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管理人きまぐれ日記 2002年7月〜9月   (戻る) (Oz's Leaves TOP)
(全インデックス) (Jul.1:スタートとOpera) (Jul.2:ある脚本と運命) (Jul.3:6本足8本足) (Jul.4:常時接続って凄い) (Jul.5:がちゃぐー) (Jul.6:Operaその後)
(Aug.1:かしこいブラッシング) (Aug.2:最終回先行映画化って?) (Aug.3:日傘)
(Aug.4:にゃんこのお薬) (Aug.5:理科系の小説書き)
(Sep.1:失敗は成功の‥‥) (Sep.2:粉瘤奮闘記) (Sep.3:ストレスの器) (Sep.4:空我礼讃) (Sep.5:遺失物拾得) (次の日記)
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 2002 Jul.1:スタートとOpera 
先月はあきさん、ゆうさんが続いてサイトを立ち上げた。それぞれ、実に"らしい"サイト作りでとても感動している。で、色々見習うべき点は多いのだが、改めて「やっぱりいいかも」と思ったのが、日記だった。
自分は三日坊主なタイプなので日記のコーナーを設けなかった。有る程度まとまったらエッセイで書けばいいかと思ったのだが、そちらもなかなか書けていないのが実情。結局何かを思った時、その時の感覚で書いた方がいいのだろう。
多くの個人サイトさんには日記のコーナーがある。多くの人が"日記"を公開しているという事実は、心理学的に考えると興味深いものがある。有名な人でも、死後、日記が出版されたりする。それを購入するファンの心理はわかるが、遺族が何を思って出版するか。最もプライベートなものを公開することによって、故人が多くの人の心に残ることを願ってのことなのだろうか。

かくいう私もこうやって書こうと思っているわけで(週記だけど)、分析してみれば、まずは自己顕示だろうと思う。読む人は直接に私を知らないというインターネットの特徴が、羞恥と自己顕示という相対する軸の中の微妙なバランスを保ってくれる。そしてもう一つは公開しているから書かなければならないといういい意味での"拘束"。日々、ああそうかと思ったことも、文字にしておかないと、いつの間にか消えてしまう。「げ、あのときなんか面白いこと思いついた気がするのに‥‥」と思い出せなくて悩むことも多い。やはり記録というのは偉大だと思っているので。

ということでどこまで続くかわからないけど(←おいっ)行ってみよう!
今週の出来事は、久しぶりに風邪を引いたこと。私もこの5月で40歳になったが、歳とると、たかが風邪でもけっこうシンドイ。いやだなぁ(笑)
それから、ブラウザをIEからOperaに乗り変えることにした。安全で早く、多機能で、W3Cに忠実とくればもう、文句なしだ。

判官贔屓というわけじゃないし、マイクロソフトの努力やOffice製品群の便利さは理解している。Excelの便利さは言うに及ばず(かつてマルチプランも使っていた私(笑))、WordはDTPとしても、図混じりの長文資料も作れる優れもの。そしてAccessはたかが3万円の商品であれだけのシステムが開発できるわけで、本当に凄いと思う。
だけどセキュリティホールだらけはどうもいただけない。危険がわかっていながら未だにHTMLプレビューやHTMLメールをデフォルトにしているOutlook Expressもどうかと思う。普通の人を取り込むことでシェアを伸ばしておきながら、その人たちを守ることより、派手な演出に巻き込む方を優先している気がしてしまうのだ。
メーラーはずっとBecy!を使っているが、ブラウザは、ネスケは重いしどうしようと迷っていた。ここのところOperaを試用していたが、先日6.03にして全角ブランクの扱いやtdタグのwidthもうまくいくようなので、完全に乗り換え決定。このサイトの過去のデータも徐々にOperaで稼働確認をしていく予定である。

Operaは無料でも使える。使えるが広告用のバナー広告が表示されるのでかったるい。4800円払ってライセンスを購入するとコードが送られてきて、それを入力すると製品バージョンになるのだ。
支払い方法にクレジットカードだけでなく、銀行振り込みやセブンイレブン支払いがあったのも購入の決め手になった。名前や住所を入力して送信すると、セブンイレブンでの払込票が画面に表示される。なんとバーコードまでついて。それを印刷してセブンイレブンで支払えば、これで購入完了。Webにクレジットカードの番号を入れることに抵抗があって、かつ平日銀行に行くのがなかなか難しい人にとっては、とても便利な仕組みだった。
2002/7/6  先頭へ

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 2002 Jul.2:ある脚本と運命 
7/7の龍騎で、とうとう仮面ライダーライヤーこと手塚海之が死んでしまった。不吉な占い―――予言といっていいと思うが―――を外そうと、死ぬはずだった主人公を救って死んでいく。「俺の占いがやっと外れる‥‥」というのが彼の最期の言葉‥‥。

あ、本題からは ずれるけれど、手塚を演じている高野八誠氏にはちょっと驚かされた。普段、ドラマも映画もあまり見ないので、この人はこの番組で初めて知った。若いのに、ただ黙って立っているだけでこんな存在感が出せるなんて凄い。思わずウルトラマンガイアも借りてきて数話見てしまったぐらいだ。ネットで少し検索してみたら、子役から色々やっておられて受賞経験もお有りだそうで、なるほどと頷いてしまった。

さて、龍騎。例によって夫と見ていたのだが、「小林さんって"運命"にすごいトラウマがあるんじゃないの?」という夫の一言に、思いっきり頷いてしまった。手塚は運命の中でもがいてきたけれど、それに勝ったのかと言われると、悩んでしまう。「運命も占いも関係なく、俺は城戸を助けたかったんだ!」って思えて初めて、運命から逃れることができたと言えるんじゃないだろうか。まあ城戸真司はそのラインで行ってくれると期待してるけど。

脚本の小林靖子さんといえばタイムレンジャーだが、あれもテーマは「変えてはいけない未来へ通じる現在の中で明日を変える」みたいな複雑な感じだった。主人公のタツヤは浅見財閥の長男で、引かれたレールでなく自分の手で運命を切り開きたくて必死になっている。だが、それは、そのレールに乗るのが逃げか、乗らないのが逃げか、誰にも答の出せない"もがき"にも見える。ラストでタツヤがどちらの道を選んだのかは描かれていない。
ラストで未来人たる4人は、作られたバラ色の未来を蹴っ飛ばして、現代人であるタツヤを助けにくる。そこは非常に感動的なのだが、そのあと彼ら4人が帰っていった未来が、いったいどう変わってしまったのか。これもまた語られないのである。

