第24話 我が心の翼に
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男は二十数年ぶりに、誰も居ないその砂浜を歩いていた。

歳の頃は40代くらいに見える。黒いスタンドカラーの上着を喉元までかちりと留め、同じ生地の黒いボトムと黒革靴が春先の海岸にそぐわない。濃いめのサングラスに、男の表情は隠れていた。

男はふと立ち止まると、ポケットから古びた折り畳みナイフをとり出した。持ち手まで金属でできているが、刃の部分が歪んで鞘に戻らなくなっていた。
波に洗われて滑らかになった石の側に片膝をつく。平らな面に刃を固定すると、別の石でその刃を軽く打ち始めた。左手首に何か布のようなものが巻かれているのが見える。

試しながら叩き、スムースに出し入れできることを確認してから、袖で刃を丁寧に拭う。少し前までその煌めきを曇らせていたのは自分の血のりだった。あとはきちんと研げばまた使えるだろう。男は刃を鞘に戻すと、満足そうに立ち上がった。

と、風の音と波の音の中に溶け込むように、しかし明確な存在感を持って声がした。

ピーヒョロロ‥‥‥‥

少し長めの黒髪を、ふわと波打たせて、男はそれを振り仰いだ。ブルーグレイの曇り空に、まるでそんな形の凧のように、一羽の鳥が滑翔している

視力の良い男の瞳は、翼の先端のジグザグした輪郭まできちんと映している。はばたかずに気流に乗る広げたままのその翼は、力強い胸筋をも感じさせて、あまりに優美だ。

「どこへでも飛べる‥‥‥‥自由な翼‥‥‥‥」
唇が無意識にそんな言葉を呟いた。

男は飽かず、その空を滑る翼を見ていた。


===***===

珍しくきちんと上着の前を閉じた黒羽の黒い上下は、暗い通路の中で岩壁に溶けている。右袖の裂け目から白い包帯が少しだけのぞいていた。まだ出血が止まっているとも言えないその手で、ブラックインパルスから奪った長剣を握りしめていた。反対側の壁に背中を貼り付けているのは、焦げ茶の革ジャン姿の赤星だ。いつも通りの徒手空拳に見えるが、両手にナックルをはめている。

オズブルーンで脱出するにはジェネレーターを破壊する必要がある。なんとか裏口がないかと思っていたところに帰還途中のアセロポッドの後をつけることができたのはラッキーだった。

規則正しい足音がまた二人分入ってきた。赤星のスニーカーが、じゃり、と、わざと音を響かせて踏み出す。アセロポッドが振り向いた時は既に、男はその眼前まで飛び込んでいた。振り上げた爪を避けもせずに前腕で受けて突っ込むと、額にナックルを叩き込んだ。驚いたように赤い目が大きくなったもう一匹の腹から刃が突き出ている。黒羽の持った剣は背中の甲羅のつなぎ目を正確に貫いていた。赤星の右拳がその存在を完全に消滅させた。

黒羽のもの問いたげな視線に、赤星はにやっと白い歯をみせると左腕を上げた。爪に裂かれた袖から黒い腕甲がのぞいていた。学生時代から武器らしい武器も持たず、身体一つで葉隠の専属SPの役をこなしてきた。こういった防具に関しては、武具店を営む鷹山老が探したり作ったりしてくれて、お陰でなんとか大怪我もせずに過ごせてきたのだった。
口の片端を少し上げて肩をすくめると、黒羽が奥へ向けて顎をしゃくった。二人は神経を研ぎ澄ませながらまた早足で進む。こんな調子で既に7人のアセロポッドを消滅させていた。


一つの角にさしかかり、そちらを覗き込んだ赤星の身体が固まった。曲がり角と思ったそこは部屋のようになった空洞で、半透明の黒い大きな卵型のようなものが並んでいた。奥の方の半数は上半分がぱかりと開いている。そして残りの半分が‥‥!

閉じている卵は内側がぼんやりと光っていて、内部の様子がなんとか見えた。溶液の中にゆらゆらと丸まった灰黒色の人型がある。だが、その四肢はすべて中途半端だ。先端がぐずぐずと分裂を繰り返している。その頭部はいつも見慣れた模様だが、一部、その頭すら増殖途中のものがあった。まるで未分化細胞の大規模な実験施設のようだ。

