第3話 蒼い炎
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 窓から入ってくる昼の強い日差しが佐原探偵事務所の一室に入り込んでいた。
 佐原は書類が山積みのデスクから、正確にいくつかの資料を選り分けた。脇のデスクに腰掛けている黄龍にそれを手渡す。
「じゃ、これ。今回のお仕事の資料だよ」
「あ、どーも、所長」
 黄龍が手を伸ばして受け取る。
「先ずは君に下見に行って来て貰いたいんだ。それから後は・・・・・・」
「お父さんの出番、よね?」
 コーヒーを乗せた盆を手にして、佐原の一人娘、瞳がからかい混じりに言葉を繋ぐ。
「悪いっすね、こればっかりは俺もお手伝いできなくて」
「通常の探偵業なら君にも任せられるんだけどね、暴力団絡みとなると流石にね」

 黄龍は受け取った書類に目を通し始めた。その隣では佐原が尚ぶつぶつとぼやいている。
「健が他の仕事掛け持っちゃったから、その分私に鉢が回ってきてね・・・・・・やれやれ、探偵稼業も楽じゃないですよ」
「働かざる者食うべからず!いい機会よお父さん、今まで健さんに面倒押し付けてた分頑張ってみたら?まだまだ現役なんだから」
「でも若くもないですよ?もうそろそろ楽をしてもいい年じゃないか」
 親子の温かい会話の応酬が為されている横で、黄龍は書類に一通り目を通した。
「・・・・・・あ〜らら、こいつは確かに下見必要なみたい。じゃ、早速行ってくるとします」
「先ずは依頼主に会って、詳しくお話を聞いてきてくださいね」
「は〜いはい、わかってますって」

 立ち上がると、それらの書類から更に数枚を選んで鞄に放り込む。その鞄を手に提げて、黄龍は扉へ向かった。「行ってらっしゃい」と手を振る瞳に愛想良く微笑むことも忘れない。
 黄龍がドアノブに手を掛けようとしたまさにその時、扉が音を立てて勝手に開いた。目を点にする黄龍。瞳が声を上げる。
「健さん!」

 ドアの前に立っていたのは黒羽健だった。
「どうも、ご無沙汰してます、おやっさん」
「健!久しぶりにこっちに来てくれたんだね・・・・・・もう、お仕事溜まって大変なんですから、少しは手伝ってくださいよ」
「そいつは申し訳ない・・・・・・こっちにはちょっと野暮用で」
 言うと、眼前の黄龍を指差す。
「ジャストタイミング。おやっさん、これちょっとお借りします」
 事務所の先輩である黒羽のあまりの言い草に、黄龍はムッとして抗議する。
「黒羽・・・・・・いきなり来たと思ったら『これ』呼ばわり?そいつはねーんじゃねーの・・・・・・っていてててて!?耳、耳は引っ張るなっての!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい健!彼はこれから仕事が・・・・・・」
「すいませんおやっさん、すぐお返ししますんで」
 黒羽はそう言うと、黄龍を引きずりさっさと退室した。ばたんと閉まった扉の前には黄龍が取り落とした鞄だけが残された。瞳は鞄を拾い上げ、先程放り込まれた書類を取り出し父親に手渡す。
「はい。いってらっしゃい、お父さん」
 娘の一言に、佐原は思わずがっくりと肩を落とした。



「・・・・・・で?」
 人気のない裏路地。そこで自分が発した最初の一言がそれだった。
 いるのは自分と自分をここへ連れてきた黒羽、そして初対面の男が一人。会話から察するに、黒羽とは随分親しいようだ。彼は赤星と名乗った。しかし、彼の話は、自分にはおおよそ理解できないことだらけだった。
 何処の世界に、いきなり「俺達と一緒に正体不明の敵と戦って欲しい」などと言い出す人間がいるだろうか?・・・・・・いや、実際ここにいるのだが。
「『で?』・・・・・・って・・・・・・」
 赤星は一瞬言葉に詰まったが、めげずに繰り返した。
「俺達と一緒に、正体不明の敵と戦って欲しいんだ!」
 ・・・・・・それはもう聞いた。
「じゃ、聞くけどさ〜・・・・・・あんたと黒羽、一体何なわけ?」
「う・・・・・・」

