黒月桜 〜フレグランス〜
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オレは何かと用事を見つけては彼女の研究所に行くようになっていた。
腕のメンテナンスの為だったり、
おやっさんから頼まれて媚薬となりうる香水を調合してもらってきたり、
逆に彼女から頼まれて、白い花を摘んできたりとか。
それがいつしか「今日はこんな事があった」とか・・・「顔を見たくなったから」とかつまらない理由で訪ねる事が多くなってきた。

だんだん理由をつけるのも煩わしくなって、「ガリュに会いたくなったんだ。」
それだけで彼女は笑って戸を開けてくれた。


横でオレの腕のメンテナンスをしているガリュはきれいだった。
ずっと見ていて見飽きるということがない。彼女の瞼が伏せられ、まつげが肌に影を落とす時とか、唇が微妙に動き、艶がきらきら移動するときとか、指先がドライバーを持って勤勉に動いている所とか。キリがなかったが、見つめても見つめても足りないなんて経験は初めてだった。

(女というのはこんなにきれいなものだったのか。)

今まで話した事のある女と呼べる者は仲間の姉妹達や母親だけだった。要するに自分とそんなに年も変わらないか、またはかなり離れた年齢の女しか見たことがなかった。
ガリュは今まで会った女達の中で一番頭が良くて、しかも美しくて、上品だった。
すべらかな肌に艶のある赤い髪の毛。影が落ちるくらい長いまつげ。袖をまくって剥き出しになった細い腕にどきりとして、思わず視線を上に上げた。
まとめられた赤い髪がシェードのように隠していた柔らかそうな頬は、今はその身をさらけ出して甘い香りを伴っていた。
そしてそれは手を伸ばせば触れられる距離にあって・・・・・・。


(触りてえ・・・)


そんな思いが頭を駆けめぐった瞬間にはっと我に返った。
そんなことを考えていた自分が世界で一番下品に感じた。
ガリュに触れてはいけない、誰に言われた訳でもないのにそんな約束事が自分の頭の中にはあった。
彼女に触れた瞬間に、この想いを口に出した瞬間に、この時間が壊れてしまうのが怖かったのだ。
敵を倒したりキズを負ったり、おやっさんから殴られるのは怖くもなんともなかったと言うのに今思うと笑えてしょうがない。
臆病なようだが、あの時はずっとこうして彼女を見つめているだけでかまわなかった。
それ以上望む事はなかった。


「何?」
「いや、なんでもないよ・・・。ガリュ。」   
ガリュはくすくす笑いながら、ドライバーやらなにやらかちかちといじくり回している。
彼女が後れ毛をかき上げるたびに良い香りがするのもわかった。
いつもは花の香りだが、今日は何か違う。

「ガリュ、この香りはなんなんだ。新作なのか?」
「気が付いた!?」
彼女は小さな小瓶を取り出して、にーっと笑った。
側のロボットの目から光が出て、酸味が強い果実が空中をモニタ代わりにして映し出される。
「柑橘類メインの香りなの。いっつも花から香料を取ってたから・・・どうかな?」
「いい香りだよ。」
「えへへ・・・。ありがとう。スプラが最初よ、この香りを試した奴。ユニセックスな感じでいいかなあ、って思ったの。」
自分が作った香りをホメられてにっこり笑う彼女は、屈託がなくてまるで子供のようだった。
普段が知識量の豊富な大人の女性だというのに、こんな時は自分と同じくらいの少女に見えた。

不思議なひとだ。子供のようで大人の女性で、男のようで女であって。
ほんとに不思議なひとだ。


ひとを好きになるというのは、楽しいものだとずっと思っていた。
かけがえのない仲間達、戦闘中に背中を任せる事ができるおやっさん、オレを冷やかし混じりでおしゃべりの相手につき合わせる大人達。
そいつらの事は好きだったが、ガリュに感じる『好き』とはまた別物だった。


こういうのが『恋する』って事なのだと自覚し始めた頃、おやっさんがオレの腕をひっぱって皆の集まるたまり場へ連れて行った。





見たことない機械と銃を手にしている真剣な皆の顔。
どうしたんだ?と言おうとしたオレの口を塞いで、(しゃべるな、読唇術を教えただろ)とおやっさんが口を開く。
(一体どうしたんだ?)
(いいから・・・おい、もってこい。)
誰かが機械を持ってきて、コードの付いた棒のスイッチをかちりと付ける。するとそれがぼんやりと光り、おやっさんはオレの義肢を撫でるように棒を動かした。

