エアカーを降りたところで手首の装置が赤い光を放っているのに気づいた。橘と栞が作ってくれた小型アンデッドサーチャー。この姿になっている自分には反応しない。ジョーカーとの距離が400Km以下になるとこうして教えてくれる。お互い苦しまずに済む距離だ。
相川始はそれをはずしてエアカーの中に放り込んだ。もう思い出の役にしか立たない。この体全体の軋むような感覚がすべてを教えてくれる。

すぐ先にいる。生涯の友であり、生涯の宿敵であるものが。

手足の力を抜くと荒い息をつく。体中が熱い。

‥‥懐かしい‥‥。‥‥この、懐かしい感覚。
全身が弾け飛びそうだ。ぞくそくする‥‥。
きっと信じられないほど早く動くぞ。最高だ。最高の‥‥‥‥


胸を押さえ込むと目を閉じた。

おちつけ。俺が囚われてどうする。

始は長く息を吐くと、顔を上げた。

「剣崎‥‥」


 Act.3 巡り遭う日
―― A Conclusion of Masked Rider Blade ――


ヒカル。
急にごめん。とても大切な理由があって、私は地球に残らなければならない。
どうか探さないで欲しい。

いろいろとありがとう。君とレイナに会えてよかった。
君とレイナは私の大切な人達にとても似ていた。
いつもお互いを信じることのできる二人でいて欲しい。どうか幸せに。

そしてシンゴに、君の家族にも、心から感謝してると伝えてください。
アルファが成功することを祈っています。
本当にありがとう。
                         ハジメ・タチバナ

P.S. 一緒に入れたのはオールドパンジーの種だ。レイナお母さんのお母さん‥‥。
   私の友達がとても愛していた花なんだ。
   もし君たちの生きる星でこれが咲いてくれたら嬉しい。


TPC日本支部の廊下を一人の少年が走っていく。途中で二人の職員にぶつかりそうになって睨まれたが、ヒカル・カミジョウは気づきもしない。
ゲートの手前で入ってきた紺色の長衣の老人とぶつかった。
「ヒカル!?」
「お、お祖父ちゃん! た、大変だよ! タチバナさんが!」
ヒカルは握り締めていた封筒を祖父に押しつけ、建物の外に飛び出していこうとした。その手を老人の右手が掴んだ。
「待ちなさい」
「すぐ探しに行かなきゃ、シャトルに間に合わない!」
「いいんだ。あの方の好きにさせて‥‥」

「何言ってんだよ、お祖父ちゃん!!」
ヒカルは捕まれた手を振り払うと祖父に向き直った。
「今度のシャトルが最後なんだよ!! 地球に残るって、どういう意味か‥‥」

「それしか無いんだよ、ヒカル!」
日頃穏和な祖父の大声に少年は驚いて固まった。見上げた祖父の目に涙が浮かんでいる。ヒカルの瞳がまん丸になった。

今この世界でアンデッドとバトルファイトの存在を知るただ一人の人間は、悲しげな顔で孫を見やった。
「ヒカル‥‥。本当のことを話す時が来たようだ。おいで‥‥」

===***===

起伏を一つ越えると、そこに誰よりも会いたくて、会えなかった友が居た。
真っ白い氷の中に立つ巨大な昆虫のようなその姿。するどい棘の生えた甲殻。右肘のあたりから伸びている弁。刃を逆手にした左手を広げ、低く身構えて‥‥。

これが本当に剣崎なのか‥‥。

始はごくりと唾を飲み込んだ。友がジョーカーになっていることを頭で理解していても、目の当たりにすると‥‥。

これは恐怖か‥‥。己の罪への‥‥。

相川始は震える声で言った。
「‥‥剣崎‥‥。俺だ。‥‥始だ‥‥」

ジョーカーが滑らかな動きで左手の刃を順手に持ち替え、切っ先をまっすぐにこちらに向けた。オリジナルとは違う素直な形の剣。その構え方はかつて剣崎一真がカテゴリーAと融合して"ブレイド"となっていた時のそれによく似ていた。
だが、そこから発せられる威圧感は"ブレイド"とは似ても似つかない。こちらを喰らい尽くそうとするピュアなまでの殺気だ。同時に明らかな怯えがその全身に宿っている。殺し合うべき宿命を背負いながら、決して相手を殺してはならない。それを覚えている。

長い年月、たった一人この姿で、我が身を引き裂くような衝動と戦い続けてきたのか‥‥。

「終わりにしよう、剣崎。俺達の彷徨を‥‥」

尖った顎が微かに左右に触れた。脚が少しだけ後じさった。
その恐れが俺には判る。今度刃を交えたら、止められないかもしれない。

それでも全身は荒く息づき、集中と高揚に張りつめている。
その渇望が俺には判る。飢え乾いたものが糧を欲すると同じだ‥‥。

「剣崎。この寒さで地球には人も動物も住めなくなった。もうすぐ最後の人類が宇宙に飛び立つ。
 俺達だけだ。もうこの星には誰もいない。お前は護りきったんだ。だからもう終わりにしよう」

