第21話 子猫のアンジェラス
(1) <2> (3) (4) (5) (戻る)

頬をなぶるそよ風のように種々雑多な他人の"夢"が通り抜けていく。こうやって漫然とアンテナをのばしている時は、かすかな香りや色や温度やその程度しか感じられないがそれでいい。「敵」が果たしてどんな精神構造を持った存在か。細かい事例の分析などしているヒマはない。全体を俯瞰した感覚を得られれば今は十分。

アラクネーは夢を見ていた。
己の夢の中で、3次元人たちの夢を見ていた。

近寄ってきただけで思わず避けてしまう下品なものもあったが、脳天気で気楽なぬるま湯のような夢も多かった。それ以上に多いのが実体の解らぬ不安にただ脅かされている夢。

驚くほどにバラバラな価値観。自分に自信は無く、かといって強い信念があるわけもなく。本音では強いよりどころを求めながら、表面は自由を取り繕う自己欺瞞。

弱い種族、と思えた。ある意味、最も征し易い……。オズリーブスが居たことだけが誤算だったのか。謎の化け物を倒していく想定外のヒーローたち。彼らは3次元人達の勇気と安堵の源になってしまっている。

ふと、閉じられたままの少女の眉目が訝しげに潜められた。かすかなささやきを聞き取ろうとでもいうように小首をかしげる。
それはピュアな意識だった。他者の事を一切考えず、ただ自分の快楽だけを追い求めている。同時にカミソリのような切れ味の思考力を合わせ持っていた。

面白い。こいつは利用できるかもしれない。

なんの頓着もなく仲間を売る者のうち9割りはただの愚か者。だが、時々いるのだ、真に役に立つ裏切り者が。それを見つけたようだ。


アラクネーにとってその夢の主を捜し出すのは造作も無いことだった。だがそのために少しだけ、物理的な周囲への注意がおろそかになったかもしれない。聞き覚えのある音を聞いたように思って、アラクネーは現に戻った。宙に浮いていたハンモックとそれを囲む黒いベールがすっと畳み込まれる。彼女はマンションの屋上に降り立った。

東の空の黒さはわずかに和らぎ始めているがお世辞にも夜明けとは言えない。そんな闇の中で彼女は構造物の陰からちらりと見えるマントを見逃さなかった。
「スプリガン。そんなところに隠れてないで出てきなさい」
「べつに隠れてたワケじゃないさね、夢織姫。ただレディのお休みをジャマしちゃ悪いかと思ってね」
がしょり、と音を立てて男が姿を現した。あちこち鉤裂かれたままの濃いグレーのマントを無造作に羽織っている。頭部も肘先も、剥き出しになっている身体の部位は明らかに金属。それはスパイダル四天王の最古参、機甲将軍スプリガンその人だった。

少女は心の中で舌打ちした。たとえ夢見に入っていたとしても他人にこんな接近を許すなどありえないことなのに、この男に対してだけは警報が黙してしまうことがあるのが気に喰わない。だがスパイダルの夢織将軍アラクネーは、そんな感情をおくびにも出さず、腕を組んでスプリガンを睨め付けた。

「で、なんの用なのかしら」
「出来あがってな」
スプリガンが背中に回していた太い槍状の棒をぶんと前に振り出した。脇に立てて押しやると槍は独楽の軸のようにくるくると回転しだす。それがしゅるりとほどけ、コウモリの羽根を持った怪人の姿になった。
「バットローラ」
名を呼ばれた怪人は優雅と言ってよい動作でスプリガンの前に跪いた。
「シードは行き着いたようですわ、スプリガン様」
「では、行け」
「はっ」
バットローラは立ち上がり、グラマラスなボディを強調するように翼を大きく広げた。アラクネーに向かって小ばかにするような顔つきで顎をしゃくってみせると、そのまま暁の空に飛び立った。

「ずいぶんと趣味が悪いデザインね」
「そうかい」
「で、あれはなんの役に立つの」
「興味があるなら見にくるかね」

まるでわたしの反応を面白がっているようだ。

アラクネーは無言でそっぽを向いた。

===***===

早朝の空いた道路を飛ばしていた乗用車は、いきなり飛び出してきた存在に驚いて急ブレーキを踏んだ。だがぶつかる寸前で見えない壁にぶつかったようにはじき飛ばされ、歩道に乗り上げて大破した。炎上した車を見てにいっと笑ったのは黒い細身の異形。白銀の狼にまたがっている。その後ろには4頭の狼が従う。一群は放たれた矢のように道路を走り出した。