こんなことを考え出すと小林さん自身のことを知ってみたくなる。子供の時にでも何かあったんだろうか。自分は運命という言葉にあまりこだわりはないけど、「三つ子の魂百まで」ってのはマジでそうだと思ってるので、つい‥‥。ああ、私がその言葉にこだわってしまうことがすでに「三つ子の魂‥‥」なんだけど。
2002/7/12  先頭へ

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 2002 Jul.3:6本足8本足  

出勤途中に道で面白いものと逢った。

カニだ。

もののたとえではないし、ショッカーの改造人間でもない。正真正銘のカニ。足先から足先まで7cmぐらい。甲良に赤い模様があった。図鑑はまだ見てない。‥‥ああ、別に私はあぜ道を通勤しているわけではない。一応政令指定都市のど真ん中である。

でもそいつは住宅街のアスファルトをさささ‥‥と歩いていたのだった。もちろん横にだ。

どこから来たのかぜひ聞いてみたかった。飼ってたのが逃げ出したんだろうか。だいたいこんな小さなカニを飼う人いるのか? まっ まさか、近くの飲み屋で唐揚げになる寸前に、おがくずから逃げ出したんじゃ‥‥(汗)

足に綿屑がくっついていてジャマそうだったので取ってやろうと思ったのだが、近寄ったら彼はびっくりしてどこぞの家のプランターの下に逃げ込んでしまった。
彼が食料をどうやって調達するのか(だいたい何を食べる子なのか?)少々心配にはなったが、なんとなく楽しい気分にはなった。頼むから車や自転車には気を付けてほしい。

だけど、これで明日あたり、世の中のあちこちでこのカニの目撃情報が相次いだら、それはそれで恐怖である。戦隊ものじゃないから、そんなこたないだろうけど。


で、その日、このカニの話から後輩と虫の話になった。歳を取るにつれて虫が触れなくなってきたという話だ。私も基本的に虫はけっこう平気な子供だったのだが、最近ちょっと弱くなってきた。

小さい頃、カマキリの卵を持って帰ってきてタンスの上に放り投げて忘れていたことがある。ある朝、天井にカマキリの天の川ができていてぶっとんだ。当然母親に「全部外に出しなさい!」と怒られて、イスに乗って一生懸命集めて外に出した。もちろん全部は救えなかったと思うが‥‥。
カマキリは不完全変態なので、子供も親と同じ形をしている。指などを近づけると、いっちょまえにカマを振り上げる様子はいじらしくも可愛い。1個の卵からあれだけ孵っても、大人になるのは1、2匹なんだろう。厳しいものだ。

最近あまり行ってないが、昔は旅行に行くとよく写真を撮った。風景が主なのだが、なぜか猫とか犬とか虫とかの写真も多い。名前がわかった場合は「ふくちゃん」とかコメントしてあったりする。箱根で道を横断していたマイマイカブリにあったときは、図鑑以外で見たのが初めてだったので嬉しくて沢山撮影した。このパターンで、できれば一度ナナフシに逢ってみたいとか思っている。
2002/7/19  先頭へ

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 2002 Jul.4:常時接続って凄い  
初めてネットで配布されているCGIを使うというのをやってみた。まずはカウンター。今まで契約しているホスティングサービスで提供しているカウンタを単純に使っていたのだが、それを「とほほのWWW入門」で配布しているフリーのカウンタに変えて、画像も葉っぱに変更した。
となると、次には自分でスクリプトを書いてみたい。ということで、フリーCGIとして配布しているものを参考に作ってみたのが「ランダムひとこと」だ。ところで配布してたヤツにはちょっとしたミスがあった。あれじゃ一番最後のメッセージはいつまでも表示できないと思うんだけど‥‥。Perlスクリプトの場合、ソースがもろに読めてしまうので、ちょっと複雑な気分だ。

Perlは初めてだったが、CとAWKをかじっているので、なんとなくわかる。でも、一発ではうまくいかなかった。配列の値に"が含まれているところがあって、エスケープシーケンスが抜けてた部分があったからだ。何度か修正してFTPでアップして実行を繰り返した。
で、改めて思ったのだが、ブロードバンド常時接続って凄い。昔だったら、当然自分のマシンにPerlをインストールして、そこでデバッグして、それからFTPアップしただろう。だけど今なら、簡単なものなら、提供されてるCGIサーバーでデバッグしちまえ、という気になる。ずっとつながってるんだから当然と言われればそうだけど、なんか凄いと思った。

実は目標はBBS過去ログの検索機能の提供だ。一般に配布している検索CGIは同一のサーバーでないと検索できない。で、ウチの現在の契約ではCGIは別サーバーになっているので使えない。で、今考えているのが、過去ログのデータ部分をテキストにしてCGIサーバーに置き、そいつをサーチするスクリプトを作ること。結果をリンク形式で戻すのはムリなので、発言IDと見つけた行を一覧で返すのだ。まあAND、OR検索は諦めよう。ちょいとまとまった時間があればできると思う。小説からの逃避で作ってしまいそうだ。30話終わってからにしよう‥‥(戒め)
2002/7/22  先頭へ

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 2002 Jul.5:がちゃぐー
暑いのは苦手だ。夏の盛りは私の行動ははなはだ心許なくなる。暑いだけでもダメな上に、日射しで頭も痛くなるし。この前の日曜日も‥‥。

私(買い物に行こうとして窓の外を見て)「頭痛くなりそう‥‥」
夫「ほら、頭痛薬飲んでいけ」(シートに一個残ってるサリドンを出してくれる)
(買い物行って帰ってきた)
私「なんか、頭痛くなりそう‥‥」
夫「さっき渡した薬どーしたんだよ!」
私「‥‥飲むの忘れた‥‥。あれ‥‥どこ、置いたんだろ‥‥。あ‥‥ない。新しいの出そ‥‥」
夫「ちょーっと待て! これはなんだっっ」

夫が私の目の前につきだしたのはさっきのシート。ちゃんと全部空になってテーブルの上に置かれていた‥‥。そう、自分で飲んで行ったのに、覚えてない。わけわからんものも買ってきてたりする。こーゆー時の私は寝ぼけたネコといい勝負なぐらい、役にたたない。

