Fragile Love  (戻る)

 告白をしようと練習を重ねたり、無茶なポーズをとったりと鏡の前の人間は滑稽であり、また、偽りとしか思えない。
「あはは…」
 似合わない。限りなく童顔の細面は、およそ女性向きじゃない。

 けれど…けれど。
 儚い想いよ、かの人にその意味を漂わせず、ただそこに在るがいい。


 南青山にちょっとしたロシア料理の店がオープンしたのだ。しかも開店当日はいくら食べても飲んでも(この場合、酒も入る!)タダ同前の値段だとか…。
 同僚に聞いた時は「へー、そうなんだ」としか答えずあまり興味など持たなかったのだが、
「女の子を連れていったら、喜びますよー、あ、私は娘を連れてデート、といったとこです。そうそう、妻もついてきちゃいますが」
 丁寧な物腰の林ドクターは、三十を迎えたばかり。今年五歳になった娘を溺愛する困った脳外科医だ。ちなみに彼の妻は、洵の大学時代のクラスメートで旧姓橋本美奈子という。現在、林家の専業主婦をやっていて、独身時代のすらりとしたプロポーションは見る影もないと小耳に挟んだものだ。幸福とはかように女性をふくよかにさせるシステムらしい(!)。
 美奈子が可愛かったのは外見だけでなく趣味もで、解剖中、白衣の裾からこぼれ出たピンクハウスの新作のフリルをめくりあげていたのを洵はよく憶えていた。これは、孫洵の特技の一つでずば抜けた記憶力のなせるワザなのだ。
「美奈子さん、まーだ、先輩に服とかねだっているんじゃないですか?でも、いいですよね仲良い夫婦ってのはー!僕、ノロケ話で耳ダコこしらえたくないんですけど?」
「…そういうヤボな台詞を付け足さないでくれないかい?ああ、いってるさ。いきすぎて困るくらいだって、ねえ?」
「よかったですねぇ」
 同時に苦笑する二つの顔はこれまた同時刻に飴玉を口に含み、「では」とロッカールームを飛び出た。

 西都病院。ちょっと大きな施設、複雑な造りとなっていて初めて来る者は必ずと言っていい確立で迷う。病院なんだし、何も大層に渡り廊下を何本も繋げなくとも…まるで城だ、とボヤく。遠目にも照明が青白く映る院内は特殊コーティングを施したガラスで包まれ、大型のジュエリーボックスみたいだと口走った事もあった。そう、まだまだやらねばならない事も、知識という名の武器は医師を目指す研修医の自分の前に山と並んでいる。いつかきっと白衣を着て、あの中の患者を助けられるようになりたい。抱く願望とは裏腹に、まずは覚えるオペ式ばかりで現実はそう甘くない…若々しい童顔をしかめ、洵は横断歩道の信号が青になるのを待っていた。
 
「あ」
 着信。淡い栗色の眼差しをコートの内ポケットに向け、洵はストラップの束ごとそれをたぐり寄せ、ピッ、と一つのボタンを押し、ささっと耳元にあてる。
 最近はまった歌手の歌をそのまま着信メロディにしているので、携帯が鳴るのが楽しみな洵である。色は、自分の一番好きな緑系。ライムグリーン。メタリックな造りのそれは特別製で、父、葉隠暁紘が持たせてくれたモバイルである。忙しい身分となった我が身と息子をつなぎあわせる絆が機械とはなんとも皮肉だが、いかにも父らしい表現方法。そして、洵の番号を知る者は数少ない。
「えっとぉ…もしもし…あっ!元気だよ、うん…これからって…?」
 それとなく浮かぶ、苦笑。
 鼻歌をふんふん、と、白い息を月光に吹き付けて駅に駆け込むと早速、急行でとある場所に向かった。

 夜の21:00。喫茶店『森の小路』、とネオンを外に、ドアには『close』と閉店を示したプレートが丁寧に下げられている。
「竜太さん、どうも、お久しぶり!」
「おお、来たか」と待ち受ける存在はけして似合わない黒いエプロンを身につけていた。硬めの髪質に独特のはね具合がトレードマーク。少々怖そうな顔立ちの割に柔和な目付きが人に安心感を持たせる。
 この男性、名は赤星竜太、という。
 