始はすっと顎を引き、目を閉じて本能の声を聞いた。一瞬の不快感を経て懐かしい感覚が蘇った。体中の全ての部位、甲殻の小さなトゲの感覚まで余さず脳で統合される。甘美と言っていい開放感が全身を満たした。


相川始――オリジナル・ジョーカー。剣崎のボディより幾分明るいグリーンに艶やかな黒の甲殻を纏って、350年ぶりに本来の姿に戻った。両手を広げ、羽を広げた白鳥のように優美に身を沈める。

対する剣崎一真――クリエイティッド・ジョーカーから戦慄きが消えた。その身体は相手よりやや大柄で、敏捷さより力強さを感じさせる。左手で掴んだ剣の切っ先を相手に向けたまま、その柄に右手を添えた。肩の洞角が敵に向かって前傾する。

もう人語を発することはできない。だから思念だけをぶつけた。
<コイ。勝チ残ルノハ、オレダ>

どちらからその心の声が発せられたかは、もうわからなかった。


===***===

ヒカルは手紙と花の種の入った封筒をもう一度確認すると、ロッカーに最後のバッグを入れた。本当ならハジメが使うはずだったロッカーだ。萎んだエアパッキングの位置を確認して扉をロックする。スイッチを入れれば内部で自動的にパッキングが膨らんで荷物は固定されるのだ。祖父はもう進行方向に向いて固定したシートに座っていて、ヒカルもその斜め後ろのシートに腰掛けた。
<発進20分前です>
アナウンスが流れた。

「タチバナさん‥‥」
ヒカルが呟いた。

いくら脳天気なヒカルだとて、ハジメ・タチバナが普通の人間ではないことは知っていた。祖父が若い頃のムービーから歳を取ってない。先輩達の噂も聞いている。だが彼を不気味に思っている人もいるが、彼に好感を持っている人だって沢山居る。だいたい人類は既に2種類の地球外生命体と交流しているんだから、アンデッドやらがなんだって言うんだ。

もっと早く知っていたら、もっと色々‥‥。

「お前は辛いかもしれないが、タチバナさんにとってはこれが一番良かったんだよ」
シンゴが前を向いたままぽつりと言った。
「そうなのかな‥‥」
ヒカルの声には納得しかねる響きがある。シンゴは半身を捻って孫の顔を見やった。

「あの人はお友達に詫びたいとそれだけを思っていた。だけど会えば必ず戦うことになり、
 結局は地球上の生命を滅ぼしてしまうことになる」
「そんなこと‥‥」
在るはず無いよ、という言葉をヒカルは呑み込んだ。だが祖父にはそれが聞こえていたようだった。

「あの人も、そのお友達も、私達の祖先も、BOARDの創始者のサクヤ・タチバナも、
 その瞬間が来る寸前まで、心のどこかでそう思っていたのだそうだ。
 世の中が滅びるなんてそんなはずはない。きっとなんとかなるはずだって‥‥。
 だけどその時に起ったのは恐ろしい出来事だった。お友達は全てを背負って去って行き、
 残った3人には深い後悔と哀しみが残り、あの人はそれを抱えて生き続けて来た。
 だからあの人はもう誰も巻き込みたくなくて、ずっと一人で色々なことをやってきた。
 私や私の父も祖父も、本当の意味で彼の力になってあげられてないんだ‥‥」

シンゴはもうヒカルの顔を見ていなかった。壁の一点を見つめてとうとうと語る祖父に、ヒカルは初めて、いつも落ち着いていてなんでも知っている尊敬する科学者のシンゴ・カミジョウでなく、自分と同じように悩んで生きてきた人の姿を見た。

お祖父ちゃんも僕以上に悔しかったんだ。でもタチバナさんの気持ちを大事にしてあげたかった。僕たちの気持ちを伝えても、タチバナさんは困るだけで‥‥。

「‥‥わかったよ、お祖父ちゃん。‥‥タチバナさんは残った方が幸せなんだね‥‥」
ヒカルの言葉にシンゴがこっくりと頷いた。
「この氷の世界が、タチバナさんとお友達の‥‥いや、あの4人の哀しみの終わる場所になるんだ」

===***===

幅広の剣がオリジナル・ジョーカーの胸部めがけて走った。少しだけ身を引くが、オリジナルの右腕も既に舞うようにクリエイティッド・ジョーカーの頭部に向かって伸びていた。相手の尖った顎がくいと上がって、こちらの拳を紙一重で交わす。思うつぼだ。逆手に握りしめている刃を少しだけ起こして振り抜けば、それが敵の喉元を強く薙ぐ。だが次の瞬間、やり過ごしたと思った相手の剣がこちらの腹部にめり込んできた。

