水 硝 子 

空は黒い。
そこにうつるものは何もなく星が光る事もないが、めずらしくその日は空も帝国領土拡大を祝ってくれたらしく、めったに出る事のない月が出ていた。
銀色の光は美しい。赤い太陽よりは目に優しく自分はこの光が好きだった。
月光は湖畔に建てられたこの建物と湖の波を照らしていて、水面が優しい銀に揺れる。


会合、会議、祝賀会、晩餐会…とにかく、『集まり』というものを自分はあまり好まない。礼服を着て、貴婦人の相手をして世辞を言い合うなんて事は、苦手と言うよりムシズが走った。
生まれが貴族じゃないこともあるし、もともと人混みを好まないという事もある。将軍職に就いてからこういう機会が何度もあり、おしゃべり好きな宮廷婦人や、笑顔の裏に何があるかわからない貴族の男(こう考えると、シェロプは実に素直な性格なのだろう)のあしらい方だけが上手くなってきた。
司令官はこういう場でも相変わらず、視線を一手に集めていた。
そこらの貴族よりも気品があり、いつも自分の足で歩いているために新鮮で豊富な話題をすらすらと出す。その話は毎日の生活に退屈な貴族達にとっては、刺激的かつ魅力的な輝きを持っていた。
彼は社交的には見えないが、自らの身の置き方がわかっているのだろう、普段あまり作る事のない貴重な笑顔を見せていた。



「ハア・・・・・・。」
「あら、もう?」
「失礼。もう貴女がお喜びになるような話題がみつからないんでね。」
「残念ですわ。」
けっこうな重要人物でもある機甲将軍スプリガンは、ウンザリしてため息をついた。
着崩した正装もどきの格好すらため息がでる。自分を囲む物好きな婦人たちに断りを入れ、スカーフをしゅるりと取り去り、こんな場にふさわしくもないインカムを体から取り出して湖のざわめきが聞こえるバルコニーへと出ていった。



「おい、例のモノの具合はどうだ?」
『完璧デス。すぷりがん様ノ設計図通リニ作レバ何モ問題はアリマセン。』
「そうか。」
『明日ニデモ試作品ヲ作ッテ、貴方様ニ見テイタダケルヨウニシマス。』
「待っているぜ。」
『クスクス。オマカセクダサイ、すぷりがん様・・・・・・。』

「何をしているの?」
スプリガンは含み笑いをやめ、インカムの起動スイッチを反射的に切った。
自分の後ろに小さな気配を感じ、振り返ると気配と同様に小さなちいさな貴族の少女が立っていた。遠慮なしにこちらをじいーーっと見つめる。貴族の女性は目を合わせることがあんまりねえはずだが…果てさて? 

いや、違う。貴族の少女ではない。


「げ、・・・・・・アラクネーかっ?」
「それ、なに?」

アラクネーはスプリガンの『暴言』を受け流して、彼の耳元からぶら下がっているインカムにだけ興味を示している。だからあいにく、彼の無遠慮な『なめ回す』ような視線に気がつくことはなかった。
薄い布を巻き付けただけの簡素なドレスにチョーカー、たったそれだけの格好だったが普段とのあまりのギャップに、先ほどスプリガンは後ろに立っていた少女が誰なのか一瞬どころか3秒くらいわからなかった。
他の貴族達と比べると貴金属も宝石も最小限にしか付けておらず、化粧も何もしていないが布から薄く透ける桃肌色が美しかった。

いーや、普段見てる女たちが厚塗りなだけか。

「・・・インカムだよ。」
誰にも頼まれていないのに肌に目を奪われた理由を、やっとひとつ考えてから失礼なくらい上から下に彼女を見た。
アラクネーはいつも長衣で身を隠している。いまいち自分のきれいな体の価値をわかってないらしく、直接素肌を見せる事はあまりなかった。
外見の美しい女は肌色がきれいな奴、というのをスプリガンは感じていた。
でっかい胸とケツとか細い腰とか、それだけではダメで。
そして「それ」はそれだけで宝石に負けない武器となる。

彼女の不思議めいた能力も、人とあまり交わることのないそっけなさも、貴族な男達から見れば彼女を彩るドレスとなるのだ。



「化けたモンだな。」
「変身能力は持ってないわ。」
「いやそういう事じゃなくってよ……。」
「何をしていたの?」
「……内緒話さ。」

せっかく口にした彼なりの賞賛の言葉に気がついているのかいないのか、アラクネーは彼の不審な行動ばかりを突き詰めようとしている。
彼女にとって自分の身もその内に秘める能力も、司令官のもの。
彼女のすべては彼のために存在しているのだから、彼以外から与えられる称賛の言葉は無となるのだ。

そして彼女は彼のために働くのだ。

だから、



「内緒?」
司令官のために一所懸命に働く、生真面目な少女にとっては聞き捨てならないセリフだったらしい。

祝勝会のさなかに内緒話をしているだなんて、司令官への反旗でもはためかせる算段を考えているのでは・・・とでも考えたのだろうか。
ドレスに身を包んだ少女の手からきらりと光るモノが見えた。

