その5:巨大ロボットの憂鬱

ただいま私はリーブロボをがしゃがしゃと破壊している最中である。すごく苦労している。別に頑丈だからってわけじゃない。単に龍球第27話の冒頭を執筆中なだけ。スポンサー(誰よ)のために、旧ロボを壊して新ロボを出さねばならないのだ。くそぉ。自転車と乗用車とバスと旅客機しか乗ったことのない人間に巨大ロボットを書けというほうが間違っている(苦笑)。
自分が40mだとしたら赤星は6.6cmだ。腋下あたりに乗降口があったらこんな感じ‥‥。こら、腹の上を歩くな、くすぐったい‥‥とか考えていると、自分がアフロダイAにでもなった気分である。いいかげん、やめるんだ(笑)

ということで、今回は特撮における巨大ロボについて。

戦隊ワールドで最大の決まり事といったら「ロボット戦の現実を直視するな」だろう。戦場が都市部であれば、毎回毎回、ビルは壊れ、道路は寸断され‥‥要はアメリカの貿易センタービル崩壊以上の被害が毎週起きるわけで、その復興なんて何年かかるかわかったもんじゃない。それでも翌週はそんなことは忘れたように、主人公達は怪人と戦い、再びロボットに搭乗するわけだ。

実は先日、あきさんやラバさんとデートした際、某アニメショップで「ザンボット3とダイターン3音楽集」というCDを見つけて購入した。これらはかの富野氏が初期ガンダムの前年と前々年に世に送り出した名作だ。そしてそのザンボット3こそまさに「ロボット戦の現実を直視した」凄まじいロボット・アニメだった。

主人公達の一家は江戸時代に地球にやってきた宇宙人の子孫で、地球を侵略しようと送り込まれる巨大敵メカと、祖先の遺産である巨大ロボで戦う。だがその戦いの度に街は戦火に包まれ、家族や家や生活基盤を奪われた市民達は主人公一家を強く非難する。主人公一家は、必死で守った人たちから排斥されるという実に悲惨な状況の中で、街から街に移り住んで行く‥‥。

戦隊モノだって普通考えればそうだろう。秘密組織だろうが、自衛隊だろうが、国際機関だろうが、自分の街が破壊されたら、敵が巨大だから仕方がないと納得してくれる人なんていない。その上もっとマズイのはこっちも巨大であることだ。何も知らない子供は応援してくれるかもしれないが、大人からはひっくるめて恨まれるのが自然だと思う。戦車とか戦闘機で戦う方がまだ理解が得られそうだ(その意味で初期のゴジラは本当にリアルで素晴らしい作品だったと思う)。

ウルトラシリーズも巨大ヒーローなのだが、攻めてくる怪獣が同じ組織でないことで少しだけ許される気がする。その点戦隊は攻めてくる敵は毎回同じ。そりゃ「なんとかしろ!」という声があがるのは必然で、三ヶ月も同じ事をやっていたら無能呼ばわりされて、更迭含めていろんなことが起こる気がする。

自分で書いていてもしみじみ思うが、ロボを登場させるのは本当に難しい。本家戦隊なら毎回出てくるはずのロボだが、やはり書けない。もちろんメカやら兵器の知識が乏しいせいも大きいが、ここで戦ったらどうなるって考えてしまうと登場させられないのだ。いっそのこと宇宙刑事の○○○空間みたいなのを作っておけば良かったと思うことしきりである。

その他にも高校生ぐらいであんなメカを操縦していいのかとか様々な矛盾を抱え込みつつ、戦隊の巨大ロボットは戦い続ける。やはり子供達は大きなものが好きなのだろう。過去もシルバー仮面のように視聴率が低迷したために巨大化させられてしまったヒーローもいる。あとは合体ロボのほうがオモチャが作れるという理由も大きいのかもしれない。

人間大の怪人と戦うケースでリアルさとヒーロー性の絶妙のバランスを見せてくれたのがクウガだが、その中でライジングマイティのあまりの破壊力がマスコミから叩かれる回は、印象的でありつつも溜息が出た。それが現実。だが、五代雄介の気持ちを思えばあまりに辛い。もちろん次の回では人のいない場所まで怪人を運び、周囲の避難も徹底させてから倒すとか、色々手を打ってくるのがクウガの凄い所なのだが。

そしてクウガのメインライターの荒川氏は、今アバレンジャーのメインライターをやっておられる。で、アバレンの1、2話を見た時は青ざめた。大都会に爆龍が登場してしまうシーンをけっこうリアルに描いていたからだ。「ウソでしょ。この調子で書いてたら死ぬわよ、荒川さんっっ」と余計な心配をしてしまったが、流石に3話以降は他の戦隊もののロボ戦の感じに抑えられていき、胸をなで下ろした次第。

ああ、ロボよロボ。総工費にはとんでもない費用もかかってるだろうに、実際には使えない武器だよね、やっぱり‥‥(溜息)


2003/05/22

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