Act.4 ノアの切り札
―― A Conclusion of Masked Rider Blade ――

相川始は剣崎一真をコートで包み込むようにしてエアカーに戻ってきた。助手席側に剣崎を乗せると操縦席から乗り込む。イグニッション・センサーに掌を合わせてからパスコードを打ち込んだ。
「すぐ暖まるから」
「‥‥ああ‥‥。まいったな‥‥。死にそうに寒いや‥‥」
ヒューマン・アンデッドの耐寒能力はジョーカーのそれよりかなり劣るから仕方がない。だが寒くて死ぬことなぞアンデッドにはできない。始は思わず苦笑した。
「こんなことで、死んだりするか」
「‥‥そりゃ、そうだけど‥‥。始、お前よく平気‥‥‥‥」

始を見やった剣崎がふと怪訝そうな顔になり、始の胸元に向かって手を延ばした。気づいた始が慌てて切り裂かれたシャツから見えていた肌を隠した。褐色のごつごつと変質した体組織。ひどい火傷の痕のようにも見えた。
「どうしたんだ、それは?」
「いや、ちょっと、事故に遭っただけだ」
「事故? アンデッドのお前がそんな怪我を‥‥?」
「もう古い傷痕だ。気にするな。そんなことより‥‥」

始はシートを後ろにスライドさせると保温ケースの中から小さな花の鉢を取り出した。温室から選んで持ってきたオールドパンジー。それをそっと剣崎の前に差し出す。剣崎は目を見開き、震える両手でその鉢を受け取った。
「‥‥花、だ‥‥」
「森もみんな枯れてしまって、だからせめて‥‥‥」
「‥‥懐かしい‥‥。もう永久に見られないと思ってた‥‥」
肩からコートが滑り落ちたのにも気付かず、剣崎はじっと小さな鉢花に見入った。

ジョーカーの複眼は人とは全く異なる風景を映し出す。初めてヒューマン・アンデッドの姿を借りた時、相川始もまた動体認識力の極端な低下に心許なさを覚えつつも、目から飛び込んでくる映像にどうしようもなく惹かれたのをよく覚えている。木々の緑、空や水の青‥‥。ジョーカーから人の姿に戻ろうと必死であがいた時に、自分がどれだけそれらを欲していたかを知った。

「きれいだな‥‥やっぱり‥‥」
「‥‥ああ‥‥」
剣崎はおっかなびっくりした手つきでパンジーの葉を撫でながら小さく呟く。
「あの身体が老いるにつれて人の姿になるのが難しくなった。それでも緑の風景が見たくて、
 時々少しだけ戻ったりしたっけ。でも、身体の中からあれが急に居なくなって、それから‥‥」

始にはもう相づちすら打てない。
剣崎と小さな花を囲むこの空気を乱してはならないと、ただ息を殺して見つめるばかり。

この友は、何に恥ずることなく人として幸せになって良かった。それを‥‥。


ふと剣崎が花の鉢から目を上げた。計器に自分の顔が映っていることに気付いたらしい。不思議そうに首をかしげて、自分の頬や顎に触れている。鉢を片手に持ち替えると、さっき渡されたラウズカードを取り出した。白い石像のような人間の横顔が描かれたSPIRITのカード。マークもカテゴリーも無い。

「このカードは?」
「俺の‥‥ヒューマン・アンデッドのカードの複製だ。お前の遺伝子情報を組み込んだ。
 もっと早く作りたかったが、いろいろと難しくて、こんなに遅く‥‥」
始の手の中のカードはハートの2。ただそこに刻印された人の姿は剣崎のそれと少し違っていた。胴部が褐色の鎖帷子を纏ったようにざらざらと赤い。

同時に2体は存在出来ない生命の鋳型アンデッド。そのために相川始は己のカードに改変を加えた。相川始の胴部から脚部を覆う褐色の硬化した皮膚もその結果だ。厳密に言えば始のカードに封印されているのは"人間"ではなくなっている。だがそんなことはもうどうでもいいことだ。

始は自分のカードを両手に挟み、剣崎を見やった。
「‥‥本当はもっと‥‥、もっと早く、このカードをお前に渡して俺が消えるべきだった‥‥。
 お前に会ったら何が起こるか、怖かった‥‥。お前を‥‥。お前だけを、こんな‥‥‥‥」

剣崎は身を震わせて深く俯いてしまった始を目を丸くして見つめた。しばらくして、そっと言った。
「始、お前、幸せだったか?」
「‥‥え‥‥?」
始が驚いて顔を上げる。剣崎がもう一度言った。
「人間の中で、人間として、幸せに生きてきたのか?」

