第24話 我が心の翼に
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ブラックインパルスは23年ぶりに地球の大地を踏みしめ、崖の上から地球の風景を見下ろしていた。少し強めの風が下から巻き上げるように吹いている。

斜め後ろに控えていたアラクネーが驚いたことに、上司は面当てを取るとおもむろに兜を外した。頭を軽く振り立てて、少し長めの黒髪がしばらく風に舞うにまかせると、小手付きの黒い手袋のまま、それを掻き上げた。その仕草が誰かに似ていると思ったが、すぐには思い出せなかった。

「風か‥‥。いいものだな」
「はい。あたくしも気に入っております」
上司が自分の方に向き直ろうとしたのでアラクネーは思わずうつむいた。下位の者が上位の者の素顔を見てはならないという規則はなかったが、それでも面と向かうのは憚られた。
「かまわぬ。顔を上げるがよい」
苦笑混じりの声に少女は面を上げた。男の顔は記憶の中にあるそれとほとんど変わっていなかった。
「ご苦労だったな。お前はお前の任務に戻るがよい」
「‥‥はい‥‥司令官‥‥」
アラクネーは視線を落としたが、すぐには翔ばなかった。
「何か?」
「‥‥いえ‥‥ただ‥‥」
少女は顔を上げると、男の姿を焼きつけんばかりに目を見開いた。
「司令官‥‥。どうかお気をつけ下さいませ」

黒い鎧に包まれた騎士は再び苦笑した。
「前線を離れて久しいとはいえ、お前に心配されるほどなまってはいないつもりだが? それとも何か新しい夢でも?」
「‥‥‥‥いえ‥‥そういうわけでは‥‥」
‥‥‥‥司令官。そんなものを視ていたら、わたしはこの場を離れなどいたしません。

「前線基地建設計画の進行状況を確認し、作戦を決定したら、残りの2人も呼び寄せる。これで一気に決着をつけて、我らは我らの国へ帰る。それで全て終わりだ」
「はっ‥‥。差し出がましいことを申しました。お許し下さい‥‥」
「よい。私の身を案じてくれていることは、わかっている。だが、お前も油断するでないぞ」
「はい。身に余るお言葉です。‥‥では‥‥‥‥」

少女はもう一度、男の顔を見つめた。それはいささか無遠慮なほどの長い刻だったかもしれない。だが、男の方も別に気分を害した風でもなく、その視線を受け止めていた。

アラクネーが何かを振り払うようにすっと片膝をついた。痩身をしなやかに沈めて、深く一礼する。

顔を上げ、ほんの一瞬だけ黒い鎧の騎士と目を合わせると、少女はたっと宙に消えた。


===***===

愛機はコントロールを失ったまま、どんどん降下していく。だが、オズブルーンはVTOL(垂直離着陸機)だ。エンジンノズルを下向きにすることで滑走距離ゼロで離着陸できる。だから、ぎりぎりまで望みはあった。ある程度の高度でコントロールが取り戻せて‥‥少しの平地があれば‥‥。

と、いきなり視界の中に大型の輸送機のような機影が入ってくると、がくんという激しい衝撃があった。機外モニターで見ると、何本かのアームがオズブルーンをしっかりと確保している。
「‥‥このクソッタレ! レディに向かってなんてマネしやがるんだ!」
愛機に無体なことをされて、黒羽が珍しく汚い言葉を吐いた。こんなことをするのは十中八九やつらしかいない。

この高度ならぎりぎりパラシュートで脱出できるだろう。だがこのまま捕まればオズブルーンやリーブレスが制御不能になった理由がわかるかもしれない。こんな空間をあちこちに作られるなぞ、たまったものじゃない。黒羽はリーブレスを外すと内ポケットに入れると、どっからでもこいという風情で操縦席にふんぞり返った。


輸送機はオズブルーンごと山肌の洞窟に入っていった。乗組員は驚くべき操縦技術とアームの操作技術を持っているようだった。オズブルーンを両手で捧げ持つかのように侵入して着陸すると、意外に思いやりのあるやり方で、柔らかくオズブルーンを下に降ろした。

黒羽は内側からロックを開放し扉を開けた。バールやバーナーの様なものを持ったアセロポッドが一瞬固まる。こっちから行動を起こしてよかったと思った。オズブルーンを外からムリヤリこじ開けられるなど、我慢できるはずもない。