ちなみに私のこの状態は、我が家では「がちゃぐー状態」と呼ばれている。ずいぶん昔、やはりくそ暑い日、渋谷だかどこだかを二人で歩いていた時だ。

夫「お前、大丈夫か?」
私「うん‥‥。あ、信号ちかちかしてる」
夫「ど、どこ行くんだ! そっちじゃないだろ!」
私「あ‥‥そうか‥‥」
夫「おい、足元段差あるぞ」
私「うん‥‥‥‥あっ」(前しか見てなくてこけた)
夫「‥‥今、気を付けろって言ったろっ」
私「うん‥‥。あ、お好み焼きがちゃぐーだ」
夫(こ、こいつ、この暑いのにお好み焼き食いたいのか? すげーヤツと思っている)
私「‥‥面白い名前だね」
夫(思いっきり頭をかかえて座り込んだ)
私(すこし通り過ぎてから気付いた)「あれ‥‥どーしたの?」
夫「どーもせんわいっっ!!」

今考えてもへんな店名なので、別に人混みの中でそこまで頭を抱えなくてもいいと思うが。でも、それ以前のやりとりでそーとー疲れていたのだろう。見えたものが一切の思考無しに言葉となって出てくるこの状態‥‥。そのうち、極端にぼーっとしている状態まで、"がちゃぐー"と言われるようになった。ちなみにこのお好み焼き屋「がちゃぐー」には結局行かなかった。今思うとちょっと残念だ。記念すべき店だったのに‥‥(?)

その頃の私は、冷房はいくら強くてもまったく大丈夫だったが、暑さと日射しはとにかくダメという、自称日陰植物だったのだ。でも最近、暑さに少し耐性が出てきて、かわりに冷房に少し弱くなった。どうも生態温度範囲が少しだけ高いほうに少しシフトしたらしい。地球温暖化の影響だろうか‥‥?(←んなワケないって)
2002/7/26  先頭へ

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 2002 Jul.6:Operaその後  
ここのところ、標準ブラウザをOperaにしているので、感想を‥‥。まず便利な点。
・動きが速い。
・マウスチェンジャーが凄く便利。
・ズームがむちゃ便利。
・印刷はIEよりかなり便利。
・タブブラウザやGoogleツールバーはもう手放せない。
・履歴が別ウインドウなのでスムース。
・文字列を選択して一発で翻訳サイトに跳んでくれるのは凄い。
・画像やフレームに対する右クリックメニューが豊富で凄く便利。アドレスをコピーをよく使ってる。
・ウインドウサイズを表示してくれる機能あり。サイト作ってる時、ウインドウのサイズが分かるのは便利。

不便な点は次の二つ。
・テキストをコピペした時、折り返しの部分に半角ブランクがはいる。ソース上タグは何も入ってないのに、だ。
・噂通りJavaScriptに弱い。うまく表示できないとか、エラーがでることがよくある。OTDの掲示板とか、かなり使いにくい。

あと、Operaでは表示できないサイトとかがある。これは、IEがHTMLの文法ミスに甘く、表示してくれるからであって、一概にOperaが悪いわけではない。
前のバージョンでは全角ブランクを半角ブランク二つと見なしてたり、colタグが使えなかったりしてたのだが、今回のバージョンではちゃんと解消されている。だから欠点があっても、次バージョンに期待しちゃうな。とはいえ、OperaでダメだったときIEで見直すという心の余裕がない方にはオススメできませんが。

そういえば「ホームページ作りの話」で紹介している「Devas」のバージョンが上がり、なんと正規表現に対応するようになった。これは有り難すぎだ! 有料になるといけない。フリーのうちにさっそくMOにとっておくことにした。
2002/7/30  先頭へ

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 2002 Aug.1:かしこいブラッシング  
お隣の家ではコーギー犬を飼っている。平均的なコーギーよりはちょっと大きい子で、食事と運動が適切なのかスタイルがいい。コーギーはとにかく運動量が多くて、散歩させるのにも体力がいるそうだ。で、となりの子も、なつっこいことこの上なくて、すぐ飛びついてくる。

ある日、そのコーギーのロンちゃん(仮称)がお隣の門の門柱の上にいた! 門柱は130cmぐらいの高さがあって、上は彼がちょうど立っていられるくらいだが、どう考えても短足のコーギーが、一人で乗れる高さじゃない。周りには足場もないのだ。
彼は私を見てぴょこぴょこ尻尾を振っている(コーギーは断尾するので尻尾が短い)。怯えているわけではないが、ちょっととまどっているようだ。そのうち、事情がわかった。お隣のご主人がブラシを持って出てきて、愛犬のブラッシングを始めたのだ。そう。こんなところでは、いくらロンちゃんでもじゃれつけない。なるほど。
大抵の犬はブラッシングは好きだが、平地でやったら、ロンちゃんのことだ。嬉しくて転げ回ったり、ブラシにかじりついたり、あげくの果てにくわえて持って行っちゃったりしそうだ。苦肉の策だったのだろう。嬉しさと自由にならないフラストレーションで、ひたすら無言で尻尾を振りまくるロンちゃんであった。

ところで我が家の近所。そのロンちゃんを皮切りに、最近コーギーの散歩させている人が増えた。私的には複雑な気分になってしまう。生き物であるペットの種類に流行り廃りがあるということにどうしても抵抗があるからだ。かつてハスキー犬のブームが過ぎた後、保護センターに捨てられたハスキーが溢れたという。"保護"センターといっても飼ってくれるところではない。たいてい1週間で薬殺だ。
私が子供の頃にはまだ野良犬がいた。なんとなく小学校に住み着き、給食室のおばさんにエサを貰い、校庭を駆け回り、遠足(本当に歩く遠足)やマラソン大会の時は、子供達の長い列の先頭から後尾までいったりきたりしながらずっとくっついてた白い大きな犬を、強烈に覚えてる。
今、日本に野良犬はいない。皆駆逐されてしまった。もう日本人は犬とすら暮らせない生活になってしまったのかなぁと寂しく思う。
2002/8/3  先頭へ

