その11:ガオの夢・クウガの夢 〜爆竜戦隊アバレンジャー〜

今年の2月に終わった戦隊シリーズ「爆竜戦隊アバレンジャー」は、結果的にはあまり成功したとは言えないのかもしれない。ただ私にとってはやはり印象深い戦隊だった。

私はアバレンのメインライターの荒川稔久氏の脚本が好きだ。真剣に考えられた構成にも感心するのだが、思いやりや一生懸命さといった言い古されているが大切なものを、衒い無くポジティブに扱っているからだ。標語だけ並べ立てた感じじゃなくて、本当にそういった事が大事と心から思っていて、それを子供達に伝えたいと思ってる。そんな感じがする。
アバレンの前半にあった水たまりを飛び越えられない少年の話や、かけっこが大好きなのに運動会が無くなってしまった少年の話は、いまだにとても印象に残っている。

さて、アバレンジャーでまず面白いと思ったのが、ガオレンジャーの夢を再現しようとしていたように思えることだ。私の知人の子供では、ガオの後、ハリケン、アバレンを経た後で、なおガオレンジャーのロボットがお気に入りという子がいる(ちゃんとハリケンとアバレンのロボも持っているのに、だ)。番組制作者側にしてみれば、あれはまさに夢の戦隊だったと思う。

アバレンジャーは動物の代わりに恐竜のモチーフを使い、ガオソウルをダイノガッツに置き換え、複数のロボットを登場させるというガオメソッドを採用した。
ただしガオレンジャーでは大量に存在したパワーアニマルだったが、爆龍は有限だった。そしてガオでは殆ど喋らなかったロボットたちに、明確なキャラを持たせた。これが吉と出たか凶と出たかは評価の分かれるところだろう。

幸人をひたすらに慕うトリケラや、子供に対する責任感を語るティラノ、そして自分の存在理由を探してアバレキラーに惹かれていくステゴのエピソードなど、どれも実に印象深い。だが戦士達以外にあれだけの多くのキャラを描いていくのは大変だし、それ以上に声優さんへのギャラが大変だったと思う(苦笑)。大人にとっては明確にキャラのある爆竜たちは可愛い。だが、それを子供向け30分番組の中で維持していくのはけっこう大変なことなのかもしれない。
有限だと全部の玩具が作れるメリットはあったろう。だが、ガオレンジャーのパワーアニマルやハリケンのからくりボールのようなワクワク感は無くなった。大人にしてみればなんでもありはイマイチなんだろうが、子供は違う。いやはや本当に難しいと思った。

その目で見ていくとデカレンジャーのロボットはまたがらっと変わっている。タイムレンジャー以降CGに頼りすぎだった感のあるロボット合体シーンを、昔ながらのきちんと玩具を使ったものに戻した。CGだと玩具を買った子供がTVと違う!と文句を言いそうで心配だったが、昔の方式なら大丈夫だ。
なによりデカレンジャーは、玩具会社だけでなく幅広いスポンサーを得たのが素晴らしい。玩具会社だけに頼ると、スポンサーの意向でロボットや武器をどんどん生まなければならなくなって振り回されそうだが、スポンサーの種類を増やせばそれが防げるのかもしれない。

そういえばアバレンジャーの失敗をデカレンジャーで生かしたという点では、キャラの区別を明確にしたことがありそうだ。アバレンジャーは、凌駕とらんる、そしてアスカと、4人のうち3人が同じ方向性を持ってしまった。個人的には凌駕もらんるもアスカも大好きだったのだが‥‥。実際問題、あんなシチュエーションで戦士を集めたら、かなり似た奴が集まる気がしないでもない。元々ダイノガッツに溢れていて、変身して敵と戦おうというわけだから‥‥(苦笑) でもあそこまで被ってしまうと、ストーリーにふくらみが出しにくいという部分はあるかもしれない。
それで反省したデカレンジャーは初っ端からキャラが立ってる。仙ちゃんとジャスミンという絶妙なキャラがとてもいい味を出していると思う。