「マスター、クタクタになったお客さんになんにも出さないの?それとも、こっちに色々と弄ってもらいたいのー?」
「はいはいわっかりましたー…」
 いかにも体育系のみっちりとした肉体、背も高く、これでグラスを洗おうとしたら割ってしまいそうだ。その歩き方、いかにも「厨房には馴れてません」的で、奥の戸棚からコースターを取り出す仕種がそそっかしい。洵は、疲れた身体を乗り出すように腰をかけ、前方の竜太の姿を見守る。ぴょこんとした髪の一部が揺れ動くのを眺め、交互に店内を眺め、壁に飾られているラッセンのパズルに目をとめたところ、
「ほれ、こういうの、好きだろ?」
 カウンターにはちょこん、と陶器のカップが置かれる。甘い香り、ココアだ。
「やりぃ!ありがと、竜太さん!」
「どういたしまして」
「…で、用事があるから来い、っていったじゃないか。どういう事?」
  
 竜太の父親と、洵の養父である葉隠は数十年来の親友である。
 と、なれば当然そのとばっちりをくらうのは最初が竜太であって、次は…。
「…うそぉ?!」
「おいおい、俺がいつ嘘をついたっていうんだ。この目を見ろ!」
「うわー、そんな乗り出さないでっ!見ているよぉー、見ているってば。でもそんな、突拍子もない話を聞かされてもなぁ…」
 無理もないか、と竜太が呟くのを耳に思わず手が震えている自分に気がついた。横でコーヒーをガブ飲みするマスターは帳簿とも戦っているが、まさかこれからの未来に戦闘する相手が『異次元の存在』だなどと言われても…そうそう納得いかないのが世の中の定義だろう。
 ボールペンを握る右手は、相変わらず大きい。自分の白い手とは大違いだ、と別の事を脳裏に浮かべてはやがて、洵は傍に置いてあった電卓を竜太に手渡しながら、諦めの態で優しく語りかける。
「その、化物ってあとどれくらいで来るんだっけ…?一年間、それまでは不定期に出現する化物と対決するっていうけど、なにかデータとかあって、それで戦うの?大体、その敵の正体は、なんなの?」
「博士には何も教わっていないのか?」
「…うん」
 あ、でも…と、洵は竜太に向かって「博士、ケーキを焼くのが、頻繁になったかもしれないや!」と叫んで、そこで妙な音を耳にした。

 ボローン…。
 白いギター。月明かりを弾いて、弾き手をも影にする。
「やれやれ。博士も発明以外だと目をくれないって訳か。しょうがないお人だな」
 黒を主とした服装で颯爽と、いつの間にか同じカウンターの端で腰を下ろしている男。
「愉快だねぇ…」
 キッチンから持ってきた林檎に丸ごとかぶりつき、愛器(?)を静かに隣席にそっと置く。と、そのまま席ごと二人の方に移動させ、
「赤星の説明だとちょっと、心許ない。おまけに要点ゼロだと宣伝しているみたいじゃないですか、孫さん?いや、ドクター孫」
「…黒羽…黒羽、健さん…?」
 洵の囁きに男は「記憶力抜群だな」と、口笛を鳴らす。

 養父、葉隠暁紘の所属していたOZ本部に一度だけ赴き、忘れ物の書類を届けに足を運んだ際に赤星と一緒にいた男。大学時代からの親友、とかいっていた…。当時は勿論遠目で眺めていただけで、今日が初めての対談となる。ちなみにその時は…研究室のガラス越しになにやら上衣に細長いコードを装着してこの竜太と互角に動き、全力疾走していた黒羽の顔はやや真剣な印象もあったのだが。
 こちらにはよく分からない、把握のしようのない実験を行っていたような感じだった。そう、博士もあまり語ってはくれなかったのだが、とある夜に自室のパソコンのキーを叩きながら、近い将来に世界の平和はロボットや機械を駆使するだろう案を、洵は嫌という程聞かされた。そんな夢みたいな事を、と普通ならば嘲笑するところだが、葉隠暁紘という人間の口から出たその台詞には、いいようのない実感が込められていた。老体を奮い立たせる源は一体どんなものであろう、当時の洵は、随分と彼の健康面を心配したのだけれど…。
「ほら…去年の秋…『OZ』本部、原因不明の事故にあったじゃないか、竜太さん。僕、博士が心配だよ。あの日から元気なくなったりしていたし、それでさ、本部はいつまでたっても復興の気配がないんだ。あのぅ…被験スタッフの竜太さん達なら、なにか知っているかな、と思って…」
「この前、正月にも言っただろ。時期が来たら、必ず俺や博士から話すって、さ」
「でも…、もう、二月になっちゃうもん。もう、そろそろ」