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 2002 Aug.2:最終回先行映画化って?  
映画とかでシーンとしての映像は凄くいいのに、そこに至るキャラクターの描写がもの足りなくて、かえってチグハグな印象を受けることが時々ある。特撮だと例えば仮面ライダーJとか。作り手の美意識がごごごと押しつけられた感じがしてどうも‥‥。趣味の合う合わないもあるし、演出や映像はへたれでもストーリー展開や脚本がよければ許せる(逆はダメ)という私自身の性格にもよるとは思うが。
描きたいシーンがあるってのは強力な動機だし、とっても大事だと思うけど、"なぜ"そのキャラがそうしたのかという背景が伝わってこなければ魅力半減だ。こんなキャラがこんなシチュエーションでこんなことを言ってこんなことをやったらカッコイイ! という映像的な妄想"だけ"が空回りしている気がするので、尊大にも「シーン"だけ"書きたい病」なんてつい評してしまいたくなる。

でも、いきなりシーンを書いても楽しんでもらえることもある。受け手が作り手と同じバックグラウンドをもっているケースだ。たとえば歴史物とか童話とか。「赤穂浪士討ち入り」とか「桃太郎」とか、見る人がわかっていれば多少説明不足でも映像を作ることに専念できるだろう(ま、そーゆー意味なら仮面ライダーも日本人なら皆分かっているので伝説話と同じとも言えるんだけど)
永野譲氏の「ファイブスター物語」なんてこれを逆手に取ってる気がする。先に読者に「このワールドの歴史はこうだ!」とバックグラウンドを理解してもらって、あとは書きたい部分を書く。これはこれで一つの方法かも。正攻法で言ったら栗本薫氏のグインサーガのような100冊構想になってしまうし(いや、栗本さんって凄い)。ファンフィクションは書き手と受け手が同じバックグラウンドを持ってる最たるものだろう。読者が知ってる分、読む価値をいかに出すかが腕の見せ所ではあるが‥‥。

自分はDB小説を書いていた頃、バカみたいに律儀に先頭から順番に書いていた。だが龍球になって少し変わり、行き詰まった時などに書きたいシーンだけ先に書くようになった。たとえば13話のHpartのレスキューシーンや24話の赤星黒羽そしてBIのからみなんてけっこうあちこち先に書いてる。まあ「シーン書きたい病」と言えれば言える。
だけどどんなに好きなシーンでも途中をいいかげんにして、そのシーンだけ先に公開しようとは思わない。そういったシーンはメインディッシュだから間近までいってもあまり書き直しにはならないけど、やっぱメインは、地道にキャラに感情移入していってもらって、そのあとで読んで欲しいと思うからだ。

いや、素人がHPで公開している書き物など、所詮ただの自己満足に過ぎないし、お前のだって自分勝手の押しつけだ、と言われてしまえば、そうです、としか言いようがない。でも自分なりに「シーン"だけ"書きたい病」にはならないように気をつけていきたいと思っている。まあ、予算も制限時間も売り上げも一切関係ない個人HPだから言えるタワゴトではあるけれど。あ、でも「書きたいシーンを先に書く」手法にはメリットもあって‥‥。好きなシーンだから早く公開してみたい。だからがんばって間を埋めようという「鼻先の人参」効果がかなりあるんだよねー。

で、なんでこんなことずらずら考えちゃったかというと、龍騎の映画のせいだ。見たらきっと面白いんだろうけど、オチを半年も早く公開するというアプローチにどうしても違和感を感じてしまうのだ。
確かに視聴者に結末を知ってもらえば、同じバックグラウンドができるので、送り手側は少しラクになる部分はある。だが、本当にそれでいいのか? いやメインライターはかの小林さんだから、最終回を先に公開したからって途中で手を抜くようなことは絶対ないだろう。だけど「サスペンス・カルト・ライダー」(←勝手にそう呼んでる)の龍騎のオチを先に見せるなんて、有りなの? 

それとも、謎が謎を呼びまくる展開に視聴者が疲れて離れていくのをくい止めるための、興行側の作戦かな? 龍騎の視聴率とかおもちゃの売上は知らないので何とも言えないが。でも龍騎見ていてよく思うのだけど、これ1時間で半年放映のドラマならいいけど、30分で1年放映のドラマとすると、謎が宙ぶらりんになってる時間が長すぎるなぁって‥‥。短気な発言かもしれないが、総時間が同じでも送り出し方によっては考慮が必要ってのはあるんじゃないか?

あ、誤解のないように言っておくが、私は龍騎はそれなりに楽しんで見てる。小林靖子さんの脚本は好きだし、ライダー役者さん達もみんな魅力的だ。それでも、ちょっと複雑な気分になってしまう「最終回先行映画化」なのであった。
2002/8/9  先頭へ

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 2002 Aug.3:日傘  
先日、出勤時、霧雨だったので日傘を持たずに出たら、その後強烈な日射しになって、やむなく外出先で日傘を買った。黒の方が紫外線を防ぐことがわかったらしく、最近の日よけグッズは黒系が多い。売り場の傘も7割が黒や紺だった。で、試しに私も黒いのを1本買ってみた。

黒のほうが紫外線を遮断するなんて話は、専門の人なら分かってたことじゃないんだろうか? なのにずーっと白系ばかりだったのはなぜなんだろう。私は白い方が光をたくさん反射して、紫外線も反射するのかとか素直に思ってた(笑) 専門家がそう言っても、企画段階でポシャってたのかな。過去、売り出しても失敗してたのか、どうなんだろう?

それがいきなり真っ黒に‥‥(笑) 最近とみに、商品にくっついてまわる"ウンチク"が重要な時代になってきたのかもしれない。ダイエットだって、昔はせいぜい"油抜き"とかってわかりやすいパターンだったのに、最近は"低インシュリン・ダイエット"って、そのネーミングのまま流行っちゃうし‥‥。
流行りって、流行するモノそのものより、なんで流行するんだろって、その背景とか考えるのが面白い気がする。答えなんてわからないんだけど。

さて、黒い傘の使い心地だが‥‥。暑いって、やっぱ(爆!) お日様に注目されてる気がする。朝方はいいとしても、日中は死にます。ということで、翌々日には、また白い傘に戻ってしまった私だった‥‥(死) 一番いいのはアルミ箔貼ったみたいな傘かしら‥‥。周囲に迷惑そうだけど(笑)

ところで私が日傘を使い始めたのは30歳を少し越えた頃だ。最近では若い人もごく普通に日傘を差しているけれど、9年前のその頃は日傘というとけっこう年輩のイメージがあった気がする。
その頃私はちょうど最初の会社を辞めて、執筆業の方の口述ワープロ打ちをやっていた。で、お昼に買い物に出ようとしたら、先生の奥さんが「玄関の傘、使いなさいな」とおっしゃる。外は確かにカンカン照り。ジーパンに日傘はヘンかなと思いつつも、せっかくなのでお借りした。
で、その数日後。道ばたで還暦ぐらいの婦人が、知人と会いしなに「あらあら、傘もささずに‥‥」って挨拶してて、なんか面白くて‥‥。ああ、雨の時に傘を差すのとまったく同じなんだなぁって、目から鱗だった。