始が目を閉じた。瞼の裏に天音や遥香、橘、睦月、望美、白井や栞の顔が浮かんだ。そしてその子孫達、シンゴやヒカル、レイナ‥‥。

ゆっくりと目を開いた。剣崎をまっすぐに見つめ、はっきりと言った。
「ああ。幸せだった」

剣崎がふわりと笑った。
「あの石が出てこない限り、お前は無事だとわかった。それだけがオレの支えだった。
 オレの選んだ道に間違いはなかった。始。オレは今、とても満足だ」


===***===

シンゴとヒカルのルームのシグナルが鳴りモニターが明るくなった。シンゴがカメラの前に移動してスイッチを入れる。周回軌道に入ったシャトルの中は落ち着いたものだ。地表の6割の重力場が形成されており、老人にとってはむしろ動きやすいくらいだった。

モニターに映ったのはシャトルの副船長だった。
<プロフェッサー・カミジョウ。オメガ層の計測データがほぼ揃いました>
「ああ、ありがとう、ダイゴさん。すぐ上がります」
「お祖父ちゃん。僕も行きたい」
ぱっと近寄ってきたヒカルがそう言う。
「ヒカル。作戦の邪魔になる。ここに居‥‥」

モニターの中の男が笑った。
<かまいませんよ、プロフェッサー。どうぞお孫さんもお連れ下さい>
「やった。ありがとうございます、副船長」
ヒカルはロッカーを開けると、花の種と手紙の入った封筒を取り出し、祖父の後を追った。


コントロールルームに入ると巨大なスクリーンに地球が映し出されていた。ヒカルは思わず立ち止まり、それを見上げた。薄いグレーのオメガ層に取り巻かれた地球はまるで巨大な繭玉だ。ヒカルから見て左手側が太陽の光をきらきらと反射していた。
何も考えなければ美しい、と言える。だが、漆黒の宇宙にただ撒き散らされているその煌めきは、本来地表に届き、生命を育むはずだった貴重な光だ。

「来たね。ラッキー・ボーイ」
「あ‥‥副船長‥‥」
急に肩を叩かれたヒカルはびっくりして声の主を見つめた。副船長のダイゴ。火星生まれだ。TPC極東支部の中でも実力、知名度共に抜群なのだが、実際に会ってみると優しく穏やかな印象に驚く。

「ヒカル・カミジョウ君。素敵なパートナーに巡り会った君の幸運を、我々にも分けて欲しいな」
憧れのTPCのエースにそうからかわれて、ヒカルは真っ赤になる。話題を変えようと脇を見たが、祖父は既にスタッフの輪の中に呑まれていた。

「今、ヒットポイントを何処にするか、最終的な微調整に入っているんだよ」
「できるだけ層の厚い所で、うまく燃え広がる所に、ですね?」
「ああ。けっこう厚みが変化しているんだよ。ほら、中央アジアのあのあたりなんて、
 最初の避難地帯だったのに、今はけっこう薄くなってる」
「‥‥よく、わかんないや‥‥」
「ま、見た目はね」

ダイゴがスクリーンの中の地球を見上げて呟いた。
「あの星を‥‥僕が子供の頃に見たあの青い宝石に戻すんだ。
 そのためにはどんな小さな幸運も祈りも、かき集めたい気分だよ」

ダイゴの言葉に、ヒカルは胸の前で白い封筒を握り締めた。
(僕たちを見ていて‥‥、タチバナさん‥‥) 


===***===

「そんなことになってたのか‥‥」
この40年の状況を初めてきちんと認識した剣崎一真は、流石に沈んだ声になっていた。
「そのアルファって、あとどのくらいで始まるんだ?」
「たぶん、あと数時間のうちだと思う」
「厚い雲を焼いて消滅させる‥‥。放射能か‥‥」
「‥‥‥‥それでも、俺達は死ぬことがない‥‥」
相川始が小さく呟いた。

エアカーの中にしばしの静寂が満ちた。剣崎は膝の上の自分の掌をじっと見ている。始はエアカーのキャノピー越しに常に曇ったままの空を見上げていた。
「‥‥なあ、剣崎‥‥」
「ん?」
「お前は、これから、どうしたい」
「どういう意味だ?」

始が剣崎の方に向き直った。
「俺達はただ生き続ける。何も変わらず、何を生み出すこともなく、一人きりで‥‥」
「‥‥そうだな‥‥。それに、こんなことが無かったら、お前とは会えなかった‥‥。
 もし、あの石が現れたら‥‥、何かのきっかけがあったら‥‥オレの身体は‥‥」

