第13話 暁 光
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「はい、オズベース! あ、島さん!?」
警察庁との専用回線の通話器を取ったのは赤星だった。同時にモニタースイッチを入れる。基地が見たいと虎嗣までがコントロールルームに降りてきて、笑い話で満ちていた空気がいっきにピンと張りつめた。特警――警視庁警備局特命課・対スパイダル特別捜査警察隊――の島警部補23歳のやや不安げで緊迫した声が流れた。

「スパイダルが西都大学付属病院に出現。看護婦を1名人質に中央棟に立てこもっています!」
西都病院と聞いて全員が思わず立ち上がる。そのうえ、怪人が人質を取って立てこもるという意外な展開に皆、驚きの色が隠せない。

「被害は?」
「いまのところない模様です。すみませんが、こっち、一般参賀の警備で、局長から本部長以下、全員出払ってるんです! 皇居の方にも、えらく気がかりな通報がはいって‥‥!」
「わかりました。あと俺たちがとります。敵の目的と状況は?」
「医学部と病院の病気や臨床のデータをよこせと言ってます! 入院患者は百人弱。でも搬送用の救急車の確保が難しくて、避難が進んでいません!」
「システムエンジニアを一人送るからと言って時間を稼いで下さい。すぐ行きます!」

「人間のこと‥‥調べようってのか‥‥。もし‥‥!」
黒羽の顔がめずらしく歪む。通話を切って立ち上がった赤星がその肘のあたりを軽く叩く。机の下で強く握り締められていた黒羽の拳が少し緩んだ。

「とにかく、俺がSEのフリして入り込むから、それで‥‥」
「おっと、赤星さん、悪いクセ。俺様に任せな。隊長さんは外で指揮とるもんだって」
「しかし、黄龍。相手は怪人で、そのうえ、着装できないんだぞ?」
「それそれ。俺様なら別人になれる。逆に、着装したってどこの誰かバレっこないっしょ? それにシステム屋のマネはよくやったからねー。いっくらでも"らしく"できるぜー」
「‥‥よし、わかった。まかせる。とにかくヤツを病院から引き離さないとな」

「赤星、3人で先行け。瑛ちゃんには車の後部座席で変装してもらうさ」
黒羽が手に持っていた帽子をかぶる。赤星が輝と瑠衣の顔を見た。
「輝、セクターで行く。瑠衣は俺の後だ。飛ばすぞ!」
「竜‥‥!」
「心配しないで、博士! 人質は絶対助けるし、それ以上の被害は出さねえ!」
5人が部屋を飛び出す。3人の足音が格納庫の方向へ、2人の足音が居住区の方向へ遠ざかった。


「あきちゃん‥‥。洵坊なら大丈夫なんじゃないのか?」
「さっきから呼び出しとるのに、連絡が入らないんじゃ‥‥」
「え?」
「おじさま。洵君の持ってる時計、こっちからの呼び出しで振動するようになってるんです。で、状況に応じて、YesかNoか2種類のパルスが発信できるようになっていて‥‥」
有望が虎嗣に説明した。

「なんだ。そんな便利なもの持ってるんなら、居場所もわかるんだろ?」
「いや、あれは洵が操作をしなければ電磁波を発信しないんじゃ。いくら医療機器に害のない周波数帯とはいえ、やはり病院だから必要最小限の信号の交信だけにしようと‥‥」
「じゃ、洵坊、その時計の操作ができない状況にあるってことか?」
「もちろん‥‥時計を外しているとか、壊れたとか、そういう理由もあるんじゃが‥‥」
葉隠の両手がもみ合わされた。

「あきちゃん、行くか? ワシもついて行くぞ」
「ちょ、ちょっと、博士‥‥!」
「そうじゃな。ここにこうしているより‥‥。有望君、すまんが中継を頼む!」
「‥‥仕方ありませんわね。お二人ともくれぐれもお気を付けて‥‥」
葉隠は白衣を脱ぐと、40年来の友と共にコントロールルームを後にした。


===***===

セクターには緊急車両の装備がしてある。瑠衣を後に乗せた赤星と輝は、信号は全て無視、制限時速50キロオーバーで西都大学の付属病院の敷地に乗り込んだ。医学部の方角から大きな煙がもくもくとあがっている。いやな予感がしたが、とにかく島警部補と連絡を取っている現場の責任者と会うのが先だった。

