第3話 蒼い炎
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「な、何だ、貴様はっ!?」
 鼻血の流れ出した顔面を抑えて、アスファルトの地面に倒れた背広の男が叫ぶ。黄龍はただ苦々しい表情で男を殴り倒した自分の拳を見つめ、呻いた。
「野郎・・・・・・こんな連中をグループに入れたままのさばらせやがって・・・・・・!!」
「何だ、テメエはっ!!」
 上辺だけでも礼儀正しい背広の男とは違い、黒服の男達はその言動の粗暴さを隠そうともしなかった。口々に叫び、倒れた男の前に出る。
「何をしている!さっさとやれ!!奴はお、俺を殴ったんだぞ!?」
 手を出したのが相手側ならば言い訳が立つ。雇い主である背広の男の叱咤に、黒服達は一斉に黄龍に飛びかかる。

「ち・・・・・・!!」
 頭に血が上って、後先考えず殴っちまった・・・・・・!!舌打ちすると後退を図る。
 が、遅かった。何とか間を取ったつもりだったが、相手は四人である。あっという間に取り囲まれ、後ろから思い切り殴られた。
「・・・・・・!?」
 何とか耐えて、後ろに回り込んだ男に拳を繰り出す。しかしいとも簡単にかわされてしまう。
 後ろからの一撃がこたえていた。思うように体が動かない。元々、黄龍は運動神経は悪い方ではなかったが、良い方でもなかった。加えてひょろりとした体型で、筋肉の付きが良い訳でも無い。少しは鍛えて体力は付いたものの、人と殴り合うにはまだまだ足りない。こんな事なら格闘技でもやっときゃよかったと後悔するも遅い。もう一撃を腹に喰らい、黄龍は地に倒れ伏した。そうなれば、あとはただもう殴られるだけだ。頭を庇い、体を丸めて耐えるのが精一杯だった。男達は容赦が無いようだった。こちらが反撃できなくなったと知るや、寄ってたかって殴りつける。朦朧とした視界の隅で、老人と共に骨董品店から出て来た少女が悲鳴を上げるのが見えた。その瞬間だった。

 自分を蹴り付けていた男の一人が吹っ飛んだ。
「おいおいおいおい・・・・・・何があったんだよ、これは!?」
「・・・・・・!?」
 痛む体をねじ曲げて何とか見上げると、きらきらした黒い瞳がこちらを向いた。こちらのことを心配しているその表情には、それ以上に何かわくわくとした感情が見て取れた。喧嘩好きの顔だ。
 真っ先に駆け付けた赤星はとん、とんと地面を踏み締めるようにして身構えた。その動きに合わせて呼吸を整える。
「1対4なんて、やっててよく恥ずかしくねえな・・・・・・!!俺が相手してやるよ!!」

 言うなり、鋭い拳がもう一人の顔面に入った。プロボクサー顔負けのストレートだった。たまらず、喰らった男は倒れ込んだ。黄龍の拳とはレベルが違いすぎた。鼻血どころの騒ぎではなく、男の顔面は真っ赤に染まった。どうやら前歯が折れたらしく、顔面を押さえて転げ回る男にはもはや目もくれず、赤星は倒れた黄龍を庇うように前に出た。男達が数歩後退る。
「後二人!掛かってこないなら、こっちから行くぜえっ!!」
 こうなった赤星は、親しい人間ならば一目でもう止められないと判る。無邪気に輝く瞳はまるで子供のようだ。

 男達は赤星の気迫に完全に呑まれていた。それを解っていながら、赤星は滑るように突っ込む。一人を複数で殴り付けて恥じもしない連中を赦してやることは、彼の方針と180度異なるようだった。容赦ない一撃が三人目の鳩尾に食い込む。続けざま四人目に身を翻したその時、白いものが目に飛び込んできて、四人目は赤星が殴るより先にばったりと倒れた。
「・・・・・・相も変わらずですなあ、赤星。また有望さんにどやされるぜ」
「・・・・・・黒羽・・・・・・」

 そこには、白いギターで四人目の男を殴り付けた黒羽が立っていた。気勢を削がれて、赤星はすねたように応じる。
「・・・・・・ああ、一人でやりたかったのに・・・・・・お前っていっつもそうだよな」
「そりゃあ悪う御座いました。しかしまさか、おやっさんに連れられて来たらこんな場面に出くわすとはね」
「お・・・・・・お前等あ!!こんな事をして只で済むと思ってるのか!?」
 二人が向き直ると、顔を鼻血で汚した背広男が喚いていた。赤星は無視して黄龍を助け起こしていたが、黒羽は冷ややかに応じた。

