第26話 黒騎士、影に消ゆ
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「スピンドルッ」
黒羽の白い手袋があがったとたん、アラクネーはコントローラに向かって絶叫した。なのにスピンドル・ゴルリンはぴくりとも動かない。黒紫の瞳が真円を描き、次の瞬間、少女はかの人に向かって走り出した。しかし驚くかな、スピンドルの手が伸びて、彼女の腕を捕らえる。
「放せっ!」
激昂するアラクネーには、スピンドルのコントローラーを持つ者がもう一人いたなど思いつかない。そして―――。

「なんでっ?」
「ばかな!?」
5人が叫んだ。見慣れた金色の光が一人の男を包み込もうとしている。それは血色の化け物ではなく漆黒の甲冑姿だった。
ブラックインパルスのトレードマークとも言える黒い鎧は、高準位のリーブ粒子に灼かれていた。それは必死に青く輝いて、自らを消滅させつつ金色の光を相殺しようとしている。かつてスパイダルの皇帝が極めて重用したその部下に与えた黒金の方は、主を裏切ることは無かったのだ。

男の身体ががくんと崩れると同時に、鎧はまるで一瞬で風化してしまったかのようにはらりと消滅した。少し長めの柔らかそうな髪がふわりと波打った。



すでにバズーカは空に帰っていた。一番最初に男の側にたどり着いたのは輝だった。何も考えていなかった。まるで夢の中のように実感がなかった。うつ伏せの男の背中には、はじけたような無残な傷があった。倒れる寸前の、黒髪に縁取られた白い顔が脳裏に焼き付いていた。
「やつは倒さねばならん」という黒羽の声が蘇った。いつもの喋り方からは信じられないほど苦しそうだった。肩の傷が辛いのだとばかり思ってた。体中が震えてきてどうしようもなくて、輝は男の脇にへたりこんだ。


輝と反対側に片膝をついた赤星が、男の背中の傷口にそっと手を触れた。握りしめるとスーツ越しにぬるりとした感触が伝わってきた。
‥‥この数日、黒羽はどんな思いで過ごしたのか‥‥。あいつが苦しんでたのは、お袋さんのことだけじゃなかったんだ‥‥。
無性に腹が立った。運命を担当してるのが神様だってなら、そいつだって殴りたい気分だった。視線をあげれば乾いた血色の姿がある。男の背中を食い破り、男の身体を盾にして生き延びた、あの化け物だった。


輝と赤星はバズーカの射出とほぼ同時に倒れた男に向かって駆けだした。だが自分の右後にいる黒いスーツはただ立ちつくしたままだ。このままだと黒羽は父親に最期の別れを言えないのではないかと思った。黄龍は瑠衣のマスクを見つめた。ちらりと黒羽を見て再び視線を戻す。言葉には出したくなかった。少女の気持ちに任せたかった。だが、それでもせめて‥‥。
黄龍は小さく頭を下げると同時に走り出した。化け物の前に踏み出した赤星の隣に向かって。



あそこで倒れている人の命令でOZの研究所は破壊された。パパもママも、沢山の人が死ぬって分かってて命令を出して‥‥。だからバチが当たったの‥‥‥‥。

‥‥でも、意地悪そうな感じじゃなかった。逃げろって言ってた。息子よ‥‥って‥‥。

―――あの人、黒羽さんのこと、とても大事に思ってるんだ‥‥。


「くろばさんのパパとママはどんな人?」と聞いたのは知り合ったばかりの頃だったと思う。「優しい人だったよ」と答えた黒羽は、「でも、お兄さんは小さい頃に迷子になっちゃってね、本当のパパとママとは会えないままなんだ。だから瑠衣ちゃんも気をつけないとだめだぞ」と笑った。その時は迷子になるってなんて怖いんだろうと思った。もう少し大きくなって行方不明ということがわかった。

