味だ!?」

ブレスからは大量の人間が取っ組み合っている音とシェルモードの射出音が聞こえてくる。赤星と黄龍がアセロポッドとやり合っていると思われた。赤星は騒音に負けまいと、どでかい声で怒鳴ってくる。
<例の紅い化け物が空間を歪めるんだ! それ使って向こうとこっち、直接に繋ぐこと企んでる!んなことしたら、あたりの島も全部沈んじまうんだ!>

「なんだって!?」
M島は偶然にも今人が居ない。だが周囲の島には、普通に多くの人が生活している!

「‥‥そんな、ばかな‥‥」
三人が互いの顔を見合う。その言葉が仲間のものでないことに気づくのに暫しかかった。そして、驚いて黒い鎧を見つめた。

「島を沈めるなど、私は、そんなことは考えていない‥‥。これはただの武器だ。空間の歪みを引き起こす力など、あるはずが‥‥‥‥」

―――次元回廊が開いたのは空間になんらかの歪みが生じて開きやすくなったからなんです。

たしか‥‥。歪みが生じたのはバイオアーマーを活性化させてから少し経ってからで‥‥。

「‥‥そんなはずは‥‥」
兜がゆっくりと左右に振られ、呆然とした声が漏れた。

「あんた‥‥。何も知らないって‥‥‥言うのか?」
訪ねる黒羽の声もまた、少し震えを帯びている。

「この自然を、この美しさを、そのまま手に入れる‥‥。そう、約束した‥‥。この世界は、広大な暗黒次元の、金型に、なる‥‥のだから‥‥」

ブラックインパルスの呼吸が荒れ始め、声が途切れ途切れになり始める。左手が鳩尾のあたりを押さえつける。がちゃがちゃという鎧の音が聞こえてきそうなぐらい、その身体が戦慄きだした。

「‥‥これは‥‥‥‥陛下から拝領した‥‥ただの‥‥手足で‥‥」

輝と瑠衣が呑まれたように数歩下がる。

「‥‥やめよ‥‥‥。まだ‥‥私は‥‥」

ブラックインパルスの身体ががくんと仰け反った。甲冑の胸部と腹部の継ぎ目から、ばっと大量の繊維のようなものが噴き出す。

「‥‥‥‥な‥‥ぜ‥‥‥‥‥‥」

クラゲの触手を思わせるそれは、すぐさま鎧にまとわりついて黒い身体を覆って行く。朝の光の中で見ても、その化け物は濁った血の色以外の何者でもなかった。

アラクネーの悲鳴が響き渡った。


黒羽は生まれて初めて錯乱に陥りそうな恐怖を感じていた。身体が動かない。思考も停止している。
眼前の男が本人の預かり知らぬ所で本物の怪物に変化させられていく。

ただ、その事実だけが、繰り返し頭の中を駆けめぐっていた。


2003/2/23

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background by Studio Blue Moon