黒 月 桜
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膝の上にいるお姫さまは暴れるのをやめようとしない。
普段大人よりも落ち着き払っていて、こちらの安い考えを見透かしたような目をする少女なので、こうしてじたばたして腕の中で暴れているという図は、なかなか面白いものがあった。
彼女が子供らしい行動を取るのを見てほっとするのは、大人になった奴の勝手な考えなのだろうが。

ブラックインパルスから押しつけられて、彼が子守りをしている『夢織姫』アラクネー。
子供らしいぐにゃりとした体に柔らかい黒髪、黒い瞳で物事を見据える少女は立っていればただの子供と変わらない。しかし彼女は子供の範疇でくくれない位、それ以上の能力を買われてBIに引き抜かれてきた。
彼女は今、子供ながら彼に近づいてもいい数少ない人間の1人。
「それもたったの10・・・いや11か?」
「やかましい、早く離せ。」
「やなこった。離したらどやされるのはオレの方なんでねえ。」

彼女はスカートから伸びた足で彼の足を蹴り飛ばすのをやめた。それと同時に首に何かが巻き付いたのがわかった。
糸だ。
織姫の指先から放たれる細い糸・・・と言っても硬質な刃と変わらない。彼女の護身具にして最強のエモノだ。
「離せ。」
「・・・・・・。」
意外だ。
司令官殿はオレの体の事を彼女に一言も話していないらしい。
いや、当たり前か。
彼は聞かれもしないことを話す事はない。
彼女が自分に興味を持っているとは、良くも悪くも考えられないからな。
「この糸を使うというのは間違っちゃいねえが、オレの体の造りを知らねえようだな。」
「は?」
糸のしめつけがだんだんきつくなってきているようだ。
『ようだ』というのは・・・わかるよな?彼女の糸は確かに『ひと』の首は簡単に切れるだろう。

だがオレは生憎違う。

「織姫よ、オレの体はロボット体なんだ。悪イがそんなモンじゃ切れねえぜ。」
「なんだと?」

相変わらず糸の力が緩むことはないが、とりあえず興味を引くことには成功したらしい。
彼女の顔がようやくこちらに向いた。
「鎧ではないのか?」
「こりゃ、お前で言う『皮膚』と同じだ。取り替えたんだ。」
「と、り替えた・・・・・・!?」
どういうことだ、という彼女に彼はニヤリと笑った。
「字の通りだ。取り替えたんだよ・・・。吹っ飛ばされたから、使い物にならなくなったから、もっと使い勝手が良いものがあるだろーから・・・。」
まるでどうでも良い事と言わんばかりに口から適当につぶやく彼を、アラクネーは嘲笑と少しばかりの悪寒を覚えてため息をついた。
「あきれた男だ。」

めずらしく素直な感想をつぶやいた彼女に、彼は嬉しそうに微笑むマネをした。
「マネ」をした、というのも彼の顔は表情というものを忘れているから。

一番最後に失った物は心臓。
その前が左目。
その前が内蔵組織。

最近になればなるほど、自ら望んで改造を繰り返した。



そして最初に彼が望まずに失ったものは右腕。
「・・・・・・右腕、ねえ。」

本当に、命に執着を持つようになったのはあの時から。
死ぬ覚悟よりも生きる覚悟を持つようになったのは、あの時から。

なにがなんとしてでも、あのひとの側まではい上がってやると思ったのも、あの時から。


これは、ちょっと昔の話。





兵士となったのは声変わりもしてないガキの頃。

いつも仲間達と剣を使ってやりあっていた。戦いがなくても毎日振っておかないとすぐに忘れてしまう。
体にしみこむまでの経験が圧倒的に足りない彼らにとっては、この毎日の『やりあい』も大切なことだった。
「けど、正式なとこで修行させてもらいてえよなあ・・・。」
「スプラ、それは経験も年も足りないって。」
一気に下品で親しみ深い笑い声につつまれる。
普通、兵隊としてかり出される者達は城内にある修行場で鍛錬することができたが、彼らはスパイダルの城下でしか修行させてもらえなかった。
理由は3つ。
ひとつは彼らが平民出身だから、もうひとつはそれを上回るような働きをしていないから、更に決定的な理由が年齢制限にもろに引っかかっているから。
「けど、こないだ城の中にすっげーちっちゃいガキが入ってくのを見たぜ。貴族でもあんなガキが自由に出入りできるのかよ。」
「んん〜・・・そいつは、相当高位の貴族なんだろ?腕もきっとそれ相応のモノがあるんだろーぜ。」
「ちぇ。」
「それよりもよお、そろそろあのひとが来るころだろ?」
誰かが言ったと同時に彼らは城へと駆けていった。平民出身の彼らがどこまで近づけるかはたかが知れているが、それでも近くまで行って見てみたいのだ。
人だかりが見える。
時間にルーズな奴らばかりが住むこの場所で、時間通りに人が自然と集まるのは奇跡と言っても良いくらいだった。

