第34話 トリガー・ラブ
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どさりと落下したところで、黒羽を覆っていた気味の悪いフィルムがまるで溶けるように剥がれ落ちた。フィルムに覆われた時にスーツが解除されてしまった時は焦ったが、なんとか無事だったようだ。

床は生暖かく妙な弾力がある。わずかだが寿命直前の蛍光灯のような薄暗い光を放っていた。黒羽は傍に倒れている高校生の身体に手を伸ばして揺すぶった。反応がない。
「おい、しっかりしろ!」
あわてて頸部に触れ、やや弱々しいとはいえ規則正しい脈と息遣いを確認した時は安堵した。

「黒羽さん?」
顔をあげると輝が起き上がり、もう一人の高校生の上に屈み込んでいた。
「坊や、大丈夫か?」
「うん。でも、この子も気を失っちゃってる」
「ああ。オレ達はスーツのエネルギーを奪われるだけで済んだが、この子達は生体エネルギーを取られたみたいだな。ったく、返事もしてないのに袋詰めとは失敬な」
「……もう。金閣、銀閣じゃないでしょ?」
「さて、ベースに連絡はつくのかな」
輝が慌ててオズベースを呼び出そうとしたが、案の定、リーブレスからはピーピーガーガーという雑音が聞こえてくるだけだ。

と、ぱっと周囲が明るくなった。二人は上を見上げたが、一瞬見えた空はすぐに小さくしぼんで消えた。代わりに…。
「わっちっ! なんだよ、コレっ」
悪態をつく固まりが落ちてきてもがく。男に纏わり付いていたフィルムが剥がれ落ちた。
「リ、リーダーっ」
「赤星、お前まで!?」
「黒羽、輝! よかった…。あとの2人は?」
「気絶してるけど、なんとかだいじょぶみたい」
「そうか。しかしどうなってんだ。あの怪人の腹の中とは思えねえ場所だな」

「怪人だって?」
「ああ。お前達を飲み込んだ後、手とか足とか生えてきたんだ。ゴリアントが名前呼んでたし」
「空間が歪んでるのか、それともどこか違う場所に飛ばされたみたいだな。通信も不可能だ」
「まいったな。生かしておいてギリギリまでエネルギーを吸い取るとか、すっげーヤなこと言ってたぞ。着装は?」
「試そうとしてたらお前さんが降ってきたんだろ」
「んじゃ、ちょっくら」

赤星が高校生達からちょっと離れる。右手で左手首を掴み静かにキーワードを口にした。
「着装……うわっ!」
赤いスーツが実体化するかしないかのタイミングで、壁からぺらりと剥がれた白いフィルムが赤星に巻き付いた。
「リーダー!」
ぐるぐる巻にされた赤星がばたりと倒れると、フィルムがまた床に溶け込んで行く。
「赤星!」
「だ、だいじょぶ。ふー。しんど」
半身を起こした赤星は荒い息をした。
「ど、どうなったの?」
「リーブエネルギーをあんまり喰わせるとやばそうだから、途中で解除したら、なんかえらい疲れた」

黒羽が舌打ちした。
「ぎりぎりまで…か。捉えた人間がある程度回復すると、膜が飛んできてエネルギーを奪う訳だ」
輝がこっくりと頷く。
「そしてここやっぱり怪人の中みたいだね。だってあの膜、さっきのと同じだったもん」

「着装はできねえが、長居もしたくないな。輝。あの壁、登れないかな?」
赤星の言葉に輝がたっと立ち上がる。だが壁についた手をすぐにひっこめる。
「なに、これ?」
「どうした?」
赤星と黒羽が駆け寄る。
「見て、この壁。下向きに動いてる……」
「まるでアリジゴクだな…」

「リーダー、どうする?」
赤星が考えながら言う。
「服でロープを作って、上の口が開いた隙にチェリーで打ち出して、それを登る…ってのが、できるかもしんねえけど…」
黒羽が倒れている二人を見やる。
「あの子達まで助け切れるか、難しい賭けだぞ。例の膜が襲ってくるだろうしな」

