黒月桜 〜フレグランス〜
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『隻腕の騎士』と名付けたのはどこの誰か知らないが、いつからかそう呼ばれている事に気がついた。
左腕で剣を振るい、ヘタに両手のあるヤツよりも良い働きをしていると評判はよかったのだが、オレは理由あってどうも右腕に未だに未練があった。

「おやっさん・・・一体どこ連れてく気なんだよっ?」
「隻腕の騎士ってのもゴロはいいが、いつまでもそんなんじゃ不便だろ?」
「そ、りゃあ・・・。」
オレは歩きながらなくなった右腕を見た。
腕を吹っ飛ばされてやけくそ(これを若い時は「一所懸命」と言うんだよな)で戦ったあの日、オレは生きて帰って来ることが出来て命も取り留めることが出来た。
隻腕で戦うガキがいると噂を立てられるようになった頃、おやっさんはオレのない腕をひっぱって、町はずれに向かっていたのだった。



隻腕の少年騎士の名はスプラ。他の少年達と同じように上にのし上がって、司令官ブラックインパルスの側で働きたいという願いを持ち、他の少年達よりもその願いに一歩だけ近づいている。
先の戦いで利き腕をなくしてからのスプラは、それ以上に強くなっていると評判だった。
腕や足がなくなった兵士というのは、大体は惨めに落ちぶれる前に自分からやめていく。
スプラが幸運にもそんな風にならなかったのは、彼が未だに体力も能力も発展途上の子供であること、そして彼自身戦いの中に身を置くのをためらわない事、そして大きな願いがあるが故にキズで自分を見失わなかったからだ。

自分を何かとかまってくれるおやっさんも背中を撃たれたが、彼は日頃の行いがよほどよかったらしい。急所を外れ、弾を喰らって動けなくなっている彼を安全な場所まで運んでくれた仲間達がいた。
『生きていれば、必ずどこかで会える・・・。』
右腕を失って誓った事が、皮肉にも右腕を失った戦いのさなかに証明されたのだった。


スプラは『両腕』を上げて思い切り伸びをした。『両方の指』を組んで、ぐっと上に伸びる。
「あ。」
「また右手の感覚か?」
「そうみたいだ・・・。」

そう。これが自分の『右腕に未練がある理由』。
すっかりなくなった右腕は不思議な事に「感覚」だけはまだあったりした。オレの右腕は数々のキズを作ったせいで時々痛んだのだが、その感覚が襲ってくる時があった。
先ほどと同じように、左腕で剣を振るう練習をしているときに「左手の上に右手が重なっている」ような感覚を覚える時まであり、さすがに気味悪かったのを覚えている。

いわゆる「幻肢」というものなのだが、そんな知識はその時のオレにはまだなかった。
そしてその幻肢の感覚故に、未だに縁のなくなった右腕を恋しい時があったのだ。

「だからよ、今連れて行ってやるって。その腕を作ってくれた奴のとこにな。」
「は・・・・・・?」
おやっさんは年の割に多い白髪交じりの髪をかき上げ、ニヤリと笑った。
「いい女だぜ。」
「女?」
「そう。ガリュってんだ。若いのに立派な工学博士だぜ。」


工学博士もとい、「工学」と名の付くものにスプラは今まで縁がなかった。
銃を扱う奴らは彼らと面識があり、色々とメンテナンスをしてくれたりとつながりはあるのだろう。
「けど、貴族の直属ならともかくとして・・・なんでオレ達みたいな兵団に、そんな立派な工学博士が?しかも女が?」
「オレ達下級兵士のとこにそんなヤツなんか来るわけねえだろ、と言いたいのかな?スプラは?」
「まあ、そんなとこ。」
「司令官殿のおかげよ。オレらみてえなとこにも、武器やらなにやらを徹底的にメンテしてくれる奴らが必要だろうって。」
「司令官が?!」
「そうだよ、お前さん憧れの司令官殿だよ。毎日いっぱいいっぱい感謝しろ。」
「ああ、する!・・・けど。」

オレはため息をついていた。どうも女というのはこのときのオレにとっては、理解不能の生き物だったのだ。親兄弟もいない自分にとって、家族と呼べるのはこのおやっさんと仲間達だけ。奴らの考えている事なら手に取るようにわかるが、女の考えている事はどうにもよくわからなかった。
笑っていたと思ったら急に泣いたり、怒っていると思ったら急に機嫌が良くなったり、着飾って楽しんだり髪の色を気にしたりと全くもって理解不能だった。
自分が女にそれほど興味もなくそれ以前に理解していないというのは、仲間達はもとよりおやっさんもわかっている。