こちらの示した身分証に敬礼で答えてくれた警視庁刑事部の川村警部は、的確に状況を説明してくれた。現在消火中の建物は防災棟で本日は使われる予定はない。特警に連絡をとった直後、怪物が人質を楯のようにして建物から現れ、口から数個の爆弾の様なモノを吐き出してそちらに投げつけた。捕まっているのは当直で出ていた宮野看護婦29歳。化け物が乗り込んできたのはAM11:00。彼女の通報で5分後には警官隊が到着し、ほとんど同時にオズベースに連絡が来ている。

「あそこって、補助電源用の燃料があったんじゃ‥‥」
この大学は赤星と黒羽、そして有望の母校でもあった。当時工学部に在籍していた赤星は、実験で防災棟の補助電源設備を扱ったこともあった。
「幸い命中したのは南側の建物部分で、LPGタンクが置いてある倉庫の方は火災を免れました。残りのタンクは安全な場所に運んでいるところです」
「相手は化け物一匹なんですね?」
「はい。ですが、あの力なら片腕一本で簡単に女性の命を奪えるでしょう。それに、あの爆弾を他の棟に投げつけられでもしたら‥‥!」
「やつを‥‥なんとかここから引き離します。とにかく、こんな所じゃ戦えない‥‥」
万が一こんなところで巨大化でもされたら‥‥。そう思ったら寒気がした。

黒塗りの緊急自動車が入ってきた。チャコールグレーの三つ揃いをぴしりと着こなしたチタンフレームの眼鏡の男が運転席から、そして後部座席から降りてきたのは、ちょっとぼさぼさめの短髪に銀縁眼鏡をかけた長身のデリケートな感じの男だ。ブルーの丸首セーターにチノパン、薄いグレーのハーフコートを手に持って、おどおどと歩いてくる。
黒羽の車だと、手を上げかけた輝と瑠衣は、二人の姿を見て固まってしまった。赤星も一瞬驚いたが、心の中でにやりと笑う。いかにも黒羽らしい準備だった。

「病院の全システムを保守しているクロス・システムの佐山リーダーをお連れしました」
スーツ姿の黒羽が、赤星と警部の前に来て、幾分高めのトーンでしゃあしゃあと口上を述べる。
「じ、事情は伺いました。事務室の端末から、デ、データを引き出すことは可能です。私が、と、とにかく行って、スパイダルとかの言う通りにすれば、い、いいんですね?」
黄龍が神経質そうになんども眼鏡に手をやりながら言う。声音まで普段と違って聞こえるから凄い。赤星は顔がひきつりそうになるのをこらえて答えた。
「はい。よろしくお願いします」

川村警部が事務室に電話をかけて、システム担当者が行くことを通告する。黄龍はアタッシュケースを右手に玄関口に向かいながら、仲間に向かって一度だけ、ぱちりとウインクをしてみせた。

未だ唖然として、黄龍の背中を見送る瑠衣と輝に、黒羽が身をかがめて小さな声で言った。
「坊や、瑠衣ちゃん。呆けてるんじゃないぞ」
二人が黒羽の顔を見つめた。
「なんか‥‥ぜんぜん、違う人みたい‥‥。特に瑛那さん‥‥」
「気にいらんかね?」
「ううん‥‥。二人とも凄いや‥‥。それに黒羽さん、すっごくかっこいいよ‥‥」
輝が背伸びして黒羽の耳元でそう言うと、黒羽が少し苦笑した。


赤星、黒羽、輝、瑠衣がリーブレスから聞こえてくる音に集中する。黄龍が持っていたコートのポケットには感度を最大に上げ全送信モードにしたリーブレスが入っていた。こちらからの通信は受けられない代り、帯域の全てを使って向こうの音を伝えてきている。

と、赤星が目を見開く。敷地に乗り込んできた車から葉隠と虎嗣が降りてきたのだ。リーブレスを耳に当てながら、他の三人に目で合図をすると二人の元に駆け寄った。
「どうしたんです、博士? それに、親父まで!」
「竜。洵が呼び出しに答えないんじゃ。こんな騒ぎになっていれば、あの時計を離すハズはないじゃろ? 一応携帯にもかけてみたんだが電源を切っている。まさか、どこかで‥‥」

