その12:なんでも有りパワー 〜ウルトラマンダイナ〜

さてさて平成ウルトラマンもやっとダイナまで見終わった。
ウルトラマンシリーズは子供の頃に見たエースで止まってる。平成ウルトラマンに手を出したのはネットでウルトラマンティガの評判を読んだからだ。中には「ウルトラセブンと並ぶ傑作」とまで書いておられる人がいて、そこまで言われたら見ないわけにいかない。評判の高かったクウガや人気のあったガオレンジャーが、実際にそれなりに良い作品だったと思うので、ティガも期待できると思った。

と言いつつ、いきなりダイナの感想を書くのはヘンかもしれない。実はダイナにはあまり期待していなかった。ネットで読んだ評価を総合するとティガが素晴らしく、ダイナは中だるみで、ガイアはマニア向け傑作という感じだったからだ。
確かに。確かにティガに比べるとあまりに軽々しい画面。シーンのバラエティも少ない。いかにも予算が無かったんだろうと思わせる。バラエティ中のドラマのようなギャグ回もけっこう多い。そしてまた主人公であるアスカもなかなか飛んだキャラだし、ストーリーも重いテーマは少ない。従来のウルトラマンファンに言わせれば物足りないと言われても仕方がなかったのかもしれない。

だけど見てると何故か面白い。私的には面白さという意味ではダイナもティガと遜色は無いのではないかと思ってる。
ティガは確かに色々なテーマを投げた。だが感覚的にはわかるが何かこうもう少しはっきり台詞にしてもいいんじゃないかというもどかしさを感じる回が割に多かったのだ。怪獣をあっさり倒していいのかという疑問に対しても、結論めいたものは描かれない。もちろん真摯に考えているから余計答えが出せないのだと思うのだが。結局その問いはガイアを通してコスモスに引き継がれる。これがまた円谷の凄いところではある。

ダイナはその意味では実にあっさりしていた。怪獣を倒して良いのかというウルトラシリーズ最大の問題点には敢えて目をつぶり、「夢を捨てちゃいけない。諦めちゃいけない。人は前へ進むようにできているんだ!」そういった判りやすいことに焦点を絞り、それを明確に言葉にした。
世の中確かにあっさり答えの出ないことは多い。ティガが視聴者に考えさせ「己の内にあるものに気付け」と語りかけたのに対し、ダイナは色々あれど「俺達はこう思う!」とはっきり語った。そこが痛快に感じられるのかもしれない。

例えばヒビキ隊長の娘の話などがとても印象に残っている。ヒビキは厳しい親父で、それを束縛と感じる娘は反発し、学校では問題児とみなされる集団の中に入っている。
そこに人間から闘争心を奪って武器にしようという宇宙人がやってきて、娘やその友達の反発心は奪われ「良い子」になってしまう。「私を殺せば娘はまたお前を憎むようになる」という宇宙人に対してヒビキは言い放つ。「それでいい。娘が娘のままありさえすれば。たとえ娘が私を憎んでも、全てを受け止めよう」
ティガでもイルマ隊長の息子の話がある。仕事が忙しくて息子は義母に預けたままになっているイルマは、夫の死に目に立ち会えなかった引け目もあって息子との溝をどう埋めるか悩んでいる。そんな息子と義母が異星人の策略に填りそうになる。最後はもちろん助かるのだが、ストーリーの中で母と息子、義母の絆は明確に言葉にはならない。ただイメージとして語られるだけ。ティガとダイナの差を象徴的に表していると思う。

ダイナの二つ目の魅力に主人公アスカのキャラの特異性がある。ウルトラマンの主役は代々、芯は強いし根性も大有りなのだが、基本的に組織人として仲間と協力的に動く良識的なキャラが多い。隊の方針に異を唱えることはあっても、あくまで「異を唱える」範囲だ。
だがアスカはかなりぶっ飛んでいる。基本的に目立ちたがり屋で傍若無人。シャア少佐が見たら「認めたくないものだな‥‥」と言われてしまいそうな若さ故の怖い物知らず。全体感無視の直情径行猪突猛進タイプなんである。
最初の数回を見ると成長型ヒーローなのか?と思わせつつ、実は他の隊員がアスカに影響を受ける回が多い。もちろんアスカが自分にはウルトラマンになる資格があるのかと悩んだり、副隊長の命令に背いたことを反省する回もあったりするが、結果的にアスカは皆を照らす光であり続けるのだ、最後まで‥‥。
先日終わったデカレンジャーのバンがアスカに似てるかもしれない。バンの方がアスカよりもっと自信ある感じか。デカレンもスタートはてっきり成長型レッドかと思ったのだが、実はメンバーがバンに影響されて成長していくことが最初から意図されていたのだそうだ。

そしてダイナ最大の魅力は、どんなストーリーでもなんの違和感もなく「それは有り」と感じさせてしまう、ワールドそのものが持つキャパシティのでかさだと思う。
作戦室にいきなり書き文字が出たり、参謀がいきなり怪獣の名前をどでかい半紙に筆文字で書き始めようが、かつてのガッツメンバーが宇宙海賊のカッコでいきなり登場しても、夢落ちでも、違和感なく素直に楽しめる。
もちろんギャグだけじゃなく、ヒビキと娘やアスカとその父親の話など親子の絆がずっしりと語られたり、隊員たちの必死の活躍や隊長と隊員たちの信頼が熱く描かれ、そして時には、参謀と異星人の淡い恋が描かれたりする。本当にギャグもシリアスも恋のドラマも、なんでも有りなんである。

ガオレンジャーも多分にこういう幅広さを感じた。それがガオの人気の一因だったと思うが、ダイナの方がキャパはもっと広い気がする。これは敵が毎回異なることや、スーパーガッツという組織があるため色々な立場と年齢のキャラが絡ませられるというウルトラマン・シリーズの特徴故だろう。
例えばタイムレンジャーやギンガマンにも「そばにある夢」や「トマトの試練」などのギャグ回があったがどこか浮いた感じが出てしまう。あれだけの名シリーズでもなんでも有りパワーはそう簡単には出ない。ポワトリンやらトトメスの不思議少女シリーズは、一見なんでも有りだがそうでもない気がする。ギャグもシリアスもどこか掛け違えた不思議感が必要だからだ。まああのシリーズは浦沢氏以外が書かれた作品が無いからなんとも言えないのだが‥‥。

「何でも有りパワー」はけっして計算で出るものではないのだろう。敢えて言えばあまり細かく設定を決めず、緩い状態から始めて、そんな中からたまたま醸し出されてくる雰囲気のようなもの‥‥。それが出せるかどうかは運命。
そんな不思議な「何でも有りパワー」を持っているウルトラマンダイナという作品が好きだ。
そんなダイナだから、そんなアスカだから、最後は帰ってきて欲しかったとも思う。谷を抜け出した最初の人類と同じ、人類の記念すべき旅立ちになるのであっても。
ダイナミックのダイナ、ダイナマイトのダイナ、大好きなダイナなんだから‥‥。

2005/03/26

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