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スタージャッジIII 〜混乱(マゼラン)〜
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ラバードの活動レベルが少し上がってきたのは朝の三時ぐらいだった。瞼を開けたラバードに「大丈夫か」とスブールの言葉をかけると、彼女はは虫類を思わせるぎょろりとしたでかい目で僕の顔をしばらく見つめていた。 「なぜ、わざわざ助けに来た」 クリアな標準語だった。僕はもう一度スブール語で応えた。 「自力で脱出できるなら、あんなシップに残ってないだろ? できたら標準語は使わないでくれないか」 陽子の髪飾りはスブール語は翻訳できないから、もし目覚めても僕らの会話はわからない。 ラバードが静かに上半身を起こした。自分に毛布が掛けられていた事に気づいて不思議そうにしている。 「陽子だよ。あの子は僕らがビメイダーであることを知らない」 ラバードは少し乗り出して眠っている陽子を見た。そして身体を戻して大きな息をついた。まだ体内で修復作業が進んでいるんだろう。自然人的に言えば"疲れて"見えた。 「きれいなスブール語を聞いたのは久しぶりだ。なぜわたしの故郷の言葉を知ってる、スタージャッジ?」 ラバードの口から低い、どこか歌のようにも聞こえるスブール語が流れ出した。 「言語を学習するのが好きなだけだ。でもあんただってマスターとはスブール語で話すだろうに?」 「マスターなどいない。アーリーは3000年前に死んだ。それからずっと一人だ」 「……それは……。まさか、あんたは、ビメイダーの自由人……なのか?」 「そうだ。アーリーが逝く少し前にそうなった」 「驚いたな。聞いたことはあるけど会ったのは初めてだ。僕はあんたが命令されて地球に来てるんだとばかり思ってた」 「ビメイダーの自由人はそうでないビメイダーに対して、己が自由人だと名乗ることを禁じられてるのさ。ある場合を除いてな」 「ある場合?」 ラバードの口元がすっと弧を描いた。それは微笑んでいるといっていい表情だった。僕の疑問には答えずラバードは続けた。 「アーリーはバランスの良い生態系がとても好きだった。スブールでその維持に生涯を捧げた。わたしはアーリーを愛し、彼もわたしを愛していて、わたしはひたすらにその仕事を手伝い続けた。アーリーとその仲間の努力で人と環境の調和を保つ道筋がつき、それは今も実践され続けている。もしアーリーが病に倒れる前にわたしが自由人になれていたら、わたしたちの在り方はもう少し変わっていたかもしれない。でもせめて死ぬ前に希望の道を見せてあげられて良かった」 僕は唖然としてラバードの独白を聞いていた。スブール語で語るラバードはとても穏やかに優しく見えて、まるで別人だった。意味や理由を尋ねたい部分もあったが、僕は黙っていた。聞いた言葉以上に深入りするのが怖いような気がした。 「アーリーの死語、宇宙に飛び出したわたしは、たまたまこの星に訪れた。ここまで幅広く多様な生命が存在する環境はあまり無い。もしアーリーが生きていたら、どれだけ紫外線があろうがここに住みたいといって駄々をこねただろう。移住してこの生態系を守るんだとな。だからアーリーの代わりにわたしがと……」 「……金儲けが目的じゃなかったのか……」 「自然人の8割は損得勘定を動機に動くからな。生態系を保つことが"得"だと考えないと話が進まないんだよ。もしスブールがビメイダーの星だったら、アーリーはあんなに苦労しなかったろう。なにより元手がなければ何もできない。金のプライオリティはかなり高くしてる。観光地というのはその意味で悪くない手段だ」 ラバードの話が途切れ、今度深呼吸が必要なのは僕のほうだった。夏にしては涼しい夜というのに、頭が熱せられたような感じだった。 「ところでスタージャッジ。おまえ最近、誘拐された異星人を助けるために、ずいぶんと無謀なことをしたというが、事実か?」 「…………なんであんたがそんなこと知ってるんだ?」 「事実らしいな。