「スプラはまだガキだから、興味がないんだよ。そのうちイヤでも一日中好きな女の事ばかり考えてる時期が来るぜ。」
「・・・・・・。なあ、おやっさんは?」
「あん?」
タバコを一本、胸から取り出しておやっさんはオレに火を付けさせた。ああ、これは別におやっさんがオレに命令してやらせた訳じゃない。仲間同士の信頼ってとこだ。
オレはタバコをくゆらせるおやっさんに質問した。
今まで質問してた事は生活の事と剣の事、戦いで勝ち残る為の事。
そういえばこんなプライベートな事を聞いたことはなかった。
「おやっさんは、いるの・・・いや、いたの?そんな、一日中考えられるくらい好きだった女?」
「そうだなあ・・・・・・。」
おやっさんは大きく伸びをして、タバコの煙をがばあっと吐いた。

「そりゃあいたさ。いい女で最高だったんだがねえ。女は恐ろしい生き物さ。スプラ、覚えときな。」
「恐ろしい、だあ?」
おやっさんはニヤニヤしてそのガリュって女のとこに着くまで口を開かなかった。
力もない、悲鳴をあげるだけ、守ってやらなきゃいけない、とにかく男達より弱い、というのはオレでもわかっていた。そんな女達が怖いだって?


恋することさえ知らなかったオレがそんなことわかるハズもなく、
わかるのはそのあとすぐだったりする。






着いたそこは小さな造りの建物だったが、天井がえらく高かった。
飾り気がなく、白い壁が妙に眩しかったのを覚えている。
おやっさんが声を出すと声紋に反応してか壁がドアになり、オレ達を通してくれた。
白い壁はコードがうねり、はっきり言って汚かった。とてもじゃないが女の住んでるトコとは言えないくらい。
コードにジャンクフードのカケラに、ところどころ花びらが落ちていた。
そしてこの雑然とした空間の中に漂っていたのはかすかに甘い香り。
香水と菓子の甘い香りはキライだったが、ここの空気は妙に心地よかった。

「ガリュ!連れてきたぜ、お前さんの見たがってた隻腕の坊主をよ!」
身もフタもない言葉にオレの体の力が抜けた頃にそいつは出てきた。
すらりとして背が高く、細身の服を着て目を保護するためかごつい造りのサングラスをしていた。
背中を覆うくらい長いが、重い印象はない赤い髪。妙にでかい目は迫力を伴っていた。
しかし、外見とは裏腹に出てきた声は優しかった。
「へえ・・・・・・。この子が噂の隻腕の騎士様?」
サングラスをとり、出てきた顔は美しかった。
白と桃色を混ぜたような肌の色に蔓のような長い耳、赤い瞳の女だった。
「初めまして、私はガリュ。よろしくね。」

出された左手は白くて細く、握った体温は程良く冷たかった。その感触に驚いて少しだけ手を引っ込めると、ガリュは面白そうにオレの右手をひっぱった。
「うわ、なにすんだこの女。」
「女の手を握るときは優しく堂々としなさいな。あんたの腕を付ける前に教えるのはまずこれが第一ね。」
おやっさんは後ろで笑いをこらえて、ガリュはニッコリ笑ったまま。きょとんとしているオレのない右手を引っ張り、もうすでにできあがっている青灰色の腕をオレに見せた。




(変な奴・・・・・・)
彼女への第一印象は『変な女』だった。彼女の足と手は本当にくるくると良く動く。
色々なモノが散乱した床を無駄なく動き回り、手はよく動いた。
オレに腕を付けている間もそれは変わる事がなく、面倒くさそうな作業を1人でさらさらとこなしてゆく。簡単な受け答えが出来るロボットが一体いたが彼の仕事は彼女の汗をとってやること、飲み物を作ってやる事だけだった。

作業中のガリュは何も話す事がなく、押し黙ったまま。しんと静まりかえった空気が苦手なのは自分もおやっさんも同じだったのだが、おやっさんの方は『飲み屋の姉ちゃんと約束が〜』とかなんとかいってオレを置いてトンズラしやがった。
今なら何時間黙っていても多分平気だろうが、その時のオレはどうにも耐えられなかったんだ。
だから、オレは場をもたせようとどうでもいいことを質問し始めた。
「なあ、ガリュ・・・ガリュって呼んでいいか?なんでオレ達下級兵士のめんどうなんて?」
「貴族は気取ってるヤツばかりだから。」
「だけど、女1人だなんて危険じゃねえかよ。」
「私は銃の腕を司令官に買われて、ここへ配属になったの。」
「あの方としゃべった事があるのか!?」
スプラの声のトーンが急に上がったのをガリュは気がつき、ネジを回しながら笑った。
「そんな訳ないでしょ?もともと研究所で働いてた私の事を、主任が色々言ったんじゃない?それがたまたまあの人の耳に届いて、ひとづたいに私の配属が決まっただけのこと。大体、銃の腕って言っても護身程度だからね。」


自分に果汁を絞ったジュースをがつりと置き、ガリュに茶を持ってきた助手ロボットの頭を彼女はポンポンと叩いた。
「それで、このロボットがいるわけ。ま、ガードマン代わりに配給されたの。」
「ふうん・・・・・・。」
茶を少しすすったガリュはまた元の作業に戻ってだんまりしている。
オレはまたあわてて次の話題を探す。

