11. 唯一の可能性を持つ女




 ブルマが訪ねてきたときと同じように、悟空はハンモックに寝そべっていた。ときどき家のほうをチラっと見る。怒鳴り声も破壊音も聞こえてこないので、とりあえず平和に話が進んでいるようである。
 まず女同士で話をするからしばらく外にいろとチチに叩き出され、こうして待っている次第である。

 それにしても……。チチの激怒っぷりを思いだして悟空はまた身震いした。
(チチはオラがブルマとウワキってやつをしたと勘違いして怒ってたらしいけど、ウワキってなんだ? うめえのか? でもあんなに恐ろしい目にあうんだったらオラ、どんなにうまくてもちょっと考えちゃうな……)
 そう思って、彼は雲を眺めていた。


「ほんっとうに申し訳ない!」
 ブルマは、もう一度顔の前で手を合わせた。チチは終始無言で彼女の話を聞いていた。
「あたしも、チチさんたちに内緒になんかしなければ良かったんだけどさ、なんか恥ずかしいじゃない? チチさんや悟飯くんたちに、ベジータと喧嘩して家出してるなんて知られるの。それでつい……。
 孫くんがなんでもいうこと聞いてくれると思って甘えすぎちゃったのよね。でも孫くんも相当迷惑してたと思うし、ほんと二人には悪いって思ってるの。ゴメンね」
 手を合わせたままブルマは
「ダメ?」
といって片目だけ開けてチチを見た。チチはしばらく黙っていたが、ふぅっ、と息をついてようやく口を開いた。
「わかっただ。オラもちょっと頭に血が上ってただよ。だいたいあの悟空さに浮気する甲斐性なんてあるわけねえもんな」
「そぉよぅ! 孫くんなんて食べ物と戦闘のことしか興味ないんだから!……あ、ゴメン……」
 ブルマは調子に乗って言い過ぎて、ほんの少し舌を出した。その姿を見て、チチはやっと笑った。
「ええだよ。ほんとのことだから」
「いや、でもほら、それが孫くんの良いところでもあるしさ。ね」

 確かに悟空が浮気なんて、冷静に考えればあり得ない話だ。けれど……。安心してにっこり微笑みかけてくるブルマを見て、チチは思った。けれど、自分が最後の理性までも失ってそう思いこんでしまったのは、相手がブルマだと思ったせいだ。
 悟空には戦友とも呼べる多くの友人や、師匠たちがいる。しかしブルマは彼の仲間の誰とも少し違っていた。

 悟空とブルマは一緒にいても親友のように振る舞うことはない。二人きりでの会話まではチチも知らないが、少なくとも仲間を交えた場では、けなし合ったりからかったりする程度の会話が主だった。
 だが、悟空の妻であるチチはそこに、特殊な空気を感じた。それは多くの言葉を交わさずともお互いを知り尽くしている、かといってべたべたしたところのない二人の間の独特の親密さだった。
 当の本人達すらきっと気づいていない。でもチチと同じ立場であるベジータなら勘づいている気がした。それは取り立てて気にとめる必要もない程度のことだけれど、悟空を(あるいはブルマを)愛する立場からすると心の隅にちょっとだけ引っかかる、そんな微妙な空気。
 だからブルマは特殊な存在だとチチは常々思っていた。
 ちょっと特別な位置にいるその人の可能性が浮上した途端、冷静に考えるなんてできなくなってしまった。夫がどこかの女にそそのかされて魔が差しただけ、と単純に気持ちに整理をつけるはずが、ブルマが相手だと思ったら割り切れなくなってしまった。
 しかもそのブルマときたら、とびきりの美人で、身体の線は少しも崩れていないどころか艶を増す一方。性格的にわがままで横柄で自信家なところは通常なら欠点だが、彼女の容姿に宿るならばそれすらある種の魅力になりえた。都会的でセンスが良いところは、家庭的なチチとは正反対でもある。悟空がそういう「女の様々な魅力」に気づくようなタイプでないことはうんざりするほど承知しているが、ブルマが魅力のない女だったらあれほど取り乱したりはしなかっただろう、とチチは思った。

「オラ、ちょっとブルマさんがうらやましいだ」
「え? なんで? 美人で頭もいいから?
そうでなくて!!! もしオラが悟空さと喧嘩して家出しても、あれほど懸命になってかばってくれる人なんていねえから。そういう相手のいるブルマさんがうらやましいなぁと思っただよ」
「なぁに言ってんのよ! そのかばってくれるような優しい人がチチさんの旦那様なんだから、一番幸せじゃない!」
「そりゃそうだけんど……」
「贅沢いわないでよ〜。だいたい孫くんとじゃ喧嘩にならないでしょ? ベジータなんてホントにホントにひどいこと言うし、冷たいんだから!」
「ブルマさんこそ何言ってるだよ! あんなに心配してブルマさんのこと探しにきてたでねえか! 悟空さだったら家出だって気づかずに昼寝してるとこだべ」
「はは……あたしたちの旦那、どっちもどっちか」
「んだな」
 二人は一通り笑い合うと、目を合わせた。
「さ、そろそろブルマさんを送り届けねえとな。ベジータさんにいっちまったし。悟空さ呼んでくる」
「えっ、いいっていいって。自分で帰るから!」
「何いってんだ。ベジータさんもきっと心配して待ってるべ。早く帰ったほうがええだ。瞬間移動は、こういうときのためにあるだよ」
「浮気のためじゃなくて、ね」
 ブルマが言うと、二人はもう一度顔を見合わせて笑った。


次回、第12話「冒険の終わり」!


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