第3話 蒼い炎
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「・・・・・・あ!気が付いた」
 少し高めの、男性の声が耳に入ってきた。ぎょっとして重い瞼を数度瞬く。
 見覚えのない部屋だった。小さな寝室のようだった。もう少し焦点を合わせると、知らない青年がこちらを見下ろしていた。随分若い顔に、着ている白衣がちょっとちぐはぐな印象だった。彼はこちらの腕に手際よく包帯を巻き付けながら「大丈夫?」と愛想良く笑った。時刻は既に夜のようだった。部屋は枕元の明かりだけで、青年の手元は照らしているものの全体としては薄暗い。

 体中に巻かれている包帯に、黄龍は顔をしかめた。何て格好だ、これじゃ女の子一人口説けない。
 出し抜けにドアの開く音がした。廊下の明かりが差し込んできて、黄龍は目を細めた。逆光だったが、入ってきたのは女性だとすぐにわかった。
「洵君、彼、どう?」
「うん。骨は折れてない。切り傷と打ち身の数は山だけど、深刻な怪我はないよ。これなら普通の治療でも大丈夫。数週間で治る筈だ」
 青年は女性に答えて、出してあった器具を片付け始めた。

「塗り薬と包帯、ここに置いておくね。それにしても仕事が仕事だからって、体には気を付けなきゃ駄目だよ?この子だけじゃない、あの二人にもだ。有望さんからもよーく言っておいて。ムチャは程々にってね」
 有望と呼ばれた女性はくすくすと笑った。
「わかったわ、洵君。でも大体が、言って聞く人達じゃないのよね・・・・・・」
「それもそっか・・・・・・じゃ、僕はこれで。まだ仕事があるから・・・・・・。お大事にね、新入りさん」
「無理言ってご免なさいね」
「ううん。構わないよ。それじゃ」
「気を付けてね」

 扉が閉じる。女性はどうやら洗面器の水を取り替えて戻ってきたところのようだった。こちらに向き直り、あら、と声を上げる。
「目、醒めたのね・・・・・・体の方はどう?随分非道い目にあったみたいだけれど」
 黄龍の寝かされているベッドの側にある椅子に腰掛け、彼女は手際よくタオルを絞った。頬の腫れた傷にそれを押し当てる。
「ってえ・・・・・・!」
「あら、ご免なさい。痛かった?」

「あ・・・・・・あんたは・・・・・・?」
「私?」
 女性は微笑む。よく見ると凄まじい美女だった。さらりと零れた長い髪が彼女の頬を縁取った。
「あの二人の知り合いよ。今日は大変だったみたいね・・・・・・あの二人と関わった人達って、どうしてこう厄介事に巻き込まれるのかしら。あれはもう一種の才能ね」
 あの二人。勿論赤星と黒羽のことだろう。黄龍は何とか身を起こす。体中が痛んだが、あの若先生が言っていたとおり深刻な怪我はないようだった。何とか調子を取り戻せそうだ。こんな美人を前に黙っている手はない。

「・・・・・・名前は教えてくんねーの?」
「仕事、引き受けてくれたらね」
「ちぇ・・・・・・じゃ、あの二人とはどーいう知り合いなわけ?」
 言いながら、タオルを持った彼女の手を取る。女性は上目遣いに微笑んだ。
「あら・・・・・・これってもしかしてナンパ?」
「その通り・・・・・・!」
 彼女の手を両手で包み込むと、黄龍は悪戯っぽく笑った。

「あんたみたいな美人にはここ数年お目に掛かったこと無いよ、有望さん」
「あら、私は名乗ってないけど」
「あの医者があんたの名前呼んでたもんでね」
「耳聡いこと・・・・・・!」
 有望はくすくす笑った。
「赤星、貴方のこと凄く買ってるの。一度は断ったそうだけど・・・・・・どう?考え直す気はない?」
「そーだなー・・・・・・今度デートしてくれるって言うなら考えてもいいぜ?」
 肩に手を回す。抵抗がないのを確認して、黄龍は彼女にゆっくりと顔を近付けていった。