「剣崎。俺は思っていたことがある」
「なんだ?」
始は言葉を確かめるようにゆっくりと話し出した。
「生きる物は、確かに他者を押しのけて、自分が生き残ろうとする。だけど、だからって
 相手を消滅させることを望んじゃあいない。だいたい自分の種族以外すべて滅びたら、
 喰うものが無くなる。たとえ闘っても、身を保ち、身を守る以上は闘わない。
 中途半端な闘いが適度な共存を生んで、結局、それが己を生かすことになってる‥‥」
剣崎はこっくりと頷く。内容は学者たちが昔から言っているのと同じだが、生まれた時からアンデッドであり、ジョーカーであったこの友が語るとなれば重みが違った。

始が自分のカードに視線を落とした。
「こいつが願ったから、こうなっただけなのかもしれない。でも俺は、自分の目で見て、感じて、
 これが生きる物の有り様なのだとわかった気がする。そしてそれぞれの個体は必ず死ぬ。
 形質は変化しながら受け継がれ、そうやって環境の変化に合わせていく。
 種とはそういうものだ。生命の鋳型など意味がない。バトルファイトもだ」
「始‥‥お前‥‥」

「剣崎。お前があの時、バトルファイトを継続させていなかったら、
 今頃再びバトルファイトが始まっていた」
「えっ!?」
「地球から勝ち残ったはずの種族が居なくなるんだ。次の勝利者を決めなければならない」
「‥‥そうだったのか‥‥」
「炎と放射能に包まれて、他の生物が居ない中でのバトルファイト。
 ある意味、今度こそ純粋で‥‥正しいバトルファイトになる‥‥。だが‥‥」

始は剣崎をまっすぐに見つめた。
「地球を人間の世界にしておきたいとか、そういうことじゃない。
 俺はバトルファイトの存在そのものを壊したい。統制者の意志も力もいらない。
 それによって、俺達が、全てのアンデッドが、消滅してしまうとしても‥‥」

剣崎が笑った。すっきりと優しい、昔のままの笑顔だった。
「いいよ、始。お前にとことん付き合うよ。オレだってあの石をなんとかできないかって
 ずっと思ってた。でも‥‥具体的にどうしたらいいんだろう?」

「あれはアンデッドの封印と解放を行うシステムだ。敗北を認めて腹のキーが開いてしまった
 アンデッドはあの石に飲み込まれ、カードに封じ込められて吐き出される。
 だから封印の石に封印されるその時がチャンスだ‥‥」

始は後部から小さなケースを取り出して開けた。アンデッド達が眠る51枚のラウズカード。始はそこに自分の持っている1枚を重ねた。

「ここに眠るアンデッドたちが‥‥、このカード全部が、俺達の切り札だ」


===***===

封印の石と呼ばれている"システム"は待機状態から覚醒した。残っていたアンデッドが2体、同じ場所にいる。しばらく滞っていたようだが、やっと決着が付きそうだ。

現場に飛ぶと、カテゴリー2の姿を借りたジョーカーと、カテゴリーは謎だが似た形のアンデッドと融合しているもう1体のジョーカーが対峙していた。もともと1体だったものが2体に分裂してしまったようだが、ジョーカーは特異な現象だ。その振る舞いには揺らぎがある。
それぞれがカードをラウズした。スペード・クラスのカテゴリーAとハート・クラスのカテゴリーA。マンティスはオリジナルのままだが、ビートルの形状は異なっている。融合部位を変化させているようだ。

醒剣と醒弓が火花を散らした。2体の動きがどんどん速く、力強くなっていく。融合の段階で欠落したテロメア配列が急速に修復を始めた。融合係数が過激なほどに上昇していく。戦意が高くなければこうはならない。

そのうち少し距離を取った2体が2枚目のカードをラウズした。と、それぞれのジョーカーの周囲を金色に輝く13枚のカードが囲んだ。それが全て、中心のジョーカーに吸収されていく。片方のジョーカーはスペード・クラスの全てのアンデッド、もう片方のジョーカーがハート・クラスの全てのアンデッドと融合した。"システム"の過去のデータには無かったケース。だが理論上、ジョーカーの融合可能個体数に限界は無い。2体のジョーカーが発するエネルギー波が強大になっていく。

"システム"はただ最後の瞬間を待っていた。



300年ぶりに向き合ったブレイド・キングフォームとワイルド・カリスは、今はただ全てを忘れ、闘争に身を投じようとしていた。

最強のアンデッドとして皆に一目置かれていたカリス。
かたや感情の起伏によって驚くべきパワーを発揮してきたブレイド。

初めて拳を交えたときから血を騒がせる何かがあった。互いに呼び合って止まない闘いのリズム。今はただその韻律に身を委ね、内に宿る全てのアンデッドと真に一体化していく。

かつて仮面ライダーと呼ばれた者達の、最後の闘いが、今、始まる。
己を生み出した因果律を打ち壊し、生命たちの真の解放をめざして‥‥。

<<Back    Next>>
===***===***===***===
2005/8/27 (表紙へ)

background by 幻想素材館Dream Fantasy