(な、なんだよ・・・こういう事はガリュに任せた方が)
(・・・・・・大丈夫だ、おいみんなもうしゃべってもいいぞ)
皆がほっとした顔になったが口を開く者はひとりもいなかった。
真っ先にオレは口を開く。
「どうしたってんだ?ガリュに作ってもらった腕がどうかしたのか?」
「腕にはカメラも盗聴器も何も付いちゃいなかった。自分の仕事はおろそかにしないんだな、あの女。それだけは誉めてやるか。」
「・・・・・・?」

オレは皆の銃に共通点があることに気がついた。どこかで見たことがある。
いつもオレが入り浸っていた所だ。
「ガリュがメンテをしてた銃だ・・・。」
彼女が絶えずメンテナンスをしていた銃ばかりだった。使い込まれてるのがわかるわね、と笑いながら昨日もチェックしていたっけ。
「仕事と主義は分けて考えられる女だったようだな、スプラ。剣を持て。」
「ま、さか・・・・・・。」

自分にとって都合の良い言葉と悪い言葉は同じ速度で、同じボリュームで、しかも突然耳に入ってくる。

「あいつはな、反帝国ゲリラの一員だ。」





ゲリラは大抵捕まる前に自殺する。
彼らの仲間意識と覚悟は自分達よりも遙かに大きい。
それを自殺も爆死もさせないで生きて捕まえるのにも骨が折れるというのに、仲間の名前を言わせるまで、どれだけの苦労があっただろうか想像に値する。
「とにかく、くつわをハズしたら舌噛んで死のうとするからな・・・。ヤク漬けだよ。薬を打って朦朧とさせたところで、自白剤を通常量以上打ってよーやく!吐いた名前があいつだったって訳だ。」
オレはおやっさんの話を右から左に流していた。

『ただのものとして見て戦った方が楽よ。』

その言葉はガリュ自身の経験から出てきた言葉だったのか。
「お前にも、オレにもあいつの所に出入りしてた奴は全員嫌疑がかかったんだ。彼女と通じているゲリラじゃねえかってよ。さっきの機械は嘘発見器もかねてるってとこだな。」

『女ってのは恐ろしい生き物さ。』

この言葉を教えたおやっさんはオレの唇がいつになく震えているのをみて、声のトーンが『戦闘態勢』になった。
「トドメはお前が刺せ。それがせめてもの情けだ。」
「ちっ・・・。」


何が情けだ。
なぜ、どうして・・・こんなことが。
彼女がどうしてゲリラなんか。
どうしてゲリラじゃないとダメだったんだ。
よりによって何故ガリュが?


考えている時間を与えてはくれない。
彼女の研究所に突入するともぬけのからだった。
いつも通り散乱した床に落ちているのは、初めてここに入った時から落ちたままになっている花びら。
そして甘い香り。
「ガリュ本人もそうだが、データとなりうるものも全て没収するんだ。大切に扱いな。」

おやっさんはこう言っているが、きっとすでにデータはどこかに送信されているかコピーされていると、おやっさん自身もみんなもわかっている。
「自殺させるな、殺すな、とにかく探せ!」

それも多分ムリだとわかっている。
こうなった以上、ガリュはどこかに逃げきるか追いつめられたら自殺するかどちらかだ。
どうか逃げていてくれやしないかと、帝国軍に所属する身の上でありながら不謹慎な事ばかりが頭をよぎる。
オレはそのたびに頭を振る。

落ち着けよ、・・・ゲリラだ。彼女はゲリラだ。
そして戦場にいるときのオレはスプラじゃない。
戦場にいる時のオレは、・・・・・・・・・オレは。

心臓が波打ちそうになっていたその時だ。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
ふいに後から香ってきた。
男女兼用の柑橘系香水で、少しだけちゃちな香りで、そしてそれはおとといオレが嗅いだ香りそのもので。


ガリュが調合した柑橘系の香りだ。


「な、なんで・・・・・・!?」
オレは皆と反対方向を向いていた。
足が、香りがそっちにいけと言っていた。
「おいっ!スプラ、単独行動はよせっ!」
「5分で戻る!行かせてくれ!!」
オレは香りをつたって駆けだした。
どうか香りがどこかで途切れていてくれないかと少しだけ期待したが、彼女の優秀な腕で作られた香水の香りはいつまでも持続している。
それよりもオレは湧いた疑問が頭をずっと駆けめぐっていた。

