第7話 蒼龍・火竜
(1) (2) (3) (4) (5) (6) <7> (8) (9) (戻る)

黒いてかてかしたフェイクレザーに包まれた右腕が伸びてくる。黄龍の身体は自動的に動いた。フック気味に外側から入ってくる肘を左手で内側に押し込むと、バランスを崩した相手の首筋に手刀を入れる。突きに近いほどに直線の軌跡で入ったそれは、相手の勢いとの相乗でかなりの衝撃となっただろう。高校生だろうか。暴走族の少年がくたりと気を失った。

(できるだけ直線で、最短距離で入れるんだ。長いリーチはそれだけで武器になる)

銃を扱う腕力はあるものの、全体的な身体能力としては格闘家というわけにはいかない。そんな黄龍に赤星が徹底的に教えたのは返し技とカウンターのタイミングだった。カウンター狙いはダメージを受けてしまう危険性が高い。だが、射撃メインのお前が組む時はどうせヤバイ時だというのが赤星の言い分だった。幸い黄龍はランニング・ターゲット――動く標的を撃つ射撃種目――が得意なだけあって、動体視力も反射神経も良かった。そして何より恵まれた手足の長さがあった。


黄龍の意識は既に左側に集中している。左肩に手が掴みかかってきた。引かれるままに左足裏を相手の膝に落とした。そのまま左肘から上腕を回転させるように相手の胸に横拳を叩き込む。拳を支点にしたかのように黄龍の身体はもう相手に向き直っていた。ド派手な白いガクランの鳩尾にきれいな右ストレートを決めた。

(自分から手を出さなくていい。来たモノ、返すことだけ考えろ。お前ならできる)

こちらから手を出さなければ、相手はこちらの間合いに入ってきやすくなる。最初は護身術を習っているだけのようで不満げだった黄龍も、やっているうちに、向かってくる相手の力を利用することがどれほど効果的かわかってきた。それには、殴られるかもしれないという気持ちの中で、相手を見きわめ続ける集中力が必要だった。そしてそれを黄龍はありあまるほど持っていたのだ。


小柄でがっちりした体躯の警官が低い姿勢から突っ込んできた。その手がこちらの腰に完全に回る前に、黄龍の腕は相手の首をロックしていた。勢いのままにそれを右側に引き込むと、右膝蹴りを相手の下腹に放つ。そのまま右足を相手の足の間に入れると、長い足を絡ませるようにして、相手の左足を勢いよく払った。思い切り仰向けに倒れた警官は起きてこなかった。

(あとはその場で動けるかどうかだ。それは身体で覚えるしかねえ)

守りと攻めを一挙動で行う。それが反射的にできるようになるまで、赤星は自分の身体を文字通りの叩き台にして黄龍に繰り返させた。うっかりタイミングを捉え損なうと、容赦なく拳が飛んできた。それよりもっと頭にくるのは寸止めをされた時だった。

プロテクターを付けているとはいえ、赤星はいくら殴りつけても少しも応えた風ではなかった。あんたはアセロポッドより丈夫なんじゃねーのと悪態をついたら、受ける瞬間に重心を少しずらしてるだけだと、こともなげに言い、こっちも練習になると笑った。どっちにしろ憎ったらしい化け物であることに変わりはなかった。

イヤになるほどしつこいトレーナーだった。最初の頃は約束の時間に道場に行かないと、わざわざ黄龍の部屋まで来てドアを乱暴に叩いた。こと訓練になると普段とうってかわって強引だった。そして、少しのミスも見逃さないかわりに、少しの上達にも自分のことのように喜んだ。

そう‥‥本当に憎らしいほど真剣に、あの男は自分にぶつかってきたのだった‥‥。


===***===

<グリンダ>の気象的要因解析の結果と<マドックス>の地図情報から、2台のスーパーコンピューターが絞り込んだいくつかの場所。そこに黄龍ともう一つの追跡情報から、ある廃工場が浮かび上がってきた。枯れ草がぼうぼうとなっている敷地の中には、機械の類が運び出されたあとの大きな鉄骨造りの建物が空いていた。急行した赤星と輝、そして瑠衣を二人の男が待っていた。

「来たな」
もじゃもじゃの硬い髪をした男が、着古した明るい茶色の革ジャンパーのポケットから手を出した。特警の柴田丈29歳。全身から硝煙と煙草の匂いが漂ってきそうなごつい印象のある男だった。その迫力のある顔立ちも相まって実年齢より幾分上に見える。空手五段の実力を持つその身体は徹底的に鍛え抜かれていた。

特警―――警備局特命課・対スパイダル特別捜査警察隊――。

浅見警備局長管轄下にある風間警視監を本部長とする警察の対スパイダル担当隊だ。OZ本部が壊滅した時、特命課の実質的なリーダー格だった風間俊介警視長(当時)の強い進言で誕生した。もともと特命課そのものが特異な存在なのだが、特警は風間が大幅な権利委譲を受け、人選から行ったせいもあって、よけいに特殊部隊の色合いが強かった。