「警部の話では、怪人が押し入ったのは中央棟だけです。防災棟が被害に遭ってるけど、あんなとこにいるわけないでしょうし‥‥」
「じゃあ、中央棟とやらに入って探してみよう!」
「やめろ、親父。人質もいるんだ。ヘタに刺激したら‥‥。とにかく、黄龍が怪人をよそに連れ出すまで待ってください、博士。病院全体の安全がかかってるんです‥‥」

赤星は祈るような思いで、黄龍ともう一つの声の会話に耳を傾けた。


===***===

ごく普通の事務室に怪人がいる情景というのは、かなりインパクトがあるなと黄龍は思った。怪人は2mを越す身長。異常に発達した筋肉のその形のままに甲羅が被っている。その全体が鮮紅色というのが、筋肉標本でも見ているようで、かなり気持ち悪い。頭部は前から見るとラグビーボールのような横長で中央の口が円形。両側に目らしきものが3つずつ付いている。あの口から爆弾を吐き出すのか‥‥と思った。さっきの赤星と警察の会話は、リーブレスを通じてすべて聞いていた。

宮野看護婦は隅のイスに座っている。両手を胸の前で堅く握り合わせているが、それでも落ち着いているほうだと思う。だいたい彼女でも有る程度のデータは引き出せたはずだった。とっさにしらを切った勇気は称賛に値するだろう。しかし、化け物と生身で対峙しながら、そんなことを冷静に考えている自分自身についても、黄龍は少し驚いていた。
(もう少し、びびっちまうかと思ったけど〜?)
こういうことにすっかり慣れてきている自分に内心苦笑した。


怪人がずかずかと近寄ってくるといきなり黄龍の胸ぐらを掴む。
「わ、わ、私はっ‥‥あのっ‥‥」まずは慌ててみせる。
「騒ぐと殺して放り出す。このディーラム様の機嫌を損なうな。
 ‥‥フン‥‥くだらんものは持ってないようだな‥‥」
怪人は黄龍を1台のPCの前に引っ張るように連れてきた。黄龍がコートを机の上に置いた。

「何をやるべきかはわかっているな」
「は、はい‥‥。あのデータって、ど、どういう形でお渡しすれば‥‥」
「モニターに映せばこの目が全て記憶する」
「そ、それでは時間がかかり過ぎます‥‥!」
「ここにある全てのマシンを同一方向に並べろ、全部に違う情報を映せ。すべて記録できる。
 全部終わるまでお前は帰さん」

(なるほどー。さすがにこっちの電子データを直には読めないってわけか。こいつぁ明るい話題その1ってカンジ?)

「あ、あの‥‥。その前に確認したいことがあるんです。実は、弊社で開発したシステムは、特にセキュリティとプライバシーに重きを置いておりまして‥‥この部屋にあるマシンの物理IDによっては、あなたの要求しているデータにアクセスできない可能性があるんです」
「なんだと‥‥!」
「ちょっとお待ち下さい」

黄龍は既に電源の上がっているマシンを上げ、コマンドプロンプトからもっともらしくネットワークカードのMACアドレスを表示させた。アタッシュケースから適当なリストを引っ張り出し、照合するフリをする。
「ああ、これはダメですね‥‥」
つぶやきながら次々とマシンを上げて、同様にチェックする。全部のマシンを上げてチェックしてみせるのに10分近くかかった。

「やっぱりだ‥‥。ここにあるマシンだと患者さんの住所とかそういうデータしかとれませんね」
「じゃあ、医者が使うマシンのところへ行け」
「外科なら外科、内科なら内科と科別のデータしか取れませんが‥‥」
「そのガードとやらを外すのがお前の仕事だろう!」
ディーラムが一台のモニターの上にむぞうさに腕を振り下ろす。17インチのCRTディスプレイが下の本体ごとぐしゃりと潰れ、机の上面がぐにゃりと曲がった。宮野看護婦が弾かれたように飛び上がったが、喉を飛び出そうとした悲鳴は、怪人に睨み付けられてかすれた息に変った。

(あっらー。怒らせたらちょーっとヤバそうじゃん‥‥)

