第16話 夢見る蝶
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 お前は、この世に信じられるものがあるか?

 はっ。御座います。
 彼女は踵を揃えて言った。
 それは目の前の貴方です。この言葉は飲み込んだ。彼が何のために働いているかはよく知っていた。この答えは彼の望む答えではない。

 ではその信頼が裏切られた時はどうする。

 彼女は言った。それはあり得ないことです。

 悲しいかな、信じられるものほど人を裏切る。

 そうでしょうか?あたくしはそうは思いません。

 お前は両親に裏切られた。それは何とする?

 あたくしは最初から彼等を信じておりませんでした。よって裏切られたとは思っておりません。

 それは何故か。

 信じられる要素が無かったからで御座います。不信を招く要素が存在したからで御座います。

 では信じられる要素も信じられぬ要素も無いとしたら何とする?



 ……この方は何を仰っているのだろう?
 彼女は不思議に思った。この方は何を思い、何を考え、何を望んでおられるのだろう。



 ……本来ならば、信じられないかもしれません。彼女は言った。
 しかし。
 同様に、信じられるかもしれません。それは信じる者、そして信じられる者次第と考えます。






 深夜のビル街は雑多なネオンで縁取られている。その隙間を縫うように五つの人影が現れるのを、彼女は妙に冷めた気分で見つめた。
 今、彼等の前に立っているのは自分であり、自分でない。今、彼等が相手として認識しているのは、人型ですらない、小さな子供が作り上げた粘土細工のような身体を持った『怪人』だろう。しかし実際には、それは『怪人』ではない。怪人の形をしたただの木偶に過ぎない。



「地球の平和は俺達が護る!!龍球戦隊、オズリーブス!!」
 中心に立った赤いスーツが名乗りを上げる。
「好き勝手やりやがって、容赦しねえぞっ!行くぞ、みんな!」
『おうっ!!』
 レッドの声に4人が応える。彼等は放たれたアセロポッドを剣で、銃で、あるいは拳で薙ぎ倒していく。



 3次元侵攻の為にこの能力を使ったのは初めてだった。
 『夢見』。
 これまで出来る限り、実働は諜報に関してさえアセロポッドや、あるいはスプリガンから『買った』偵察用ロボットを使っていた。なぜならこの能力は決してノーリスクではないからだった。対象が意志を持っている場合、こちらの意志がダイレクトにつながりにくく、動きが悪い。反応の悪いアーケードゲームのようなものだ。さらに対象が自分に従わなかった場合、対象の側から自分の意志力を越えて反発を受ければ、能力を破られた上に大きく精神を消耗する。操るのが意志を持たない人形ならば関係ないが、意志を持つ怪人より数段力が劣ってしまう。

 しかしデメリットより、メリットの方が遙かに勝っている能力だった。何しろ己が全く傷つくことなく様々な任務をこなせるのである。彼女が今の地位にのし上がるまではこの能力を多用しなければならなかった。逆に言えば、能力無しで他の手駒を使い、それ以上の成果を上げられるようになって初めて四天王の地位に就けたのだとも言い換えられる。

 今のわたしは昔のわたし。

 敵地に降りた以上、手駒はたったひとつ、自分自身だけだ。そう覚悟を決めて来た。今更何を恐れることもない。



 練り込まれた気を纏う拳がアセロポッドの顔面を叩いた。振り返ることもなく背後に回し蹴りを放つ。後ろから襲いかかろうとしていたアセロポッドの首がほぼ90°に折れ曲がった。燃え上がる真紅の闘気はとどまるところを知らない。

 剣術を極めた者のみが出来る動きで次々とディメンジョン・ストーンを貫いていく。無駄な動作は微塵もない。踏み込み、型、強い意志。何もかもが一流の殺陣を遙かに越えて美しかった。

 すぐ目の前にいるというのに触れることも出来ない。アセロポッドの鋭い爪も強靱な肉体も何の意味も無い。たった一度、引き金が引かれるだけで夢のように消え失せる。

 両の足裏がリズムを取った。跳ねるように地を蹴って、渾身の力を叩き込む。両極端の静と動がアセロポッドを翻弄する。碧い体躯が戦場を駆った。

 自ら敵陣へ躍り込む。小さな身体がふわりと舞うと、次の瞬間弾けるようにスパークした。たった一本のスティックで己の途を創り出していく。



 これがわたしの敵。



 信じるもの。

 信じるもの?ええ、御座います、我が主よ。



 視界が変わる。普通の人間のそれから、十階建てのビルの屋上からのそれへ。
「……!?どうして!怪人は幹部が居ないと巨大化しないはずじゃなかったの!?」
「ピンク!いったん退け!リーブロボ、出すぞ!!」
 飛び交う怒号を真下に聞きながら、身体の筋肉をほぐすようにゆっくりと身体を伸ばす。両手、と呼べるかどうかもわからない形のそれを握りしめ、彼女は敢えて、リーブロボが出てくるまで待った。生身の彼等をこの大きさで倒すことは、舞う蝶を素手で捕まえるに等しい。もっとも向こうも巨大化した怪人を生身で倒すことは不可能である。彼等の間にはいつの間にか、奇妙なギブアンドテイクが生じていた。



