Special 奇跡の扉
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愛娘の大事を聞きつけ、飛ぶようにして帰ってきた桜木夫妻の顔色は、静かな寝息を立てて眠る瑠衣を見つけ、安堵の色に変わった。
「いいこですね・・・瑠衣ちゃん」
そう言われた、父親と共に佇んだ彼女の微笑が、ひどく優しく映る。
「当たり前じゃない。だって、私達の娘なんだもの。」
それがどうしてか、なんて、考えたりはしなかったけど。



冬の真っ只中の筈なのに、今日の空気は珍しく、穏やかで暖かい。
二人の見つめる先に座った少女の顔にも、窓から差し込む日の光が、その存在を主張するように映し出されていた。
斜め前に座っている青年は、少女・・・瑠衣が、自分の買ってきた甘味類を幸せそうに口に運んでいるのを、半ば呆れた表情をして見守っている。
「凄いなぁ瑠衣ちゃん・・・それでもう、ケーキ二つ目だろう?」
甘い物をあまり好かない、彼の率直な意見だった。
「だって、くろばさんが買ってきてくれるんだもん」
だから甘い物が好きなんだと、その笑顔が向けられて、顔が自然と緩むのを感じた。
普段買わないだけあって、この家を訪れる度に何となくの恥ずかしい思いをする黒羽だった。それでも瑠衣が喜んでくれるのが自分でも嬉しくて、買ってきてしまう。
ふと、隣に座る赤星を見ると、彼はテーブルの向こう側にいる瑠衣の方へ上体を乗り出して、口のまわりの生クリームを拭き取ってやっている。
「食べたらちゃんと歯も磨くんだぞ?」
「はあい」
・・・どうも、すっかり保護者が定着しているようだった。

「瑠衣ちゃん今日は、お父さんとお母さんは?」
「・・ええっと、パパもママも、お仕事で遅くなるって・・・」
「いつもこれじゃあ、瑠衣ちゃんも寂しいよな」
「うん、ちょっと寂しいけど・・・。でも、大丈夫だよ!」
俯きつつも微笑みを貼り付かせる瑠衣の顔を見た黒羽に、形容しがたい妙な苛立ちが奔る。いつもの彼女の笑顔を見たとき感じる、優しい気持ちにさせてくれるそれは、どこにも見当たらなかった。
そんな黒羽に目をやりながら、隣にいた赤星が思い出したような顔をして、急に立ち上がった。
「瑠衣ちゃん。悪いんだけど俺達も、そろそろ帰らないと・・・。ごめんな、一緒に居てやれなくて。」
瑠衣が頭を振りながら答える。
「・・・。ううん、平気。あかぼしさんくろばさん、気をつけてね!」
「お、おい赤星?」
怪訝そうに眉を寄せる黒羽を引きずって、玄関まで大股で歩き去っていく。急用ができたんだと小さく呟きながら、さっさと外へ飛び出してしまった。突飛な展開に戸惑っている瑠衣に軽く一礼し、黒羽も彼の後を追った。
「一体何だってんだ・・?瑠衣ちゃんをあのまま一人で置いておくつもりか?」
「んな訳あるかっ」
ペースを落とさず足早に歩を進める赤星の表情は、怒気を含んでいるようにも見える。黒羽には何となく、その原因が瑠衣にあるという事を確信した。今さっきの自分の不機嫌顔を、鏡に映したもののように思えてならなかったので。
「あの子をあんなふうに笑わせるなんて、絶対許さねー!!俺がびしっと言ってきてやる!!」
ここはまだ、住宅街のど真ん中である。おそらく住民の過半数が両耳に手をあてただろう赤星の主張は、隣にいた黒羽の耳にも甚大な被害を及ぼした。
「・・・っ!・・どこに行くつもりだ?」
更に加速度を増しながら遠ざかっていく背中に向かって、念のため聞いてみる。
「俺は仕事場に戻る。で、黒羽、お前は後でもう一度瑠衣ちゃんのとこに行ってあの子を迎えにいってやってくれ!いいな、頼んだからな!」
引き続きの大声でそう捲し立て終えた頃には、赤星はもう黒羽には点に見える位置にいた。

(何だかな・・・。奴らしいってところかね)
彼が今、何を感じたか、何をしたいのか。それがはっきり理解できている自分が不思議で、けれどとても誇らしかった。満足げな溜め息をつき、体の向きを反転させると、見えなくなったあの赤いパーカーに負けないぐらいの勢いで、走り出した。



気がつくと、街道の端々に照明が灯り初めている。住人の心の内を反映させているかのように、優しげな家の外観が、切なそうに薄暗闇に浮かんでいた。聞き慣れたインターホンを鳴らしてみるが、いつまでも反応が返ってこない。ドアノブに手を回すと、鍵も掛かっていなかった。
「瑠衣ちゃん・・?」