柴田は黒羽の先輩である西条と同様、もともと特命課に所属していて特警にスライドした刑事だ。柴田の場合、西条のようにエリートで特命課にいたというよりは、どの警察署でも持てあましていたところを風間に拾われた感が強かった。まあ‥‥現在の特警の半分ぐらいのメンツはそうなので、なんとも言えない所ではあったが‥‥。

「柴田さん! え‥‥と‥‥」
ヘルメットを取りながらにこりと柴田に目顔で会釈した赤星は、柴田の隣りの、こんな現場におよそ不釣り合いな感じの若い男を見やった。
「先日、特警に配属になりました、島正之です」
「はぁ‥‥。OZの赤星です‥‥」
ベージュのソフトスーツの胸ポケットにはチーフまで入っている。この男と並んでいると、柴田はどこぞの若社長を営利誘拐した犯人のようだ。赤星は少し目をぱちくりしながら、差し出された手をおそるおそる握った。

「おい、赤星」
いきなり赤星の片襟をひっ掴んだ柴田が、数歩その身体を引っ張り寄せ、小声で耳打ちした。
「てめえはバカか。マジであんなガキで務まると思ってんのか?」
その視線の先にはバイクの後部から降りた瑠衣がいる。ピンクスーツの人選の結果を特警に送ったのは一週間前だった。瑠衣は輝と共に島と挨拶を交わしている。三人ともいきなり気が合ったようだ。

「大丈夫ですよ。あのスーツを最大限に生かせるのはあの子しかいません」
この一週間、着装した瑠衣と実際に組んでみて、ピンクスーツがどれだけ瑠衣に合っているか改めて思い知った。このまま四人でやっていこうという密かな目論みが崩れた時点で、気持ちの上でどれだけ抵抗があろうが、取るべき道は一つしかなかったのだ。

「マジでそう言ってんだな?」
「はい」
赤星は柴田の目をまっすぐに見返した。この男相手にスーツの科学的性能について並べ立ててもムダなのが、そろそろ赤星にもわかってきていた。理屈じゃなく、相手の目の色を信じるタイプ。その意味では自分に似ているのかもしれなかった。
「これだから素人のお坊ちゃんはよ」
赤星の視線をぎっと受け止めた柴田は、捨て台詞のようにそう言うと手を放した。毎度のことながら苦笑してしまう。こうされてもなんとなく憎めないのが、柴田の人柄なのだろう。

怪人退治の専門家と扱われるかと思えば素人呼ばわりされる。だが、自分達が素人か玄人かということは、事態の解決に何の役にも立たない議論だった。ならば考えない方がいいのだ。ただ、できることを精一杯やる。今はそれが、赤星の、ゆらぎのない"正解"だった。

「で、状況は?」
「アセちゃん2名プラス針を刺されたヤツが5名、建物ん中に入った。うち2名は警官。だがそいつらはやられたフリしてるだけだ」
「フリ?」
「そちらからの連絡で、彼らはIIIAクラス防弾防刃服を着用していたんです。アセロポッドの目を盗んで位置を知らせてきていたんですが、建物に入る寸前に直接コンタクトがとれました。何か起こった時には他の被害者のカバーに入ってくれるはずです」
後をとった島がきびきびと説明してくれた。

「そうだったんですか。助かります。じゃ、まず、怪人のあの針をなんとかしましょう」
赤星は輝と瑠衣に向き直った。
「燃えやすいって例の特徴は針を撃つ瞬間しか現れねえ。俺が着装せずに囮になる。ヤツが針を撃った瞬間を狙って、リーブラスターのフレームモードを使うんだ」
「オトリってっ?」
輝が心配げに赤星を見やった。赤星はふっと笑うと、胸元を軽く叩いた。
「こっちもちゃんと準備してきてるさ」

「おもしれぇ。オレも付き合おう」
「え?」
「ち、ちょっと、柴田さんっ」
驚いた赤星と慌てる島を後目に、柴田がジャンパーのファスナーを少し開けると着込んできた最新式の防弾防刃服を見せた。
「‥‥あー‥‥柴田さん‥‥。柴田さんに暴れられたら、ちょっとだけ当て身ってわけにいかないんで‥‥。くれぐれも気をつけて下さいよね?」
後頭部を掻きながら柴田を見やった赤星の頭が、がごんとこづかれた。
「それ言ったらてめえも同じだろーが。うだうだ言ってないで、行くぞ!」


===***===

間に合わないっと思った瞬間、黄龍は子供を抱きすくめ、アセロポッドの振り上げた手に背中を晒していた。ポッドの力でその鋭い爪が入れば、かなりの深手を負うことになったはずだった。が、その爪は横に流れ、ふわりと膨らんだ黄龍のブルゾンを少し切り裂いただけで済んだ。