 巨身が出現する。
 合体したリーブロボはずらん、と剣を引き抜いた。竜球剣はそれほど大きくない。片手剣で、幅と共に最もスタンダードなレベルになっている。ただし厚みだけは極端に薄かった。徹底した軽量化を図っているのだろう。
 3次元世界の歴史では、西洋剣は分厚く、『斬る』と言うよりは『叩きつける』ことを目的として作られている。日本刀は『斬る』ことを目的としているがそれ故に刃が薄すぎて脆く、通常戦闘ではもっぱら槍が主流で日本刀は死体の首を取る際にしか役に立たなかったと言われている。帯刀自体が一種のステータスであった。
 長い刃を持つ武器の二分化がこれほどまでに極端になったことはひとえに3次元世界の鉱物の劣悪さによるものであるが、この世界の人間という種が積み重ねてきた科学と技術はようやくそれを乗り越えたらしい。彼女の目には、剣が纏う淡いオーラが見て取れた。



 極端に硬化したこちらの腕と2、3度打ち合う。パワーは圧倒的に相手が勝っていた。力押しで勝てる相手ではなかった。
 巨大化したことで、更に動きが悪くなっている。
(ちっ!)
 右腕を斬り飛ばされながら肉薄し、左腕で頭部に掴みかかる。半分倒れ込むようにして覆い被さると、落とされた右腕の残った部分を鋭い槍に変化させた。それを相手の胸部に突き立てようとした時、身体の中心に光が膨れ上がった。敵の武器がいつの間にか腹部を貫いている。剣は爆発するように発光した。更にまっすぐに刃を押し込んでくる。光が身体を貫通したのがわかった。



「龍球剣、リーブクラッシュ!!」
 レッドの声が響いた次の瞬間、振動がリーブロボのコックピットを襲った。全員が対ショック体勢を取る。怪人が至近距離で爆発した場合も想定して訓練していたため混乱もなく、全員が衝撃を凌ぎきった。
 真っ白くて気持ち悪い形の怪人は跡形もない。ピンクが大きく深呼吸をして、言った。
「やったね!」
 その言葉を合図に他のメンバーも緊張を解く。イエローが頬杖を付き、グリーンと顔を見合わせた。
「今日の怪人弱くねー?」
「うん……強くはなかったよね」
「良かったじゃないか、弱くて」
 レッドがあっさりと言った。得てして喧嘩好きの彼だったが、流石にビル街を薙ぎ倒してまで強い相手と喧嘩したいとは思わない。「悪い奴以外には(出来るだけ)迷惑をかけない」が彼のポリシーである。
「強くはなかったが」
 ブラックが静かに己の言葉を押し出した。
「どこか……必死だったな。奴は」





(……『出来損ない』ではこれが限界か)
 ゆっくりと身を起こす。

 そこは紛れもない自分の部屋。少し前に借りた小さなマンションだ。部屋数は少ないが寝室の窓が大きく、景色が良い。夢の中にいるような気分を引きずったままになっているのが嫌で、彼女は窓を開け放った。真冬の夜の風を受けて、彼女は立ち尽くした。
 今回は最も粗悪な零式の怪人を使った。敵の力量をより正確に推し量りたかったからである。
 敵は確実に力を付けてきている。武器や防衛装備に関してもそうだが、何より実働部隊である『オズリーブス』の技術的な成長が目覚ましい。
 明らかに我々に対する耐性が付いてきている。そしてそれは敵の武器が増えるより、装備が改良されるより、遙かに由々しき事態だ。『慣れ』ほど恐ろしいものはない。加えてどうやら別系統らしいが、アセロポッド程度ならば変身形態を取らずに処分出来る部隊が出現した。そちらの方が人数が多く、場合によってはオズリーブスより厄介かも知れなかった。僅かずつだが、我々に不利な要素が増えている。次回暗黒次元に戻った際にはまた何か対策を講じなければなるまい。

 全てはあの御方の為に。



(信じるもの)

 信じるもの。ええ、御座います、我が主よ。それは貴方様ただお一人で御座います。



 貴方様が是と仰ればそれは是。貴方様が非と仰ればそれは非。わたしが命を賭けるのは貴方様ただお一人。貴方様といえどもそれを覆すことは御出来にならない。おわかりになりますか……?




「……暗黒次元に風というものは無かったわね。そう言えば……」
 星が清涼な夜空に散らばっている。アラクネーは窓の縁に腰掛けて、黒紫の瞳で空を見上げた。


===***===***===(了)
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