第7話 蒼龍・火竜
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何度か夜中にイヤな夢を見た気がする。

あまりよく眠れなかったせいか、日の出直後の低い位置から射し込む光がひどく眩しい。とはいえ3年半になる探偵家業のおかげで、自室以外で寝る時は眠りが浅いのが常だった。

11月中旬のすっかり冷たくなってきた朝の空気が、こめかみや目の奥にぴりぴりと染みるようで、むしろ気持ちがよかった。時計はまだ6時半。黄龍の足はまた無目的にゆっくりと歩を進めている。結局、昨晩、リーブレスにはなんの通信も入らなかった。

土曜日のこの時間では人通りはまだほとんど無い、駅前に向かう道。前方左手の交番から二人の男がでてきた。二人とも長身の黄龍よりまだ上背がある。帽子を目深にかぶりコートの襟を立てるように早足で歩いてくる。

二人を見た瞬間から心臓の鼓動が速くなっていた。意識の全てが、筋肉の一筋一筋が、何かに収斂していく気がした。

すれ違う。ぱちんとスイッチが入った。ちらりと二人の背中を見送ると黄龍は足を速めた。

交番を覗き込むと、案の定、一人の警官が机に突っ伏し、もう一人は壁に寄りかかるように床にへたり込んでいる。椅子に座った警官の上半身をそっと起こすと、かくりと力無く椅子の背にもたれかかった。脈もあるし息もしているが、その胸には‥‥!

黄龍の右手は既にリーブレスにコードを打ち込んでいた。この時間なら赤星はトレーニング・ルームにいるはずだった。
<黄龍!>
修練中の少し荒い息づかいで、しかしひどく嬉しそうな声が飛び出してきた。

「青葉台駅前の交番。警官二人がポッドに例の針で刺されて昏睡。俺はヤツらを追う。連絡頼む」
<おい、拳銃、預かってけ。気をつけろな!>
「了解」
黄龍は二人のホルスターからニューナンブM60を引っ張り出すと、ブルゾンの両の内ポケットにねじ込んだ。交番を飛び出してそのままさっきの二人の後を追う。

今の黄龍の中に、昨日の悩みは欠片もなかった。必要最小限の言葉のやりとりが、その思考をよりクリアなものにした。標的を前にすれば全てが自動的に意識下に押さえ込まれ、異様な集中がもたらされる。銃を構えた時、感情の揺らぎが出てしまったら勝負にならない。

あらゆる事を忘れ、ただ目的に向かうだけの存在になれる。

その感覚こそが、黄龍を射撃に惹きつけて止まない理由かもしれなかった。

===***===

「‥‥都内一帯の全ての交番に緊急連絡を! 連絡の取れないトコ、気をつけて下さい! あと、"この件"で<マドックス>にクローンを上げてもらえますか?」
黒羽、輝、瑠衣がコントロール・ルームに飛び込んだ時、シャツ姿の赤星は警察回線に怒鳴りながらキーボードを叩いていた。

<グリンダ>でもクローン・テルネット・システムを立ち上げ、西条警部から言われたパスコードを打ち込む。これで<グリンダ>と<マドックス>はそのパスコードを持つ処理に関して一体のマシンになったかのように稼働する。<マドックス>が統合する警察の情報と、電磁波の変動や空間の歪みについての<グリンダ>の解析結果が集約される。既にサルファが、気象台や衛星等で行っている電磁波走査の密度を、この地域で高めてもらうように依頼していた。

赤星が3人に状況を説明しているうちに、壁の大きなディスプレイに表示された都内の地図にチェックが増えていく。バツ印のついた交番は10カ所近くもある。その内3つから赤い矢印。不審人物の目撃情報だ。黄龍から連絡のあった地点からの矢印は2回折れ曲がって長く伸びている。3つの矢印が向かうエリアはまだ広いが、その中の5カ所が、赤い点線の丸で囲まれている。怪人が潜んでいる可能性が高いと思われる箇所だった。

「瑛ちゃん、うまく追跡できてる感じだな」
黒羽がモニターを見上げて言った。
「輝と瑠衣は俺と先回りだ」
例のアタッチメントは四人の装備の中に入っていた。
「オッケーっ」
朝っぱらから元気いっぱいの二人が、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。

「黒羽は黄龍と合流してくれるか?」
赤星は黒羽にそう言いながら、隅のロッカーから防弾防刃服を取り出して着込んだ。
「不謹慎だな、旦那。妙に嬉しそうじゃないか?」
頷いた黒羽がにやりと笑った。
「わり‥‥」
悪さを見つかった子供のように、赤星が黒いチョッキの中に顎を埋める。
「瑛ちゃんか?」
「ああ!」
赤星は、会心の笑みで黒羽を見やると、赤いジャンパーを掴んだ。