「おやおや・・・・・・そちらさんこそ、こんな事して只で済むと思ってるんでしょうかね?」
「何・・・・・・!?」
 黒羽は芝居がかった仕草で一歩身を退き、赤星が助け起こした黄龍の隣に立った。
「えー、この方をどなたと心得る・・・・・・で良かったかな?赤星」
「俺が知るかよ」
「黒・・・・・・羽・・・・・・!てめ・・・・・・!!」
 口の中を切っているらしくくぐもった声で抗議しようとする黄龍を無視し、黒羽は続けた。
「この方こそは黄龍財閥御曹司、黄龍瑛那であるぞ・・・・・・頭が高い!」
「な、何だと・・・・・・!?」
「うえっ!?マジか!?」
「・・・・・・赤星・・・・・・お前こいつの資料ちゃんと読んだのか?」

 黒羽の言葉を聞いた背広の顔色は蒼白で、もはや蝋人形のようだった。酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせる。黒羽がその口の形を読み取った。
「そんなわけがない、って言いたいんでしょうなあ。だが残念ながら事実だったりするんですよこれが。何だったら調べてみることをお勧めしますよ?確かおたくの企業は黄龍財閥の傘下だった筈だ。その黄龍財閥の長男を私刑に掛けたなんて事がばれればどうなるか・・・・・・」
「は、ハッタリだ!!そんな事がある筈が・・・・・・」
「ここの人達に土地を全部返して、暴力団も連れて即刻出て行け!そしてこれ以降、二度とここに近付くんじゃない!」
「心の広い御曹司は、そうすればこの一件は不問、だそうですよ。さて、どうします?」

「馬鹿を言うな!!ありえん!!そんな事はありえん!!」
 赤星と黒羽の言葉に、背広男は更にヒステリックに喚き立てる。
「貴様等、業務妨害で訴えてやるぞ!!うちには何十というスポンサーが・・・・・・」
 突然、男の喚きがぴたりと止んだ。一枚の書類が彼の首筋に当てられていた。男は勿論、赤星も黒羽も、その瞬間までそこに佐原がいることに気付かなかった。

 背後から男に書類を突き付けた佐原は柔らかく笑うと、ぽんと男の肩を叩いた。
「まあ、落ち着いて・・・・・・あ、これ、彼の身分証のコピーです。差し上げますよ?会社に帰って照らし合わせてみてください。ああ、お代ですか?もう頂きましたから」
 そう言うと、ひらひらと手にした別の紙を振ってみせる。赤星が遠目ながらその書類の冒頭の文字を捉えて驚きの声を上げた。
「土地の譲渡書・・・・・・!」

「ああ、ご挨拶が遅れました。私、こういう者です」
 佐原は男に、黄龍の身分証のコピーと一緒に自分の名刺を握らせる。
「残りの譲渡書はこの名刺の住所宛に送って下さい・・・・・・以上」
 結局、彼等はほうほうの体で引き上げていくことになった。状況を把握できない老人が佐原に尋ねる。
「・・・・・・あんた達、一体何なんじゃ?悪いが説明してくれんかね」
「ああ。どうも。貴方とお会いするのは初めてでしたね」
 佐原は微笑み、先程男に手渡したものと同じ名刺を老人にも差し出して、言った。
「実は私、貴方の息子さんのご依頼で参りました探偵なんですよ」



「黒羽・・・・・・!」
赤星に助け起こされた黄龍が呻いた。弱々しくはあるが、その声には明らかに非難の響きがあった。対する黒羽は大した罪悪感もなく飄々と述べる。
「ああ、わかってるさ瑛ちゃん。名前を出したのが気にくわないんだろう?だがこれが一番いい方法だったんでな。何しろ禍根が残らない」
「馬鹿だな・・・・・・何で最初から名前を出さなかったんだ?黒羽の言うとおり、一番手っ取り早い方法だったのに」
 素直に疑問を口へ上らせた赤星に、黄龍の代わりに黒羽が答える。
「まあ、こいつにとっては大問題らしくてね・・・・・・親の七光りが耐えられないらしい」