 と。何かが喉に触れた。ぎょっとして眼を見開く。
 スタンガンだった。
「残念・・・・・・私には先約が居るの」
 小型のスタンガンを黄龍の喉に押し付けた有望はにっこりと微笑んだ。穏やかに肩の手をどける。護身具の名を冠した凶器を片手で弄びながら有望は言った。
「これ、赤星が私にくれたの。この仕事は色々と危険が多いから、ってね」
 スタンガンをポケットに放り込む。
「百の言葉より一の行動。私、そんな人が好きなの」

「・・・・・・あー、じゃ、先約って・・・・・・」
 ・・・・・・マジ?
 目の前を赤星の顔がよぎる。黄龍は頭がくらくらした。
「さあ、どうかしら?最も、向こうはどう思ってるかわからないけれど・・・・・・」
 有望はひとつ苦笑した。「ナンパできるくらい元気なら看病も要らないわよね?」と無情な一言を置いて立ち上がる。
「今日はここに泊まって行きなさい。貴方の家、ここから随分遠いようだし・・・・・・。只の喫茶店だから探検は自由よ?」

 黄龍は彼女の顔をじっと見つめた。
「なあに?」
「・・・・・・あんたみたいなイイ女を射止めるくらいだ・・・・・・あの兄ちゃんってば随分と信頼に足るヤツなんだろーね?」
 有望は穏やかに目を細めた。
「自分で確かめてみたら?」
「おお、何と冷たいお言葉」
「それが冷たくもなっちゃうのよね。私、貴方にすっごく嫉妬してるの」
「・・・・・・何だって?」

 意外な台詞に、黄龍は眉をひそめて聞き返した。有望は小さく肩をすくめる。
「あの人、随分前からこの仕事してたんだけど・・・・・・私にはその事をぎりぎりまで教えてくれなかったのよ。ある日とうとう我慢できなくなって尋ねたら、開口一番『帰れ!』・・・・・・腹も立つわよ。私、貴方に凄く嫉妬してるの。あんなに買われて、望まれて・・・・・・代われるものなら代わりたいくらいよ・・・・・・黄龍君」
 有望は黄龍に向き直る。彼女の顔からそれまでの微笑みが消えた。

「お願い。あの人のこと助けてあげて頂戴。あの人、必死なの。守るべきものを抱えて必死なのよ。私じゃ、助けたくても助けてあげられないから・・・・・・だから」
 そこでふと、彼女は肩の力を抜いた。胸の前で握りしめていた両手を静かに下ろして小さく溜息をつく。
「ご免なさい。勝手な言い草ね・・・・・・私は帰るわ。赤星は店の方にいるから・・・・・・」

「いーぜ」
 有望の息が一瞬止まる。
 彼女の言葉を遮るように発された一言。驚いて顔を上げると、挑戦的な瞳が有望を見据えていた。
「いーぜ。やってやるよ。面白そーじゃん?」
 その瞳と同じくらい剣呑に、黄龍は笑った。
「あんた達にもキョーミ有るし。やりたいこともなかったしね・・・・・・丁度いーや。暇つぶしくらいにはなりそーじゃん?愛しの人にそー言っといてよ。手伝ってやるってさ」

「・・・・・・ありがと」
 髪を掻き上げて、有望は微笑んだ。それは今まで黄龍に見せる事のなかった柔らかい笑みだった。
「私は有望よ。星加有望・・・・・・宜しく、黄龍瑛那君」
「やーっと名乗ってくれたな・・・・・・こっちこそ、ってね」
 差し出された手を握る。二人は握手を交わした。
「じゃ、私は行くわ・・・・・・多分明日には説明を受けられると思う。内容を聞いてひっくり返らないでよ?そういうリアクションはもう飽きたわ」
「そりゃまた、凄そーなお話みたいね・・・・・・楽しみにしておくよ」
「そうして頂戴。お休み、黄龍君」