子供を背後に庇って向き直る。見慣れた黒い姿が横からアセロポッドを殴りつけ、次の瞬間には子供を挟んで、黄龍の横に陣取っていた。
「待たせたな、瑛ちゃん!」
「いっつも肝心な時に遅いんだよっ 黒羽!」

四人の暴走族と一人の警官が地面に伸びている。通常の人間よりスピードもパワーも遙かに上がった連中を、子供を庇いながら、着装もせずによくもまあと、黒羽は内心で感心していた。服も髪も乱れて、息も少しあがっているものの、黄龍の顔には殴られた様子さえない。十ヶ月かそこらで驚くべき進歩だった。


三年前にふらりと佐原探偵事務所に現れたこの男。最初はそのいい加減な物言いが鼻について、佐原が何を考えてこんな男を雇ったのかと不思議だった。そのうえ黄龍財閥の御曹司とくれば、おぼっちゃんの遊びに付き合う気はねえと、黒羽でなくてもそっぽを向きたくなるところだった。

しかし、一緒に仕事をするうちに、佐原の人選の意味が見えてきた。

探偵事務所というのは、多くの場合、悩みに悩んだ末に恐る恐るやって来る人が多い。中には警察はおろか親戚にも友人にも相談できず、せっぱ詰まって‥‥というケースも多々あった。

黄龍は、すかした態度で話を聞きながら、その実、深く依頼主に感情移入するタイプだった。依頼主への強い同情と加害者への激しい憎しみが黄龍を突き動かす。並の人間なら音をあげるような張り込みを何日も続けたこともあるし、カッコつけの好きなこの男が、浮浪者に化けてまで、決定的な証拠を掴んできたこともあった。

人の行動は、所詮、その想いの深さで決まる。
非道な扱いを受けた弱者をなんとかしたいという‥‥、その想い‥‥。

もちろんいいことばかりではない。同情できない依頼主の場合はおよそ使いものにならないし、感情移入しすぎるあまり、冷静な判断力を失い、暴走してしまうこともあった。

何より一番問題なのは、黄龍が、自分の行動原理を"憎しみだけ"と勘違いしているところだった。なぜ他人に同情できるのか。"優しい"から人の気持ちが理解できるのだということを、黄龍はわかっていなかった。そこから来る自嘲的な言動と、根っこにある自負とのアンバランスが、よけいに黄龍の行動をひねくれたものにしていた。

イエロースーツの条件を聞いた時、黒羽はなんの迷いもなく黄龍を推した。赤星の手には少々余る男かもしれなかったが、黄龍の持つ根本的な優しさに赤星がほだされないはずはなかった。そして、絵に描いたようにわかりやすい赤星の"素直さと優しさ"が、黄龍にどんな影響を与えるかは、まあまあの勝率の賭けだったのだ。

案の定、赤星は黄龍が気に入った。出逢った日に、黄龍がかなわぬ相手にケンカを売って怪我をしたことがずいぶんと気になったようで、黄龍の嫌そうな顔にもめげず強引かつ徹底的に鍛えていた。とはいえ、いったん話が道場から離れると、どこか扱いあぐねた風になったりして、まあ、そこが赤星らしいといえばらしかった。

そして黄龍の側も、めずらしく赤星には一目置いた様子が見えた。黒羽との会話の中でさえ赤星の名を呼び捨てにしたことはない。黄龍がこんな態度を示すのは、もしかすると佐原と赤星ぐらいかもしれなかった。

自分の態度の意味に気づいた時、黄龍は過去の呪縛から解かれる転機を迎える。
黒羽にとって今回の事件は、その意味でまさに好機に思えた。


黄龍が無言でニューナンブを取り出した。黒羽が少年を抱き寄せて、少し後ろに押しやった。

弾は三発。ポッドは二人。

黄龍が正面に集まっている二人のポッドと一人の警官を見た。無造作に拳銃を上げた。

ポッドが警官を黄龍に向かって押しやった。警官はまっすぐに走ってくる。ポッドの姿が警官の陰になる。しかし黄龍は銃を下ろさない。

今にも警官が黄龍に掴みかかろうとした時、黄龍はいきなり身体の向きを変えた。撃鉄を起こして十時の向きに発砲する。回り込んでいたポッドが、きれいに額を打ち抜かれ消滅した。

黄龍にその手がふれる寸前に、警官は黒羽の手刀によって崩れていた。黒羽は警官を抱えて、そのまま姿勢を低くする。その後ろからくるポッドの胴体にラス前の弾がめり込んだ。