「残念ながらそれは言えん。答えがわかってるくせに聞くんじゃないぜ」
 再び言葉に詰まった赤星をフォローするように、黒羽が答える。
「だんまりってわけ?それじゃ判断材料少なすぎねー、いくらなんでもさ?そんなんで信じてもらおーって方が間違ってんじゃねーの?」
「ま、信じられないのも無理はないがね・・・・・・だが俺が保証するぜ、こいつは正真正銘真っ当な『仕事』だ。世のため人のため、って奴さ」
「詳しいことは引き受けたら、ってわけね・・・・・・黒羽、あんたもまた面倒そうなことに足突っ込んだね〜・・・・・・俺様とてもついて行けそうにないって感じ?」
「引き受ける気はない、ってことか?」
 厳しい表情で尋ねてくる赤星にこれ見よがしにやる気のない態度をとってみせる。

「俺様、そーゆーの嫌いなんだよね〜。いわゆる『セイギノミカタ』ってやつ?」
「何故?」
「綺麗事ばっかりだからだよ!」
 何を当たり前のことを聞いてくるんだか、とばかりに爆笑する。
「んで、もーひとつ」
 その瞳が急にぎらりと光って赤星を睨み付けた。
「俺様、あんたみたいな奴が世界で二番目に嫌いなわけ!黒羽、あんたにはわりーけど断るわ。他当たってよ」
「・・・・・・おい!待てよ!」
「ほっとけ、赤星!」
 さっさと裏路地を抜けていく黄龍を追いかけようとする赤星だったが、黒羽に引き留められる。

「あいつはああいう奴だ。そう言っただろ?これ以上しつこく追いかけたりしたらもっとへそ曲げちまう」
「・・・・・・」
「お、へこんでますな、赤星隊長」
 暫くの沈黙の後、赤星は溜息をついて苦笑した。
「ああ、正直な・・・・・・あんなにきっつい言葉吐かれたの初めてだぜ。ひねくれもんって居る所には居るんだなー・・・・・・」
「ま、気にしないこった。お前は自分の吐いてる台詞が綺麗事ばかりだと思うか?」
 首を横に振る赤星。
「フッ・・・・・・だったら気にする必要も無い筈だぜ?リーダーってのはいつだって自分に絶対の自信を持ってなきゃな。だからこそ、仲間もリーダーを信じてついていけるんだ」
 赤星はひとつ頷くと、ちょっと笑った。
「・・・・・・俺、お前が居なかったら多分、仲間五人集められずに終わってたな、きっと」
「おや、そいつは嬉しいお言葉」

「とにかく作戦の練り直しだな」
「どうする、赤星?他に似た体格の奴を捜すか?」
「いや・・・・・・あのくらいの体格の人間は、他を捜しても少なそうだし・・・・・・仮に見つかったとしても満足に戦えるかどうかわからないだろ?その点あいつなら射撃の腕だけでも充分買える。・・・・・・けど、本当に大丈夫なのか、あいつ・・・・・・?あの分じゃもし仲間になったとしても・・・・・・」
「心配しなさんな。この俺が紹介したんだぜ?これでも人を見る目はあるつもりですよ」
「・・・・・・」

 不安げな赤星だったが、黒羽は取り合おうとしなかった。先立って路地を出る。黒羽はそこで意外な人物を見た。
「おやっさん!?」
「・・・・・・健?健じゃないか!こんな所で何してるんだい?」
 佐原も意外という面持ちでこちらを見る。
「おやっさんこそ!」
「私はこれから依頼先の下見に行くんですよ。黄龍君はどうしたんだい?君が彼を連れて行ってしまったお陰で私が先方に出向かなければならなくなってしまったよ」
「いやあ・・・・・・逃げられちまいましたよ」
 苦笑する黒羽に佐原は「そうかそうか」と悪戯っぽく笑う。小さな子供が面白い悪戯を思い付いたようなその笑みが、彼には何故か不思議に似合った。佐原は突然、黒羽の手をしっかと掴み宣言した。
「丁度いい・・・・・・たまにはこっちを手伝って貰うよ!」