上着のポケットに突っ込んでいた手を出すと、オズブルーンの胴体を軽く叩いてからとんと地面に飛び降りた。帽子の鍔をかるく上げ、顔の両脇に掌を開いてみせる。そうして黒羽は、自分を取り囲んだアセロポッドに、悠然と笑いかけた。


===***===

一人になって、再び崖下の木々や川を眺めながら、ブラックインパルスはアラクネーと初めてあった時のことを思い出していた。あれはたしか15年ほど前だったか。

スパイダル帝国中央の研究所で、強力な兵器として有力視されていたあるエネルギーの射出実験が行われた。この実験さえ成功すれば、その実用化にもメドが立つという重要な実験だった。帝国参謀を迎えた科学者たちは自信満々で、コンパクトなボディから驚くような破壊力が放出された。実験の成功にブラックインパルスの口から思わず賞賛の言葉が漏れ、周囲の人間が有頂天になった時、一人の少女が大人達をかき分けて走り出してきた。

「失敗する‥‥。壊れるわ。みんな、燃える!」
黒い瞳が、光の加減か紫色の光を放ち、少女は恐れげもなくブラックインパルスを見上げた。

「アラクネーっ」
「なんということを!!」
白衣の男女が二人飛び出してきて、少女を押さえ付けると帝国参謀の前にひれ伏した。
「お許し下さい! 参謀!」
「たわいもない夢の話なのでございます!」

少女はこの研究所に勤務する科学者夫婦の娘だった。呼び出して聞いてみると、娘は時々妙な夢を見て、それが現実に起こったことがあるのだと言う。しかし外れたことも多いので気になさることはありませんと、くどくど言い立てる両親の脇で、押し黙って自分を見つめてくる少女の眼差しがひどく気になった。少女と二人きりになり夢の話を詳しく聞くと、スパイダル帝国参謀は、杞憂だろうと思いつつも、研究データのバックアップと3棟もの実験棟の閉鎖を命じたのである。

災害はその夜起きた。科学者たちの誰も気付かなかったことだが、特殊エネルギーの残骸はある密度である条件に置かれた時に大爆発を起こす性質を持っていた。もし少女が不思議な予言をしなければ、そして男がそれを信じなければ、帝国のエネルギー研究に大きな損害が出ていたはずだった。

ブラックインパルスはひそかにアラクネーの身辺調査をさせた。そして、外れたというその夢もまた、少女の知るよしもない過去の事実だったことがわかった。夢は気まぐれに彼女を訪れるし、具体的にいつ起こるかまで限定できないことも多く、戦略として使うにはいささか心許なかった。しかし‥‥。けっきょく彼はその3年後、少女を軍に引き抜いたのだった。

なぜこんなにもこの少女のことが気になるのか。

黒い髪、黒い目。幼く物静かなのに、どこか誇り高さを感じさせるその佇まい。そして距離を保っているようでいながら、一心に慕ってくるその眼差し‥‥。

男がその理由に気がついたのは、少女が軍の暮らしに慣れ始めた頃だった。

少女の存在は、男の、記憶の奥底に追いやられていた7年間の空白を揺り動かしたのだった。


===***===

黒羽は二人のアセロポッドに挟まれて、スプリガンの前に連れ出された。

「ほう‥‥。なかなかの面構えだ」
だらしなく足を投げ出して、椅子に座ったまま捕虜を見上げたスプリガンは、そう言うとおもむろに立ち上がった。側まで歩み寄ってくると黒羽より頭一つ高いのがわかる。テンガロンハットを奪いとり、人差し指でそれをくるくると回しながら、少し首を傾げて黒羽の目を見つめた。
「どこのなんていうヤツか、答えてもらおうか?」
「礼儀知らずだな。人の名前を聞く時は自分から名乗ったらどうだ?」

スプリガンはからからと笑った。
「これぁ、また! 地球人ってのは戦闘タイプ以外のヤツも威勢がいいんだな」
「戦闘タイプ?」
「オズリーブスさね。OZにいる戦闘形態の連中さ。知らねぇとは言わさんぜ。
 あの戦闘機がOZのもんだってのは、わかってるんだ」
「ああ。うわさぐらいなら聞いてるさ。だが、残念ながらオレはメカの修理を頼まれて、ちょいとチェック飛行をしてただけでね。サインが欲しいなら、やつらに直接頼むんだな」
「ほう。ということは、これからOZの基地に帰るとこだったんだな?」
「終わればこっちのドックに連中が取りにくるのさ。やつらの基地の場所なんて一般人が知るわけがないだろう?」