一瞬だけ動きの止まったポッドの顔は、例によってまったく表情がない。
その事実に少しだけ感謝しながら、黄龍は、最後の弾をその額に向けて放った。

無意識にシリンダーを開き、空っぽになった5つのチェンバーを見た。ふうっとひとつ溜息をつくとそのまま弾倉を戻し、それをポケットに入れた。

「お兄ちゃんっ」
黒羽に肩を抱かれるようにして、少年が丸い目で黄龍を見つめていた。黄龍は髪を掻き上げると、ふわっと笑い、すっと膝をついた。
小さな身体が弾けるように飛び込んでくる。両腕を黄龍の首にまわし思いきり抱きついてきた。長い腕が子供の背中を完全に包む。

「お兄ちゃん、ありがとね! お兄ちゃん!!」
涙と安堵の入り交じった声が、黄龍の耳元で何度も繰り返す。黄龍は目を閉じて、子供の柔らかい頬の感触を感じながら、その声を聞いていた。

ぎゅっときつく抱き締めてしまいたくなったのを我慢して、黄龍はひとこと言った。
「よかったな」

消えてしまったアセロポッドにも、ここに倒れている6人にも、何の恨みも憎しみもなかった。ただ、この子供を守れた事実だけが無性に嬉しかった。

守れて良かった。
本当に守れて良かった。

その気持ちが黄龍の全身を満たしていた。


===***===

朝っぱらの公園で警官の銃をぶっ放し続けた上に、2人の警官を含めて6人が地面にのびている。さしもの黄龍にも、疑り深い目をした警官を押しのけて現れた特警の西条警部が、救いの神に見えてしまった。

「警官の銃の誇りを守ってくれて、ありがとう」
西条は、黄龍の目をまっすぐに見上げてそう言った。そして黒羽と黄龍の顔を見比べて続けた。
「お疲れと言いたいところだが、急いでみんなのところに行ってくれ」


黒羽はなぜか赤星の車で来ていた。なんで"つなぎ"の位置がこんなに低いんだと、独り言のように文句を言いながらシフトアップしていく。緊急車両の赤いライトが屋根で回っていた。

沈黙に耐えきれなくなったように、黄龍がぼそりと言った。
「なあ、黒羽‥‥。なんでアイツは‥‥あんな生き方ができるのかな‥‥」

「単純で幸せバカだからかね」
黒羽はにやりと笑うと言下にそう答えた。
「へ?」
「世の中、時々いるのさ。生まれつき、物事のいい面しか見えない、おめでたいヤツがな」
「生まれつき?」
「心の持ち様だって遺伝子の影響は大きいってことだ。そのうえアイツは、まったく無邪気に周り信じて育ってきて、ガキの時に裏切られたことがなかったからな」

「‥‥‥‥へー‥‥。なんか、ちょっと、カミサマって不公平って感じ?」
「まあな‥‥。だが‥‥旦那は十分に、その報いを受けてると思わんか?」
黄龍はその口調に思わず黒羽を見た。黒ずくめの男は、左手をシフトレバーの上に置いたまま、片手ハンドルでずっと前方を見ている。

「自分だって巻き込まれたようなもんなのに、全部、自分の責任みたいに背負い込んで‥‥。何年も前から、好きなコトも大事な女も‥‥どんどん切り捨ててな‥‥‥‥」
黄龍は昨日の朝のことを思い出した。鷹山の店で、なんだかいう武具に手も触れずに包み返した赤星。あれだけお互い想い合っていながら、最後の一言が言えないままの、あの二人‥‥。

黙ってしまった黄龍をちらりと見やった黒羽が、いつもの口調でとりなすようにつけ加えた。
「まあ、身体もオツムも、筋金入りの鈍感だから心配するこたぁねえんだがな」
黄龍はくすりと笑った。
「黒羽‥‥。あんたホントに、あのヤローをアイシテんだな〜」
「おいおい、あんな可愛げのないもの、愛するヤツがどこにいるんだ?」
黒羽がちょっと目を見開いて言った。
「ただ、ちょっとばっかり珍しいお人だから、見てると面白いのは確かかもな。あとは、オレがついてないと、何をしでかすかわからないっていうのもある」

‥‥‥‥‥‥結局、あんたも心配してんじゃねーか。

重荷を重荷とも思わず馬鹿正直に突き進んでく幸せバカと、そいつの面倒見たくて羽根を休めた渡り鳥ってかい? 適材適所とは言ったもんだぜ。運命ってのはよくできてる。

じゃ、俺様がこいつらと会ったのも、運命のプレゼントってワケ?
ま、そんなに悪くねーって感じ‥‥?

黄龍が額に手をやってうつむいた。肩がくっくっと震え出す。
呆れたような黒羽の一瞥を浴びながら、その笑いが止まらなくなった。


2002/2/7

(1) (2) (3) (4) (5) (6) <7> (8) (9) (戻る)
background by Studio Blue Moon