 とっとと仕事に戻らなければならない。危険な仕事を扱うことの多い佐原探偵事務所では只でさえ自分に出来る仕事は多くないのである。
 黄龍はふと立ち止まった。書類にあった下見の場所はこのすぐ近くだった事を思い出したのだ。
「行ってみっか〜・・・・・・最も、もう所長が行っちゃってるかもしんないけど」
 進路を変えようとして眼に飛び込んで来たのは一台の車だった。
「・・・・・・!?」
 思わず足を止める。その車に、黄龍は見覚えがあった。あの車は確か・・・・・・。
 車は角を曲がって消えた。黄龍は猛然とダッシュした。幸い、依頼先はここからそう遠くない筈だった。



「・・・・・・ご店主、いい加減折れては頂けませんか?他の店はみんな、土地の売却を容認しました。この店だけ頑固に拒否していても仕方ないでしょう」
「何が仕方ないものか!!」
 小さな骨董品店に一喝が響いた。驚いたことに、古い商店街の隅々にまで通るその一喝はしわくちゃの小さな老人が発したものだった。相手が屈強な男達を連れていてもひるみもしない。
「どうせその契約書も、貴様等が脅して書かせたものだろう!」
「おいおい、人聞きの悪い事言うんじゃねえよ」
 黒服にサングラスという、何ともワンパターンな後ろの男達四人のうち、一人が口を出す。彼等を引き連れている背広の男がすっと腕を上げると、男は押し黙った。

「事実だろうが!この商店街の者は誰一人として貴様等を心良く思っておらんぞ!」
 杖を突き小さな椅子に腰掛けた老人が、枯れ枝のような腕を差し出し指差す。その人差し指は目の前の男達を経由し、最後に出入り口の扉を指し示した。
「さっさと出て行け!答えは変わらん。儂の店が最後の砦だ。陥とせるものならばやってみるがいい!」
「頑固爺が・・・・・・」
 言いながら、背広の男のにやにやとした表情は変わらなかった。
「ところで、この辺にも最近何処ぞの暴力団が出没し始めたそうですな。聞けばお宅にもお孫さんが居るとか。気をつけた方が宜しいのではないですかな?」
「・・・・・・!!貴様等!?」
 老人が眼を見開き立ち上がった。椅子が大きな音を立てて倒れる。
「やはり貴様等だったのか!!七瀬のところに何をした!?言え!!」
「ああ、七瀬陶器店のことですか・・・・・・そう言えばあそこからもごく最近、承諾書にサインを頂きましたな。いいえ、我々は何もしておりませんよ?やったとしたらその暴力団でしょうな・・・・・・!」

「貴様等・・・・・・!!」
 老人はかっとその眼を見開いた。
「葵に手を出したら赦さんぞ!!」
「・・・・・・お爺ちゃん・・・・・・?どうしたの?」
 会話を聞きつけ、店の奥から一人の少女が顔を出す。制服から見るに、どうやら高校生のようだった。帰ってきたばかりらしく鞄を手にしたままだ。
「葵!呼んでなどおらん!さっさと部屋に戻っておれ!」
 男達を見て顔を強張らせる少女に目もくれず、背広の男はもう用は無いとばかりに立ち上がった。
「言っておきますがね、我々の後ろにはあの黄龍コンツェルンが控えているんですぞ・・・・・・金なら充分お支払いいたします。どうぞご再考下さい・・・・・・明日、また来させていただきますよ」
「悪党共め・・・・・・!!」
 呪い殺さんばかりにこちらを睨み付ける老人を鼻で笑って、背広の男は身を翻した。その後ろに黒服の男達が続いていく。
「お爺ちゃん・・・・・・」
 不安げに声を掛けてくる孫娘に答える余裕は無く、老人は憤慨した表情で椅子を正した。
その時、外で何かを殴る音と、何かが倒れ伏す音がした。



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