「きれいね」
物陰から見ていたアラクネーは素直な感想を述べた。ひたすらに前方に伸べられた頭部、なびくたてがみ。4本の足が織りなす見事な連携、伸びた尾が微妙なバランスをとり保っている。狼たちが駆ける姿はあまりに優美だ。

「確かにな。自然の創造物にはムダがねえ。綺麗だ」
スプリガンの声にアラクネーは振り返った。
「じゃあ、貴方はなんで自分の身体をそうしたの?」

少しの間があいた。身体のほとんどがマシンと化している男は、無遠慮な質問にどう返してやるか少しだけ考えているようだった。だが少女の黒い瞳に浮かんでいるのは、小さな子供の時と全く同じ素朴な疑問の色。スプリガンは舌打ちするとぼそりと応えた。
「足りねえからだよ、自然のままじゃ」
「何が?」
「強さ」
「あの生物たちは足りてるの?」
「一緒にすんじゃねえ」
スプリガンは怒ったようにそう言うとすっと消えた。アラクネーはちょっと小首を傾げたが、自分の座標をスプリガンの飛んだ先に合わせた。この男が何をやる気なのか、興味があった。



政治の中枢地区へ突入するルートの途中、広い道路は閉鎖されていた。ジェラルミンのバリケードと、その後ろからライフルがのぞく。
「止まれ! スパイダルの怪人か!」
狼たちを従えたまま、バットローラは翼を広げまるで貴婦人のように一礼した。
「私はバットローラ。ちょっとそこ、通してくださらない?」
「怪人を狙え! 撃て!」
銃口が火を吹くより早く、バットローラの両手が一閃し、両の翼がぶわんと振動した。
「うわあ――っ!」
ジェラルミンの盾が揺らぎかしげ、銃身があさっての方向に発泡する。強風というより、透明な大きな手にはり倒されたかのようだった。



「あいつは空気の密度を操れるのさ」
聞きもしないのにそう説明するスプリガンを、アラクネーはちらりと見やった。
「でも、あまり決定的な感じじゃないわね」
「いいんだよ、今回は! 力入れたのはシードの方なんだからよ」

次元回廊の途中の空間に戻ったスプリガンとアラクネーはロボットバードから送られてくる映像を見ている。
「もう少し調べりゃ人間をコントロールするチップもできるだろ。催眠装置で情報を聞き出すだけじゃなくな」

1年半前。やっかいな抵抗勢力になりそうだったOZの存在を突き止め、関係者とおぼしき人間を捕獲しては情報をかき集めていた時、アラクネー率いる諜報部隊は結局ののところスプリガンの助けをずいぶんと借りるハメになった。ぶつぶついいながらも人間の脳波に影響を及ぼす仕組みを作り上げたのはスプリガンだった。

アラクネーは尊大な態度でイスにふんぞりかえりながらも器用にロボットバードを操縦していくスプリガンの横顔を無意識に見ている。

こうやって何か調べたり作ったりしているのが、彼女にとっての最も「スプリガンらしい姿」であった。もちろんスプリガンの戦歴は頭に入っているが、実際に戦う姿を見たことがほとんど無いのだ。だから彼が時折口にする「強さ」へのこだわりもどこかぴんと来ない。

それでもこの男は司令官を心底尊敬している。それだけで他の二人よりはよほどマシだとアラクネーは思っていた。



「お行き、お前達」
バットローラの合図で狼たちがたっと前に飛び出した。首の後ろのあたりから黒いシミがどんどん広がりだす。あっと言う間にグレーの毛並みが黒いフィルムで覆われた。
「撃て!撃て」
被弾した衝撃に少しだけたじろいだものの、狼たちはすぐに牙を剥き出して飛び上がった。それはバリケードを越えるに十分な跳躍力だった。狼を覆った防護フィルムは本国ではレベルの低いものだが、この世界で人間が携帯している火器に対してはこの程度で十分だった。
「うわあっ」
狼たちは肉食獣の本能のままに機動隊員に飛びかかる。本来の獲物とは少々異なるが問題にはならない。