すぐに態勢を立て直すが、鎌形のエネルギー波が飛んできて胸部で炸裂した。オリジナルは不覚にも仰向けに倒れ込む。閃光の残像が消えた視界に、上空から飛び込んでくる相手の姿が映った。右肩の洞角を梃子に氷上を半回転して跳ね起きる。高く飛び上がると相手の肩に踵の蹴爪を思い切り叩き込んだ。白い空間に叩き落とされた二体は白のリングを転げ、すぐに跳ね起きる。

いったいどれだけこうしているのか。地に倒れ伏すたびに雪と氷を鮮やかな緑の血で汚しては、また立ち上がる。相手の尖った爪先がぴくりと動けば、それが次のラウンド。技の類似点と相違点が二つの異形を戸惑わせる。アンデッドの中でもずば抜けているジョーカーの生命力が闘いを延々と長引かせていた。

身体の全ての機能が、細胞の一つ一つが、相手を倒すためだけに集中する。嬉しいという感情に割く余裕すら無い。完全な統合。完全な連携。動きが見えるだけではない。ずっと先まで読める感覚。


たてつづけに緑の光が飛んでくる。オリジナル・ジョーカーもまた同種のエネルギーで自らの刃を包んだ。だが彼はそれを放たない。珍しく順手に持った刃で、飛来するエネルギーを弾き、あるいはからりと巻き付けるように受け止めては投げ返す。そのまま敵に向かって鬼神さながらに突進していく。クリエイティッド・ジョーカーが思わず数歩後じさった。

その時だった。オリジナル・ジョーカーが立ち止まった。

(タチバナさん‥‥)

頭の中に響いた声を求めて周囲を見回す。聴器官に下がる重力関知のためのチェーン器がゆらりと揺れた。

<‥‥ヒ‥‥カル‥‥‥?>

あろうことか。闘いの最中に在りながら空を仰いだ。
辛うじて青いと言える空。一直線に伸びていく軌跡‥‥‥‥。

(‥‥タチバナさん‥‥)

<‥‥ヒカル‥‥。ヒカル、シンゴ、レイナ‥‥>

日本を飛び立った最後のシャトル。ちょうどこの大陸から見える軌道をとる予定だった。オリジナル・ジョーカーの脳裏に本能に押しやられていた映像が浮かび上がる。

<みんな‥‥。橘‥‥。睦月‥‥剣‥‥>


いきなり幾重にも絡み合ったエネルギー波が、オリジナル・ジョーカーのボディに飛び込んだ。吹き飛ばされて枯れ木にぶち当たる。顔を上げた時はもう、振り下ろされた大剣を避けるには遅すぎた。

<‥‥‥‥!>


オリジナル・ジョーカーは二千の瞳で頭上でぴたりと止まった刃を見つめた。切っ先がぶるぶると震えている。
雪の反射が相手の顔面を覆う半透明の甲殻の中を照らしている。表情という不要な要素が無いただセンサーの集まりであるその頭部。人間が見れば悪鬼かもしれないが、これが己の顔であり、友の顔だった。

<‥‥剣崎‥‥>

心の中で呼びかけると、頭上の刃が消えた。自分の手の中のそれも。

相手の目を見つめたままそっとカードを出すと自分の腹部にスラッシュさせる。人の姿に戻った相川始は、もう一枚のカードを差し出し、震える声で言った。
「これを‥‥」
マークもカテゴリーもないSPIRITのカード。そこには始の持つカードと同じ、端正な人間の横顔が描かれている。

緑の指がそのカードを掴む。クリエイティッド・ジョーカーはゆっくりとそのカードを自分のラウザーに滑らせた。

異形の輪郭がぼやける。時が止まったかと思うほど長く感じられた。石を投げ込んだ水面が静まって、映り込んだ風景が明瞭になる時のように、そこに一人の男が現れた。男は不思議なものでも見るように、自分の掌を、身体を見回している。

「‥‥剣崎‥‥」
始が絞り出すような声で、男の名を呼んだ。

剣崎一真はしばらく呆けたような表情で相川始を見つめていたが、その顔にどこか子供っぽい笑みが浮かんだ。

「‥‥はじめ‥‥。おまえ、泣けるんだな‥‥」

発音もまた、子供のようにぎこちなかった。意味を理解した始が、少し驚いて、自分の目に手をやった。指先についた雫がすぐにぱりぱりと氷になった。

それはこの存在が、生まれて初めて流した涙だった。

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2005/8/8 (表紙へ)

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