第13話 暁 光
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若い者達がテーブルをつなげて場所を確保し、グラスや取り皿の準備をしている間に、虎嗣は葉隠を隅のボックス席に連れて行った。懐から幾重にも折り畳んだ白絹を引っ張り出し、中から位牌と小さな遺影を取り出す。白絹を広げて敷くとその上にそれらをそっと立てた。
「とらちゃん‥‥。ちゃんと連れてきてくれたのか?」
「ああ‥‥。あきちゃんが今年は来られないと言うんで、これは連れてくるしかあるまいと思ったんだよ。竜太にこれを持たせるのは、どうも心許なくてな‥‥」
「そうだったのか‥‥ありがとう‥‥」

葉隠はそっと位牌に手を合わせた。位牌の主は赤星綾乃。旧姓、樋口綾乃。葉隠と虎嗣はかつてこの女性を等しく愛した。結局、綾乃は赤星家に嫁ぎ、葉隠はその一生を研究に捧げることになる。親友の想いが常に自分の妻にあったことを虎嗣はよく知っていた。

だが綾乃はその次男が四歳の時、三十四歳という若さでこの世を去った。最も愛する者を失った哀しみを真に分かり合えるのは、じつは恋敵であるというのは、皮肉な事実だった。

自分は、葉隠暁紘から、二度、綾乃を奪った。

葉隠の明晰な頭脳と大きな心の持ち様を心底尊敬している虎嗣故に、その憂いはいつも心にあった。


===***===

「黄龍、輝、瑠衣‥‥。こんな新年迎えさせることになっちまって、ほんとすまなかった。だけど、とにかく俺たちがやるっきゃないから、どうか、今年もよろしく頼む」
最初の挨拶はお前がやれと言われた赤星は、真っ先に三人に向かってこう言った。
「いや、ぜーんぜん悪くない正月だけど? 赤星さんの挨拶が早く終わればね〜!」
「じゃ、博士と洵と有望もよろしくな。あ、瑠衣、受験がんばって。あとは‥‥よしっと」
「おいおいっ」「この親不孝者っ」約二名の不満の声を無視して‥‥
「ヤツらから絶対に日本を護りきる! それと、みんなが無事に一年乗り切ることを祈って!」
「かんぱーい!」

テーブルの上は広げられた四段重と、葉隠の持ってきた栗金団と黒豆と伊達巻きで一杯になっている。
「あれ? 茜さん、今年はなんか方針変わりました?」
洵が目ざとく言う。下2段の重はローストした肉やカクテルソースのエビなど、いつもの赤星家の正月料理とは大分趣が変わった料理が詰められていた。
「若い人たちがいるならといって、半分は和風、半分は洋風にすると頑張っておったぞ。ああ、そうそう。洵坊、この角煮以外は鶏か鴨か牛で、大丈夫だからな」
「わっ いっつもすいませーん!」
「へー、先生ってば、医者なのにキライなもんあるの?」
「瑛那君さー、医者なのに、って、勘弁してよぉ! 豚肉ダメなんだよ、アレルギーで‥‥」

「あれ? これマッシュポテトみたいだけど、ずっと甘い‥‥?」
「それはお嬢ちゃん、八頭だ。里芋のおばけみたいな芋なんだが知らんかな? こっちが普通に煮たヤツ。茜がちょっと工夫してみたのがそれだよ」
「あー、このきんとん、すっごいたくさんクリはいってるっ!」
「博士が作るといっつもそうなるんだよ。あ、伊達巻きも美味しいよ?」
「ねえ、これはっ? ポテトチップ‥‥じゃないよねっ?」
「それはくわいよ、輝君。薄く切って揚げるの茜さんよくなさるのよ。それにしても、この鴨、すごくうまくローストできてるわねー!」

やいのやいのと料理をつつく連中を赤星は微笑んで見ていた。会ったことのないこの三人と、他のメンツを想像しながら、兄にあれこれ手伝わせつつ台所で奮闘していただろう茜のことを思う。くるくるとよく笑い、よく喋る、本当に明るい義姉だった。
道場に護身術を習いに来ていて竜水に惚れ込み、拳の道一筋の物静かな兄を口説き落とした。いつだったかの正月に、どこかの子供が引っかけてしまった凧をとってやろうと、振り袖姿で木に登ろうとしてるところに出くわした時は、さすがの赤星も驚いた。150cmという小柄な、いつまでも少女のような雰囲気で、しかしこうと言い出すと強面の父にも面と向かってものを言う。兄の連れ合いとして、あの女性以外の人など考えられなかった。