そんなこんなで使い始めた日傘だが、風の強い時は困る。雨は風の方向から降ってくるからそっちに傘を向ければなんとかしのげる。だけど、お日様の向きと風の向きは、違うんだよねぇ‥‥。あたりまえだけど、普段考えたことなかったもんなぁ‥‥(苦笑)
2002/8/16  先頭へ

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 2002 Aug.4:にゃんこのお薬
先日、我が家の末息子こるく(猫)の、左目の目頭のところが少し赤くなってしまった。そんなにひどい状態ではないので、獣医に連れて行くまでもないかと思ったのだが、いまいち良くならない。必要なのは殺菌効果のある目薬だが、近所には猫用の目薬は売っていない。そういう時こそインターネットだ! ということで楽天で ペットセンター名越 というページを見つけ、内外イヌチョコ・目薬Vを買って点眼! 3日後には良くなった。

あ、本題じゃないけど、こるくに目薬を差すのはかなり可笑しい。視界に目薬のケースが入った途端、彼はぎゅーっと目をつぶるのである。「ぎゅーっと」という形容詞はウソじゃなくて、そっと瞼を引っ張ったぐらいじゃ開かないくらい力一杯目を閉じている。まあ無駄な抵抗なんだけど。で、一滴目に入った途端、やっぱり暴れる。目の疲れを取る目薬じゃあるまいしそんなにシミないと思うのだが‥‥(試してみようと思ったらダンナに止められたので実態は不明だ(笑))
最初は怒って外に行くと言ったが、3回め以降、彼は台所に走っていくようになった。不当な扱い(?)を受けた引き換えに、大好きな「おかか」をよこせというワケだ。いまは亡きぴの兄ちゃんも耳掃除をやったあと(彼は耳ダレがたまりやすいというトラブルがあった)、必ず台所に走って行っておかかをねだったのを思い出す。

猫にとって獣医に行くのはやっぱりストレスだ。行く途中も待っている間もずっと心細げに鳴くし、肉球に汗を沢山かいたりもする。うちの親分と姉御は共働きなので平日が自由にならないという不便さもある。それになにより、早めに薬を飲んで重くならないうちに治るなら、本人も楽だと思う。
ということで我が家では、猫の体調が悪い時は宇津救命丸を飲ませることにしている。犬や猫を飼っている方にはお勧めだ。赤ちゃん用の薬だからどこでも手にはいるし、何より一粒が小さいから、割ったりする必要がない。花かつおに包んで少し濡らして丸めれば、あっさり食べてくれる。

宇津救命丸で効果があるのは‥‥
・なんとなく食欲がない、元気がない
・なんかくしゃみしてる。
・お風呂に入れた。または身体が濡れた‥‥とき。
人間だったら、なんかだるいぜ、といった初っ端の時だ。でも翌日も症状が同じなら、必ず獣医さんに行ってください。外傷もダメ。化膿してたらやはり抗生物質が必要だ。あと子猫はやはり獣医さんの御世話になるべきだろう。

薬といえば、皆さんのにゃんこちゃんたち、ノミ対策はどうしておられるだろう?
我が家では「プログラムD」錠というノミの成長を抑制する薬を使っている。その薬を飲んだほ乳類の血を吸ったノミは繁殖できなくなる、という怖そうな効果の割に、生後1年未満の子猫にも使えるという安全性の高い薬だ。
うちの子達は2匹で互いの身体をよく舐め合う。だからノミ取り首輪や殺虫効果のある薬は使いたくなくて、最初からこの薬を使っている。「プログラムD」(ちなみにプログラムAは毒薬系なので注意)は毎月飲ませる必要があり、昨年ぐらいから市販されるようになった。

猫用は液体、犬用は錠剤だが、ウチの子は液体が苦手なので犬用を与えている。猫は犬の2倍量の成分を与えないといけないそうなので、体重4キロの猫なら体重8キロの犬にあげる分量が必要になる。錠剤の方がいいと獣医さんに相談したら、そう教えてもらった。「プログラムD」には半年1回の注射タイプもあるのだが(もちろん獣医さんで打ってもらう)、こちらはいまいち効果がなかったので、ずっと飲み薬を使っている。

ずっと家の中にいる子ならノミなんて貰ってこないのだが、外に遊びに行く子でネコノミに苦労している方がいたら、ぜひお試し下さい。ウチの子も毎日外に遊びに行くが、4月〜9月の間この薬を飲ませるだけで、ノミに悩まされることはない。
2002/8/23  先頭へ

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 2002 Aug.5:理科系の小説書き
先週から今週にかけて、りあさんやラバランプさんがBBSに書いて下さったことは、私的に「自分の小説の書き方ってなんなのか」と考えるきっかけになって、とても面白かった。
私は小説をほとんど読まない。学生の頃は翻訳物のSFをけっこう読んだけれど、卒業してからはあまり読まなくなり、通勤時間が短くなったここ数年は本当に読まなくなった。最近は長い待ち時間でも龍球戦隊のストーリーのことばかり考えているので(苦笑)、本はまったく不要である(いいのか?) だから手本にしている小説や作家さんなど、まったく無い。

私が初めて文章の書き方について考えたのは、大学で卒論を書く際に先生より紹介された、中公新書の「理科系の作文技術」を読んだ時だ。当然だが、簡潔に正確に書くために、逆茂木の文(後ろが前を修飾する感じの文)を書くなとか、テーマをまず出して読む人が迷わないようにしろとか、"思われる"といった類推言葉を多用するなとか、そういったことが書いてあった気がする。その後就職してからビジネス文書の書き方関係の本も読んだが、当然これらもで、誤解を招かず、わかりやすく正確に伝えるためにどうするか‥‥ということが書いてあった。
どちらの本にも、論文(ビジネス文書)は小説とは違う。だから〜〜せよ、と続いていた。だが私は、これらの本から学んだ事柄を、今、かなり自分の小説に取り込んでいる気がするのだ。