 そこで、唐突に黒羽と目を合わせると、悪戯な表情を唇に集めた彼がククッと笑った。

「…あ!それじゃ…今日は…きっと『OZ』関連のお話があるんですね?」
「そういう、事です。流石、ドクターだ。あんたの事はこの男から聞かされていたけれど、顔に似合わず冴えておいでだ」
 赤星の眉間に皺がよる。ブラックコーヒーをもう一杯ガブ飲みし、苦さに顔を歪めてちらとだけ洵を見、そして「そうだよ」と頷く。
「洵。実は、ただ話すんじゃなくって…お前に頼みがあって、それで呼び出したんだ。孫洵ではなく、孫医師として。西都病院に勤務している実力を見込んで、な」
「そう、これは『OZ』ばかりでなく、孫医師の男を見込んで…なに、お手間はとらせません。少なくとも、今日のところはですがね」
 ひょい、と弦を弾くと低い曲らしき旋律が流れ、
「だからこうやって、今の内に、真相を話しておこうと呼んだって訳だ。なあ、赤星?」

 既に闇と化した店内に、しんしんと迫る三人の鼓動が緊迫を誘ったのだった。


 科学の粋をこらした、とはこの事か。
 信じられないよ、と一般人の洵が呆然としながら呟くのは無理もない。
『スタッフオンリー』とアルファベットで綴られたドアを開き、そこにはなんの変哲もない等身大の鏡。
 …が、普通の金属製の枠、いわゆる飾りの部分に竜太の指を当てる。と、彼は自分の名前を淀みなく正確に発する。呼応するように壁が現れて、そこから顕微鏡のスコープに似た筒が飛び出た。
「これは、こうするのさ」
 まんま、自身の眼球を覗かせる。

『照合、完了』
 すると、銀色の鏡は凹みに吸い込まれ、そのまますっ、とスライドしていくではないか。新しい空間がぽっかりと登場する。
 驚きのあまり目眩をおこした医者は、後方に控えていた黒羽によって支えられる。
 洵の目は、ドングリ状態だった。
 すたすた、と先に進んで行ってしまう竜太の後ろ姿を慌てて追う。と、咄嗟にもっと衝撃を受けて突拍子もない叫びをあげてしまう。

 そう。
 そのずんぐりした後ろ姿、なによりも鼻歌を歌いながらケーキをむさぼるその様子は…、
「博士ぇっ!」
 素頓狂なアルトが辺りに分散する。当の葉隠は「洵、来たか!」と軽く手招きしつつ、ラウンドテーブルに置かれたケーキの生クリームを口に入れ、ごくんと飲み込んだ。

「葉隠博士。御子息、早速お呼びしましたが…いきなり何やっているんですか…」
「まあ、あれじゃよ、アレ。中々いい案が出なくってのぉ…黒羽くん、君もどうじゃ?この店のケーキは生クリームが非常にさっぱりしていて後をひくんじゃよ、食べるか?」
「…相変わらずなことで…」
 呆れるのも憚られる、とりあえず変人の陽気な口調につきあう黒羽を横目に、洵は、竜太はどこに消えたのかと目で追う。と、 ただでさえ、衝撃をくらいまくっていた若い医者の脳天に、決定打がくだされる。
「あらぁ、洵君よく来てくれたわね!」

 その、ほっそりとしたラインは白衣に覆われて、長い髪が肩に流れ…独特の雰囲気をかねた女性、は…。
「ゆ、有望さんっ!!」
 なんで此処に?と洵の記憶は激しく揺れ動く。

 星加有望。彼女は科学者。でも、あくまで物性のエキスパートであり、変人葉隠暁紘の所属していた『OZ』とは関係はない筈…である。加えて言うなれば竜太の幼馴染みで、しょっちゅうとまではいかなかったが、正月なり盆なり、葉隠が赤星本家に遊びに行く時にお供をしたり、その折に彼女とは何度か話したりしたものだ。
 それと…。
《…博士を送ってくれた時》
 まさか自宅に彼女が訪れるだなんて、夢にも思わなかった。なんでそのような…。
《辻褄、あうな。あの、事故があって、それから博士の帰りが遅くなった。で、有望さんが…博士を送ってくれて…》
 成程、まんまじゃないか。

 呑気にケーキを食べながら設計図を指差して唸る葉隠、それを笑って見守りつつも計算図式をまとめあげる、有望。「暗いままだと、目を悪くしますぜ」と、ライトを全開にする黒羽。
 残る赤星は。
「見たまま、俺達は正義の味方をやる為の準備をしている最中さ」
「…ちょっと、タンマ。ええっと、さっきの話をちゃんと聞かせてよね。僕、頭がパニックしているんだけど」
 
