10 告白



 あんたはちっともあたしに似てないわね。


 そう言って彼の母親は、笑った。

 彼が師匠を失ったときのことだ。怒りに我を忘れて人造人間に挑み、無様に破れ、気づいたとき、母の顔がそこにあった。

 彼は押し黙ってひたすら天井を見つめていた。師匠の亡骸の前では声が枯れるほど泣いたのに、今はなぜか涙が出なかった。だが身体は、言葉では言い尽くせぬほどの悔しさからか、いくら力を込めても絶えず震えていた。

「母さんねぇ、いろんな人を失ったわ」
 震える彼の手にそっと触れて、母は窓の外へと目線を外した。
「何度経験しても、人の死に慣れることはできないわ。けど、母さん気づいたことがあるの。
 その人の死について考えないようにすれば、現実として受け止めなければ、胸をえぐられるような辛さはないかもしれない。
 でもね、だからって忘れるわけでもないし、忘れたくもないでしょ? だから私は思いっきりそのことについて考えるの。そうすると悲しみに飲み込まれそうになるんだけど、ふっと、乗り越えられる瞬間がくるのよ。必ず」
 トランクスは何も答えなかった。母の声を聞いていると不思議と身体の震えはおさまってきた。
「あんたは気持ちを抑えたり我慢しちゃうとこがあるわね、母さんと違って。そんな風にしてると、逆に悲しさを引きずって、立ち直れなくなるわよ。悟飯くんも、誰かが死ぬたびそんな風になって……。母さんが何度も、泣き叫べるように導いてあげたもんよ。あんたはホント、悟飯くんにそっくり」
 小さく笑う母に目を向けず、トランクスはかすれた声で言った。

「どうして今回は、泣き叫ばないの?」
「今回は母さん、トランクスが思いっきり泣けるまでは我慢するわ。そしてあんたがいつか泣きやんだら、今度は私が気の済むまで泣く。順番待ちくらい平気よ。こんな時でも、不思議と息子の無事だけは嬉しいんだから」

 ゆっくりと目を向けると、母が大輪の花のように静かに微笑んだ。しかしその頬には、まだ乾ききらぬ涙のあとがあった。彼が目覚めたときには、まるでいつもの朝と変わらぬ顔で微笑んでいたのに。

 それに気づくと同時に、感謝と安堵、そして師匠を失った限りない喪失感が再び押し寄せてきて、トランクスは溢れる涙と、胸の底からわき上がる嗚咽をこらえることが出来なかった。
 そんな彼の頭を胸に抱えるように、母は両腕を伸ばして彼を包み込んだ。彼が泣きやむまで、ずっと。ずっと。

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「ほらー嘘じゃなかったでしょー?ホントに見たんだから」
 離れた目が出目金似の少女が息を弾ませて言った。
「ほんと!いたのねー!ふーん……」
 もう一人の少女は上から下までトランクスをながめた。痩せていて、大きな前歯が特徴的。
「え……えっと、キミたちは?」
「私たち? ブルマのクラスメイト」
「……ブルマだったら今シャワーだから、またあとで」
 出直してきてください、と言い終わらないうちに、二人が叫んだ。
「イヤー!! シャワーだって!」

 なんなんだよまったく。彼女たちに気づかれないよう深いため息をつくと、ふいに彼をじっと見ていたもう一人の少女と目があった。
 長い黒髪に黒い瞳。なかなかの美少女だが、いかにもキツそうな顔をしている。鋭い目でにらみつけられ、トランクスは自分がひどくやましいことをしている気がして(まだしてないのだが)たじろいだ。
「ヤムチャはどこ?」
 美少女は、顔にピッタリのきつい声でこう言うと、部屋を見回した。
「ヤ、ヤムチャさんは……えと……」
「やっぱり出てったの!?」
離れた目の、出目金顔の少女が身を乗り出してきた。
「え、えっと……」
「ふーん! 噂は本当だったんだ。ブルマとヤムチャもいよいよ決定的に終わりなんじゃない? ねぇ?」
 出っ歯の少女が、美少女を振り返った。美少女はふんっと鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。
 出目金と出っ歯はどんどんトランクスに近づいてくる。
「ヤムチャが出て行ったのって、キミが原因なの?」
「えっ!? オレ?」
「だってー、キミ、昨日ブルマとデートしてたでしょー? 私、見たもん」
「あれは、デートっていうか、その」
「しかもこの人、不良たちからブルマを助けてたんだから!」
「マジでー!? ドラマみたーい!」

トランクスは思わずめまいを感じて壁にもたれた。一体何しに来たんだ、この子達は……。
「うらやましいよねぇ。ヤムチャの次はこの彼なんて!」
「かっこいいよねぇ〜!」
 二人は声を揃えてトランクスを見る。どうもこの二人には悪意はないらしいが、とって食われそうな勢いがあって、違う意味で怖い。

「ブルマなんて、金持ちだから男が絶えないだけじゃないの?」

 いつの間にかソファーに座っていた美少女が、のけぞるような格好で口を挟んだので、トランクスを含む3人は一斉に彼女を振り返った。
「ヤムチャをここに住まわせてさ。愛人囲ってるのと同じじゃない。しかもヤムチャがいらなくなったら追いだして、もう違う男を連れ込んでるなんて、大金持ちだからこそできることでしょ? あんただってブルマが金持ちだから付き合ってるんでしょ?」
 嘲笑するような少女の目と、トランクスの目がぶつかった。

 けれどもそのとき彼が見ていたのは少女の顔ではなかった。


 トランクスが寝てからも徹夜の研究を重ねてタイムマシンを作った母。悟飯の死に泣き叫ぶトランクスを抱きしめて、ずっと背中をさすってくれた母。彼の前では、決して涙を見せなかった強い母。朝からつなぎを来て、タイムマシンの充電器を作っていたブルマの姿が重なる。少しも変わらない、伝わりにくい、その優しさ。


「何を知ってるっていうんだ?」
 トランクスの静かだが強い声が響いた。少女たちは、さっきまでおどおどしていた少年の様子が急に変わったのに驚いて、静まり返った。
「彼女はキミにないものをたくさん持ってる。それはもちろんお金なんかじゃない。オレはよく知ってるし、だからこそ彼女が……ブルマのことが好きだ。
 ヤムチャさんだって、だからこそキミになびかないんだろ」
 美少女は弾かれたように立ち上がった。屈辱と羞恥心で顔を真っ赤にしてソファーにあったクッションをトランクスに投げつけ、部屋を出ていこうとしたそのとき、ドアの前にブルマが立っていた。
 少女は一瞬たじろいだが、ブルマを押しのけるようにして部屋から出ていった。残された二人の少女も、戸惑いながら後を追いかけていった。


 部屋には、ブルマに背を向けたままのトランクスが突っ立っていた。
 今の会話を聞かれたかと思うと、トランクスは振り向くことが出来なかった。頭に血が上っていて、ブルマがここに来ていたことに気づきもせず、まるで告白とも取れるようなことを口にしてしまったのだから。

 ほんの数秒が、何分にも思えたが、ブルマがトランクスの背中に向かってやっと口を開いた。

「あたしも」
 トランクスがゆっくり振り向くと、ブルマは、あの日の母と同じ、大輪が花開くような静かな笑みを浮かべ、彼を見つめた。

「あたしもトランのことが好き」

 心臓が喉元までせり上がって脈を打っているかのように、トランクスには思えた。




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