その10:ヒーローの社会性〜龍球「幻の29話」

ゆうさんの龍球29話は途中でボツになった。壮大でリアルで緻密なストーリーを6パートも書いて下さったところでダメを出したのは私である。素人の創作サイト(法に触れず他人に迷惑かけない限りは何を書いても良いってのと同義だろう)で、それは無いだろうと叱られて当然だが、これを本編として受け入れたら続きが誰も書けない。そう思った。

こんな喩えもおこがましいが、あの話を正式に29話にしたら、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」の1つの章としていきなり浦沢直樹氏の「プルートー」が座している・・・そんな感じになったように思う。双方とも魅力ある作品でかつ根っこが同じであっても、一緒に混ぜて美味しくなるかと言ったら微妙な気がする。

幻の29話には「さもありなん」と納得できるだけの圧倒的なリアルさがあった。実社会にOZのような組織があったらあの様な裏や闇もあるだろう、自衛隊もそうだろう‥‥etc。だからこそぎりぎりまで言い出せなくて、かえって申し訳ないことになってしまったのだが。
29話についてはあとがきコーナーで「ボツ29話」としてゆうさん自身が書いて下さっている。ぜひお読み頂きたいし、OVSとして復活して欲しいと思う。本編ではなくてファンフィクションであれば、あれは完璧に素晴らしい作品になるだろう。


さて、私が27話で自衛隊を出したのもこの幻の29話の影響がある。色々あってオズリーブスの代わりに戦ってくれる人が必要で、そうしたら自衛隊しかなかった。あと脚本家の荒川氏がクウガについて「怪人がやりすぎるとなぜ自衛隊が出てこないかってことになるので加減が難しかった」とコメントされていたことがあって、じゃあちょっと書いてみようかなと‥‥。
ゆうさんぐらい自衛隊に興味があって色々読んでいる人ならいざ知らず、はるか昔に読んだ「ファントム無頼」ぐらいしか知らない人間がそんなことをやろうとするのだから無謀にもほどがある。でも自衛隊や機動隊が出てくるとリアルっぽくて迫力があって面白いし。そう思って、ネットで色々見ながら書いてみた。まあ自衛隊の装備で怪人に対抗するのは、意外に「帯に短し襷に長し」っぽいぞとわかった事だけは収穫だったかもしれない。


で、ゆうさんの29話のあとがきを読んで、ゆうさんが29話でなさろうとした事と、自分が27話でやったことの本質的な違いが何だったかが初めて言葉になった気がする。

私のやったことは龍球戦隊へのただの「味付け」だ。龍球の設定がどれだけ現実離れしていようと、こんなキャラいないだろうと思われても、それらを無条件に認めて不可侵のものとした。そして余った部分に自衛隊を埋めた。
一方「幻の29話」でゆうさんがされたのは逆のアプローチのように思える。政治や自衛隊の存在する現実社会の枠組みの中に、龍球戦隊をはめ込もうとするチャレンジ。どうしても組み入れきれない龍球の非現実性を、OZの裏の側面を加えることで繋ごうとした。


ゆうさんもあとがきで書いておられるが、ヒーロー番組のヒーローが実在したら‥‥と考えるとけっこう壁にぶちあたる。警察や自衛隊にそういう部隊があっても、今の政治やマスコミやそういったもろもろの枠組みの中では実際に動くのは難しいだろう。動けば非難され、動かなくても非難されて八方ふさがりになりそうだ。かといって素人集団が何かと戦ったら、なんのかんのいって逮捕される可能性もある(苦笑) その意味でヒーローと現実社会のバランスがうまく取れていたのはクウガだと思うが、それでもあんな寛大な警察はいないだろう。


各種ヒーロー番組がそういった点をどう料理しているか見てみると、「人知れず系」か「組織系」の2種に大別できそうだ。
「組織系」はヒーローそのものが公的機関の一員である場合。たとえばゴレンジャーやチェンジマンやオーレンジャーとか。ジバン、ウインスペクターに始まるメタルポリスシリーズもこのカテゴリーかな。そしてこんどのデカレンジャーや仮面ライダー剣もここに入るのだろうか(おお、剣は初の組織系ライダーか?)。

「人知れず系」はターボレンジャーやギンガマンのような「ファンタジー的人知れず系」やダイレンジャー等の「古代文明的人知れず系」、仮面ライダーの「改造された孤軍奮闘系」。少しひねったパターンが宇宙刑事シリーズやタイムレンジャー等の組織には属しているが現代地球にいる間は人知れずという「バックグラウンド有り人知れず系」。ウルトラマン系は「○○隊」は思いっきり正規軍だけど当の本人の正体が分からないので「組織の中で人知れず系」。おお、系統図が作れそうだ(笑)

この視点で我が龍球戦隊を考えてみると、既成のヒーローよりもまだ「ありえない」のがよく分かる。素人集団がヒーローをやって政治を気にしないで動ける「人知れず系」のメリットと、社会的に認知されていて組織からバックアップが受けられる「組織系」のメリットの両方を享受しているからだ。その意味で安直に見える部分が多い。


だが(思いっきり言い訳だが)、龍球戦隊にはもともとしっかりした設定や背景が無い。BBSでのごっこ遊びをできるだけ成立させることを主眼に設定を決めた‥‥らこんな感じになってしまった。BBSの会話を精一杯取り込んだことには自信があるが(おい!)、本質的には設定には見るべき物の無い典型的なキャラ萌え戦隊なのである。

そんな現実離れした美味しいだけの戦隊であっても、一貫する世界観のようなものは保持しないと本編にならない。そういった統一感について私は拘るタイプなんだろう。DBファンフィクを書いてさえ原作を補完する形を理想とするし、映画や小説でもストーリーの辻褄やキャラの言動の一貫性について拘る。だから「現実離れして美味し過ぎる」のが龍球の特徴であるならそれを保持していくつもりだ。

とはいえ、スタートの時点で上述のような分析が為されていれば、メンバーが素人集団と相成った段階でファンタジー系を採用してたかもしれない。八犬伝よろしく「星の入った水晶玉と巡り会った5人の戦士が‥‥」みたいな(苦笑) おお、そうすれば六星球と七星球持ってる6番め7番めの戦士が登場しても自然だ!(爆笑) よーし、次回に生かそう(次回って?)


ただ。そういった生い立ちを抜きにしても、ヒーローの「ありえなさ」はそれはそれでもいいと私は思っている。このコラムの8「なぜ特撮ヒーローなのか?」でも触れたが、ヒーロー物は初歩的な物理の問題に似てる。滑車やらボールが落ちたり転がったりする問題で空気抵抗や摩擦はゼロとするってあれだ。現実ではそんなことは絶対にありえないから、その手の問題はそのままでは実用にならない。でも最初から空気抵抗や摩擦を考えたら本質の法則が見えにくくなる。そしてその本質の法則もまた必須なのだ。
人の優しさも強さも「現実にはあり得ない形だけど本質はこれ」みたいなのを語る一つのやり方がヒーロー物なのではないか。視聴者は成長するにつれて空気抵抗やら摩擦やらの存在に気づいていき、シンプル過ぎるヒーロー物を卒業していく。でももっと歳をとってくるとまた本質に戻りたくなってきて、ヒーローに戻ってくる。

ということで十分に歳をとった部類に入り(苦笑)、かつ赤星を愛して止まない私は(しかしどうしてここまで可愛いかな)、摩擦も空気抵抗もない、現実にはありえない「優しさと幸せとかっこよさ」を書き続けて行くんだろう。

2004/02/19

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