相棒の様子に気付いて近寄ってきた黒羽も、流石に息を呑んだ。
「なんてこった‥‥。三次元専用のアセロポッドってことか‥‥?」
「気象台に出たヤツ、まさかこの新型なのか? 黄龍たち‥‥っ」
赤星が奥歯を噛みしめて背中に手を回すと、ベルトに挟んでいた3本の鉄の棒を取り出した。
「待て。ジェネレーターを壊すのが先だ。瑛ちゃんたちなら大丈夫さ」
「そ‥‥、そうだな‥‥」
タマゴ割りの間にスプリガンなんぞが出てきたら、着装できない自分たちは圧倒的に不利だった。


二人はまた数十メートル進んだ。その部屋からは光が漏れていた。通路を警戒しながら、内部の様子を交互に窺う。幸いなことにスプリガンもブラックインパルスも不在だ。
黄龍がいれば「ダサクてどでかい三連リング」とでも評したろう物体が部屋の奥にあった。食い違いになった銅色の3つの大きなリング。その中心にはずんぐりと太い紡錘形のタワーが立っていて、そこから細めのパイプがリングのそれぞれに走っている。一つのリングを均等に三等分する位置に、リングに噛むように黒い物体がはまっていた。部屋の壁面はコンピュータとおぼしき装置で埋まっていて、五人のアセロポッドが忙しそうにしていた。

「‥‥‥‥サイクロトロン‥‥みたいなもんか‥‥?」赤星が囁く。
「イオンをぐるぐるぶん回すってあれか?」
「博士が、空間を微妙に歪めてるんじゃないかって言ってたんだ。電子の流れが電流になってそれが磁界を生むように、あのお化け輪っかんとこでなんか回してんじゃねえ? 真ん中のタワーが粒子の供給源。あの小さい黒いやつが、加速するためのなんかで‥‥」
「よし。とにかく騒がれる前に、あの連中を片づけよう」

二人は無言で部屋の中に飛び込んだ。赤星の操る鉄棍と黒羽の走らせるその切っ先に、5人のポッドがあっという間に消えた。問題のオブジェに近寄る。赤星が注意深くその大きなリングに触った。ぶーんという振動が伝わってくる。ゆっくりと三連リングの中に入って見ると、耳鳴りがするような微妙な圧力があった。だがタワーやパイプは特に振動した感じはない。赤星は加速のための装置と思われる黒い金属を黒羽に示した。
「コイツを壊せばリング内を走ってる粒子が止まると思う。そうすれば歪みも消えるはずだ」
「よし、まかせ‥‥‥‥」
そう黒羽が答えかけた時、二人の耳に、聞いたことのある足音が聞こえてきた。

がしょっ がしょっ ‥‥

黒羽が第一刀を振り下ろすと同時に、赤星は前に出てジェネレーターを背中に入り口を睨み付けた。

「この、ガキどもっ」
一目で状況を把握したスプリガンはだっと室内に駆け込んだ。奥には牢から逃げ出したメカニックだ。手前の男が無謀にも何かを投げつけてきた。無造作に腕で払う。次の瞬間、スプリガンの右のレンズには、2mに近い鉄棒が突き込まれていた。

「なにぃっ?」
棒の先端を掴んで振り回そうとする。だが、棒はいきなり三つのパーツに分割すると、もう一端が左のレンズめがけて飛び込んでくる。右のレンズからの信号がノイズとなり、センサーが混乱したスプリガンは思わず手を放して跳びすさった。

赤星の使う三節棍は、古い文献にあった七節棍を鷹山老が再現したもので、普通の節棍とは異なる。1本60cmの中空の鉄棍3本をつなぐ鎖が鉄棍の内部に収納されるようになっているのだ。鉄棍同士をつき合わせてひねれば、全体が1本の長い鉄棒になる。赤星はこれを、手の中のちょっとした動きでバラしたり組み立てたり自由自在に使う。それでも兄が使いこなす五節までは長い道のりではあった。

左のナックルを投げつけた隙に予想だにしない長棒を出現させ、双方の勢いに自分の体重を乗せて、スパイダルの機甲将軍に会心の一撃を加えた男は、残りのレンズににやっと笑いかけた。
「てめえもOZの関係者か?」
「いーや。あいつのダチ」
にやけた男は、ばらけた鉄棍の一本をひゅんひゅんと回しながら、肩越しにちらりと視線を投げる。
「あいつってのが誰だか、聞いてねーんだがね?」
「あいつは俺のダチ」

目を潰されて一瞬頭に上ったオイルが、男の不敵な表情にすっと冷えた。右のレンズの回路を遮断する。男に向かって右手をあげると、その指先に銃口が開いた。
「ハズしたら当るぜ、後ろ」赤星が顎をしゃくった。「大事な機械なんじゃねーの?」
「こっちには自信があってねぇ‥‥。なんせ身体の一部だからな!」