私の小説は"臨場感がある"とか"映画を見ているようだ"というありがたいお言葉を頂くことがある。あと"感情描写がいい"というお言葉も頂戴したことがある。いやもうこれらは、未熟な書き手を励まして下さろうという温かいお気持ち以外のなにものでもないのだが、複数の方にそう言っていただいたからには、自分の特徴‥‥と思っていいのかもしれない。"理科系の作文"と、これらの特徴は、一見、水と油のようであるが、そこにはいったいどんな秘密があるのであろうか(←大袈裟)

答えはアホのようである。私の場合、まず情景をイメージし(ここらは演出家の気分)、キャラの感情を自分の心に作って(ここらは役者の気分)、それを"誤解を招かないようにわかりやすく説明していく"(ここらは理系の作文書きの気分)‥‥だけだからだ(死)。気がついて、なんてこったと笑ってしまった。
まあ、もちろん、理系の作文だけでは味もへったくれも無くなるので、ある程度の脚色は加える。たとえば「的場が突進しようと身構えた」という情景を「黒い革靴がとんっと揃った」と書くワケだ。当然その前に的場という男が黒い革靴を履いていることはさりげなく示しておく。具体的に文章にする時には、こういった調子で多少のさじ加減が入るとはいえ、いくつかの私的な決まり事に乗っ取って書いていくのである。ということで、また機会があったら、その"私的決まり事"についても整理してみたいと思う。
2002/8/31  先頭へ

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 2002 Sep.1:失敗は成功の‥‥
ごくたまにだが、いきなり仕事に来なくなってしまう人というのがいる。本人は出社しようとしているのだが、家を出た途端に体調が悪くなって‥‥という感じで、登校拒否と似ているかもしれない。一度そうなって復活してあとは大丈夫の人もいれば、何回か同じことを繰り返して、最終的には辞めていく人もいる。前者の人はいいとして、後者のパターンは転職先でも同じコトを繰り返すのではないかと思う。

こういう人を見るにつけ、本当のタフさとはなんだろうとよく思う。
実は先月末にある人がそんな感じで退職した。13年ぐらいの会社生活の中で直接知っている人がこういうことになったのは3人めだが、3人にはどこか共通のパターンがある気がする。
割に我慢強いというか、愚痴を言わない。妙に明るく振る舞ってみせたりする人もいる。そして多少要領の悪いところがあるにせよ能力的に劣っているわけではない。だからやっている時は要注意の脆さがあることを他人はわからない。そしてある日いきなりバタンとくるのだ。これは仕事では一番困る。予め何か予兆があれば、コントロールができるものを、いきなりこれをやられたらフォローがきかない。

皆が忙しい中で自分だけがさも大変なように騒ぎ立てるのは不快だ。自分にできる程度のムリなら、すれば色々な意味で成長する思うし。だが、そのムリができる範囲でない場合、自分の状況がアピールできない人は上述したようなことになる可能性がある。必要なのは「さりげなく愚痴を言う技術」なのかもしれない。

そしてもう一つ。失敗した時にその失敗の原因を正しく掴めているか‥‥というのが重要なポイントである気がする。
けっこうやっかいなのがニセの理由を自分で作り上げて思い込んでいるケース。本当は仕事のキツさに耐えられないのに、自分で認められなくて上司が苦手と理由をつけたり、逆に人間関係で問題があるのに仕事の種類が合わないという理由をつけたり‥‥。

この原因隠匿パターンの失敗は出社拒否問題に限ったことではない。普段の生活でも、友人関係や恋人関係が長続きしないとか色々あるだろう。私自身、後輩育成のケースで根っこが同じように思える失敗を二回している。この手のものは二回めでせめて「アヤシイ!」と自分つっこみをしなければならないのだろう。素直に客観的に自分自身を第三者の目で見て、失敗の原因を分析する‥‥。それがあっさりできれば苦労はない!って感じではあるが、せっかく失敗をしたなら、やはり次に生かしたい。

卒業して成人しても、自分自身の中に落とし穴は潜んでいる。だがうっかり踏み抜いてしまった落とし穴は、埋めるか、目印をつけて近寄らないようにするか、どっちかの方法で対処しなければならない。その落とし穴が自分の中にあると気付かずに、何度も何度も踏み抜くことは、なんとか避けたいものだ。
2002/9/7  先頭へ

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 2002 Sep.2:粉瘤奮闘記
今週、夫はずいぶんと可哀想な目に遭った。まあ夫婦そろってノンキ過ぎたようで反省を含めて書いてみたい。ただし少々気持ちの悪い部分もあるので、これから食事の方はまたあとでどうぞ(苦笑)

夫の背中には以前から直径2cm強のしこりのようなものがあった。皮膚の内部にあるもので痛み等の自覚症状はなく、健康診断の時などに医者に相談しても良性なので放っておいてもいいということで、なんとなくそのままにしていた。
ところがそれが先週末に痛み出し、一部が赤くなりはじめた。で、近所の外科に行き、それがアテローマ<粉瘤(フンリュウ)>というものであることを知った。どういうものかはネットで検索してみていただくとして、ここでは経過を述べよう。

粉瘤は普通の状態ならスムースに切除できるらしい。だがこのように炎症を起している状態で切ると事後の経過がやっかいになる。ということでまずは炎症を治してから切ることになった。
だが、金曜日から飲み始めた抗生物質が効かず、月曜日の朝にはえらく化膿が進んでしまい、結局最悪の状態で切ることになった。あれだけ広い範囲で化膿しているものを、切って中身を"押し出し"たり"掻き出し"たりするワケで、相当痛かったらしい。
こんな状況だと、翌日以降、傷口内部の消毒を毎日行わなければならないので、傷口は縫わない。なので切った当日は動くたびに患部が痛むようだった。結局この日は会社を休み、メールと電話でやりとりしつつ自宅で仕事をしていた。

翌日の消毒(傷口の中を全部拭くので、これも痛い)の時に粉瘤本体を引っ張り出した。粉瘤そのものを取る時にはほとんど痛みは無かったそうで、普通の状態ならラクに取れたんだぁと反省していた。この日から朝消毒してから出勤という日々だった。当然フロもダメで腰から下だけシャワーを浴びて、あとは身体を拭くしかないのだが、屈むのが難しいので一人ではできない。いや、色々大変だった。