「一杯だけ、いくか?」
黒羽の言葉に我に返る。親友が天楽の独特の酒瓶を自分のほうに差し出していた。
「サンキュ。お前はこっちのほうがよかったよな」
色味の強い天楽を冷酒のグラスに受けた後で、万寿の一升瓶を掴む。黒羽がふっと微笑むと空のグラスを手にとった。
「ほれ、竜太。あきちゃんとワシにも酌をせんか」
苦笑して、葉隠には花宝を、父親には自分と同じ天楽を注いだ。グラスが自然に顔の高さにあがり、四人の男がさりげなく目線で乾杯する。

「しかし、最初は務まらんかと思ったが、このバカ息子、なんとかやっとるようだな」
虎嗣の言葉に、葉隠はおだやかに微笑んだ。
「本当によくやってくれておる。竜がおらんかったらOZ構想は潰れておったかもしれんて」
赤星が得意げな表情で父親の顔を見る。虎嗣はそれをあからさまに無視して言った。
「とにかく、あきちゃんとの約束が守れているようでほっとした。あの時、何があっても、あきちゃんのことはフォローすると誓ったからな」

「誓った‥‥? ちょっと待て、親父。じゃ、俺に博士んとこ行けって言ったの、その誓いのためなのか? 俺はまた博士から頼まれたんだとばっかり‥‥」
「あきちゃんは自分を守ってくれなんて頼みをするような男じゃないぞ。ワシ個人が、何があってもあきちゃんを助けていこうと‥‥」
「おいっ。自分の誓いなら自分で守れよっ。そんなことひとっことも言わなかっただろ!!」
「道場主がいきなり科学者にくっついて歩いたら不自然だろーが。それにあの時のお前にホントのことを言って素直に聞いたか?」
「じゃあ、高校の時の素行不良で破門ってのは‥‥? 破門されたくなきゃ博士の助手になれって言ったよな!? だから俺は必死になって‥‥」

「お前が高校時代にやらかしたことなんぞ、素行不良のうちにもはいらんわい。べつに理由はなんだってよかったさ。破門するぐらい脅さなきゃマジメにやらんと思ったからな」
「ひっでーっ!! 息子の人権、なんだと思ってんだよっ」
「ああ、いやなら、もうやめてもいいぞ。破門の件も白紙だ。あきちゃんはもう日本全体の重要人物だし、お前のガードも不要だろう?」
赤星は頭を抱えた。だからってやめられる状況かよ。

黒羽と有望と黄龍が聞きながら笑いをかみ殺している。洵と輝と瑠衣はいくぶん同情的とはいえ、それでも笑えるものは笑える。この状況でただ一人、赤星を憐れんでくれたのは葉隠だった。
「とらちゃん、そんなこと竜に言ったのか? そりゃ、いくらなんでも可哀想だろう? わしはまた竜が全部了承の上で来てるんだとばかり‥‥」
「博士は関係ないですって。ただな、親父、いくらなんでもやり方ってもんが‥‥」

「いいえ、ぜんぜん大丈夫ですよ」と有望が笑いながら口を挟んだ。「この人、こんなやりがいのある仕事ができて、おじさまに感謝してるって言ってましたから‥‥。ね、赤星?」
赤星がなんとも言えない顔で有望を見た。
「‥‥もういい‥‥。勝手にしてくれ。やり始めたことはちゃんとやるぜ、俺は! そのかわり、親父のゆーことなんか、もう金輪際、信じねーからなっ」
ふてくされてそっぽを向いた赤星に、みんなが大爆笑した。


===***===

「‥‥‥‥どうもありがとう。うん‥‥。すごく美味しかったよ。みんな喜んでた。それで、親父、すっかり眠り込んじゃったから、こっちに泊めるわ。あとで着替えとか取りに行っていいかな? ‥‥だね。昔に比べたら弱くなったもんだ‥‥‥」

遠くから聞こえていた水音と人声が、だんだんはっきりとなってくる。目を開けるとソファに横になっていることがわかった。身体には自分のダッフルコートと足の方には赤い革ジャンがかけてある。目だけできょろきょろと見回すと、周囲はすっかり片づいていて誰もいない。

黒いエプロンを身に着けて、カウンターの中で洗い物をしているのは有望だった。話の終わった赤星が受話器を置くと、水切りに上げられた重箱を拭いていく。二人とも楽しそうに、笑いを含んだ小さな声で話しながら‥‥。