今度のいきさつ、最初から話そう」 ラバードが身体の位置を変え、壁にもたれかかった。同時に僕の腕に手が触れた。振り返ると陽子が起き上がっていた。 「おばさん、声すごくかすれてない? お水飲む? チョコバーもあるけど」 「ごめん。起こしちゃったね。えーと、ラバード、地球の水、飲むかな……」 「なんだ? 小さいのはなんと言った?」 「あんたが水を飲むかって。あんたのスブール語、彼女にはかすれて聞こえてるみたいだ」 ラバードが身を起こすと陽子に向き直った。区切るようにゆっくりと標準語で言った。 「ありがたい。いただこう」 陽子がぱっと立ち上がると、昼間汲んだ湧き水が入っている水筒を持ってきた。ラバードの脇に座り込み、カップを兼ねる蓋に水を入れて差し出す。ラバードは水をぐっと飲み干すとカップを陽子に返した。 「うまい水だった。お前はわたしが怖くないのか?」 「最初はね。でも包帯巻いてくれたでしょう? あとマゼランのこともそんなにいじめなかったし」 陽子が応えたのは英語だ。もちろんラバードにはわからない。 「やはり片道か。地球の言葉を標準語に変換することはできないんだな」 「陽子はあんたを怖がってないよ。包帯を巻いてくれたことに感謝してるって」 僕が標準語でそう言うと陽子が大きく首を縦に振った。ラバードが面白そうに言った。 「頭部を縦に振ると肯定で、横なら否定を示す種族が多いのはなぜなんだろうな」 ラバードが手を伸ばし、そっと陽子の腕に触れた。 「もうあの時の怪我は治ったのか?」 陽子がこくこくと頷いた。 「地球人があんなにヤワとは知らなかったんでな。悪かった」 陽子はにっこりと笑って手を振った。 「今のは?」 ラバードが僕を見る。 「気にしてないよって感じかな」 ラバードが一生懸命陽子のことを理解しようとしてるのが微笑ましかった。あまりのんびりしてる場合じゃないのだが、二人のやりとりを補助しながら、僕は妙に幸福な気持ちになっていた。 「ひとつ聞いていいか?」 ラバードの問いに陽子が頷く。ラバードが僕を指さした。 「お前は、このスタージャッジが好きなのか?」 「お、おい、ラバード、何を……」 「いいから坊やは黙ってろ」 一瞬真っ赤になった陽子が、ラバードを見つめてゆっくりと大きく肯定の意を示した。ラバードはしてやったりという風に笑う。 「そうか。良かったな、スタージャッジ」 「なんなんだ。何が言いたいんだ、ラバード」 「お前も赤くなってるぞ」 「えっ!?」 慌てて頬に触ってみた僕にラバードが大笑いした。陽子も笑ってるし、なんなんだ、もう。 さんざん笑ったラバードが少し真面目な顔になり、陽子を見やった。 「ヨーコ……か、お前の名前、こんな発音で大丈夫か?」 「うん」 「もう少し寝ておいた方がいいな。こいつと一緒にいるには、時として体力が必要だ。睡眠不足は大敵だぞ」 「はい」 陽子は素直に頷くと水筒を片付け、脇に来て僕の腕を抱えてほおずりし、それからまた毛布の下に滑り込んだ。ラバードに心を読まれた……というか、僕よりずっとうまく陽子を言いくるめてる。地球人にとって睡眠は大事だ。それ以上に僕らの話を聞いて不安がらせるのは陽子が可哀想だ。 「お前がなぜ標準語を避けたのか、わかったよ」 ラバードがまたスブールの言葉で言った。 「まさかスタージャッジが担当惑星の住人に翻訳機を与えているとはな」 「色々事情があって、その……陽子が狙われる可能性があって……危険を知って欲しいと思ったんだ。でも、余計な心配はさせたくない。時期がくれば、この子は全てを忘れることになるんだから」 「記憶処理を……お前が?」 僕はその瞬間のことを思って苦しくなった。だが、そうしなくちゃならない。拳を握りしめて、自分に言い聞かせるように、繰り返した。 「そうしなきゃ、ならないんだ」 ラバードはしばらく僕の顔を見ていたが、ふうっと息を吐いた。 「……話を続けようか」 「頼む」 「カミオ星から依頼品が用意出来たから送ると言ってきた。言われた元素パックはモノと照らし合わせて納得できるものだったし、まさか"人"が来るとは思わなかったんだ」 「それが……まさか、それがマリスだったってのか?」 