象牙色の牙が制服に食い込もうとした寸前、5頭の狼のそれぞれが5色の鮮やかなスーツによって遮られた。
「卑怯だぞ、スパイダルっ!」
最も大きな白銀の狼を抱きかかえるように押し止どめながら、赤いスーツががなった。
「こいつら、関係ねえっ やめさせろっ」

異形は嘲笑のようなかん高い声を発した。
「おや、あんたたちがオズリーブス? いっとくけどそいつらはこのバットローラ様のものよ。こんなふうにねっ」
一跳びしたバットローラは、レッドリーブスが抱えた狼の背に銀の刃を突き立てようとした。レッドリーブスは反射的に狼をかばい、その刃を自分の背中で受けた。

「あはは……。バカね。大バカだわ!」
何度かの打撃を受け止めた赤い戦士はしぶとかった。ちょっとの合間に狼を突き飛ばすと、バットローラの手を捕らえ、引き寄せると同時に殴り飛ばす。バットローラの細身の身体が吹っ飛んだ。
「許さねえっ リーブラスター!」
エネルギー流がバットローラを直撃する。逃れたところに小兵が躍りかかった。
「ライトニング・ピアス!」

「スターバズーカ!」
ブラックリーブスの手が上がりオズリーブスの最終兵器が降りて来た。と、起き上がったバットローラ口笛のような音を立てる。オズリーブスたちに付きまとい、または目的を見失っていた5匹の狼が、バットローラの周囲にさっと集まった。

バットローラはただ佇んでいる。だがそれに狙いを定めた砲口も黙っていた。

「くそっ……散開! 引き離せ!」
カノンが空に戻り、オズリーブスの5人がバットローラに向かって地を蹴った時、バットローラは狼達を引き連れてすっと消えた。



「戻りました」
「ん」
スプリガンはそっけない返事をしつつ記録の後始末をしている。アラクネーはバットローラが引き連れた5匹の狼たちをこっそり盗み見た。

既に防護フィルムは収納されている。間近で見る毛並みは思わず触ってみたくなるほど見事だった。舌を出して荒い息をしているが目はガラス玉のようだ。首の後ろのたてがみをかき分けた中、ワッペンでも貼ったようにシード、つまり受信機がとり付いている。シードには三次元にのみ特化した廉価版のディメンジョンストーンが仕込まれているので、ここまで入ってくることができるのだった。

「シードはうまく動いていますわ。さすがスプリガン様」
バットローラが甘ったるい声でそう言った。
「あたりまえだ。まあ、もうちょっと戦闘力のある生物に取り付いてくれても良かったんだが、そいつらと波長が合っちまったんだから仕方ねえ」
スプリガンはかしかしと首の後ろをこすった。

「残りのシードはどこに行ったの? 貴方から預かったカプセルにはもっとたくさん入ってたわよ」
アラクネーがスプリガンに訪ねる。バットローラが高慢な調子で割り込んできた。
「まだ動かしていないだけ。夢織将軍に心配して戴く必要はございませんわ」
「そう。まあ全部かき集めたって、たいしたことはできなさそうだけど」

「バットローラ、お前はもう下がれ。残りのシードのチェックでもしてろ」
目を剥いたバットローラが口を開くより早く、スプリガンがぴしゃりとそう言った。バットローラは不満げな顔をしちらりとアラクネーを睨み付けたが、それでも大人しくその場から消えた。

スプリガンはちょっとだけ溜息をついてアラクネーに向き直った。だが少女の表情からはさっきまでの険があっさりと消えている。ただ1体と5匹の消えた空間を見つめてつぶやくように言った。

「オズリーブスはあの動物たちが居たから撃たなかったのかしら」
「まあな。たぶんああなると思ってたが。ったく戦闘用のくせにムダなもの持ってやがる」
「ムダ……」
「戦いに情はいらねえ」
「そうね……」

そうは思う。それでも……

アラクネーはさっき見た狼たちのガラス玉のような瞳を思い出していた。

2007/7/15

(1) <2> (3) (4) (5) (戻る)
Background By水晶の森