スプリガンがいきなり標的を変えたのと、赤星が身を翻して黒羽に覆い被さるのが同時だった。そのまま黒羽をおしやるようにリングの中、タワーの影に入った。
「おいっ」
しかめ面をして背中に手をやった赤星の顔を黒羽が覗き込む。
「だ、だいじょぶ。止まってる」
赤星の背中に撃ち込まれた銃弾は、葉隠作の防弾チョッキでしっかりくい止められていた。
「それよか、あと何個‥‥って‥‥っ」
二人の脇を銃弾が掠める。スプリガンが組み合わさったリングの間隙をぬって撃ってくる。
「あっちに三つ。こっちも銃がありゃ‥‥!」
「忘れてた!」
赤星が懐から黄龍のコルトパイソンを引っ張り出した。
「お、瑛ちゃん、助かるぜ!」

黒羽が両手で357を構える。と、背中から赤星の左手が伸びてきて黒羽の左手を包んだ。右手は黒羽の右前腕に添えられている。
「おい。オレは坊やじゃないぞ」
「肩、はめたばっかなんだぞ」
「ったく、坊やや瑠衣ちゃんにゃ、見せられねえザマだぜ‥‥」
ぼやいた黒羽の表情がすっとひきしまると、全弾を立て続けに撃った。赤星は、黒羽の微妙な手の動きは一切殺さず、しかし反動はしっかりと支える。銃弾は大きなリングには当らず、三つの小さな黒い装置だけを見事に吹き飛ばした。

「加速器だけ壊すたぁ、何考えてやがる!」
スプリガンが喚く。
耳鳴りが完全に止んだ。先ほどから微妙に点滅していたリーブレスが正常に戻る。
「出てこい! 腕前に免じて、命だけは助けてやるぜ!」

その声に答えるように、タワーの陰から左右に男が飛び出した。

スプリガンは残ったレンズもおかしくなったかと思った。
床を転がった二人の男が、金色に輝いたかと思うと、一人は赤、一人は黒に変わったのだ。

「てめえらっ オズリーブス!?」

「世話になったな、スプリガンッ」
ついさっきまで、確かにあのメカニックだった男が、見慣れたブレードを振りかざして飛び上がる。スプリガンの左手首がぱくりと折れた。口径が1インチもありそうな物騒な銃口が飛び出してきた。
「リーブラスターッ」
その左腕にブラスターが命中する。スプリガンの注意が赤星に向いたとたん。黒羽は、スプリガンの右肩にブラックインパルスの剣を叩き込んだ。自分たちのブレードよりこの剣のほうが破壊力があるのは確実だった。そのままボディの中心めがけて切り込んでいく。

「なんで‥‥ソニック・ブームを‥‥てめえが‥‥‥‥」
スプリガンは両手で剣の鍔のあたりを掴むと、押し込む力に抵抗する。もし腹の中を破壊されたら動力炉が爆発する可能性が高い。黒騎士が手ずから鍛え上げたこの剣の切れ味を、戦場で常に見つめてきたのだ。底なしの羨望の目で‥‥っ!

だが赤いボディが剣の峰に両手をかけた時、均衡は破れた。

(このままじゃ、ぶち込まれるっ それも、よりによってこの剣で‥‥!!)
スプリガンは歯がみした。
(こうなったら仕方がねえっ)
スプリガンは刃を少しだけ外側に向けると抵抗を止める。ざんっと刃が右脇に抜けた。聴覚センサーを遮断したくなる衝動を抑え、スプリガンは、自分の右腕の落ちる音を聞いた。

「とどめだっ」
右肩のばちばちと火花が散っている切り口めがけて、黒羽は剣を突き込んだ。が、落ちたスプリガンの右腕がその黒いボディめがけていきなり乱射してきた。その隙にスプリガンは黒羽に体当たりを食らわすと、自分の右腕を拾って、すっと消えた。


「大丈夫か?」
「はん。着装してる方が楽なぐらいだぜ。全身テーピングされてる感じだな」
赤星がミイラ男じゃねーぞと少し笑い、黒羽の握っている剣に目をやった。
「‥‥しかし、その剣、もしかして、とんでもねえんじゃねえ?」
「ああ‥‥。ソニック・ブームとか言ってたな‥‥」
黒羽が、何か馴染んだ気持ちになってきたその抜き身をじっと見やった。赤星が言った。
「とにかく、ちょっとベースに連絡しよう。黄龍たちが心配だ。それにこの機械にしろタマゴにしろ、使われたかねえけど、貴重なデータなのも確かだしな」

