その13:終わり良ければ 〜ウルトラマンティガと仮面ライダー剣〜

平成ウルトラマンを見ようと思った理由は、ウルトラマンティガの評判の高さゆえだった。ウルトラセブンに匹敵すると言われたら誰だって見たくなる。
ただティガを見始めた時、確かに素敵な作品だと思ったが、「それでもセブンと並べるほどか?」というのが正直な感想だった。たぶんメッセージを明確な言動にしていないことが、自分にとって物足りなく感じられたからだと思う。特に実相寺氏の数回はあまりに独りよがりだった気がする。連続ドラマだから実験的な作品も可能という考え方もあろうが、マルチプルアウトな作品は子供番組として、ウルトラマンとして、あまり好ましいとは思えない。

ウルトラセブンは重い問題提起をして、かつそれに対してなんらかのメッセージが語られることが多かった。理想は遠く、そこへの道のりは困難なかもしれないが、それでも「かくあるべき」と明確に言葉にする。かの有名な「血を吐きながら続ける孤独なマラソン」に代表されるように。己の不明で宇宙に迷惑をかけた科学者は最後に反省し、また人類の側が加害者という苦い認識をかみしめつつ、それでも人類の為にというキリヤマ以下の戦いが重く表現されることもあった。
その点ティガは「光を信じる」という漠とした言葉に頼り過ぎた気がする。
確かに「光」という言葉の裏にあるものを感覚として捉えている人にはそれでいい。むしろ余計な言葉はジャマかもしれない。だけど光の感覚が伝わらない人間は沢山いるし、そんな大人に育てたられた子供がその感覚を得ることは難しい。伝えた気になって伝わらないのは、世の中非常に多いわけだが、こと子供番組ではそれを伝える努力をすべきだと思う。

とはいえ、ティガにはそれらをカバーして余りある魅力があった。
まずキャラと役者の素晴らしさがある。初の女性隊長であるイルマとそれを真摯にサポートをするムナカタがいい。シンジョウとホリイも実に魅力的だ。そしてなんと言っても主人公のダイゴがいい。あそこまでアクが無く柔らかいキャラクターが、主人公としてきちんと立っているのは、ヒーロー番組では珍しいのではないか。常に人の良さを信じさせてくれる円谷ならではというべきか(東映だったらダメだったかも)。いや、それともこれがアイドルのアイドルたる所以かもしれない。

そして何より。
ティガで最も素晴らしいのは最終回だ。

あらすじを語ってしまえば、ただ「元気玉」なのだ。倒されてしまったティガが、世界中の子供達の持つ光のパワーによって立ち上がり、闇に勝つ。これ以上でもこれ以下でもない。北国の女の子を、我が家では「ウルトラマン界のスノ」と呼んでるくらいだ(おい)

なのになんでこんなに感動できる最終回なんだろう。

映像のパワーを、映像の価値を、まさに思い知らされる。名もない子供達と、ウルトラマン・ティガの、思いと力が重なっていく。何度見ても思わず正座して画面に見入ってしまう、あのパワーはなんなのか。
外国人俳優を適切に使う円谷らしさは相変わらずだが、ひどく凝った演出という訳ではないし、もちろん奇をてらった物でもない。ただまっすぐに、真っ正面からそれを描いているだけ。それがまた実に爽快。

この最終回こそが、ティガを名作たらしめていると言ったら言い過ぎだろうか。

ティガはキャラクターにも役者にも恵まれた作品だ。だから多少物足りない気がしても毎回それなりに楽しめている。それがあの最終回で増幅する。今まで見てきた作品の魅力的な部分がふわっと心に浮かんでくる感じで、ああ、この番組を見てきて良かったという充足感がこみ上げる。1年かけて語り継いできた「光を信じる」という漠然とした言葉を、ラストで「明確な形」にして見せた。
「終わりよければすべてよし」以上の何かがある。最後の最後で作品の完成度を大きく高めるような最終回。ウルトラマン・ティガの最終回はそんな最終回だったと思う。

最終回と言えば、連載モノにはよく「衝撃の最終回」というのがある。ずっとほのぼのタッチだったのに、いきなりキャラクターが次々死んでいくとか、夢オチとか。だが「衝撃の最終回」は往々にして唐突感があって、それによって作品の完成度が高められることはあまり無い。話題性はあるが、今まで描かれてきた世界と繋がらなかったり、なぜそうしなければならなかったのかの説得力に欠けることが多いからだ。

だが、衝撃の最終回が作品の完成度を高めた希有な例がある。
それが「仮面ライダー剣」だ。

ブレイドは、バトル・ファイトの設定が厳しかったし、役者がなかなか立ってこないとか、前半の展開がまだるっこしかったりで、確かに苦しい作品だった。それでも後半はそれなりに良くなってきて、そこへ持ってきてあの最終回。絶句して感動するというのもなかなか無い経験だった。

ブレイドの世界を定義しているバトルファイトの定義から逃げず、訳のわからない新ネタを引っ張り出してごまかしたりせずに、真っ正面から解決したのが潔い。バトルファイト自体が少々無理のある設定だから、ご都合主義の展開にすることも可能だったのに、説得力がありかつドラマティックというあの結末を引っ張り出したのはすばらしい。バトルファイトという境界条件の中での鮮やかな解法。そんな印象すらある。

ということで、あの最終回にぶっ飛んだ私は、ちささんのアイデアを頂いてブレイドの後日談「ノアの切り札」まで書いてしまった。書くにあたってはブレイドを全話見返したが、後半の展開はなかなかすばらしいことが改めて分かった。誰がどの上級アンデッドと対峙してどのカードを取得するか、剣崎、始、睦月、橘がそれぞれがどう動き回るか、考えてみると結構難しいモンダイになるのだが、実によく考えられている。見るにつれてそれぞれのキャラへの愛情も増した。

だから「ノアの切り札」は、剣への尊敬を込めて、真摯に取り組んだつもりだ。なぜジョーカーが自殺できなかったかとか、その後橘や睦月がどう動いたか、元の作品をより輝かせることのできるFFになっていたら嬉しい。

さて、「ノアの切り札」にはティガの"警備隊"であるTPCやダイゴの子孫も出ている。ちささんの設定が「地球の最後」というSF的なものだったので、つい書いてしまった。私の中では、ウルトラマン・ティガと仮面ライダー剣は、最終回によって全体の価値が飛躍的に高まった作品として色分けされているのである。

2006/02/22

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