カメラのレンズを思わせるような二つの目が、興味深げに黒羽の顔を覗き込んだ。
「さて。全てが真実か。それともとっさのウソが上手いのか‥‥」
「疑うのは勝手だが、オレとしてはアイツのことが心配でね。修理させてくれんか。せっかく完璧にしたのに、すぐに壊されちまったんじゃ、たまらんぜ」
こうなったらただのメカニック兼テストパイロットで押し通すのが一番よさそうだった。幸いその役柄は大歓迎だ。

「自分の命より機体の心配とは見上げた根性だ。オレの下にくる気はねえか? 好きなだけメカの面倒、見させてやるぞ?」
「いきなり人の愛機をぶっ壊すようなヤツの部下なんてごめんだぜ」
「壊れちゃいねえさ。ちょっと色んな機能におネンネしてもらっただけでな。システムの影響下から出れば完璧にもとに戻る。帰る時にはそれがわかるだろうさ」
黒羽は眉をひそめた。帰る時‥‥‥だと? 何を企んでる。それに、システムだって?

機甲将軍は黒い帽子を、もったいをつけた動作で黒羽の頭にそっと被せた。
「さて、いきなり驚かせて悪かったな。プレゼント付きですぐ帰してやるぜ」
「プレゼント?」
「お前の機体に高性能の発信機を付けてやるのさ。最後に収まった所がOZの基地ってわけだ」
「そんなもん持って、オレが大人しく帰ると思うのか?」

スプリガンが喉の奥で笑った。睨みつけてくる男の眼前に人差し指を立ててみせる。
「お前はやるさ」
ロボットじみた指が黒羽の頭を軽く叩いた。
「ここにちょっとしたチップを埋め込む。なに、処理はすぐ終わるし、痛みも感じねえよ。ただ、坊やがきちんとお家に帰るいい子になるだけでね」
大きながたいが腕組みをすると少し後ろに反り気味になって、黒羽を睨め付けた。
「オレ様の機甲師団は、やり残しってのは気に入らなくてなぁ。1年半前のオトシマエ、きちんとつけさせてもらうぜ」

黒羽の目が大きく見開かれた。

OZ本部が壊滅した時の情景は脳裏にはっきりと残っている。爆発音と逃げまどう人々‥‥。人生の中であんな光景は再び見たくないと思っていたのに、二度目は何倍も大規模だった。理知的で何よりも感じのよかった女性の冷たい首筋。娘を頼むと言い残してこときれた優しい紳士。飛島の後を追って行ってしまう気がして、力まかせに引き止めた赤星の腕とその悲痛な声。合同葬儀に泣きはらした目で参列していた瑠衣。ハーモニカの好きな少年の両親も、あの襲撃の巻き添えで死んだという‥‥。

こいつが‥‥あの時の!

ぎりっと奥歯を噛みしめた時だった。

がちゃりと金属音が響くと、スプリガンが驚いたように腕をほどき、黒羽の背後を見やった。
「司令官! こいつぁ、また、急なお越しで!」
振り返ろうとした黒羽の肩を両脇のアセロポッドが強く抑え込む。あきらめて、されるがままに膝をつき、顔を伏せた。

黒光りする甲冑の男がきびきびとした動作で入ってきた。スパイダル参謀にして三次元侵攻の司令官であるブラックインパルスは、さっきまでスプリガンが座っていた椅子に、ごく自然に腰掛けた。
「さっそくにOZの蚊トンボが一匹、飛び込んできたそうだが‥‥。そいつがパイロットか?」
頭上から降ってくる声が妙に耳に心地よくて、黒羽は思わず顔をあげた。

「司令官、どうかしましたかい?」
一瞬黙りこくったブラックインパルスに、スプリガンが不思議そうに声をかけた。
「いや‥‥。この次元‥‥、見え方も聞こえ方も、やはり微妙に異なるな。まだ、慣れぬ」
「何かの冗談ですかい? 常に先陣であちこち制覇して回った黒騎士様ともあろうお方が‥‥」
スプリガンはブラックインパルスの若い頃の名を口に出すと茶化すように言った。
「フ‥‥。まあ、私も歳はとるのだよ、スプリガン」
声には笑みが含まれているが、ブラックインパルスの面は黒羽にまっすぐに向いたままだった。