===***===

最後のアセロポッドに斬りつけたとき、輝の足がもつれた。小柄なボディが地面に転がる。横から飛び込んできた長身が、リーブラスターの最後のエネルギーをその切り口からぶち込む。黄龍は両手で、既に物体と化したポッドを押しやると、足を投げ出してへたり込んだ。
「だ‥‥大丈夫かよ、ピン‥‥」

右手を見やると、うずくまったピンクの身体が、金色にぼやけ始めた。
「おいっ」
鉛のような身体をなんとか起こすと、黄龍はスーツの解除された瑠衣の側に近寄り膝をつく。瑠衣の肩に置いた手は、スーツに覆われていない自分の手だった。
「だ、だいじょぶ‥‥」
黄龍を見上げて微笑んだ少女の顔は、汗びっしょりだ。

「び、びっくり‥‥。スーツ、自然に、取れちゃうんだ‥‥」
普段の軽い足取りが信じられないほどのったりと、輝がやってきた。
「スーツ着てられる、体力ないって、判断されちまったんだろ。マジ、そうだけど‥‥」
「あ、あたしも‥‥こんな疲れたの、初めて‥‥」

「だいじょぶかよっ」
「瑠衣さん、翠川さん!」
声に振り返ると早見と島が駆けてくる。膝を抱えて座り込んだ輝が、二人にちょっとだけ手を振る。瑠衣は二度だけ首を縦に振って見せた。

「しっかし‥‥」
早見があたりを見回す。緑色の液体をこびりつかせて、灰黒色のボディが15体、累々と倒れている。
「ホント、よくやったなーっ」

柴田が両手をポケットに突っ込んで歩いてくると、三人を見下ろす。ぶっきらぼうに「ありがとよ」と言った。そして島に命ずる。
「島。西条さん呼べや。こいつら、あの人に送ってもらおう」
「西条さん、もうすぐ着きますよ。さっき本部、出たって言ってましたから!」

「ちょーっと待った。俺様たちとしちゃーさ、こいつらのサンプル持ってかないといかんわけよ。こっちはこっちで迎えに来てもらうからさ、心配ご無用って!」
黄龍が刑事達に割って入った。輝と瑠衣は一瞬目を見開いたが、すぐにうんうんと頷く。

柴田が少し呆れたように三人を見た。
「けっ てめーら、ちょっとできすぎじゃねーか?」
黄龍がにやりと笑った。
「そりゃ、そーよ。俺様たち、セイギノミカタだもんねー」


===***===

かすかに右足を引きずりながら走る黒羽を追って発着場に飛び降りた。広い空間の左端の方にこちらを向いて着陸している見慣れた機体があった。

オズベースと相談の結果、ジェネレーターその他の回収は自衛隊の協力を仰ぐことになった。例のタマゴは空を3つだけ残して爆破してきた。黄龍達はなんとか無事に気象台を守りきったようだが、三人とも限界まで戦い抜いたらしい。損傷の少ない2体のアセロポッドと共に帰途についたそうだ。亜怪人みたいなヤツを15体も相手によくやってくれたと、赤星は胸が熱くなった。

二人はオズブルーンの右側面に回る。白い機体には、その後ろに着陸している輸送機らしきから伸びたアームがとりついたままだ。黒羽がそのアームを見上げる。
「あれ、ぶった切ってくれ」
「OK。リーブラスター、ブレードモード」

赤星はできるだけオズブルーンに近い位置でアームを切りながら、黒羽はどうやって愛機を離陸させる気なのだろうと思った。戦闘機として使えるほどの敏捷性を持ちながら、6名もの人間を収容できるスペースを持つ、世界でただ一機の特殊VTOL。噴出口を下向きにすることで垂直に離着陸できるのだが、こんなふうに胴体着陸した状態で下向き噴射をしたら爆発しかねない。そのうえ、この低い天井の中では普通に滑走して離陸するのでなければ無理な気がした。

アームは面白いように切れた。機体からはアームの残りがぶら下がる事になるが、特に問題は無さそうだ。その間に黒羽は、スパイダルの輸送機の片翼にチェリーの爆弾を仕掛けた。飛べない程度に壊しておけば、色々な機材を持って行かれにくくなる。赤星に合図した黒羽が、ブラックチェリーに最後の爆弾をセットして翼に射かける。ずん‥‥という音と共に、黒い翼がぺきりと折れた。