電送のルートを開いているとはよほど信頼した仲間がカミオにいるのだろう。なんせ互いの電送機の座標と設定が合っていて、かつ受信側カプセル内の元素構成が正しければ、基本的になんでも送り込めてしまう。 だが何光年も離れた場所に生命体を電送するなど、まずあり得ない。その距離になると電送信号は中継器を通じてリープ伝送路を通っていくことになるが、空間波である伝送信号は物質よりかなり不安定で、リープさせるとエラーが入り込む可能性が数パーセントにもなる。たとえビメイダーであってもカミオから地球空域まで電送で飛んでくるなど考えられないのだった。 「そうだ。自然人なのかビメイダーなのかはわからないが、反応から考えてプログラミングされた機械人形ではない。旧式で不格好なサポートアーマーを着ているように見えた。奴はいきなり地球のスタージャッジのことを教えろ、と言った。即時破壊命令の出ている犯罪者の船に、担当外の生命体を助けるために乗り込んでいったそうだがどんな奴だとな。目的は何だと聞いたら、自分はスタージャッジの買収を商売にしてて、自分を雇ってくれれば話を付けてやるとぬかした」 「訳がわからないぞ。地球にそれこそ軍事利用できるような資源でもあるならいざしらず、僕を買収してどうしようっていうんだ? それにそんなことのためにカミオから電送されてくるなんて、信じられない」 「全くだな。だがとにかく奴はお前のことを知りたがっていた。最近会ったのはいつだ、どんな話をしたといった具合だ。そんなことに答える義理はないし、雇う気も無い。さっさと自分の家に帰れと言ってやった。そうこうするうちにカミオから緊急通信が入った。10名近い人間が殺され、電送機が勝手に使われた。犯人がまだそっちに居るならロボット兵を電送するから逮捕に協力して欲しいとな。だが遅かった。感づいたマリスは私の船の電送機を爆破したんだ。到着した時に仕掛けたんだろう」 「なんてこった……」 「もう戦うしかなかった。奴は分解銃と大型のナイフというえらくアンバランスな武器を持っていて、フラーメもずいぶん死んだ。お前とは古くから何度もいざこざがあったが、それでも本当に死んだフラーメはたった2体だったというのに……」 フラーメはスブールの自然種を極端に品種改良した生命だ。地球で言ったら家畜にあたるか。目的によってはラバードの手下のように言語チップを埋め込むケースもあるが、普通は喋ったりしない。小型種はペットとしている人も多いと聞く。成長しても未分化細胞を保持し続ける種なので外傷には強いが、僕だってそれなりには気を遣ってきたつもりだ。 「あんたの損傷も、マリスにやられたものなんだな」 「そうだ。船内を壊すだけ壊してから奴の身体がいきなり倒れた。見たら抜け殻だ。アーマー型の簡易電送カプセルだったようだな。わたしの医療ドックも動かず、船を海への落下軌道に乗せるのに苦労してるうちに脱出も不可能になった。最後の時間でお前にこの話を伝えようとしてたのに、まさかこんな形で助けられるとはな。アーリーが逝ってから、わたしはバックアップを取らなくなった。だからこの身体が失われればわたしは本当に死んだんだ。感謝してるぞ、スタージャッジ」 「……礼も詫びも、言うべきはこっちだ、ラバード。あんたは巻き込まれた被害者だ。形だけでも雇うと言えば、こんなことにはならなかったかもしれないのに……」 ラバードはくっくっと笑った。 「わたしだってビメイダーだ。嘘をつくのは苦手でね」 思わず笑ってしまった。ビメイダーが嘘をつけないなんてことは、もちろん、無い。 ラバードがまた真剣な顔になった。 「わたしの直感だが、あいつは地球じゃなくてお前個人が狙いのような気がする。何を言ってくる気か知らないが、どちらにしろかなりヤバイ奴だ。カミオでは私の友達の一人が生死の境にいるらしい」 「わかった。今まで僕が関わった犯罪者についても調べてもらうよ。どっちにしろ本部には全部報告しなきゃいけない。あんたのことも事実をありのままに伝えたいけど、いいかな?」 「好きにしろ」 僕は軽く頷くと本部に連絡を取り、ざっと顛末を伝えた。 