まるで新婚夫婦のようなその眺めに、ちょっとだけ、洵の心が痛くなる。


きっと誰よりも、僕がいちばん知っている‥‥。有望さんの気持ちを‥‥。

有望さんの竜太さんへの気持ちを‥‥。


せめてそう思いたい。


有望と初めて会ったのは大学受験直前の正月に赤星家に行った時だった。赤星が幼馴染みなんだと紹介してくれて、最初はただ綺麗な人だなと思った。だが、その言葉に眼差しに触れるうち、どうしようもなく引き込まれていく自分を感じた。

強い人だった。その穏やかで優しげな外観の中に、信念のままに歩いていく強靱さを秘めていた。
誰を裏切ることなく、ただ純粋に、まっすぐに‥‥。

そして彼女がそのひたむきさを誰に注ぎ込んでいるのかも‥‥‥‥。

一途に赤星を見つめ続ける彼女だからこそ、惹かれた。
ほんとうに、なんというアイロニー。


揺るぎのない好意。
確固とした愛情。

鋭敏な心のセンサーが、この人は裏切らないという確信をはじきだした相手だけが、この青年の心を真に開かせた。人見知りの強かった16歳の少年が、知り合ったばかりの葉隠に誘われるままに引き取られたのはそれが理由だったのだろう。


盗み見ているようでイヤになって、ワザと寝起きのような声をあげて身を起こした。

「あら、洵君、起きた? 大丈夫?」柔らかい声が耳を打つ。
「あれ? 博士は? みんなは?」
その眼差しから思わず視線をそらし、今、気が付いたようにそう言った。
「下とか自室とか。博士と親父はダウンしたから寝かせちまった。お前もそうしようかと思ったんだけど、明日、勤務日だって言ってたから、聞いてからにしようと思ってさ」
白黒ボーダーのラガーシャツ姿の赤星がカウンターを回ってくる。

時計を見ると午後7:00。自分がいつごろ眠ってしまったのか覚えていなかった。
「病院に泊っちゃったほうが明日ラクかなぁ。宿直室、空いてるし‥‥」
「OK。じゃ、兄貴んとこ行くついでに、そっちに送るよ。ちょっと待ってて」
赤星が大きな唐草模様をばさりと広げ、拭き終わった重箱を重ねて包んだ。

「少し飲み過ぎちゃったのかしら?」
茶目っ気のある微笑みを浮かべた有望が水のグラスを差し出した。いつも赤星の着ている黒いエプロンが大きすぎて、リボンを前に回して結んでいるので、よけい華奢な印象だ。

暖房のある部屋で寝ていたから喉が渇いていた。有り難くグラスを受け取って笑って答えた。
「やだなぁ。そんなことないですって。僕だってちゃんと考えてたもの‥‥」
「にしても博士ってあんなに勧め上戸だったっけ?」
風呂敷包みをテーブルの上に置いて、赤星がぼやいた。
「昔からあーだったってば。竜太さん、いくらでも飲んじゃうから気づかなかっただけでしょ?」
「そっか。うーん、飲みたいのに飲んじゃいけねえ身としては、けっこうキツいよな‥‥」

くすりと笑った有望が、胸の前でぽんと手を合わせた。
「そうだわ。ねえ、洵君、おむすび持っていく? この時間じゃ、夜お腹空いちゃうでしょ?
 ゆかり混ぜたの、沢山作ってあるのよ」
「あ、あれ、僕、大好き! 頂いてきまーす」
赤ジソの香りと酸っぱさがさっぱりしてて美味しいんだよね。

「じゃ、用意できたら行こうな」赤星が洵の膝の上の革ジャンに手を伸ばす。
「あ、どうもありがと」重みのあるそのジャンパーを男に手渡した。

有望がおむすびの包みを手提げ袋に入れてくれて、ドアまで見送りにくる。
「気を付けてね、赤星。むちゃな運転しないでよ」
「お前じゃねーから、大丈夫だって」
唐草模様の包みを片手に憎まれ口を叩く赤星をぶつマネをしてから、有望はまっすぐに洵の顔を見た。
「洵君‥‥今年もほんとうに、この人たちのこと、よろしくね‥‥」
「いいえ‥‥こちらこそ‥‥」

大事な大事な、仲間だもの‥‥。このとんでもない秘密を打ち明けてくれて、医者としてはまだ半人前のこの僕を、みんな、心から、信じて‥‥。

僕に、新しい居場所をくれた人たちだから。

何より貴女がそう望むのだから‥‥。

だから、それに応えたい。


2001/12/31

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