「何考えてるんだ?ゲリラだったら少しは気を使えよ!!」

これじゃまるで・・・・・・。
まるで・・・・・・。

フロアの一番奥のドアを足で蹴り飛ばすと、赤い月を背にしてガリュは立っていた。
銃をかまえて、短剣を持って、装甲を身に付けて、そして香水をして。
「・・・スプラ、私はまだ死ぬ訳にはいかないの。」
「そしたらなぜだ?」

オレは剣をかまえる。両手に剣を握って。
これを、今から、彼女の胸に突き立てるの、か・・・・・・?
いや、その前に聞かなくては。
「なぜ、香水を?優秀なゲリラならわかるだろそれくらい!!香りも命取りとなるくらい、わかるだろ!!なぜわざわざ体に振りかけてここで待っていた?!」
「スプラ、あなたは私になんて言って欲しかった?貴方に気がついてもらいたかった、って言って欲しかった?」
オレは内心ギクリとした。
そんな身勝手な考えがどこかにあったのは否定できない。

この部屋の香りと同じくらい甘い事を考えていた。
ガキだったオレはこの期に及んで、まだ彼女に甘い感情を持ち合わせていたのだ。
大人だった彼女はそんなガキの浅はかな考えはお見通しで、それをふまえてここに立っていたわけだ。

「半分は当たりよ。貴方なら香りに、いいえ・・・私につられてここに来ると思っていたから。もう一度言うわ。」
自分の後ろでピンを抜くような音がした。誰かが何かの装置を解除したというのがわかった。
そしてそれを操作していたのは、音で判断するとあの助手ロボットだ。
振り向きたい衝動を必死に押さえて、オレは歯ぎしりをして今の状況をもう一度整理した。

横に転がる事ができない細長くて狭い部屋。ドアはひとつ。しかもロボットにより塞がれている。窓は彼女が背にしているところだけ。

そうか、これか・・・・・・!

音が出た瞬間に彼女の目の前に飛ぶしかなかった。
彼女は笑う。
「私は、まだ死ぬ訳にはいかないの。信じているもののためにもね。」

どがあっ!!!と後ろで爆発音がして、オレは前につんのめって彼女を庇うように上から覆い被さる形になった。ロボットの破片がオレの背中に当たり(鎧のおかげでどうにかなっているが)、熱と衝撃波が容赦なく足下から襲いかかる。
しかしそれは短時間で終わる話で、オレをロボットの破片よけに使った彼女の腕が首に絡まり、頭にごつりと銃口が小突いた。
香りと共に、冷静でそれでも甘く優しい言葉が自分の耳に届いたのを感じた。



「バイバイ、スプラ。」
彼女は笑顔と共に躊躇なく引き金を引いて見せた。


・・・・・・・・・・・・が、オレだってこんなとこで死んでられるか!!
オレは彼女が引き金を引いたと同時に銃口を左手で塞いだ。
鈍い衝撃と共に左手に穴が開いたが、右腕を打ち抜かれた時と比べればどうってことはない。
弾は貫通して手甲で止まり、血みどろの左手で彼女の体を押さえ付けた。

「ぐっ・・・・・・!!う、あ、あんたはどっちだ・・・・・・?死か恥か、どっちを選ぶ?」
「子供だっていうのに・・・・・・お見事な根性ね。」
「あんたは勘違いをしてる。オレは確かに甘い事考えてたガキだよ。大人でもない、腕なしのガキだよ。だがな・・・。」
オレは彼女の両腕を支配したまま右腕で彼女の銃を手に取った。
先ほど彼女が使ったばかりの銃だ。

ガチリと彼女のこめかみに当てる。
彼女の手からナイフがこぼれる音が聞こえた。
抵抗をやめるという意思表示の音は、この銃が正常に機能するという答えにもなる。


「ガリュ、オレはガキの前に兵士なんだ・・・・・・。」

戦場にいるときのオレは、子供の前に兵士だった。
男の前に兵士だった。
スプラの前に、戦う事だけを考える兵士なのだ。





「動くな・・・。すぐに終わる。」
弾にも銃にも妙な細工をしておらず、自分がこれからその銃で頭を吹っ飛ばされて死ぬと言うこともわかっているのだろう。
殺気を感じた先ほどの表情とは打って変わって、ガリュはいつもの通りの凛とした美しい顔に戻っていた。
「清浄な空気を、平和な世の中で吸いたいって思うのはいけない事かしら?」
「・・・なに?」
「スプラ、私は、いいえ私達の願いはそれだけなのよ。ただ、私の知識が平和利用される世で、きれいな空気を吸って暮らしたいだけ。私が今大切にしたいのは、その想いとそれを遂げようとする仲間達だけなの。」
「ガ、リュ・・・・・・。」