〈まさかカミオの件がこちらに関係するとは思いませんでした〉 ヴォイスはありとあらゆる言語を知っている。僕に合わせてしっかりスブール語で返してきた。 〈スタージャッジに買収が持ちかけられるケースは確かにありますが、それに対して隊員が乗ったこともなければ、重犯罪に至ったケースもありません。そもそも地球のような星の担当者がその対象になるのは考えにくいですね〉 「地球について何か重要な新発見があったとか、そういったことは?」 〈今のところそういった報告はありません。それから犯罪者の方、サーチ結果が出ました。ここ200年ほどで貴方が刑務所に送ったのは3件、7人ですが彼らがカミオに行った記録は無い。所在も判明しています。一番問題のポーチャーコンビも現在厳重に拘束されています〉 「マリスがラバードの船からどこに飛んだのか、判りませんか?」 〈太陽系に一番近いリープ・ゲートを利用した伝送信号は警察が分析中です。ラバード氏の船に飛んだ記録は見つかったようですが、戻りはまだです〉 電送は空間波を使う。リープ・ゲートを使う空間波にはこういった音声通信も含まれているから時間がかかるだろう。 〈たぶん警察はラバード氏の事情聴取をしたがるでしょう。スタージャッジ本部とはいざこざはありますが、過去、犯罪申告をされたことは無いので特に問題は無いと思いますが〉 「ラバード、警察が……」 「聞こえてる。あまり会いたい連中じゃないがマリスは許せん。私は脱出艇に戻ってからカミオに行く。そこでイヤでも会えるだろう」 「ラバードはこれからカミオに行くそうです」 〈わかりました。貴方もグランゲイザーで待機した方がいいでしょう。状況の変化により迅速に対応できます〉 「そうですね」 グランゲイザーに戻るなら陽子も連れて行くべきなのか。僕と異星人たちのやりとりに巻き込まれた地球人をグランゲイザーに連れて行ったことは何度かある。怪我の治療をしたこともあった。でもどれも連れて行くときは意識が無かったし、もちろん記憶処理もした。 マリスの狙いが本当に僕との取引なら、陽子はこのまま地表で沢山の人に紛れていた方が安全なのかもしれない。だが、僕の知らないところで陽子に何かあったらと思うと……。 「スタージャッジ」 「え?」 「部下と連絡がとりたいんだがな」 「ああ、そうだったな。いくつだ?」 ラバードの言う呼び出し先の波長に合わせてから通信機をラバードに渡した。ラバードは標準語に切り替えた。フラーメの言語チップはシングルで標準語しか理解できないんだろう。 「わたしだ。……ああ、無事だ。…………わかった。わかったから黙れ。今地表に居る。カプセルで迎えをよこせ。船で来るのはやめろ。場所は……」 「今、グランゲイザーが真上にいる。それを目安にできるか? 弓状の列島の真ん中あたりのごく小さな島だ。近くに来たら300nmの誘導サインが上げられる」 「助かる。いや、こっちの話だ。スタージャッジの船の真下の小さな島にいる。近くに来たらカテゴリー5の誘導サインを目指せ。今、奴と一緒にいて……。なにー!? 誰が逮捕されるか!」 くすくすと笑い声がした。起き上がった陽子が立膝に顔を埋めて笑っている。 「陽子」 「おばさん、帰るの? もう治ったの?」 「ああ、今ウミウシが迎えに来るって」 「どこへ? まさかここ?」 「山の上にするよ。まだ普通の人が歩く時間じゃない」 「あたしもお見送り一緒に行ってもいい?」 僕は思わず手を伸ばし、陽子を抱き寄せた。陽子がまん丸い目で僕を見上げた。 「どうしたの、マゼラン?」 「いや……。……かまわないよ。一緒に行こう」 ラバードを見送ったらそのまま陽子をグランゲイザーに連れて行こう。たとえ陽子の記憶を奪うことになっても、この子が傷つくことに比べたら、なんだっていうんだ。 「20クロノスかそこらで着くそうだ」 ラバードが僕に通信機を返してよこした。 「わかった。出かけよう」 空一面に広がった雲のフィルターを通して月がぼんやり見えた。僕とラバードにとっては十分でも、木々に覆われた細い山道は陽子にとって暗すぎて、結局陽子を抱えて登った。