「オレたち食べても美味しくないって、分かってもらえないかなぁ」
しみじみそう言った輝の頭を黒羽がぽんぽんと叩いた。
「まあ何か悪さを考えるさ。どっちにしろ抜け出すより、倒すことを考えた方が良さそうだ。この調子じゃ他にも被害者が出るぞ」
「そうだな。何より黄龍と瑠衣が居るんだ。絶対チャンスはできる」

赤星がそう言うと、正体の無い球児たちの脇に壁を向いてどっかと座り込んだ。黒羽と輝もそれに倣う。倒れた二人を三方から囲むように。何か起こった時、まずこの二人を守る。何を言わなくても思いは同じだった。

===***===

ストリートバスケットに熱中していた若者達は、ゴール下に突如現れた"袋"に驚いた。ニュースの映像を思い出した一人が逃げろと叫んだが、結局二人が餌食になった。ネペンテスは6本の足を伸ばし、ぞわぞわとターゲットを求めて移動し始めた。

着装した黄龍と瑠衣が現場に駆けつけた時、ネペンテスはフェンスをへし曲げてテニスコートに入るところだった。悲鳴を上げる女性たちに向かってネペンテスの触手が伸びる。
「チャクラムっ」
黄龍の手から光るディスクが放たれ、伸びる触手を断ち切るラインを描いた。だが触手は急に向きを変え、生徒を避難させていた男性コーチと、高校生らしい少女を巻き取った。
「やめなさい!」
瑠衣がその包みに飛びかかったが、間に合わない。逆にその瑠衣を殴りつけるように別の触手が襲いかかった。

「ブレードモード!」
飛び込んできた黄龍が触手を断ち切りにかかる。その時……。
「なにーっ!?」
触手がブレードに巻き付くと、光の刃が消えた!

<エネルギーが! 放出を止めて!>
リーブレスから有望の叫びが聞こえる。スーツのエネルギーを吸収するのと同様に、高準位のリーブ粒子で形作られた刃は、文字どおり「喰われて」しまったのだった。

「食べ方、わかった。少し熱いだけだ」
跳び退った黄龍と瑠衣が、マスクの中で目を見開く。ネペンテスの触手の根元に、6つの目とおぼしき器官と、丸い穴が1つ生じていた。その丸い穴が、もぐもぐと動く。
「だけどおまえはイヤだ。覚えてるぞ」

触手は瑠衣を指していた。唖然とする黄龍と瑠衣を尻目に、また少し成長したスパイダルの怪人は消えてしまった。新しい獲物を求めて…。

===***===

森の小路はCloseの札を下げたまま静かだった。カウンターに座った黄龍は、組んだ手をじっと見つめているまま。一方の瑠衣はきれいなままの調理場を、ただ機械的に拭いていた。

赤星、黒羽、輝の3人を含め、何人もの人間が怪人に飲み込まれているのに打開策が見つからない。スポーツをしている人間が襲われ易いことだけは予想でき、戸外でのスポーツを中止するように勧告が出された。
だが怪人は、なぜ「ピンクがイヤだ」と言ったのか。理由がわかれば糸口になりそうだが、被害者には瑠衣と同じ年齢の女性もいる。従来の怪人と異なりオズリーブスの姿を見ると逃げてしまう上に、追って攻撃してもエネルギーを吸収されてしまう。

いったいどうすれば良いのか。科学者達も必死に分析しているが、オズベースの空気もどんどん重くなってくるようだった。「できるだけ休んでいた方がいいから」と田島に言われて上がってきたが、胸の中のつかえは大きくなるばかりだ。


「なあ、瑠衣ちゃん…」
黄龍がぼそりと言った。
「はい?」
「なんで、赤星さん、助けなかった?」
瑠衣が目を丸くして黄龍を見つめた。黄龍は視線を落としたまま独り言のようにつぶやいている。
「あん時、赤星さんのすぐそばにいただろ?」

瑠衣は黙りこくっていた。反響しているように言葉が何度も鼓膜を叩いていたが、なぜか意味が頭に入ってこない。そして、それに対する応えも……。

「違う。あたし……。助けるとかと……違う……」
やっとそう言った瑠衣に、黄龍がはっとしたように顔を上げた。
「わからない。気づいたら、ああなって……」
瑠衣はシンクの端に手をついて俯いた。伸ばした腕が震えている。