「おっと、そんなの出すもんじゃねえよ。内緒話にも色々種類があるぜ、ホレ。」
糸が空中を踊る前に、スイッチをONにしてインカムを彼女に放り投げた。
アラクネーは上手に受け取ったが、もちろん使い方がわからない。しかし、インカムから漏れてくる小さな声で、スプリガンが何かの開発者と話していたと言うのは理解できたらしく糸の気配はひっこんだ。
彼女がその細い指先でインカムをでたらめにいじるとスイッチが切れ、声は聞こえなくなった。



「あれ・・・・・・?」
「こうやって、聞くんだ。」
インカムを、それを掴んだアラクネーの手と一緒に持ち上げて、彼女の指ごしに操作方法を教えてやる。
「どうやったら動くの?」
「ここを回してみろ。こっちに回すとスイッチがON、こっちがOFFだ。」
「うん、うん・・・。」
テレパシーで音を聞く方に慣れていたせいか、こういった機械ごしの音声がめずらしいらしい。彼女は割と素直に彼のインカムの説明に耳を傾けていた。
「こんなもの、初めて見たわ。」
「けっこー便利だぜ。」
「そうか・・・・・・。」

珍しく彼女は薄く笑って、司令官を目で追った。
彼は華やかなドレスに身を包んだ女性達に囲まれている。
しばらくは誰も彼を離してくれそうにない。


「司令官の側に行かないのか?」
「なぜ私が。」
「司令官引き抜きのお姫様は注目の的だぜ。」
「物珍しい動物とかわらないわ。」
「やれやれ……。」


アラクネーはまた会場の明かりに背を向けて、水面ばかりみている。
彼女が会場で浮いてしまうのは、ムリのない話だろう。
たいていこういう場にやってくる婦人は世間知らずで、着飾る事しか知らない者ばかり。彼女達と比べると会話の楽しみ方も、相手に何を言えば喜ぶのかも、自分がどんな事を話せば紳士達が喜ぶのかもわかってない。
自分は年齢を重ねたおかげでどうにかなっているが、彼女はまだ『相手に合わせる』という術を知らない。もう少したてば、相手に合わせる術を身につけることも出来そうだが、彼女はその経験が圧倒的に不足している。
しかし、こうやって自分と会話ができる分、軍属の身になってからの数年で、ほんの少しだけは合わせる事を身につけたようだ。


そして、彼女の言っていたものの例えは少なからず合っていた。

彼女は司令官の引き抜きで軍属となり数年たつ。内に秘める実力とそれ以上の努力で今の地位を保っている。細い小さな体の中で渦巻く能力、後ろ盾には最高司令官。そのおかげで彼女に気安く近づく男はあまりいないし、逆に物珍しさで近づく男も山といる。


まあそういうやつらは、大抵は彼女の無意識にとる行動・・・例えば冷たい言動だったり、知らないがゆえの暴言だったりと・・・手ひどい『ヤケド』を負ってしまうことになる・・・!




「アラクネー。」
司令官の声だ。
自分の名を呼ばれた訳でもないのに、スプリガンはアラクネーと一緒に振り向いた。

「司令官?」
「こちらの紳士が紹介してもらいたいようだよ。」
「ハイ。」
あれだけこの場にいることを渋っていたアラクネーは、司令官の一声でバルコニーから会場の方へと出ていってしまった。
司令官はこっちを見て、少しだけ微笑むと彼女の紹介を始めている。
なびく少女の髪に風が強いと思ったのか、司令官は立ち位置にまでさりげなく気を使い、少女は無意識のうちにそれに応える。
彼女にとっては珍しい、柔らかいがごこちない笑顔を作って。
彼女は笑顔を作る事はそんなにないが、司令官といるときの彼女は少しだけ表情が優しくなるような気がする。『優しい』まで言わなくても、少しだけ子供らしい顔になるような気がするのだ。

それがこの城の中ではいいことなのかわるいことなのか……。
今のところはわからない。



スプリガンはまたひとり水面を見る。月が揺らめき、自分のボディをゆっくりと光らせる。

おかしな2人だ。
お互いにつかず離れず、しかし相手の事を何より思っている。
まるで恋人のように、友人のように、妹のように、兄のように、

「家族・・・・・・のように?」

つぶやいた一言に確信を持てないスプリガンは、また司令官達の方向を見ると、もう人混みに消えていた。



一息吐くと、また彼はインカムを取り出してロボット達に指令を出し始める。



「………………状況を説明しろ。」
「ハイ、すぷりがんサマ………。タダ今ノ状況ハ………」



耳に入るのは機械の声と機械の音。

いつでも彼の耳だった場所に入り込む音はそればかり。


安らぐ音を知らない彼は、安らぐ音が剣の音と機械音だけの彼は、またひとりで水面に向かって、明日への闘いの準備ばかりを始めた。



===***=== おしまい ===***===  

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