「主砲発射15秒前」
しんと静まり返ったベータ号のコントロールルームに副長の声が響く。ヒカルはさっきから必死で声を出そうとしているのだが、吐き出されるのは荒い息だけだ。

「待って‥‥」
辛うじて掠れた言葉が出る。誰も気づかない。
「10秒前」
だめだ。あの人が死んでしまう! 早く言わなくちゃ‥‥
「待‥‥」

(ヒカル)
ヒカルは驚いてあたりを見回した。頭の中、はっきりと声が聞こえた。
(心配しないで。やっと使命を果たせた。俺は今、とても嬉しいんだ)
(タチバナさん! だって‥‥!)
(アルファを‥‥。あとは祈るだけだ。地球が多種多様な命の星に戻ることを!)

「5‥‥」
映像はムーン・ベースにも届いていた。
「4‥‥」
宇宙に散らばった地球人達は、今、何が行われているのか知っていた。
「3‥‥」
ヒカルは胸の前で手を握り合わせた。掌の中に白い封筒がしっかり挟み込まれている。

「2‥‥1‥‥ファイアッ!!」
全ての人類の祈りを乗せて、宇宙空間から3本の光が銀の繭に向かって走った。


 Act.6 永久の眠り
―― A Conclusion of Masked Rider Blade ――


氷原に黒い平板が傾いで突き立っていた。捻れは無く、やや反っている。艶やかだった表面は一瞬で風化したかのように白っぽくざらついていた。
1枚のラウズカードに大量のアンデッドのエネルギーを取り込もうとした"システム"は完全に機能を停止していた。そのうえ、勝者が居ないという事態が、"システム"の存在意義を失わせていた。

"システム"の周囲には何体もの異形が踞っている。52種類の生命の始祖であるアンデッド。1体の改変された者。そして石のすぐ傍に、二体のジョーカー‥‥"システム"が破壊されたことで彼らはラウズカードから追い出され、最期の時を迎えようとしている。封印の石は、今や黒い墓標となっていた。


1体のアンデッドがゆらりと立ち上がり、ジョーカーに歩み寄る。毒々しい緑と赤の模様。頭上にある5本の触角はどこか人間の手を連想させた。
<貴様ら‥‥>
やや小柄なオリジナル・ジョーカーが緑の複眼でちらりとスパイダー・アンデッドを見上げた。だがそのまま視線を落とす。スパイダーアンデッド、クラブのカテゴリーAは長い指の生えた凶暴な左手を、ジョーカーの頭上に振り上げた。

<やめるんだ>
穏やかな風のような思念と共に、カテゴリーAの鋭い爪を受け止めたのはがっしりした褐色の腕。闘争心を持たない不思議なアンデッド。クラブのカテゴリーキング。
<キング。また邪魔をする気か!?>
<この二人を傷つけるものは、私が相手をしよう>

<なぜなの、キング? ただ切り札の役にしか立たないハズのジョーカーのせいで消滅するなんて
 あたしは許せないわよ!>
甲高い声をあげ、右腕の鞭をぶんと打ち振ったのはダイヤのカテゴリークイーンだ。ジョーカーに向かって突進しようとしたが、一人のアンデッドの背中がそれを阻止した。
<往生際が悪いな、サーペント>
<‥‥な、なによ、タイガー! あんたもあのバカどもを庇おうっての!?>

クラブのカテゴリークイーンがゆっくりと向き直った。戦士としての誇りと自信を発する強靱なブロンドの胸板。4人のクイーンの中でも真っ向勝負ならまず負け無しと言われる。
<私にはまだよく判らないこともある。だが、バトルファイトだけが正しいと思っていたのは
 間違いだったのかもしれない。何よりもう事態は決まったのだ。今さらうろたえるな>

さっきからあたりを見回していたアンデッドがふらりと浮かび上がった。少しよろめきながら空に上がっていく。最高の飛行能力を持つカテゴリージャック。正々堂々と闘いを好むことで有名であり、皆、思わずその動きに注目した。
しばしの時間の後、降りてきたイーグルアンデッドは完全に力を使い果たしていた。着地を待ちかねてそれを助け起こしたのは、カリスの異名を取るマンティスアンデッドだった。
<ああ、カリス。本当のキミか。嬉しいですね>
<オレもお前と同じことが気になっていた。なんだ。この異常な雰囲気は>
<遠くの空が燃えてる。こんなことは初めてだ。もうすぐこのあたりも炎で覆われるでしょう>

アンデッド達が少しざわつく。雄叫びとも悲鳴ともつかない嬌声が上がった。
<あーあ、腹が立つじゃない! 最高のバトルファイトの舞台がさぁ!>
スペードのカテゴリークイーンはいつもの八つ当たりのように三日月型の獲物を振り回しながら、いきなり跳ね飛んだ。

カプリコーンアンデッドの跳んだ先にはカテゴリー2がいた。自身と似た形のアンデッドを一人抱きかかえて座り込んでいる。抱えられたアンデッドは眠っているのか死んでいるのか、目を閉じたまま動かない。
三日月型の凶暴なエッジがカテゴリー2の頭部を横殴りしようとした時、それを食い止めたのはオリジナル・ジョーカーの刃だった。
<止めろ>
<こいつが勝ち逃げってのが、アタマくんだよ! 1万年もの間、好き勝手やってさぁ!>
<違う。この前の勝利で、こいつはアンデッドの中で初めて、多くの種の共存を願ったんだ。
 だから1万年ももった。その前は最も長くて2千年だったのに‥‥>