「そんな当たり前の事を望んでいる私達の・・・・・・どこが悪いって言うの?」

彼女の甘い言葉にオレはまた甘さが出ていたらしい。
彼女の装甲の手首から小さなナイフが飛び出てきて、オレの頬をかすめた。
オレの顔が歪んだと同時に、踊るような身のこなしでオレから銃を奪い取って窓際に立ち、オレの血がまみれた銃口を向けた。
赤い視線が殺気を帯びてオレを貫く。

「そんな私達の願いをジャマするあなた達に抵抗する事のどこが悪いのよっ!!!」
「全部だよ。」

聞きおぼえのある声が後ろからした。おやっさんだ。
重なる乾いた銃声音。おやっさんがオレを足蹴にして床にへばりつかせ、その頭ぎりぎりに彼女の弾がかすめていった。
彼女は全身に弾を受けて、床にゆっくり崩れた。

ガリュの名前を叫ぼうと思ったが、変わり果てた彼女の姿を見ると声が出てこなくなった。
おやっさんは口を割らせるつもりだったのだろう、ガリュは全身打ち抜かれていたがまだ息があった。
銃も手も血みどろで、オレを刺し殺そうとしたナイフは床に転がっていた。
耳を打ち抜かれて、顔も弾がかすめて頬の肉がえぐれていたがそれでも彼女は美しかった。

いや、ガリュだからきれいに見えた。

例え敵でも、例えオレを殺そうとしても、まだ自分の中にこんな感情があるくらい、すべてを許せるくらい、好きだったひとだから。






「あなたにも・・・いず、れ分かるときが・・・来るわ。」

だから、彼女にかける言葉はもうひとつも見つからなかった。

「自分、にとって、何が、大切か・・・・・・わかると きが来る。あなた、はいつまでそれ・・・を見失う事なく行、動でき、るのか しら・・・・・・?」

彼女は少しだけオレの腕の中で笑ってくれたような気がした。
オレは傍らにあった彼女の銃を手にして、もう一度彼女のこめかみにそれをおしつけた。
それまで薬でも打ったかのように波打っていたオレの心臓の鼓動が急に静まり、オレは右手で引き金を引いた。



ぱしゅっ・・・・・・



血が飛散して、香りも飛び散り、部屋の中は香水と血の香りでむせかえるような空気になった。
初めてガリュを抱き締めて体温を感じた瞬間に、彼女の温もりは失せた。

彼女は香りだけ残して、オレの前から永遠に消え去った。








幼名から名前を変えたのはそのあとだった。
義腕から散弾銃が飛び出るスプリ『ガン』だなんてシャレにもならんぞと笑われたが。
あれ以来、色んな女を見てきたが恋はしていない。こりたのか、面倒になったのか、戦いに喜びを見いだすようになったからか、魅力のある女がいないからか、すべて正しいのだろう。

ガリュの所属していたゲリラは一向に壊滅する気配はない。ゲリラなんてのはそんなものなのだ。
力でなんとかなるのだったら、とっくに世界と事態は良い方向に向かっているはずだ。


今の自分を取り巻く状況だけは、あの時とだいぶ変わった。
文字通り腕前だけでのし上がってここまでたどり着いたが、焦がれたその人はもういない。
自分にとって夢でしかなかった彼が戦う姿はもう見る事ができない。彼がソニック・ブームを振るう事はもう永遠にないのだ。
そして司令官に引き抜かれた少女も永遠に戻ってはこない。
司令官に見いだされ、そしてあとを追うようにしていなくなった彼女の最期に、妙な羨望を感じた自分が阿呆らしくて、おかしくてしょうがなかったのはいつだったか。


今更あの時のゲリラの言葉が頭をよぎるのはなぜなのだろう。
『自分にとって、何が大切なのか・・・・・・わかるときが来る。』

もう機甲将軍という座から動くことはないかと思っていたのだが。
大切な物と聞いて思い出すのは・・・・・・。


「・・・・・・・・・・・・なんだ・・・。このけだるさは。」
大事にしたい、守りたいものなど最初から存在してなかったはずなのに。

思い出すのはなぜ、自分の前から消えていった者達のことばかりなのだろう・・・


===***===(おしまい)===***===
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