いつもながら羽根のように軽かった。 しばらく登った場所に10m四方ほど開けた地点があった。僕はサイン・スティックを出して300nmに会わせると上に向かってなんどか点滅させた。この波長を可視光としている種は少ないが(実際僕にも見えないが)、誘導信号としてはよく使われている。 大きめのカプセルがすぐに降りてきた。普及タイプで地球の可視光に合わせてステルス加工してあるやつだ。ハッチが開き、ラグビーボール型のフラーメ1体が飛び出してきて、ラバードにすがりついた。 「ラバード様〜!!! よくご無事で〜!」 「もう、わかったと言っとるだろーが!」 「みんなおばさんのこと心配してたのね」 陽子がにこにこしてそうコメントした。あれだけの破損を抱えて、フラーメを逃がして船に残るなんて普通はありえない。フラーメだってびっくりしただろう。ラバードが僕らに向き直った。 「世話になったな、スタージャッジ」 「こっちこそ迷惑かけた」 「気をつけろよ」 「ああ」 「ラバードサマ?」 陽子がかろうじて標準語とわかる発音をし、ラバードが笑った。 「ラバード。"サマ"は敬称だ。ラバード、でいい」 「じゃあ、ラバード、さん。ええとね……」 陽子は僕を指さし、ラバードを指さし、手真似で何かを伝えようとし始めたが、すぐ諦めた。 「マゼラン、通訳して。『できたらこれからずっと、マゼランのお友達で居て下さい』」 僕は苦笑した。それは難しい注文だよ、陽子。 「なんだ? スタージャッジ? ごまかさず、小さいのの言ったとおりに言え」 「可能ならこれからずっと、僕の友達でいて欲しい、と言ってる」 また爆笑されるだろうと思ったのに、ラバードは身をかがめて陽子の手を取った。 「友達なら、お前がなれ。お前がこの男を愛しているなら。その気持ちが確信できるほどに強いものなら、こいつと共に歩む勇気を持つがいい。途が開けるかどうかはお前にかかっている」 陽子はびっくりして固まったままだ。正直言うと、僕も同じように固まってた。 ラバードが重ねて言った。 「あれこれ悩むな。考えることは、愛しているのか、いないのか、それだけだ。いいな」 ラバードは立ち上がり、くるりと背を向けるとそのままカプセルに入った。フラーメも慌ててその後を追い、黒い固まりはあっというまに空に昇っていってしまった。 僕は声もなく空を見上げていた。ラバードが最後に言った言葉が耳に残ってる。いや、それだけじゃない。今夜、彼女の言った言葉の全てが、僕の中を駆け巡っていた。 でも……だからといって、何か新しい解答が出た訳じゃない。陽子に、グランゲイザーに戻る話を切り出そうとした時、僕の耳に飛行音――それも高速の――が聞こえた。 その物体はかなり静かに着地した。くるんと一回転すると、そいつの周りから黒いアーマーがばらけるように消えた。長身の地球人と言っても通る姿だった。 「キミが、地球のスタージャッジ?」 男が一歩踏み出した。雲が切れて、相手の顔が月明かりに浮かび上がった。顔の上部にかかっていた巻き毛を風が巻き上げ、初めて目が合った。アザラシでも思わせるような大きな瞳と秀でた大きな額が幼い子どもを連想させる。長い手足とその顔がどこかアンバランスだ。そいつは握手を求めるように手をさしのべた。 「ボクはマリス。よろしく」 それは"カン"に近かった。センサーに引っかかったわけでも、ましてや見えていたわけでも無かった。陽子に向かって一直線に走った何かの軌道に僕は割り込んだ。左背から腹部に貫通して、まだ進もうとするそれを手で掴み止めた。小さなナイフ型のものだった。 もう半回転してマリスの方を向き直り、僕は膝をついた。僕を背中から支えるように座り込んだ陽子が悲鳴を上げる寸前、僕は彼女の手を握りしめた。 「大丈夫、だから」 「噂は本当だったみたいだね。優しいスタージャッジ。会えてすごく嬉しいよ」 月明かりの中で、マリスはにたにたと笑っていた。 この不気味な男がずっと英語を話していたことに、僕はその時気づいた。 2008/6/29
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