アバレンが実は書こうとして書けなかったテーマ。それは第19話のアスカの一言に集約されている気がする。
「アバレンジャーが4人居るのは複数いれば意見も色々出て暴走しないからです。だけどアバレキラーは1人で敵に立ち向かう発想で作られたため、凶悪で強力な爆竜を相棒としている」

強力な一人より力を合わせる複数の方がいい。
「皆で力を合わせて」
それは綿々と続いてきたスーパー戦隊の最大のテーマだ。

それで封印されたアバレキラーが登場するわけだが、その配置が今から考えると難しいものだった。
1)アバレキラーはチームワーク型ヒーローの対比としての、パワー集中型ヒーローとして置かれた。
2)同時に「自分が楽しければ何をしてもいい」という、「根本からの悪」としても置かれた。

1)だけなら、最終的にはキラーが5人めのアバレンジャーとなり、仲間と力を合わせて戦う‥‥と持って行けばいいので、治まりが良い。だが、そのキャラが2)の要素も併せ持ってるとすると、どうしたらいいのか。徹底的な悪にまず改心してもらい、次にチームワークに目覚めて貰うという、なかなか大変な道のりになってしまったわけだ。

アバレキラーそれ自体は「最強のパワーを持った徹底的な悪」という判りやすいものだ。だから役者さんのノリも手伝って、どんどんキャラが立ってしまった。それをなんとか押さえ込まなければいけないのだが、キラーには前述した二つの要素が入っているため、打倒キラー!だけで進んでいくわけにもいかない。
迷った末にヒーロー側にマックスモードが登場したことで、1)のテーマについて完全にぼやけてしまった。マックスモードは他の2人の力をレッドに託すもので、最初からレッドが強いわけではないのだが、集約型vsチームワークという対比にならない。


なぜアバレキラーが「根本的な悪」も持ってしまったのか‥‥。
私はここに、クウガの夢があるような気がして仕方がない。

凌駕を見たとき、まるで五代雄介だ、と思った人は多いんじゃないか。人間への夢への希望への、徹底的な信頼。アバレンジャーの第9話、皆の心を纏めて岩を動かして異世界から脱出する話こそ、まさに凌駕だった。
だがその信頼を打ち砕くようなものが現れたとき、彼はどうするのだろう。

クウガでは五代雄介の信頼を裏切るものはいなかったのだ。敵はどんどんと強靱になっていったが、雄介はいつも温かい人たちに囲まれていた。未確認生命体に憧れる蝶野のエピソードはあったが、五代雄介の信頼が脅かされたことは基本的に無い。
クウガのアルティメットフォームは相手への憎しみで到達した究極の形態だ。だが雄介が最後に変わったそれは、真の凄まじき戦士じゃなかった。それは彼をアルティメットに変えたものが「信じていたものに裏切られた憎しみ」じゃなかったからだと思う。そこにあったのは、ただ怒りと哀しみだった。

雄介だって誰かに裏切られ、それを憎んだことがあったのかもしれない。それを乗り越えたから、今のあの自信に満ちた雄介がいるのだろう。そのドラマを書きたいと思う気持ちが、荒川氏の中にあったんじゃないかと。凌駕が裏切られ、憎み、それを解消する‥‥。それはクウガに至る道。

だが、人を信じる凌駕が「裏切られた」と思うためには、悪の側が本当に悪くないとダメだ。クウガのダグバのように「戦いたい」だけじゃ憎しみを作れない。
そうしてキラーはあのような悪になった。凌駕もまた怒りを爆発させてそれに対抗した‥‥が、ただその路線は描き切るにはちょっとヘヴィな命題だった。

ダイノアースとアナザーアース、アスカとマホロとリジェ、呪いの鎧。ただでさえ色々なものが絡み合う中で、まっしぐらに求めて行くにはやや困難なものが「思い」と生まれてしまったアバレンジャー。これでは確かに衒いなくアバレることが難しかっただろう。
でもこんな風に思うと、逆に作った側に親近感を持ってしまうのは私の贔屓目なんだろう(笑)

最後に一つ。一度でいいからぜひ奥村氏に変身して欲しかった! アバレシルバー。いつかやってくれるのでは、と期待していたので、これだけは残念だった(笑)
2004/07/25

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