粉瘤についてはネットでもけっこう経験談が拾える。やはり化膿させてしまった方は苦労されておられるようだ。顔とか頭にできることもあるらしくて想像するだにぞっとする。化膿の前に切った人は、数針縫って一週間後に抜糸‥‥みたいな感じで、だいぶ順調に見える。
ということで、龍球30話アップ後、奇しくも私は、処置後の果てて寝ている夫の顔を見ながら、有望さんの気分をちょっぴり味わうハメになったのである。まあ状況はだいぶ違うが(同じだったら困るって)。

みなさんの身近で「なんかこりこりしたものがあるんだよなぁ」とか言ってる人がいたら、我が家の状況を他山の石として、痛くなる前にお医者さんに相談しましょう。外科か形成外科か皮膚科で治療してもらえるようです。夫の方はおかげさまで今日(木曜日)は大分ラクになったようだ。いつものように口数が増えて剽軽になってきたぞ(笑)。
2002/9/12  先頭へ

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 2002 Sep.3:ストレスの器
たとえば仕事がキツイ時など、人はストレスが溜まると言う。疲労物質が心の中に、でん、と居座っている感じだ。時には胃が痛くなったり、ワケのわからない不安に襲われたりする。

さて、ここにもっと大きなトラブルが起ったとしよう。踏んだり蹴ったりって感じだが、起ってしまったものは戻らない。当然、頭は新しい難題のことで一杯になる。つい前日まであれほど気になっていたことは、「ええいっ そんな場合じゃないわよっっっ」ってなわけで、ほいと押しやられてしまう‥‥。

これはまさに人の防衛本能だと思う。もともと胃が痛くなるような原因があったところに、別のトラブルが起きて、両方が同じようにストレスになっていたら、きっとマジで死んでしまう。だから、前のストレスは、後から生じたより重要なストレスに置き換わるわけだ。

私のイメージは、ストレスの入る器の大きさは決まっている‥‥という感じだ。既存の問題を抱えていて、そこに新たな問題が発生した場合、すでにストレスの器が一杯なら、より優先順位の高い問題のストレスが自動的に選択されてストレスの器に入る。既存の問題が追い出されることもあれば、あとから来た問題がはじき飛ばされて、器に入れてもらえないこともあるだろう。

こう考えると、ちょっぴり安心できるのは私だけだろうか。いろんなことが起っても、自分の心や身体に悪さをする"ストレス"は一定量しか溜まらないのだ! まずは「ストレスの器」に入っているヤツだけ考えてなんとかする。処理し終わると、順番待ちしている問題のストレスがまた器に入ってくるので、それを片づける‥‥‥‥。なんかTVで見るわんこそばのようだけど(笑)

もちろん現実にはダブルでトラブルが飛び込めばキツイ。器の大きさは同じでも、そこに入ったストレスには薄いのも濃いのもあるだろう。あと、自分の器の容量が適正じゃないケースも考えられる。容量がでかすぎたら、いくら一定量と言ってもきっと健康を害したりしそうだ。だから、有る程度の濃度のストレスが一杯になっても持ちこたえられるような"ストレスの器"の容量を、模索していく必要があるのだろう。

ところで、この器は空っぽになることはあるのだろうか‥‥。私は経験上、空になることは無いような気がしている。

私が最初の会社を辞めた時のことだ。そこから次の仕事を始めるまでの数ヶ月、私は子供もいないごくお気楽な専業主婦だった。仕事をしている時に比べれば、呑気なものである。
なのに‥‥。やはりストレスはあったのだ。原因は家の中の些細なことや、次の仕事に関する焦りなどだった。後者はともかく、前者は仕事をしていた時はまったく気にならなかった事柄なのだ。私の心は、そんなこんなの小さな問題点を一生懸命かき集めてきて、ストレスの器にぶち込んだのだった。

昔、TVのカルチャー系の番組で、ストレスは柔らかいボールの中の空気圧のようなものだと説明しているのを見たことがある。内圧(ストレス)が上がりすぎればボールは破裂する。しかし、内圧がまったく無かったら、ボールは外圧に負けて、外から押し潰されてしまうワケだ。

人にはやはりストレスも必要らしい。ということで、適切なお椀でわんこそばを食べるように、ストレスと付き合っていきたい。あの一杯だって食べられたんだから、きっとこんども片づけられるって、そんな気持ちで‥‥
2002/9/17  先頭へ

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 2002 Sep.4:空我礼讃
2週間ほど前になるがTVでアニメや特撮のベスト100を選ぶというバラエティ番組があって、最後のほうだけを偶然に見た。当サイトのメインコンテンツであるドラゴンボールもちゃんとベスト10入りしていて嬉しかったのだが、何より嬉しかったのが「仮面ライダークウガ」がベスト1だったことだ。

1995年の中頃〜2001年は我が家のヒーロー空白期間だ。オーレンジャーがイマイチだったことに加え、引っ越して生活が変ったことをきっかけにすっかりヒーローものを見なくなってしまった。2001年に弟が息子と共にガオレンジャーにはまってこちらもまた見ようかという気になる。しかし、律儀(?)な我々は、当時放映していた番組を見ずに、レンタルビデオでカーレンジャー以降の見ていない戦隊シリーズをまず埋めたのだった(オーレンジャーにも再チャレンジはしたが、途中でくじけた)。

そんなこんなでクウガをずっと見ていなかった。白状すると、その当時の私のクウガの印象はあまりよくなかった。トレンディドラマがあまり好きでない私にとって、雑誌で、いかにもOL向け!ってノリで取り上げられる主人公や一条刑事は違和感の固まりだった。そういう"ウリ"ならごめん被りたいという感じだったのだ。
だが、夫が「ネットで情報を見る限りクウガは相当に面白いようだ」と言い出した。ちょうど戦隊もカーからタイムまでを見終え、やっと我が家にもクウガの気運が高まってきた。そして‥‥。

まだ24話までしか見ていないのだがあえて言おう。

クウガは「希有な名作」だと思う。以前BBSにも書いたが、たぶん同じ役者、製作メンバーが集まっても、二度とクウガのような作品は作れないように思える。取り憑かれた作品だ。ということで個人的に、ウルトラセブンとならんで「最高のヒーロー作品」だと思っている。見る以前の勝手な評価についてはまさに平謝りの気分だ。
未確認生命体が人を殺していく。いかに効率よく殺せるかというゲームなので怪人が一人ずつ登場することに説得力がある。殺されていく人たちの描写がリアルで、家族がこうやって殺されたら‥‥と想像してしまう。怪人に対する警察の対応も、クウガの共闘もまたリアルだ。驚くべきことに、この番組の全てのシーンは、何月何日何時何分、場所はここ‥‥と明確なタイムテーブルが引かれているのだ。