===***===

目指す二人の背中を見つけた。その動きの中には何か無機質な画一化した感じがある。もちろん何度もアセロポッドを見ているから気づくことなのだが‥‥。
見失わずに済んだことで少しほっとした。あの状況で的確な判断と行動が取れた自分がいくらか誇らしい。こいつらは、たぶんあの怪人の所に行くはずだ。

怪人が出向いたら一発で騒ぎになる。だから人間に化けたポッドを使った。そして銃を持っている警官をターゲットにする‥‥。相手の守りを自分達の攻めに使うなど、考えたのは朱色のヤツか緑のヤツか。どちらにしろ見た目よりはだいぶオツムが良さそうだ。
だが、初期の段階で特警から警察署に連絡が回れば、人海戦術で交番をシラミ潰しにチェックできる。なんとか被害を最小限にできればいいが‥‥と黄龍は思った。

(警察との協力体制無しで、俺たちだけで、この国が護れるとも思ってねえ)

心の中に赤星の声が蘇った。

‥‥‥‥あんたの言う通りだよ‥‥‥‥。

そんなことは自明の理だった。"人々"、"国"、"社会"‥‥。そんな漠然としたでかいモノを、たった数人でどうこうできるワケがない。守ろうと思うならどうしなければならないか‥‥。

とっくにわかっていたはずだった。赤星の行動の意味も、そして、父の行動の意味も‥‥。

黄龍財閥というどでかい機械の中で、自分をただの歯車に貶めても全体を稼働させ続けたのが父だった。大いなる意志を持つその歯車はいつしか全体の舵になり、最も重要な中枢回路になった。
そして赤星もまた、不器用にとまどいながら、そんな歯車になろうとしている‥‥。

そう、最初からわかっていたのだ。

自分が、赤星と行動を共にする理由も意味も‥‥。

再び逃げるなど‥‥もう、いやだった。


ターゲットは目立たない程度の早足で歩いていく。ちょうど昨夕通った道だった。鷹山と話した公園の手前の交差点で、青信号を渡り終わった所でいきなり二人が立ち止まった。進行方向左手の方を見やる。黄龍も横断歩道を渡り始めたところでさりげなくそちらを見た。

向こうから一つの集団が歩いてきた。警察官が2名、どう見ても暴走族といった感じの若者が4名、そしてどこか無機質な歩き方をする帽子の男が2名‥‥。ちらほらと道を歩く出勤途中の人達も、思わず遠巻きにしてしまう不思議な取り合わせだった。

(おいおい、しょっ引かれてたトコ、まとめてやられたってか?)

幸いなことに、昨日のように無条件に暴れたりはしていない。大人しく先頭を歩くポッドに付き従っている。何かコントロールする方法があるのだろうか。とにかくヘタに刺激しないほうがよさそうだった。
黄龍は横断歩道を通過すると、信号を無視して道の反対側に渡った。道を挟んで様子をうかがうと、怪しい集団は、黄龍が追っていた二人と合流し、そのまま公園の脇の道を歩いていった。通行人の手前、携帯電話で赤星に連絡を入れようと思った。

と‥‥公園への石段をサッカーボールが転げ落ちてくる‥‥
夢中でそれを追いかけて来た少年がしゃがんでボールを捉えた瞬間、早足で歩いてきた男が、そのかたまりに蹴躓くように転んだ。

「お、おじさん、ごめ‥‥」
言いかけた子供の目が飛び出しそうに見開かれた。
起き上がった男は帽子が脱げていた。反射行動のはずみか、それは既にアセロポッドの姿になっていた。発達した筋肉とそれを覆う鎧が衣服の中に入りきらず、シャツのボタンがはじけ飛んでいた。

出勤途中の通行人から悲鳴があがる。ポッドはそんな騒動も気にせず、小さな胸ぐらを掴み上げると、ガラス玉のような赤い目で少年を覗き込んだ。子供の半ズボンのポケットから、ストラップのついたカギ束が飛び出し、ベルトからぶらんとぶらさがった。
「や‥‥やだっ はな、して‥‥っ」

ポットが右手の爪を子供の頭に振り落とそうとした時だった。パーンという銃声とカンッという金属音が響いた。ポットがゆっくり横を見る。中央分離帯まで戻ってきていた長身が、両手で構えた拳銃をまっすぐにこっちに向けていた。それがそのアセロポッドにとって最期の映像になった。