お互い知らないまま違う世界でずっと生きてきて、やっと会えて、‥‥会えたら‥‥

最年少の自分を最初にきちんとした戦力と見てくれたのは黒羽だった。いつも冷静だった。敵を倒すためにどうすればいいか、常に的確な指示をくれた。さっきも‥‥本当に相手を倒そうとしてた。‥‥倒そうとしてた‥‥。‥‥パパ‥‥だったのに‥‥。

黄龍が自分を見ていることに気づいた。彼の視線の滑るままに黒羽を見やる。力無く項垂れて、右手を強く握りしめて震えていた。黄龍の残した小さな願いが、手の中にすっぽりと納まっている気がした。
瑠衣の身体はごく自然に動いた。駆け寄ると、両手で男の両手を取った。ゴーグル越しだったけれど、子供の頃のように真下からその顔を見上げて言った。

「黒羽さん。早く行ってあげて」
この世のものではないように澄み切った声が、黒羽の鼓膜を打った。


まるで導かれるように片手を引かれて歩み寄ってきた黒羽に、輝は立ち上がって場所を譲った。倒れた男の脇に静かに両膝をつくと同時に黒いスーツが解除される。黒羽は両手を伸ばし、父親の身体を抱き上げて仰向けた。血の気を失ったその顔は、母と似合いの齢まで駆け足で年老いたようにも見えた。喀血が顎から喉にかけて鮮やかに染めている。額にかかる髪をそっとかき上げると、睫がふるえ、うっすらと瞼が開いた。

「‥‥お父さん‥‥」

「‥‥健‥‥」

息子の声は、小さく、低く、かすかに囁くようだった。

父の声はかすれて淡く、ほとんど吐息に溶けてしまっていた。

だが、触れあった身体から互いに流れ込んだその響きは、細胞に閉じこめられていた思い出までも揺り起こし、真綿のように広がって父子を包んだ。そして二つの言葉が、聞いている4人の胸に深く、重く、染み込んでいく‥‥。


赤星は持っていたソニックブームの束をぎゅっと握りしめた。
「‥‥許さねえ‥‥」
黄龍が両手でブラスター支え、デュプリックと呼ばれた紅い怪人に向かってしっかりと構えた。
「覚悟しな!」

銃口が吠えると同時に赤星はだっと斬りかかった。シェルモードを至近距離から食らって揺らぎもしない相手に違和感を覚えながらも、ブラックインパルスの愛剣を撥ね上げる。どうしてもこの剣で一太刀浴びせたいと思った。

黒羽がのりうつったかのように鮮やかな軌跡を描いて、切っ先が敵の左脇から斜め上に走った。だがなんの手応えもない。まるでホログラフィを断ったかのようだった。


===***===

田島十兵衛は警察の高速ヘリとパトカーをぶっ飛ばしてオズベースに帰ってきた。お世辞にも万全とはいえない状況で島に戻った5人に後ろ髪を引かれる思いだったが、むしろ基地に戻ったほうがフォローができると判断したためだった。申し訳ないが洵には船に残ってもらっている。彼らが再び医師を必要とする可能性は十分にあった。

そのまま勢い込んでコントロール・ルームに駆け込んだ田島は、異様な雰囲気を感じて息を呑んだ。有望も‥‥そしてまずめったなことでは動じない葉隠までが、呆然と4つのモニターを見あげている。レッド、イエロー、グリーン、そしてピンクのリーブスーツから送られてくる映像だ。そこには例の紅い化け物が写っている。

黒羽が重傷を押して島に渡ったことを知っていた田島は、ブラックの映像が無い事実に心臓が止まりそうになった。だが、すぐにピンクからの映像がスライドし、着装の解けた黒羽の姿を捉えたので、ほっと胸をなで下ろす。
「まだ誰か、島に残ってたんですか?」
黒羽が抱え起こしている人物はどう見ても普通の男に見えた。

「あの人‥‥ブラックインパルスなんです‥‥」
有望が自分に言い聞かせるように、もう一度言った。
「‥‥あれが、敵の司令官で‥‥そして‥‥」
「?」

「黒羽君の父親だったそうなんじゃ‥‥」
「なんですって!?」
「だが‥‥敵の内部でもクーデターのようなものがあったようじゃ‥‥。バイオアーマーが宿主を盾にして、そのうえ重傷を負わせて分離してしまった‥‥」
「そうなっても空間を歪ませる能力は持ってるんですね?」