黄龍がチェアから滑り降りると瑠衣の前にそっと移動した。
「……ごめん。瑠衣ちゃん、ごめんな」
瑠衣が下を向いたまま、黙って首を振った。

時計の音だけが店内に流れている。しばらくの沈黙のあと黄龍がゆっくりと口を開いた。
「あの人が……。赤星さんが助かってたら、もっと……きっと今と全然違ってた。そう思ったら、つい……。輝や赤星さんには待ってる人が大勢いるし、俺には……」


「貴方には待ってる人が居ないなんて、言わせないわ、黄龍君」
黄龍と瑠衣は驚いて、Staff Onlyと書かれたドアの前に居る有望の顔を見つめた。
「お姉様!?」

有望はこんな時にはよくあるように眼鏡だった。顔色は白く、不安を押し隠しているのははっきりと分かったが、それでもにっこりと笑ってみせた。
「ちょっとコーヒーが飲みたくなっちゃって」
「あ、淹れます」
「あら自分でやるわよ」
有望はカウンターに入るとブレンドの缶に手を延ばした。煮詰まってくると食べ物も飲み物もどうでもよくなって、「とにかく濃いコーヒーならなんでもいいわ」と言い出すのがこの美人の常なのだった。

黄龍は顔を背けていたが、つと有望に挑戦的な眼差しを向けた。
「有望さん。はっきり言っとくけどね。俺様、赤星さんとは違うわけ。あん人みたいに誰からかれから好かれてるような人とは……」
「私達は? 瑠衣ちゃんは? 自分が居なくなった時に誰が悲しむかって、本人が決めることじゃないし、その人たちが多かろうが少なかろうが、重要性に差はないわ」
「優等生だね、有望さんもさ。……あんただって婚約者が無事な方が良かったに決まってんだろ?」
黄龍が不機嫌そうな声で言った。

「そうかもしれない。でも、誰かのかわりに赤星が助かっても『助かって良かった』なんて絶対言えないわ。あの人がどれだけ辛い思いをするかわかるから。……今の貴方と同じように………」
黄龍は吸い込まれそうな有望の瞳からむりやり視線を引きはがした。
「……俺は、別に……」

有望は祈るような眼差しで、黄龍と瑠衣を見つめた。
「黄龍君。今は貴方がオズリーブスのリーダーだから……。瑠衣ちゃん。たった二人だけど、それでも二人はオズリーブスだから……」

しばしの沈黙のあと、黄龍がふうっと息を吐いた。カウンターに背中を向けると、髪をかき回し、また手櫛で整え直した。
「……わかってる。そんなこた、分かってるよ!」
背中を向けたまま、腕を振り下ろすようにそう言った。


「そうね。ごめんなさい」
有望はふっと笑うと立ったままコーヒーをすすった。さっきから黙って二人のやり取りを見ていた瑠衣がそっと口を開いた。
「……あの、お姉様、一つ聞いてもいいですか?」
「なあに?」
「そんなに落ち着いていられるのは、赤星さんは大丈夫って信じてるからですか?」

有望がカップをカウンターに戻した。
「……ちょっと……違うわ」
「え?」
「さっき黄龍君、赤星が居ればって言ったわよね。でも赤星だってごく普通の人間よ。何かあれば……」
瑠衣は少し面食らった。言われてみれば日頃有望が赤星をどう考えているのか、あまり聞いたことが無かった。
「私、ときどき戦場について行ける瑠衣ちゃんが羨ましくなることがあるわ。私じゃ役に立たないだろうけど、それでもね」
有望はなんとか「いたずらっぽい笑み」といえる表情を作って見せた。

「私に信じられるのは、赤星はどんな時でも赤星らしく動くだろうってことだけ。だから私もぎりぎりまでできることをしなきゃ。赤星もきっとそうして欲しいと思ってると思うから」
震え始めた声を抑えるように口元を手で覆った有望に、瑠衣はどう応えたらいいのかわからなくなって、ただこくこくと頷いて返した。理屈も理由も無く、ただ相手を思っている。その思いだけがここにあると感じた。