ニューナンブM60も当然ダブルアクションだが、黄龍はシングルアクションの様に先に撃鉄を起こしておくやり方を好んだ。引き金を引く時にシリンダーを回す力が不要になるので正確な射撃がしやすくなる。1発めはターゲットの頭上の看板を狙った。銃のクセを確認するためと、顔をこちらに向かせるためだった。そして、2発目でポッドの額を鮮やかに撃ち抜いていた。過去の経験から9m弾ではポッドの甲羅に効かないことがわかっている。正確にストーンを狙うしか手はなかった。

ポッドが消滅し小さな身体がどさりと歩道に落ちる。怯えた子供はそのまま動けない。しかし3体の人間の姿をしたポットとその指示で動いていた6名も、すぐには次の行動に移れないでいた。

長い腕が子供の身体を抱え上げると公園の中に駆け上がる。側に高さのある花壇が幾つかあった。まだマリーゴールドが残っている。黄龍はそちらに少年を押しやった。
「隠れて、スキ見て逃げろ」

背後の靴音が動き出した。
「みんな、逃げろっ」
黄龍は叫びながら公園の中央部に向かった。
ちょっとした近道のために公園を通過する人間というのはけっこういるものだ。朝からおかしなヤツがいるといった目で黄龍を見たサラリーマン達が、3人のアセロポッドを含めた物騒な集団を見て硬直する。
「早く逃げろっ マジだぜ!!」
がなり立てる黄龍の足元に最初の2発が弾けた。朝の公園が悲鳴と驚きの声で満ちた。

興奮物質が増大した状態でマトモな射撃ができるはずがないといくら言い聞かせても、ぞっとすることに変わりはない。さっさと着装したかったが人目があった。黄龍の正面には例の三角や丸の穴のあいた壁がある。逸れた弾がそこで止まってくれれば、巻き添えが出ないで済む。

(当てんなよ、でもって、外すんじゃねーぜ!)

内心でそんな要求をつきつける黄龍の脇を、立て続けに3発がかすめる。これでまさに一挺あがりだ。警官の撃っている銃は銃声から判断して同じニューナンブだ。装弾数は5発。予備の弾を持っているとは思えないし、持っていても装填には時間がかかる。さしもの黄龍もこの状況と角度で、怪我をさせずに拳銃だけを撃ち飛ばす自信などなかった。

長身が壁を回り込んだ時、その後を追うように3発の弾丸がカラフルに塗られたコンクリートを抉った。丸穴からちらりと状況を確認する。おあつらえ向きに一人のポッドが集団の端にいた。黄龍は壁の上で銃を固定すると、今度は撃鉄に触れることなく3回続けて引き金を絞った。2発が胴体に叩き込まれる。動きが止まった瞬間を狙ってストーンを撃ち抜いた。
すぐさま頭を沈めると2発の弾丸が壁に撃ち込まれた。これで向こうの弾は終わりだった。立ち上がりながら空になった銃をブルゾンの外ポケットに入れる。忘れていた革の感触が手に触れた。

「お兄ちゃん!」
少年の必死の声が響いた。その叫びに満ちた幼い恐怖の感情が黄龍の心に突き刺さった。

子供が、さきほどの花壇から公園の縁に沿って走っていく。その後ろをポッドと若者が二人追っていた。壁のもう一方の端から少年の方向に斜めに走りだした黄龍は、もう一つの銃を取り出す。ポッドの胴体を狙って2発撃った。注意さえ引きつけられればそれで良かった。ポッドが止まると後ろの二人も止まった。

「お兄ちゃんっ」
子供は黄龍の姿を見るなり一直線に駆け寄ってきていた。半分しゃくり上げながら、腰のあたりにしがみついてくる。2人のポッドが合流し、無表情にこっちを見ていた。6人の人間はその後ろにロボットのように従っていた。

「泣くなって。大丈夫だからよー」
少年を軽く自分の背後に回し、8人を見つめながら言った。自分でも驚くほど明るい声が出た。一心に自分を頼ってくる子供の震えと泣き声が、逆に黄龍を落ち着かせていた。

今はただ、素直に、この子供を守りたいと思った。
昨日たまたま言葉を交わしただけの、名前も知らない子供だというのに‥‥。

足手まといになるはずの存在が力の源になるその事実を、黄龍は不思議な気持ちで認めていた。

(行けるトコまで行ってみるかってカンジ?)

心の中でうそぶくと、ブルゾンのポケットからパンチグローブを引っ張り出した。

(あんたの強さ、少し分けてもらうぜ)

その黒いなめし革は、おろしたてなのに、ひどく手に馴染む気がした。


2002/2/3

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background by Studio Blue Moon