「間に合った〜!なあなあ、スプラ。一番前に来いよ。よーく見ておけよ。」
仲間達は訳もわかってない自分を前の方に押し出した。いつもなら何が何でも「オレが先!」という奴らが、自分を前に押し出す時は余りいいことが起こったためしはない。
「な、なんだよ・・・どうしたんだよ、そんなにひどい顔した奴が来るのか?」
「違う、新入りのお前はまだ見たことないだろ・・・間近でさ。」
「だから、一体なん」
自分の声は歓声にかき消されてしまった。

歓声の中心にいるのは黒い影。
全身を黒い服とマントで包み、顔を黒仮面で覆っているその男を見たのはそれが最初だった。
表情のわからない彼は少しだけ立ち止まり、片手を軽く上げて歓声に答えてみせる。
隣の少年兵士は彼に向かって両手をぶんぶん振り回し、嬉々としてスプラに説明を始めた。

「あのひとがブラックインパルス様だ。オレ達と同じ平民出身の司令官なんだぜ。かっけーだろ?あのひとの姿をみてなくちゃ、お前も兵士として働くにはモグリだと思ってさあ。」
「あのひとが・・・・・・。」
噂だけはいつも耳に飛び込んでくる。まるで伝説なことから彼が好む食べ物まで色々とあるが、その噂の大半は彼に好意と羨望をもっている事柄だった。

「もっと近くで・・・あの人の剣の振り方とか、動きとか見てみたいけど・・・オレ達の地位と身分じゃ、この辺りが妥当だよな。」
「そうそう。けどよお、オレ絶対あの人の側で働けるようになってやるぜ!」
威勢の良い兵士の卵の発言に大人達は歓声を持ってはやし立てた。
皆が彼の事で笑いあっている中でスプラは彼が消えていった城をずっと眺めていた。

赤黒い空に映える黒いシルエット。端がぼろぼろになったマントは、赤空の光を透過して空と同じような色になっていた。黒く光る鎧も赤を反射してキズが目立っていた。
背丈が高く、表情を消した謎めいた姿は憧れて心酔するには丁度良かった。
『司令官にして、自分達と同じ戦場で剣を振るっている。』その噂を聞いた時はガセだと思っていたが、どうやら真実のようだ。

自分達と同じ地平で戦場を見つめている彼を、自分は遠くから眺める事しかできない。

それが余計に憧れを募らせたのだと思う。

その頃の自分の姿は灰色に青が溶けこんだ色の短い髪に、ガキということも手伝ってか大きな目玉、細い体。病気してるみたいに白い肌身に纏っていたのは、鎧とも呼べないボロい鎧。
『オレ絶対あの人の側で働けるようになってやるぜ!』と言った仲間の一言は、ただの少年兵だったオレ達にとって夢の代弁だった。




子供の声がかすれはじめて、背が急に伸び始めた頃。

スプラは背と共に急激に伸びていくその剣の腕を買われて、また戦場へかり出された。子供というハンディキャップを逆に利用して、大人同然の働きを見せていた。
周りの大人達は彼の剣の腕は、毎日毎日の鍛錬と戦場で培われていく経験・・・世間で言うところの『努力』であることを知っていた。
「お前、そんなに詰め込むンじゃねえよ。腕前は後からついてくるモンだ。」
「後からだったらダメなんだよ、おやっさん。オレは早く強くなりてえ。強くなって、あの人の側で働けるようになりたい!」
「言うことが若いねえスプラは。じゃ、今日も頑張るこった。」
「おうっ!」
戦場で働く事が楽しみになっていた。何事にも目標を持つと、毎日が輝きだす。
戦場で戦えば戦うほど、剣を振るえば振るうほどあの人に近づいている、そう思うと嬉しくてしょうがなかった。

若い頃ってのはいいものだ。
余計なことを何も考えずに、それだけに集中できる。
余計なこと・・・。
余裕がないだけかもしれねえが。


その日も、スプラは皆が引き留めるのをふりほどいて最前線へ飛んでいた。手柄を立てたいというのもあったが、もしかして最前線で戦うあの方の姿が見られるかもしれないから、そんなことも手伝って危険を感じる気持ちがどこかに吹っ飛んでいた。
危険を上回った喜びが自分を満たしている時に耳に入ってきたのは、おせっかいな男の声。
彼だけが自分を追いかけてきた。
「おい、余り先走るんじゃねえぞスプラ。」
「大丈夫だよおやっさん!まかせとけって!」
「バカヤロ、いいか・・・うっ。」
彼のおせっかいな物言いが急に止んだ。背中に何か衝撃を喰らったらしい。泥の地面にうつぶせに倒れ呻いている彼を見ずに、スプラは茂みに目をやった。
こういうカンに彼は冴えていた。