「ああ、もう。ちょっと、有望さんも瑠衣ちゃんも!」
黄龍がいきなり大きな声を出した。有望と瑠衣が目を丸くして黄龍を見やる。黄龍は大げさなため息をついて肩をすくめた。
「ひよった俺様が悪かったっての。そう深刻になんないでよ、頼むから」
黄龍の口元にはいつものちょっとにやけた笑みが浮かんでいた。だがその瞳は笑っていなかった。
「じゃあ無責任な黄龍瑛那の本領発揮。宣言! 3人とも大丈夫! これでいいっしょ?」

有望と瑠衣が互いに顔を見合わせた。どちらからともなく笑い出す。
「いいわ。納得よ、黄龍君」
「了解、瑛那さん!」

瑠衣が黄龍に向かって愛らしい敬礼をしたとたん、リーブレスからサルファの声が飛び出した。
「ぽいんとQ7ニ怪人出現!」

===***===

ネペンテスは日当たりの良い公園に現れた。当初より色艶も良くなったせいか、不気味な感じが余計アップしている。公園には普段よりは少なめだが、それでも多くの人が居た。ネペンテスはすぐには人に襲いかからず、ゆらゆら触手を動かして、何か物色しているかのようだった。

ワイシャツ姿の会社員が一人飲み込まれた。隣にいた同僚が悲鳴をあげて尻餅をつく。彼の持っていたドリンクの小瓶がころころと転がった。ネペンテスが地面の男性に向かって手を延ばした。ちょうどそこに、ドリンクの小瓶に躓いて転んだもう一人の人間が倒れ込んできた。

「ナ……っ」
現場に到着した黄龍はマスクの中でその名前を飲み込んだ。会社員と一緒にネペンテスのフィルムに覆われたその人は、黄龍の古くからの知り合いでナエという。"シルバー"というバーのママ。生物学的には"男"ではあるが、ある意味女性以上に女性らしい。

だが驚くかな。怪人のフィルムが2人から離れていく。それは一番最初に、ピンクを避けた時とよく似ていた。
「しっかりして下さい!」
黄龍と瑠衣がナエと会社員を助け起こす。2人ともぐったりとしていた。
「だいじょぶかよっ?」
黄龍がナエの肩をちょっと揺すぶるようにした。ナエは何度か頷いたが、そのうち訝しげな表情を浮かべた。
「……あんたたち……。オズリーブス?」
黄龍がわずかに肩を縮めた。
「あ……はい。大丈夫? 歩け、ますか?」
「ええ……。大丈夫。すごく疲れた感じがするだけだから。それより、あんた……」

「あとは警察が来るんで……。絶対に病院に行って下さい。じゃあ……」
黄龍は遮るようにそう言った。ナエがどれだけカンの良い女性か、イヤというほど知っている。彼は瑠衣に軽く合図を送り、ネペンテスの後を追い走り出した。


建物の陰を回ったところで、相手の姿を見失った。ベースに聞いても既に反応が消えている。諦めて着装を解除した。

瑠衣は黄龍がひどく考え込んでいるのに気づいた。
「瑛那さん、どうしたの?」
「さっき……。おんなじだったろ……」
「うん。怪人、ナエさんのこともキライみたいだね」
黄龍が思わず咳き込みそうになった。
「ナエ……って、瑠衣ちゃん、なんでナエちゃんのこと知ってんの!?」
「昨日、あの人の手帳を拾って届けてあげたんだ。でも瑛那さんもあの人のこと知ってるの?」
「ま、ね。古い付き合いでサ……」

黄龍はそういいながら、ひどく難しい顔になっている。無意識に腕があがって、ちょうど昨日、瑠衣を抱きかかえていた時のような形になった。
「あの時……。何か違うと思って……」

瑠衣が目を丸くして見つめる中、黄龍が軽く自分の頭をたたいた。
「そうか……。もしかして……」
「瑛那さん?」

黄龍が瑠衣を見てニッと笑った。
「試してみる価値、あるかもしんねー」

黄龍はもともと笑顔の"うまい"人だと思っている。
だが今日のそれは何か違っていた。目が離せない気がした。

これが最高の笑顔っていうのかなと、瑠衣は思った。

2005/12/31

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