「たぶんの。島にばらまいた低周波音発生装置のおかげで時間稼ぎができているようじゃがとにかく早くあの紅い怪人を倒さねば、噴火の可能性だけでなく、周囲の島も‥‥」
「避難の方はどうなってるんです?」
「自衛隊の輸送ヘリがもうすぐ到着する頃で、まだ時間が必要です!」

<素通りしちまう!? この野郎っ!>
赤星の怒りと困惑が入り交じった怒鳴り声がコントロールルームに響いた。それと同時に、サルファが甲高い声で叫んだ。
「M島周辺ノ空間が、強度ニ歪曲シ始メマシタ」


===***===

ぐらりと身体を襲った感覚はなんとも強烈だった。
「プロテクトモードにするんだ!」
デュプリックはパチパチとエメラルド色の光を放っている。例のディメンジョンクラッカーが放っていたと同じ光だ。赤星は仲間の着装が解けていないことを確認すると、だっと血色のボディに切り込んでいった。

実体の無い敵相手に攻撃が効くとは思えない。だがさっきシェルモードとソニックブームを受け流した時、デュプリックは光っていなかった。戦闘中は空間を歪ませることができないのかもしれない。倒せなくてもせめて時間を稼がねば。このあたりに住んでいる人たちが避難する時間を‥‥!

「リーブチャクラム!」
「ライトニングピアスっ!」
大きな鎌のような軌跡を描く黄龍のチャクラムも、逆から飛び込んできた輝のブレードも、デュプリックの身体が確かにあるはずの空間を、ただ通り抜けていく。だが。

「エレクトリックサイクロン!!」
瑠衣のマジカルスティックが後頭部を直撃した時、怪人は初めてびくりと硬直したように見えた。
「効いてるの!?」
瑠衣は飛び降りざまに、今度は怪人の胸部にスティックを押しつけた。

「沈め、ピンク!」
赤星の声に瑠衣は反射的に身を沈める。小柄な身体を捉えようとした紅く太い腕が宙を切った。
「くらえっ!」
後退した瑠衣と入れ違いに上空から飛び込んできた赤星がソニックブームを振り下ろす。交差した腕に斬りつけると、怪人の両腕が前腕からすぱり、と跳ね飛んだ。

「やっ‥‥危ないっ!」
輝の歓声が警告に変わる。切られた腕が目にもとまらぬ早さで伸びて、赤星のボディを直撃した。
「ぐっ!!」
吹っ飛ばされた赤星が背中から倒れ込む。
「レッド!」
赤星はすぐさま立ち上がって怒鳴った。
「へっ 殴ってくるってことは、こっちも行けるぜ! 攻撃してくるとこが狙い目だ!」

切り口から例の繊維のようなものが吹き出し腕の断片を取り込んだ。そしてその腕を長く伸ばすと鞭のように振り回して4人をなぎ倒す。とんでもない力だった。デュプリックはそのまま後方に跳びすさり、ぐんと伸び上がるようにその紅い身体を緊張させた。ぱきぱきと音が聞こえてきそうなほどに、その姿を緑の稲妻が覆った。

「ヤツを止め‥‥!」

突っ込もうとした4人は、白い布が空をはためいたように感じて思わず立ち止まった。強く光を反射する小さな粒が宙に浮いている。既に立ち上がっていた黒羽は着装前だったため、その強烈な輝きに目を覆った。

「ああっ!」
光る粒子が人間めがけて集まる! 大きな電位差の静電気が身体の周囲に生じ、全身をバチンという衝撃が襲った。鋭い鞭を同時に全身にくらったようなショックに4人とも崩れ込んだ。

直前、黒羽の手が強く引かれた。仲間の悲鳴が聞こえた時には既に、黒羽は覆い被さるように立ち上がった父親に抱きすくめられていた。苦痛に満ちた父の呻き声が身体中から伝わってきた。