 ぱたんと音を立て、扉が閉じた。黄龍は仰向けにベッドに倒れ込んだ。
「守りたいもの、か・・・・・・確かに、俺様にはねーな、そーいうの」
 だが、言葉とは裏腹に、零れてくるのは笑みだった。掲げた両の掌を見つめて黄龍は独りごちた。
「もし、俺様にもそーいうのが出来たら・・・・・・強くなれるかな?」

 あの二人のように。

 黄龍はふと窓を見た。心地よい風が流れ込んでくる。隣の部屋の明かりが見えた。
「でも、ってーことは・・・・・・俺様、明日からあの二人の部下?マジ?」
 思わず苦笑する。どんな波瀾万丈の生活が待っているのか想像も付かない。
「でも・・・・・・ま、いっか・・・・・・」
 黄龍は頭から布団を被って笑った。そしてそのまま眠りに付いた。



 二日後。
「・・・・・・ああ〜!!答えがまた違う・・・・・・もう一度だっ!」
「全く・・・・・・お前さんは本当に科学者かい?」
「うっせえ!純粋な計算は苦手なんだよっ!」
「威張ることかね。ほら、もう一度計算するんだろ?」
 帳簿を目の前に唸る赤星が、我関せずとギターを弾いている黒羽をうっとうしげに睨み付ける。
「そのギターやめろよっ!気が散るっ!」
「フッ・・・・・・何を仰いますやら」

 言うなり立ち上がり、椅子に片足をかけてギターを掻き鳴らす。開店前の喫茶店は即席のコンサート会場と化した。その出で立ちと相まって素晴らしく絵になっていたが、生憎いるのは白い視線の観客一人だけである。早々にフィニッシュし、黒羽は椅子に座り直した。
「この俺のギターテクにケチを付けるのは百万年早いぜ、赤星。もう一曲どうだ?」
「いらんっ!!」

 その時店の奥から黄龍が出て来た。二人の視線がそちらに向く。
「よ、黄龍。怪我はどーだ?」
「ん?へーきへーき。別に大した怪我じゃねーし」
 絆創膏とガーゼがべたべた貼られた顔で笑う。パーカの下の包帯はまだまだ取れないようだったが、動くには支障無さそうだった。
「今日アパート引き払ってくるわ。表のチャリ貸してよ。俺に貸してくれる部屋どの部屋?」
「ああ、それは・・・・・・」

 赤星がそこまで言ったところで、ぱたぱたと元気のいい足音がした。黄龍を追って制服姿の瑠衣が顔を出す。
「瑛那さん!ケータイ、忘れてたよ!いいな〜、クロムハーツ!これ本物?」
 じゃらじゃらと、アダルト組には訳の分からないストラップの付いた携帯電話を持って瑠衣が尋ねる。
「あ、忘れてた?サンキュ、瑠衣ちゃん!お礼に今度どっか連れてってあげるよ。今週暇?」
「え?残念!今週は友達と約束があるの」
 言いながら、手渡すために携帯電話を左手から右手に持ち替える。その拍子に携帯のボタンを押してしまい、ピッと音がして液晶画面に明かりが灯った。

「あ、いけない!・・・・・・何これ?アドレス?キョーコちゃん?明美ちゃん玲ちゃん詩織ちゃん・・・・・・」
 悪気が無い分余計にたちが悪い。思わず読み上げてしまった瑠衣の手から、黄龍は慌てて携帯を引ったくる。背後からの冷たい視線が痛かった。瑠衣が瞳をぱちくりさせる。
「?何?どうしたの?」
「やれやれ、瑛ちゃんは相変わらずだねえ」
「・・・・・・たった今、お前の部屋は瑠衣ちゃんの部屋から一番遠い部屋に決まったよ」