「そ、そう言われましてもっ!」黄龍は怯えたような声を出した。
「そちらは、メインマシンのコンソールでやらなければダメなんです! メインマシンは弊社のデータセンター内にあるんですが、本日は誰も出社しておりません。あなたがそっちまで来ていただければ完璧なデータを、大量のモニターで表示できますが?」
「わかった。ではそこに私を連れて行け。手はずを整えろ。おかしなことを考えたら‥‥!」
「わ、わかってます。わかってますよ。私だってこんなことで死にたくありません!
 じゃ、ちょっと警察の人に電話していいですか?」

事務室の電話から赤星の携帯に電話をかけた。
「さ、佐山です。すみません。こっちのマシンだとデータにアクセスできないんです。それで‥‥その、うちの会社のデータセンターに連れて行けって言われてるんですが‥‥。はい‥‥。はい、そうです‥‥‥‥。車を‥‥、ええと、この人が乗れるくらいのヤツで‥‥。はい‥‥。え、運転手ですか‥‥?」

黄龍が怪人にもの問いたげな目を向ける。ディーラムが鷹揚にうなずいた。
「あ、お願いします‥‥。あ、あの‥‥それで、くれぐれもへんなまね、しないで下さいね! こっちは‥‥! はい‥‥。わかりました‥‥」
赤星の「焦るなよ」という心配そうな声を聞きながら、受話器を置くと怪人に言った。
「あの‥‥すぐ準備できるそうです‥‥」


中央棟の前に乗り付けた車は機動隊用の小型の搬送車だった。後部が両開きに大きく開くことと窓がきわめて小さいことを除けば、中身は小型のバスのよう感じだ。ディーラムはコートを着込んだシステム・エンジニアだけを引き連れて現れた。尖った爪を持った長い指がエンジニアの形のよい顎下に回っている。搬送車の運転席から降りてきたチャコールグレーのスーツを着た刑事は、ディーラムの命ずるまま車を全て開放し、何も乗っていないことを見せた。怪人は人質の肩のあたりを、後ろから抱きしめるようにして刑事を睨め付けた。

「場所はわかっているんだろうな?」
「大丈夫だ」
「あまりうろうろ付けてくると、死人が増えるぞ?」
「わかっている」
「じゃ、行ってもらおうか」
怪人がエンジニアを車に押し込むと自分も乗り込む。運転席のドアを閉めた刑事が緊急のサイレンを鳴らして搬送車をスタートさせた。


搬送車で走り去ろうとする黒羽と刹那で目線を交わした赤星が川村警部に駆け寄った。
「すみません。医師が一名行方不明になっている可能性があります。名前は孫洵。26歳。あちらにいる葉隠暁紘博士の息子さんです。我々はあの怪人の追撃に入りますので‥‥」
「わかりました。こちらはお任せ下さい」
「はい。どうか孫医師のことよろしく」
不安げな葉隠に向かって軽く頭を下げ、その後ろの自分の父親を見つめる。虎嗣が大きく頷いて見せた。赤星は少しだけ笑むと、輝と瑠衣にむかって顎をしゃくった。
3人が分乗した2台のセクターは、矢のように敷地を飛び出していった。


事務室に入っていった警官のうち二人が、緊張の糸の切れた宮野看護婦を両側から支えるようにして外に出てきた。川村警部が慌てて駆け寄り、パトカーにあったオレンジ色の毛布でその身体を包むと、女性を外階段に座らせた。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「はい、大丈夫‥‥です‥‥」
「お疲れのところ申し訳ありませんが、この棟で、貴女以外に被害に遭われた方は?」
「それは‥‥いないと思います‥‥。入ってきて、いきなり事務室に‥‥‥‥」

看護婦があたりを見回し、見慣れた風景の中から違和感を感じる部分を見つけだした。その目が大きく見開かれた。
「そうだわ、洵先生が‥‥!」
そばにいた葉隠と虎嗣が思わず看護婦の側に駆け寄った。
「洵が‥‥どうしたんじゃ!?」
「あのお化けがくる直前に、防災棟に行くって言ってたんです‥‥!」
「なんじゃと!?」

葉隠の膝から力が抜け、それを虎嗣が慌てて抱き留めた。


2002/1/9

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