銃を持った男がニヤリと笑うと脱兎の如く駆け出していく。
「この・・・っ!よくも!」
「ば、ばか深入り、すんじゃねえ、ほっとけっ!」
うめきながらの彼の言葉が正解だったのに気がつくのは数分後のこと。今だったらこんなに敵に近づいて戦う事なんてないだろうし、敵の誘いだって事にも気がつくってもんだ。
しかし、この時のオレには経験という4文字と冷静さ、そして恐怖を感じる力に欠けていた。
「まちやがれっ。ぜってえ許さないっ!!」


茂みから逃げ出した男は、そのまま後ろも見ずに走っている。スプラと戦う気など最初からない。
しかし、そのことに彼は気がつかずがむしゃらに追っていた。

背中めがけて撃つだなんて信じられない。
そんな汚い事して勝って何が楽しいっ?
絶対に許すものかっ!
「らあぁあぁぁあーっ!!」
携帯用のナイフを相手の利き腕に投げつけ、一瞬動きが停止したところで一気に距離を縮める。
相手は銃をかまえ直したがもう遅い。
銃と剣で互角に、いや有利に戦える範囲まで奴は自分を近づけた。
「残念だったな、オッサン!オレの勝ちだっ!」
剣を振り上げた自分の表情は、まるで獲物を仕留める快感を覚えたよう。しかし、目の前にいる獲物の表情もそれと同じだった。
刺し殺す瞬間に酔う事は、かなり強くなったヤツしか許されねえんだよ、と言ったのは誰だったか・・・・・・。

「・・・・・・!」
まずいっ!

奴の表情の『異常事態』に気がついて振り返った時にはもう遅かった。
自分の右腕は重なった鈍い音と共に、空中に剣と一緒に放り出されていた。
後ろから自分に追いついたそいつの仲間が撃った銃は、撃ち殺すと言うよりも、『えぐり殺す』と言った方が良いかもしれない大口径の銃・・・とも呼べねえ。ハンドバズーカと言った方が正しいかも知れないが、どうでもいい。
とにかく、拳大の砲弾が肩に2発、腕に3発。
どうなってるかって事くらいわかるよな・・・・・・。
音の後に転がった腕は、もう腕でも手でもなんでもなかった。


「ぐっ・・・あ、あ、うああああっ!!」
「いい声で鳴くなあ、お前はよ。ざまあみろってんだ。」
大口径の銃で散々撃たれた腕は肉片と化しており、いつか見た鷹がつついた死骸によく似ていた。
少し動かしただけでも残っている腕の肉がブラブラと動き、それが余計激痛を生む。
引きちぎられるという感じはこういう事なのかと、スプラは身をもって体験していた。
「うっ・・・う、う、・・・。」
ない腕を押さえる左腕に涙がこぼれたというのを理解するまで時間がかかった。
共に戦った友人が死んだ時も流さなかった涙が目に溜まり、自分の意志に反してあふれてくる。
(なんてこった・・・・・・涙かよ、涙・・・・・・。)
失血のせいか頭が痛い。目も涙のせいだけじゃない、霞んでいる。
自分の視界で木の緑が赤い空に溶け、痛みが飛散していく。
意識を朦朧とさせるのを、このなくなった腕は許してくれない。
くそ・・・・・・。ちくしょ、おおっ・・・。

「くそ生意気なガキだぜ、おい。どうする?」
「もっとバラバラにして臓器屋に売るか?まあ生きてるにしろ死ぬにしろ、どっちにしたってガキだから高く売れら。」
随分と物騒な事を言ってやがる・・・・・・。
自分の利き腕を撃った男と囮となった男に今、抵抗出来る唯一の手段は瞳だけだった。
目の筋肉が変になるくらい睨み付けたのはあれが最初で最後だったような気がする。

「おお、怖い顔してんな〜。」
「ま、利き腕が使い物にならなくなったらてめえもおしまいだ。」
チャキリと銃の操作音が響く。
左手でも剣は扱えるが、右手の比ではない。
この痛みが間合いをとらえるのを、動きを、先ほどまでの戦う喜びを、邪魔する。
奴らの笑い声が耳にさわる。しかし、どうすることもできない。
「決まったな、まず指だ。その後にてめえのナイフで耳と目と鼻をそいでやらあ。」
「く・・・っそ、う・・・・・・。」
観念しかけたその時だった。



前に立ちふさがったのは黒いマント。
それが赤黒く染まったとわかったのも、その瞬間。
右腕を振りかざしたと思ったら、大口径銃の男の首と、囮の首が赤の軌跡をえがいて飛んでいた。
スプラの霞む視界の中、ばさばさの黒い髪と黒い瞳がこちらを見る。
その瞳は一瞬腕をちぎられた痛みを忘れるほどの漆黒だった。
冷たい、しかし安らぎを覚えるような黒い闇の色だった。
燃える炎のように揺らぐ『黒』の髪、黒い瞳のこの男をスプラは見た事がなかった。いや、近くで見たことがなかった。



痛みのせいか、驚きのせいか・・・・・・生憎目の前にいる人物が、焦がれてやまないブラックインパルスだとは気がつきもしなかった。



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