「殺生だな〜、赤星さん。別に俺様そんなつもりじゃないぜ?」
「とにかく、私もう行くね!行って来まーす!」
「ああ、行ってらっしゃい」
 元気良く飛び出していった瑠衣を三人揃って見送る。赤星がじろりと黄龍を睨んだ。
「黄龍・・・・・・言っとくがな、俺には瑠衣ちゃんに対する責任があるんだ」
「は〜いはいはい、わかってますって!そんな怖い顔しないでよ」
「そう言えば昨日も、瑛ちゃんの携帯ひっきりなしに鳴ってたぜ。色男は辛いねえ?」
 すかさず黒羽が茶々を入れる。

「あ、やっぱ?実はさ〜、昨日だけでも二十一件・・・・・・」
「あのなあ・・・・・・!」
 ばん!とテーブルを叩く赤星。テーブルの上の帳簿とペンが三センチほども宙に浮いた。黄龍は慌てて顔の前で両手を合わせる。
「まあまあ!明日からはケータイもうるさくなくなるからさ、今日は勘弁してよ!俺様これから忙しいの」
「何を言い出すかと思えば・・・・・・荷物取りに行ってくるだけだろ?」

 黄龍は手にした携帯電話をひょいと掲げた。
「これからこの子達の所回ってくるの」
「ど阿呆!」
「別れてくるんだ。全員と」
「何・・・・・・?」
 言葉を失った赤星に飄々と告げる。
「やばいっしょ?この仕事、相っ当さ。話聞いた限りじゃもしかしたらって事もあるじゃん?瑠衣ちゃんみたいな前例もあるしさ」
「・・・・・・」
「だから俺様、少なくともこの一年間はフリーって訳!ってことで行ってくるわ。じゃーな♪」

 からんからん、と鐘が鳴る。しばらくの間、店内は沈黙した。
「・・・・・・なあ、黒羽」
「どうした、赤星」
「俺ってもしかして、凄く怖いことしてるのかも・・・・・・」
「・・・・・・?」
 赤星は黄龍の出ていった扉を見つめた。
「赤の他人から、今までの生活全部奪っちまうんだ。・・・・・・それって凄く、怖くねえ?」
「・・・・・・」
 黒羽はギターの弦を一本、指で弾いた。
「我等がリーダーは、そんな事も考えず仲間捜しをしてたんですかい?まあ、気持ちはわからないでもないですがね。だからって、やめるわけにもいかんでしょう」
「お前や、あいつや瑠衣ちゃんや・・・・・・有望に何かあったら。俺は、その責任をとれるのか?」

 黒羽は立ち上がった。
「・・・・・・何か勘違いしてるみたいだな、赤星。誰もお前に責任とらせようなんて思ってねえよ」
「黒羽・・・・・・」
「俺達は俺達自身の意志でここにいるんだ。自分のことは、自分で責任取る覚悟があるんだよ。瑛ちゃんだってそれがわかってるから、自分から今までの生活を捨てようと思ったんだろ。全部打ち明けたときの有望さんの嬉しそうな顔、お前にはわからなかったのか?」
「・・・・・・」

「もっと、俺達を信じろ。自分を信じるのと同じくらいにな」
「・・・・・・・・・・・・」
 赤星はばりばりと頭を掻いた。大きく伸びをする。そしてゆっくりと笑んだ。
「・・・・・・そっか。そうだな。ちょっとだけ楽になった」
「『ちょっとだけ』ねえ。まあ、今日の所はそれで良しとしましょう」
 黒羽も笑うと、店の奥へ入って基地へ戻っていった。おそらく格納庫へ行ったのだろう。彼は毎日、愛機の手入れを欠かさない。
 一人になって、静かになった店の中、赤星は帳簿に向き直った。
 今度の計算はぴったり合った。


    (The End)

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