「司令官って、あんたがスパイダルの親玉なのか?」
いきなり口を開いた無礼な捕虜に、両脇のアセロポッドがうろたえて、黒羽の頭を地面に押しつけようとする。ブラックインパルスは片手をあげてそれを制した。
「私はスパイダル帝国参謀、ブラックインパルス。皇帝陛下より三次元侵攻の全権を委任されている者だ。貴様は?」

「残念ながらオレは、参謀閣下の前で、名乗るほどのもんじゃなくてね」
にやっと笑ってそっぽを向いた黒羽の態度に、スプリガンが少々慌てて口をはさんだ。
「OZの雇われメカニックらしいですがね。ま、この顔じゃ言いたくないことは言わんでしょう。どっちにしろチップを埋め込んで帰っていただく分には、どこの誰だろうが関係ありませんや」

「なるほど。それでOZの基地の場所もわかるか。幸先がいいことだな。では、スプリガン。早速だが電磁波透過システムの状況を説明をしてもらおうか」
「アイアイサー。じゃあ、ジェネレーターまでご足労いただけますかね。おい、お前ら。そいつも一緒に連れてこい。処理の時間までぶちこんでおこう」

黒羽は心の中で舌打ちした。アセロポッドの二人や三人なら、なんとか逃げ出せると踏んでいたが、この二人が一緒では無理だ。スプリガンの実力が相当なのはわかっている。その上、このブラックインパルス‥‥、とんでもない手練れなのはほぼ間違いがなかった。


二人のアセロポッド、次いで黒羽とその両脇を固めたポッドが二人。そしてその後ろから漆黒の鎧と青灰色の金属の塊が部屋を出て左手方向に進む。通路は剥き出しの岩肌のままだ。必要な部分しか整備していないのだろう。この突き当たりがオズブルーンのいる発着場だった。先頭のポッドが右に曲がり、愛機に後ろ髪を引かれた形の黒羽の肩を、スプリガンがぐいと押しやった。
「すぐ会わせてやるさ。だが、しばらくは、お前はこっちだ」

通路のところどころには発光物があるが、黒羽にとってはいささか暗すぎた。だが他の連中にはまったく問題がないようだ。後から二人の会話が聞こえてくる。
「アラクネーの話では安定性に問題があるとか?」
「今の技術レベルだと、この空間を連続して維持できるのは5、6日なんですよ。それ過ぎると空間のひずみが周囲に影響を与えちまう。あとジェネレーターの耐久性の問題もありましてね。結局、5、6日に1日程度はお休みってわけで、かったるくてしょうがありませんや。今もそろそろ限界ってとこでねぇ。瞬断現象が起きてくるころですぜ」

「正常稼働しているときの効果は?」
「完璧っつっていいでしょう。三次元の連中が制御系で使っている範囲の電磁波を完全に透過‥‥というより、反対側にワープしちまうんですよ。だから電磁波的に言えばこの空間は無いも同然でしてね。反射もしないし減衰もさせないから探知不能ってわけです。その上、この中に飛び込んだら制御機器の類は一切使えなくなる‥‥。その妙を思いっきり体験してくれたヤツが、ここにいますよ。どんな気分だったね?」

からかうような口調で黒羽に尋ねてくる。黒羽は背中で少し肩をすくめた。オズブルーンをなだめるために少々低空を飛びすぎていたのは確かで、まったく、飛んで火に入るなんとやら‥‥だ。
「メカ屋としては興味大ありってとこですかね。オレにも講義してもらえると有り難いね」
黒羽のぬけぬけとした反応にスプリガンがまた笑った。
「チップを埋め込まれたお前が、自分の役目をきちんと果たしたら、イヤになるほど教えてやるさ。スプリガン様のメカニックになるなら、きちんと勉強せんとな。さて、ここだ」

立ち止まったのはいかにも牢屋という風情で、黒羽は辟易とした。乱暴に中に押し込まれると、黒羽の背中で、ガシャンと派手な音を立てて扉が閉まった。
「自殺でもせんように、よく見張っておけ。じゃあ、司令官、この奥ですぜ」
スプリガンの命で、黒羽を連れてきた二人のポッドがそこに残った。黒羽はオーバーな所作で、その場にどっかとあぐらをかいた。

歩み去ろうとしたブラックインパルスが一度だけ後ろを振り返った。
その面がいったい何を見ているのか、おおよそ見当もつかなかった。


2002/4/9

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