忙しなく立ち回るスタッフを掻き分けながら、真っ直ぐに目的の人物へ近寄っていく。
「桜木博士!綾博士!」
「あら、赤星君!お帰り・・・どうしたの?」
指先をキーボードの上で滑らせていた綾と、同じ画面に向き合っていた桜木が振り返った。
「二人とも何やってるんですか!?」
赤星に詰め寄られた二人は、互いに顔を見合わせる。
「「・・・仕事ですけど・・・」」
乱暴な動作でぐいっと袖を引っ張られて強制的に立たされると、その空いた場所に赤星が座り直し、今まで二人がしていた作業を再開し始めた。
「もうこんなもんどうでもいいから、すぐに家に帰って下さい。後は俺が全部片づけときますからっ」
唖然としている夫婦の方へ椅子をくるっと半回転させ、赤星が笑った。
「あんなに良い子を寂しがらせると、罰が当たりますよ?」


二階の寝室にあるダブルベッドの中央に、シーツに覆われた小さな体を発見し、自分の胸を撫で下ろした。
「瑠衣ちゃん・・・「良い子は寝る時間」にも、ちょっと早すぎやしませんか?」
「・・・くろばさん・・・?」
くぐもった声が、ついさっきまで覚醒していなかった事を示している。
「・・だって、寝て朝が来たら、パパもママも帰ってきてくれるの・・・。」
黒羽はもぞもぞと動いている固まりの隣に座って、あやすように口を開いた。
「瑠衣ちゃん。本当に欲しい物があったら、しがみついてでも側にいないと駄目なんだ」
「・・君がもっと我が儘言っても、誰も怒ったり困ったりしないよ。」
薄い布越しに、瑠衣の体が小刻みに震えているのが分かる。
「本当に・・・?瑠衣がパパとママに一緒に居てってお願いしても、二人とも困らないの・・?」
覗きかけた上半身を捕まえて、黒羽は瑠衣を抱き上げた。
「本当かどうか、確かめに行こうか?」


静かな、ちらほら聞こえる離れた街の息遣いに支配された時が流れていく。
黒羽の右手をぎゅっと握りしめ、短い歩幅で、それでも少しでも速く駆け出したい欲求を抑えながら前方を見据えている瑠衣の視界に、人影が二つなだれ込んでくる。
「パパっ!ママ!」
走り寄って間近まで接近したところで転びそうになった瑠衣を、寸でで桜木が受け止めた。
「瑠衣、ただいま!」
大事そうにそのまま瑠衣を高々と抱え上げ、そして抱きしめる。後ろから追いついてきた綾が、黒羽に視線を向けた。
「黒羽君、有り難う。あなたにも随分と甘えちゃってたみたいね。」
苦笑混じりの笑顔を浮かべる綾に、黒羽が肩を竦める。
「もう、オレや赤星を代理に立てたりしないで下さいよ。務まりっこないんですから」
幸せそうに父親の腕に顔を埋めた瑠衣が、だんだんと距離を伸ばしていく黒羽の影を追いかけて。
「また、遊びに来てくれる?」
小さな小指を突き立てながら、にっこり微笑んだ。




「だー!!寒っっ!黄龍と輝、まだ買い物終わらないのかよ・・・」
ポケットに手を突っ込んだ体勢で、赤星が誰にでもなく文句を言っている。丁度そこへ、大きな買い物袋を下げた痩身で背の高い青年と、まだ少年とも呼べるような雰囲気を持った青年二人が近づいてきた。
「ったくテルのおかげで随分時間くっちまっただろ〜?あっちこっち歩き回らされた俺様の身にもなれってーの!」
「仕方ないだろあそこの方が絶対安かったんだからっ!終わった事でギャーギャー言うな馬鹿エイナ!」
街灯に背を預けていた黒羽が、いつも通りの光景を見守りながら、二人の方へ足を向ける。ふと、赤星が建物の縁に腰を下ろしている瑠衣の顔を覗き込んだ。
「瑠衣、どうしたんだ?にやにやして」
「え?・・あ、いえ・・。何か、平和だなーって。」
瑠衣の発言の意図が読めずに、頭の上に「?」を散りばめている赤星の手を掴みながら、弾みをつけて立ち上がった。そして、4人の顔を見比べながら、帰路を促す。
「ねえねえ、帰りにコンビニ寄って行きたい!」
「あ、それには激しく賛成!オレピザ饅がいいっ!」
「んじゃー俺様コーヒー!赤星さんの奢りで♪」
「あっ!ちょっと待った勝手に決めるなよ!!」


駆け抜けていったショーウィンドウ越しに、眩しすぎる太陽を眺めた。




( 夢を見ていた。)
( 夢ばかり見ていた。)
( 擽るように優しく切ない、君の夢見た夢を。)


===***=== Fin ===***===
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