 説明が、なされる。
 簡単に、でも正確に。

「つまり、『OZ』を滅ぼしたのは次元外の存在。で、例のスーツ開発…と、それを着て戦う仲間を探している、と?」
「現段階では、条件を満たした人間が此処に二人おる」
 葉隠がフォークで指し示した相手はなんと、
「…マジなの…?」
 ポロリ、スポンジケーキが口から落下。
「おいおいおい。洵、しっかりしろよ」 
「頼りないな。お医者さん、大丈夫かい?」
 当の本人達はニヤニヤと、腕を組んで着席しているというのに。
「きっつぅ…」
「洵君、大丈夫?」
 正面に控えた有望が微笑むのを見、うん、と頷く。で、養父の言葉を待った。
「仲間が増えれば、先に控えた戦闘はまず、どうにかなるじゃろうて。99%の保証はない代わりに、たった1%の希望が残されている限りはの。そこで、洵。お前に頼みがあるんじゃわい」
 …嫌な、よ、か、ん。
 辺り一面の空気が一斉に…こちら一点に集中している気がする…。
「あー…負傷したら一般の医師に見せるのには手間がかかりそうじゃわい、のう、竜?」
「そうですよ。もし敵がそこに侵入していたら、病院ごとドカン!…すまない、黒羽…」
 気のせいか、沈んだ影を両眸に宿した黒羽青年が抱えていたギターをそっと、撫でる。
 が、乾いた唇をコーヒーで湿すと「気にするな」と続けた。

「残り1%の可能性がある限り、もしもの時には協力をしてほしいの、洵君。勿論、勤め先の病院が忙しいのは分かっているわ。…私達の、我儘よね。調子が良過ぎるのかしら?」
「有望さん」
「でも、貴方以外に思い当たる人がいなかったし…」
 白衣を情熱に燃やす、その姿はまるで月の花、だった。
 押し黙ってしまった有望の後を続けるように、葉隠が紡ぐ。
「これまでの真相や開発の内容を教えなかった儂が、悪かった。あまりお前と話す時間もなかったしの。でも儂としても、お前の協力は欲しい。いくら強力な武器を装備していても、防御が破れた時には医療が要る。ほんのちょっとでいい、時間が無かったら仕様があるまい。しかし!」
 …はぁ、と溜息をつくと。

「分かった。協力する。だから、もう…隠し事はしないでよ」


 滅茶苦茶だな、と口では呟き、心の奥底では冷静だ。
 オリオン座、三つの星の輝きではっきりと覚えられた、あれは好きだ。

 息が白い。

 一年後、もっと無いかもしれない。次元回廊、とやらが開いたら五人の戦士達が集い、戦う。
 そうなればあの喫茶店の経営はどうなってしまうのだろう。昼間に事件が起こったら、竜太は真っ先に戦いに参じるに違いない。そして、黒羽。あの青年は一見にして冷静だが、誰よりも深い心の傷を負っていそうだ。
「仲間…か」
 いい響きだ。
 冬景色。凍てつく寒さだ。
 十六の頃、施設から引き取ってくれて医者にしてくれたと言っても過言ではない、葉隠暁紘。
 いつまでも少年の純粋さを捨てず、真っ向から何もかもを受け止める目線の、赤星竜太。

《有望さん》
「貴方以外に思い当たる人がいなかった、ですか…。言われたら、断れないじゃない」
 
 淡い想い。
 それは絶対に叶えられない、無味のものであろうと秘めていた。絶対に口に出来ないし、まして相手は…この自分の大好きな人間だけを、想い続けている、知っていた。
 恐らく竜太の事だ。彼女の気持ちに気付くまい。いや、
「鈍感」
 一生ああだったら、許さないから。

 ネオンとテールランプの集合体が、きらきら光る。あと少し、秒針が振れれば明日となる。
 満月が綺麗だ。
  
 人間の本質を教えてくれる彼と、彼を囲む人間。桜木瑠衣、という少女もあの喫茶店に引き取られていると言う。
 博士。みんな。
 曇る視界を断ち切り、小さく叫ぶ。
「守る君たちを、僕は治すよ。何があっても、ね」    
  
 
 決定的、と諦めてから更に自分に言い聞かせる。呪文だ。
 儚いくせに一生続く、痛い鎖だけれど。

「同じ空気を吸っているだけで、いい…」

 相思相愛の絆が結ばれる日が来ても、そのままずっと−−−−。

 渇いた音が聞こえて、そのまま立ち尽くして微笑む顔には迷いさえなく。洵は、医師として生きようと決意を固めて帰途についた。



 儚い想いよ、かの人にその意味を漂わせず、ただそこに在るがいい。


===***=== The End ===***===  (戻る)

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