黒羽はオズブルーンの胴体真ん中より少し後ろの、離陸推進兼用の噴射口のあるあたりの腹を覗き込んだ。後方を向いたままの噴射口は地表より少し上にあるだけで、下向きにしたら引っかかるのは確実だ。黒羽はそのノズルのあたりを中心にして、地面に4mほどの幅の平行線を引いた。
「この下側の地面を、この幅で削る」
「なるほど‥‥って、どうやってだよ!?」
「お前のドラゴンアタック」
「‥‥‥‥ちょーっと待て! ズレたらブルーンの方が削れちまうぞっっ」
「だから、うまくやれ。ノズルを傷つけたら、噴射の時、そこからぶっ飛ぶからな」
「そんなっっっ」
「じゃあ、その代わりにこの場所で、こいつをホバリングさせる自信、あるか?」
「‥‥‥‥ない‥‥‥‥」
「となりゃあお前がやるしかないな。オズブルーンの腹、ちょいと焦がすぐらいなら勘弁してやる」
それだけ言い置くと、黒羽のスーツ姿は前方のコックピットに向かって走り去った。

いい考えがあるから任せておけという言葉を信じたのがバカだった、こんなことならアイツを殴り倒して出直すべきだったんだっ‥‥などと、今更思っても後の祭りである。赤星はリーブレスのスイッチを入れた。これらの経緯も状況も、すべて基地ではモニターされている。
「オズベース!‥‥あの‥‥!」
「ほい、もう少しで計算は終わるぞい。しかし流石はブラック、素晴らしい発想じゃ!」
妙に浮かれた葉隠の声が聞こえてくる。この人もこーゆー事が大好きだったっけと思ったら、かえって取り残された気分になってきた。
「やる方の身にもなって下さいよー」
「こりゃ、そんな情けない声を出すんじゃない。よし、計算終了じゃ。リーブグリットの制御コードを送るぞい!」

オズブルーンから葉隠から指示された通りの距離をとる。リーブ粒子のボールをボーリングの要領で放り出せばうまくいくはずだ。ボールを着地させる位置は1mちょい先。とはいえ岩盤の強度等、シミュレーションで与えた条件は仮の値だ。とにかくやってみなければわからない。
「ドラゴン・アタック」
リーブレスにコードを吹き込む。スーツが解除されて、身体を馴染んだ温流が包んだ。修行でトレースする経絡流と入り交じるようなこの感触がとても好きだ。胸の前で上下に合わせた掌の間に、圧力のボールが生じた。いつも通りにその周りをくるりと撫でると、左手を引き込む。リーブレスのリーブグリットが葉隠が計算した通りの加速を粒子に与えたところで、それをすっと押し出した。

地面の方が液化しているのではと錯覚を起こすほど滑らかに、金色のボールがめり込んでいく。ボートが引き残す波紋のように徐々に広がっていく光が、独特の癒着するような形態で地面を浸食した。
黒羽が示した幅より少しだけ広くなったが、オズブルーンの下は1mほどの深さに抉られた。潜ってみるとノズルは完全に無事だった。ただ前の方の接地していた部分は塗料が溶けて泡立っている。そっちは見なかったことにしようと思った。
外に這い出た赤星はオズブルーンから離れながらリーブレスに向かって叫んだ。
「オーケー、うまくいったみたいだ!」

目の前で全長18mの鉄の塊が、まるで魔法のようにゆっくりと浮いていく。2mほど上昇したところでぴたりと止まった。黒羽の手にかかると戦闘機がどでかいホバークラフトだ。感嘆してそれを見上げた赤星は、その時初めて、自分を見ている一つの視線に気付いた。

「なかなかいい腕だな。操縦しているのは例のメカニックか?」
「‥‥あんたはっ‥‥!」
スパイダルの輸送機の脇に立っている真っ黒な鎧の男を見つめて、赤星は息を呑んだ。
なぜ気付かなかった! いつから見ていた!? 気配を‥‥感じなかった‥‥!

「スパイダル帝国参謀、ブラックインパルス。いままでよくも私の邪魔をしてくれたな、レッドリーブス。その首、皇帝陛下への土産とさせてもらう。普段の姿に戻るがいい。勝負しろ」

黒光りした身体から今や紛れもない殺気を発して、相手は小刀を抜いた。まさかもう着装できないとは言えない。歯がみして三節根を握りしめた、その時‥‥。
「走れっ!」
響いたその声に、弾けるように身を翻す。視界の中で、オズブルーンから降り立った黒い姿から金色の奔流が走った。


鎧の男は信じられない思いで、ブラックリーブスだった存在が、あの男に‥‥、確かに人間と知っているあの男の姿に変化するのに見入った。

そこに、眩いばかりのエネルギーが向かってきた。


2002/5/12

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