「ちょ、ちょっと・・・・・・!」
 そこへ駆け寄ってきたのは骨董品店の少女だった。彼女は黄龍の隣に跪き、さっと青ざめる。
「大丈夫なの!?私、119番してくる!」
 そう言って立ち上がろうとした少女の腕を、突然黄龍の手が掴んだ。
「駄目だ!駄目だ、病院は・・・・・・!」
 必死に呟く。赤星と少女は目を丸くし、黒羽は肩をすくめる。
「やれやれ・・・・・・こいつの実家嫌いも相当のもんだな」
「お前なあ・・・・・・ならどうして奴等に突っかかっていったりしたんだよ?自分でケリもつけられないくせに・・・・・・」
 赤星が言う。その台詞を聞いた黄龍の瞳にぎらりと炎が灯った。自分の背を支えていた赤星を振り払う。
「うるせえっ!!」
「おいおい、赤星・・・・・・怪我人を刺激するような言動は慎めよ」
「何だよ・・・・・・どうしたっていうんだ?」
「気にくわねーんだよ・・・・・・!」
 黄龍は気力だけで立ち上がった。長い前髪の下の瞳が燃え上がる。赤星はそれを唖然として見つめた。
「俺は・・・・・・俺は、ああいう権力を傘に着て威張り散らしてる奴が一番気にくわねえんだよっ!!マジ、むかつく・・・・・・!!」

 そこまで言ったところで、急に黄龍の体がぐらりと傾いだ。どさりと音を立てて地面に倒れ込みそのまま動かなくなる。少女が慌てた。
「ちょっと・・・・・・死なないでよっ!!」
「お嬢さん、縁起でもない事言いなさんな。急に立ち上がったんで気絶しただけだよ」
 そう言った黒羽の横に、老人に説明を終えた佐原が来た。大きく溜息をつく。

「でもこの怪我じゃ、どちらにしろ医者に見せなければならないねえ・・・・・・彼には悪いが、やはり救急車を呼んだ方がいいね」
「ご心配なく。こういう我が儘小僧のために、秘密を厳守してくれるいい医者を知ってますよ」
「何だ・・・・・・」
 その時、ただじっと気絶した黄龍を見つめていた赤星が不意に呟いた。
「散々駄々こねておいて・・・・・・結局自分も『セイギノミカタ』じゃないか・・・・・・」

 思わず吹き出す。そして彼は突然、アスファルトの上にどっかとあぐらをかいた。全員の視線が集中する。赤星は佐原に向かい、膝に両手を付いてばっと頭を下げた。
「すみません、佐原さん・・・・・・!!一度ならず二度までも!!」
「え?」
「行くぞ、黒羽!」
 言うが早いか、黄龍を背負い上げて全力で走り出す。黒羽も申し訳なさそうな表情で深く一礼し、その後を追って駆け出した。
「ちょっとちょっと!まさか・・・・・・そりゃあないですよ!人手不足なのに・・・・・・!」

 先程までとはうってかわって情けない声を上げる佐原を残し、二人は赤く焼け始めた空の下を疾走した。黄龍を背負って走る赤星の隣にギターを手にした黒羽が並んだ。
「で、どうですかな、隊長?俺の紹介した人材は?」
 自信たっぷりに問い掛ける黒羽に、赤星は息を切らせながら振り返る。
「合格だ・・・・・・」
 その瞳は夕日を一杯に映し込んで先程男達を叩きのめした時のそれより尚輝き、黒羽を見返した。
「合格だよ!」
 黒羽はふっと微笑んだ。赤星も黒羽に笑い返した。二人は黄昏の中、一路ベースへの道を走った。



 うっすらと覚えているのは、誰かの背に負われて揺られている感覚だった。
「なあ、黄龍・・・・・・」
 ・・・・・・ああ・・・・・・あんたか。そう思ったが、声に出なかった。独白するように、彼はこちらに向かってゆっくりと話しかけてきた。
「俺達と一緒に、戦ってくれないか?」
 また、その話か・・・・・・だが何故か、今は不快ではなかった。彼は続けた。
「・・・・・・正義の味方とか、世のため人のためとか・・・・・・そんなんじゃないんだ。いや、そうなんだけどそうじゃないとも言うかな・・・・・・本当は、俺だって・・・・・・」

 彼は少しだけこちらを振り返って、笑った。
「俺さ。守りたいものがあるんだ。別に誰の為って訳じゃない、自分の為にさ。お前にはまだ、そういうの、無いかも知れないけど・・・・・・でも、だからこそ・・・・・・見つかるかも知れないぜ、お前にも。『守りたいもの』がさ」
 彼は再び視線を前に戻した。呟くように言う。
「だから、さ。お前もやってみないか?オズ・リーブス・・・・・・」
 聞き取れたのはそこまでだった。襲ってくる睡魔に勝てず、黄龍は目を閉じた。



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