それだけ現実味を追求しながら、「ヒーローもの」であることを強く意識させる作りになっている。その思いは「クウガ!」と高らかに歌い上げる主題歌にまず現れているだろう。アクションシーンは、ビデオ合成の部分とかがちょっと薄っぺらく感じたりするけれど、殺陣はいい! バイクでビル内を乗り回すシーンなども見もので、仮面"ライダー"だぁと思った。その意味では舞台になる大学は城南大学だし、ライダーキックを作り上げるエピソードもちゃんとある。

色々な思いの中で最善をつくそうとする登場人物たちの行動は確かに理想的だろう。だけど状況がリアルに描かれれば描かれるほどそれは説得力のある人間賛歌になる。基本的に2回で1つのエピソードなので、魅せるシーンは思いっきり魅せた上で、設定もキャラの掘り下げもきちんと語る余裕がある。でも、2回見ればそのエピソードには結末がつくので、視聴者はずっと謎に引きずられることなく安堵も爽快感も得られる。
細かいところを上げるときりがない程よく考えられている。構成が絶妙だ。なのにただ無条件に面白い。こんな作品が1年という長期間にわたって作り続けられたなんて信じられない。シリーズ構成の荒川稔久氏を筆頭に製作に係わった全ての方々が、凄い仕事をされた‥‥という感じだ。

そして何より主人公が素晴らしい。何を根拠に!と思っても、五代雄介の「だいじょぶ」は本当に大丈夫な気分になる。「きれいごとで済めば、それに越したことないですから」なんて台詞、ここまでの説得力を持って誰が言えるだろう? オダギリジョーという役者とその人柄があってこそ初めて生まれ出たキャラクターだと思う。役者と脚本家の相乗効果が五代という素晴らしいヒーローを生んだ。仮面ライダークウガのヒーローはクウガじゃなくて五代雄介だ。方向性はまったく違うが、絶対値的にはズバット並みかもしれない。

五代はどんどん変わっていく自分に悲壮感を持たない。底抜けに明るく「だって、オレ、クウガだもん」とのたまう。桜子は8割心配し2割呆れながら「クウガじゃないでしょ! 五代君でしょ!?」と叫ぶが、彼をけっして止められないことがわかってる。本当にアイデンティティがしっかりした主人公だ。自分の存在も戦う意味も、彼は本能でわかっているというか、自然体でこうなのが気持ちがいい。

赤星竜太には私の理想がたくさん入っているけれど、その赤星がクウガを見たら五代に憧れまくりそうだ。もう本当に脱帽だ。「出来る範囲のムリしてるだけ‥‥」なんて赤星に言わせた台詞が、偶然にも五代のセリフと重なってたので、それだけで嬉しくなった。「本当のヒーロー性はごく普通の人生でも魅力的に成り立つハズだ!」と私は思っているのだけど、クウガの五代はそれを表現してくれた気がする。

五代雄介は素晴らしいヒーローだ。そんな主人公が素直な思いのままに、最後の最後まで頑張り続け、相棒の一条刑事は、時に五代を導き、時に五代に惹かれながら、やはり警察組織の中で頑張り続ける。こんな番組がベスト1になるなら今の日本も捨てたもんじゃないなんて、そんな気持ちにさえなってしまう。私にとってクウガと五代雄介は、そんな作品であり、そんなキャラクターになっている。
2002/9/20  先頭へ

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 2002 Sep.5:遺失物拾得
会社の帰りに財布を拾った。現金6万に免許証やクレジットカード、キャッシュカード、その他色々入っている。落とした人は相当青ざめてるだろうと思いざっと中身を見たのだが、電話番号って意外と書いてないものだ。どちらにしろ直接会ってトラブルになってもつまらないし、やはり交番に届けた方がいいだろうと持っていった。

ところが名前と住所を書いて置いてくればいいだけだと思っていたのだが、アテが外れた。この額になると高額遺失物ということになって交番では預かってくれないらしい。なんと財布は私が預かっていて、落とした人は直接私と連絡を取って、拾った人と落とした人が個人的に受け渡しをする‥‥というのが正規の手続きらしいのだ。お巡りさんが電話して呼び出して、返してくれると思ってた私はお気楽過ぎだった。

しかし、勘弁してくれ。

高額だからこそ警察で預かって欲しいって思うのが普通だと思うけど。猫がヴィトンの財布、ひっかいたらどうする(笑)。こっちは共働きで日中家にいないし、夜、自宅に、知らない若者が来るなんてあまりぞっとしない。だいたい無くした人がここじゃない交番に届け出たとすると、情報が行き渡るまでには丸1日ぐらいはかかりそうだ。

交番のカウンターには財布の中身が全部ひっぱり出されている。どんなものが入っているか金種やカードの種類まで書類に起さなければならないからだ。と、私は一つの紙切れを見つけた。どうもこの携帯番号が落とし主のものらしい‥‥。

で、私は許可も得ずにその番号に電話をかけてみた。幸いにも本人でまだ近くにいるらしい。財布を落としたことには気付いてなかったようで、これからすぐ行きますと言ってくれた。
だが交番の人は驚いた。別に怒られはしなかったが、手続き上こーゆーケースは今までなかったようで、警察署に電話をして交番でやりとりしてもいいかどうか聞いていた。

お巡りさん、ごめんなさい。だってさっさと片づけた方がお互いハッピーなんだもん。

で、本人が来て、また書類を書いて署名をして拇印を押して(その方、伸ばした爪に綺麗なネールアートしていて、お巡りさんが爪が汚れると心配してあげてたのがおかしかった)、これで一件落着と思ったところで、警察の方が言った。

「拾ってくれた方にお礼を‥‥」
ちょっと待て! 私はそーゆーつもりはない!
「権利放棄という欄があるんですが‥‥」
え、そこに私が署名すればいいんですか?
「でもこれは少額の時だけでして」
おいっ

結局、落とし主の方が1割近い金額を出してきて受けざるをえない形になってしまった。交番を出てからこっそり返そうとしたのだけど、だめだった。
これならもうちょっときちんと財布の中を探して、直接呼び出して渡したほうがよかったな。かなり複雑な気分になってしまった。綺麗な爪のお嬢さん、ごめんなさいね。
2002/9/25  先頭へ

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