12 5分後へ



「母さん。これどこ?」

 トランクスが母親に差し出したのは、すっかり色あせて、ところどころ焼けこげのある薄汚れた写真だ。
 母は作業を止めて、機械油で汚れた手を雑巾でごしごし拭くと、トランクスの差し出す写真をかがんで受け取った。
「どれ? ……これ、どうしたの、トランクス」
「あの事典の中に挟まってた」
 彼が指さした事典は、焼け落ちた実家跡から拾い出された。無事だった数少ない遺品のひとつだ。
「へぇ。こんな写真があったんだ。アルバムなんていくら探してもひとつも見つからなくて、写真は全部焼けちゃったと思ってたのに、こんなどうでもいい写真だけ残ってるなんて、皮肉よねぇ」
 目を細めて写真を眺め、独り言のようにつぶやく母にしびれを切らし、彼は小さな手で母の手をぐいぐいと引いた。
「ねぇねぇ、どこなの?」
「はいはい。これはね、私たちの昔のおうちよ。トランクスも、赤ちゃんの時はここに住んでたの」
「えーっ!? おうちー!? こんなにでっかいのー!?」
「そぉよ〜。母さんはね、大金持ちのお嬢様だったんだから。おじいちゃんと、おばあちゃんと、たくさんのペットとずーっとここで暮らしてたの」
「ふぅん」

 トランクスは母の手から写真を奪い取ると、鼻の先まで持ってきてまじまじと眺めた。
「母さん、このおうちにまた住みたい?」
「そぉねえ、あの頃はその家にずっとずっと住めると思ってたのにね。また世界があの頃みたいに平和に戻ったらいいのに、とは思うけど」
「ボク、悟飯さんと一緒に人造人間をやっつけたら、このおうちに住む! 母さんも一緒に住もうよ、ずっとずっと!」
 彼がそう言って母の手を握ると、彼女はまぶしそうに息子を見つめて微笑みながら、彼の頭をくしゃくしゃにして、何も言わずに作業に戻って行った。


   *******************


 気づかぬうちに、静かに、夜が来ていた。

 タイムマシンは街灯の光をうけて、薄い闇から浮き上がって見えた。
 チャージは完璧だった。エネルギーはフルになっている。今すぐにでも、未来に帰ることができる。

「信じられないな……。どうやってやったの?」
 トランクスはマシンの中から身を乗り出して、庭に立っているブルマに話しかけた。
「実はねえ、父さんが最近開発した宇宙船用の充電器があったのを思いだしたのよ。ものすごい燃料を短時間で作りだして補給できる機械なの。作りかけてた充電器とつないだら、このマシンにも使えたわ」
「そっか。ありがとう」
 マシンの設定を確認すると、今回の失敗は、単純に母の入力ミスだったことがわかった。マシンそのものには何の故障もない。トランクスはとりあえず自分のやってきた日付を入力しておき、マシンから降りてブルマの横に立った。

 何も言葉を発せないまま目線がぶつかり、二人はそのまま数秒間見つめ合った。まだ本当の辛さも苦しさも経験したことのない幼いブルマには、彼の瞳の奧に見える複雑な感情の意味を読みとることができなかった。ただ、彼が心を決めたということだけはわかった。

「行くのね」
「うん。行くよ」

 それきりまた言葉を失ったブルマから目をそらし、トランクスはポケットに手を突っ込んでタイムマシンを見上げた。
「ここにいれば、確かに幸せだと思うよ。普通に学校に通ったり、普通に遊んだりしてさ。キミを通してたくさんの仲間もできるだろうし、寂しい想いもしなくていいしね。
 だけど、きっとそれじゃ意味ないんだ。あっちに帰って、戦って、取り戻したい。たとえ独りきりでも」
「あたしも力になれればなぁ」
 照れ隠しのように伸びをしながら、ブルマは目をそらして言った。彼女が歳を取っても子猫のようなこんな仕草を失わないことを知っているトランクスは、目を細めてそれを眺めた。
「もうなってるよ。充分すぎるくらい」
「そお? マシンを充電しただけで?」
「それだけじゃないよ。キミはいろんな意味でオレの原動力だし。ここに来て良かった。こうして会って話したことで、いろいろ迷ったりしたけど、結局はすごく勇気が出たんだ。帰ったらそこを必ず平和にしたい。いままで苦労してるぶん楽させてあげたい人がいるんだ」
「大事な人?」
「うん。すごく。その人は、ずーっと平和を取り戻したいって願ってるんだ」
「へぇ、そんな人がいるんだ。そりゃそうよね、トランに彼女がいないわけないもんね」
「そ、そんなんじゃないよ! ホントは……キミのこと持って帰りたいぐらいだけど、そういうわけにもいかないからさ。オレはそういう人がいつか現れることを願って、ブルマのことは将来やってくる王子様に譲るよ」

「……またいつか会える?」

 その言葉はトランクスの心に深く刺さった。彼は、自分に言い聞かせるかのように、ゆっくりとひとつひとつ言葉を吐き出した。
「会えるよ。恋をしたり傷ついたりしながら、キミがもっともっと大人になったときに、必ず」
「すいぶん先なのね。忘れちゃうかもよ」
「かもね」
「忘れないようにおまじないしてあげる」

 ブルマは、トランクスの首に両腕を回し、その唇のはしに触れるか触れないか程度に、ほんの一瞬唇を重ねた。そして彼から離れると、心なし頬を赤く染めて、自分がキスした場所を指さして言った。
「それ、ファーストキス。あげる」
 トランクスは笑って、赤くなって、それから静かに言った。
「これで忘れないでいられるから……もう、行くよ」
 そしてヒラリとタイムマシンに乗り込み、窓の閉まるスイッチを押した。

「元気でね!」
 大きく手を振るブルマに、彼は、窓の隙間から大きな声で叫んだ。
「もしキミに将来息子が生まれたら、あんまり晩酌に付き合わせないでやって!」
 そこでタイムマシンは完全に密閉され、トランクスのセリフがブルマに届いたかは不明だが、彼女は笑ってもう一度手を振った。
 タイムマシンは空中に浮き上がり、トランクスは軽く片手を上げて彼女を見た。そして、一瞬で、消えた。


 ブルマはその何もない空間に向かってもう一度手を振った。一粒だけ、涙がこぼれた




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