<くだらんな>
ダイヤのカテゴリージャックが座ったまま吐き捨てるように言う。ブルーの金属光沢を持つ飾り羽が美しい。
<ジョーカーのお前に勝利の意味はわからん。私が勝ち残ればそれで済んだ。
 だいたいバトルファイト無しで、どうやって次の世界が決められる? お前は愚か者だ>
<貴様自身は確かにアタマがいい。だが貴様の種族の個体全てが同じになれるか?
 多様性を持たせれば思うとおりにならん。だが同じにすれば結局滅びる。判っているはずだ>

<だから壊しちゃったってわけ?>
面白そうに言ったのはスペードのカテゴリーキング。苦しそうな息づかいで、それでもククク‥‥と笑い声を立てた。
<すごいよ、ジョーカー。流石のボクも思いつかなかったよ。いいんじゃない?>

<バカで愚かな選択‥‥。でもそう悪くないかもしれないわ‥‥>
ハートのカテゴリークイーン、オーキッドの自慢の右腕はしおれて哀れなほどだ。だが頭部の花飾りはまだ美しい色合いを保っている。そのあでやかな紫に、ごつい3本指がひどく優しく触れた。
<ま、これで俺も、ゆっくり寝られるってわけだ>
クラブのカテゴリージャック、エレファントアンデッドの思念が、染みいるような低い波動と共に、全てのアンデッドの腹底にずんと沈み込んでいった。

と、両腕の鋏状の得物をがちゃりと言わせて、黄金色の巨体が立ち上がった。
<俺は行かせてもらうぞ>
ダイヤのカテゴリーキング、ギラファアンデッドは、そこにいる全員の無言の疑問符に、いつも通りの人を食ったような声音で返した。
<まともな場所で死にたいからな。それともお前達、ここで仲良しこよしで死ぬつもりか?>

それだけ言い残すと、ギラファはアンデッド達に背を向けて歩き出す。ざわめいていた他のアンデッドも、一体、また一体と、四方八方、氷原の彼方をめざして散り始めた。


ハートのカテゴリー2がもう1人のアンデッドを抱えて立ち上がった。二体のジョーカーが、かつての己の姿に別れを惜しむように、そこに近寄る。
<今まで、ありがとう>
オリジナル・ジョーカーがカテゴリー2を見つめて言った。
<いや、礼を言うのはわたしの方かもしれない>

そう答えたカテゴリー2はもう1体のジョーカーに視線を移した。
<あなたに、とても感謝しています>
<いえ‥‥。オレは‥‥>
クリエイティッド・ジョーカーは言いよどみ、カテゴリー2の腕の中の存在に視線を落とす。剣崎一真の姿をかたどったヒューマン・アンデッド‥‥。
<わたしが連れて行きます。いいですか?>
<‥‥はい。お願いします‥‥>

血の気の無い白い顔で、それでも限りない優しさに満ちて、にっこりと微笑んだカテゴリー2は、ゆっくりと踵を返して去っていく。それを見送る二体のジョーカーの背後に、最後に残ったクラブのカテゴリーキングとクイーンが歩み寄った。
<剣崎くん。相川始くん、私達も行くよ>
<嶋さん‥‥。ありがとうございました>
<いや、剣崎くん。よく頑張ってくれたね。相川くんも‥‥。これでよかったんだよ>

<待て‥‥>
行こうとする二人をオリジナル・ジョーカーが呼び止めた。
<睦月が、ずっとあんたたちのことを言ってた。死ぬ直前にも‥‥。
 いつか会えることあったら、とても感謝していると、伝えてほしいと‥‥>
カテゴリークイーンがくすりと笑い、小首をかしげて訊ね返した。
<坊やは‥‥強い男になったか?>
<ああ‥‥。とても‥‥>
<そうか。ならばよかった>

もはやかなり弱々しい足取りで、だが傲然と顔を上げて、クイーンは歩き出した。何かあったらクイーンを支えられるように少し遅れてキングもまた‥‥。ジョーカー達が軽く頭部を下げ、長い触角とチェーン器がゆらりとゆれた。


二体のジョーカーは黒い平板の下に戻った。
石は既に端から砕け始めている。彼らはそこに寄りかかるように座った。
<なんだか、眠いな‥‥>
<ああ‥‥>

二体が、どちらからともなく、手を伸ばした。
<もう起きてられないや‥‥。始、お休み‥‥>
<‥‥ああ。ゆっくり眠れ、剣崎‥‥‥‥>




ベータ号のコックピットが歓声で埋め尽くされた時、ヒカルはただ炎に包まれた地球を見ていた。見開いたままの丸い黒い瞳から、ぽろぽろと涙を流して‥‥。
ふと気付いて、握りしめてシワの寄ってしまった封筒を伸ばし、なかから花の種のはいった袋をとりだした。それを胸に押し当てて呟く。
「タチバナさん‥‥ハジメさん。さようなら‥‥。この花は僕がきれいに咲かせて見せるから‥‥」



オメガ層を燃やし尽くしながら走る炎が白い氷原を淡く染める。朽ち始めた異形達の身体をも讃えるように照らして‥‥。もろもろと崩れていく彼らの細胞は、新たな命の始まりになり、また新たな命の糧になってゆく‥‥。

氷の中に突き立った黒い石はもう半分ほどに崩壊していた。
そこに寄りかかった二体の異形もまた脚部からさらさらと黒い砂に変化していた。

どの種にもなり得ないアンデッドとして生まれ、他の生命を愛するに至ったオールマイティと、
ただの人間でありながら、それを導き、支え続けた者‥‥

しっかりと握り合わされた手が、互いへの友愛を示す。
光を失った複眼に、炎で覆われた高い空から降り注ぐ灯りが映り込む。
朝日を思わせるその光は、異形達の表情を満ち足りたものに見せた。

永久の眠りで見る夢は、ただひとつ。

沢山の命達の宿る緑の星‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥




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2005/9/25  (表紙へ)

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