「初めまして、みなさん。お会いできて光栄ですよ」

若々しくてよく通る、ひどく気取った声が響き渡った。大きく翻った真っ白いマントがふわりと定位置に戻る。怪人の前に一人の人間が出現した。
どちらかといえば小柄な印象だが、マントの中のしっとりと黒い軍服にはこれでもかというほど勲章が溢れている。金髪に縁取られた色白の顔が傲然とあがり、人を見下すことに慣れきった青い瞳が、五人の敵と‥‥過去のライバルを見やった。


とっさに息子を帯電粒子の衝撃から庇ったブラックインパルスがずるりと頽れた。黒羽がそれを抱き留めて膝をつく。
「ファン‥‥トマ‥‥‥」
父親がやっとの声で呟いたその名前が、脳髄に突き刺ささるような気がした。


「てめえ‥‥、何モンだ?」、
赤星がよろりと立ち上がると同時にシェロプがその若い男に駆け寄り、跪きながら驚きの声をあげた。
「ファントマ参謀閣下! こ、こんな実験段階で、閣下自らおいでにならなくても!」
「やあ、シェロプ。ご苦労。私はこう見えてけっこう強靱でね」
そうシェロプに笑いかけたファントマは、悠然と赤いスーツに視線を戻した。
「いや、申し遅れた。私はスパイダル帝国参謀ファントマ。三次元侵攻の最高指揮官につい先ほど着任した。前司令官に替わってね」

ファントマは他人の気持ちを逆なですることを楽しむかのように薄く笑うと、こう言った。
「ブラックインパルス。デュプリックを見事に育て上げてくれてありがとう。皇帝の仰せの通りだったよ。あんたにならできるってね」

ブラックインパルスは無言だった。黒い瞳を見開いて確かにファントマを見ているのだが、表情はあまりに静かだった。むしろ何も聞こえないでいてくれと、黒羽は祈った。だが、男は、色味をすっかり失った乾いた唇を開いた。
「ファントマ。おまえは‥‥」
もはや立つことも叶わず、息子に体重を預けながらも、驚くほどしっかりした声だった。

「なんだい?」
尊大な態度で、金髪の青年が答える。
「おまえは、皇帝陛下に‥‥、本当に忠誠を誓っているか?」
予想外の言葉に、ファントマは拍子抜けしたように答えた。
「‥‥当然だ。それが何か?」
「ならば‥‥いい。‥‥私は、これで、あの翼になれる‥‥」

「ふん‥‥強がりもいいかげんに‥‥」
言いかけたファントマがさっと後ろに飛んだ。なびいたマントを切り裂いたのはブラックインパルスの愛剣だった。
「三次元人ってのは無礼だね。人が話をしてるってのに」
「てめえのシュミに合わせたまでだ。騙し討ちが好きらしいからな」

赤星が吐き出すように言う。ブラックインパルスが重傷を押して黒羽を庇ったのを、はっきりと見た。これ以上、見るだにイヤらしいこの男が、親友の父親をなぶるのを聞いていられなかった。

「もうすぐこの付近はデュプリックが作る歪みに巻き込まれる。キミ達はさっさと逃げた方がいいと思うよ」
「そんなことさせるか!」
「大発明がわかってもらえないかなぁ! 他次元に固定したストーンを持つ特殊バイオアーマーを宿主の中で育てると、ストーンは双極子化し、宿主のパワーを吸収した人造兵器になるんだ。キミたちに勝ち目は無いと思うよ。―――シェロプ!」
「はっ」
「案内を。アラクネー。お前も一緒に来るように」

黒羽がびくりと身をすくませた。アラクネーが自分たちのすぐ傍にいたことに、まったく気づいて居なかったのだ。少女は黒紫の瞳を大きく見開いたまま、ゆっくりと頭を振った。

「一つの歴史の最期を見届けるもいいだろう。では諸君、健闘を祈る」
「この‥‥っ」

冷笑を残してファントマとシェロプが消える。そして足下から不気味な地鳴りが響いてきた。


2003/4/12

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