「なあ、ガリュ?このニオイはなんなんだ?」
「香りっていいなさいな。趣味・・・ってとこ。あたしちゃちな香水を作るのもスキなの。」
ガリュの代わりにロボットが部屋の端を指さした。
簡単な抽出器具がおいてあり、無造作に花びらがどさりとおいてあった。
飾り棚に並べられている試験管の中には色とりどりの香水が栓をして入っており、簡素なラベルが貼られていた。そこだけ妙にきれいに片づけられている。
「ま、唯一の女らしい趣味ってとこね。どうもこの空気はイヤで。」
「あんまりいい香りとはいえねえな。」

スパイダルの空気はあまり清浄とは言えないと思う。
息を吸って吐くという動作をするだけなら大丈夫だろうが、『心地よく』となると話は別だ。
よどんだ空気が肺にまとわりつく。
生まれた時から吸っているはずの空気なのだが、慣れることは永遠にないのだと思う。
ひとというのは、自分に合う物が自然と分かっているのだから。
「昔は青い空だったんだって。想像がつかないわ・・・。いつからこんな赤黒い空になったのかしら・・・。いつからこんな、戦いばかりの世になったのかしらね?」
「さあ・・・・・・。」


答えられるだけの考えをオレは持っていなかった。
オレは司令官殿の側に行って戦いたい、それだけだった。戦いが終わるなんて考えた事もなかった。
生まれてから争いばかりだったし、永遠に戦いは続くものだとばかり思っていたのだ。
それが終わる時の事なんて、オレの周りにいた奴らはオレと同じく考えた事がなかったのではないかと思う。
急にもし、明日にでも戦いがなくなったらオレはどうなるのだろう。




オレが難しい顔をしているとガリュはくすくす笑って「ちょっとしゃべりすぎちゃった。」と笑った。
そして今度は彼女が話題を振っていた。
「私は銃だけど・・・ね、スプラはどうして剣なの?」
「は?」
ガリュはオレの腕をかちかちといじくりながら、唐突に口を動かしてニッコリ笑った。
「私は女としては銃の腕はいいのよ。結構。だからひとりで、このロボット一体だけでやってけるってのがあるんだけど・・・。スプラは銃を使わないの?」

オレはない右腕がずきりと痛んだ感じがした。
腕をなくしたあの時の光景は忘れられそうもない。
キズは癒えたが撃ち飛ばされた鉛の弾の感触と、下卑た笑い声だけは耳にしつこく残っている。
オレはため息をついて、平静を装いつぶやいた。
「おやっさんから聞いてないの?オレはハンドバズーカで腕を無くしたんだ。」

ガリュはバツが悪そうにようやく顔をあげた。
「剣は、そりゃ銃と比べりゃ効率が悪いだろうさ。けど、オレは・・・・・・。」
「憧れの司令官サマ・・・と同じにしたいからかしら?」
「ああ。」
ガリュは「素直ね。」と、くすくす笑ってオレの頭を撫でた。
「それに、銃だったら人を倒したって感覚が少ないだろう?剣だったらそいつと向かい合って戦ったって感じが腕に残る。大体、弾ひとつで片づくなんて、そいつに失礼だと思わないか?オレは剣で戦って・・・・・・そいつの感触と血でそいつがいたって事を証明しながら、倒したい。」

一応、当時のオレなりの考えであり、オレなりの敵に対する敬意だった。
後ろから斬りつける奴はそれ相応の対応はするが、それ以外の奴らは一対一で戦いたかった。その課程を楽しんでいたりもしてた。おやっさんいわく「スプラの実力があればこそだぞ」と言っていたが。

ガリュの顔が青ざめたのがわかった。
そこでようやくオレは気がつく。
そうだ、女っていうのはすぐに気絶するような奴だって、だれかが言っていたっけ。
戦場に慣れてない女に血だの吹っ飛ぶだのって・・・こんな話はちょっときつかったのだろうか?
「ごめん、ガリュ・・・。」
「ううん、スプラに倒される敵は幸せね。あたしだったら、そいつの息づかいなんて感じたくない。」
「なんで・・・・・・?」
「ただのものとして見て、倒した方がよほど気が楽でしょう・・・?何も考えないで、そいつはただのものとして戦った方が楽よ。スプラは相手の事まで真摯に考えて戦ってる。ただ、もてはやされてるルーキーだとばっかり思っていたから訂正するわ。・・・見直しちゃった。」

赤い月に照らされて、憂いを帯びた彼女の表情の意味がこのときはわからなかった。
オレは、彼女が銃を扱えるのを不思議とはおもわなかった。
護身用に習う者は多かったし、彼女自身もそう言っていたし、なにより工学博士。知識に伴った引き金さばきをもっていてもおかしくない。

彼女の手と銃が何百人もの血で洗い流されていただなんて、このときのオレは知らなかった。


ただ、赤い光の中に佇む彼女が美しくて、それをずっと見ていたのを覚えている。
彼女に恋したのがその日だってことも、覚えている。



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