第4話 坊やの決心
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だんだん、空が薄暗くなってくる。路地裏に差し込む光はホコリを通して霞んでゆく。
「オヤジが悪いんだぞ・・・。オレは悪くないっ。悪くないからな・・・。」
自分に言い聞かせるようにして狭い路地のカベに背を付けて、片足を正面のカベに押しつけた。
思い浮かぶのは悲しそうな顔をした妹達の顔ばかり。
「ひなた、昴、とーこ・・・。」
彼は、妹達に心配なんて生まれてから一度もかけさせた事はないハズだと自負していた。いつも、彼女達の前を歩き、庇う。ミカンの皮をむいてあげるのも、カニの殻をむいてあげるのも、全部自分。女の子に指先をケガさせたらダメだというのが、家訓状態だったし、いつも優しい言葉をかけてあげるのが当たり前だった。
「心配してるかなあ・・・。」
年齢に不相応の小柄で細い体、子供っぽい丸い瞳にばさばさした髪の毛。とてもじゃないが21にも男にも見えないこの青年が翠川 輝(あきら)だ。

父親の『後継げ』攻撃は今に始まった事ではない。日常茶飯事だったし、お互いそれをわかって言い合いしているものだとばかり彼は思っていた。
子供の頃から、機械以外の事に関してはなんでもそつなくこなすことができる。父親の仕事をずっと見てきた彼は、自分の手で何かを生み出す実感をたくさん感じることのできる大工の技術がとてもスキだった。
それは、まるですべすべの絹布のようにふわりとしているかんなくずを作ることだったり、設計をするために図面に引かれる鉛筆の線の香りだったり、数百年前の大工が作った芸術作品を復元する作業だったりする。

それは、今でもスキな事は変わらない。

だが、父親が煩わしくてしょうがなくなったのは一体いつからなんだろう。


「俺の後を継がないつもりなら、なにかやりたい事でもあるのだろうな?ええ、おい?」
「・・・・・・やりたいこと・・・?」
「まさか21にもなって、フラフラほっつき歩いて遊んでる訳でもないだろうが。それともなんだ?アレか?ずーっと仕事もしないでオレに養ってもらうつもりだったのか?」


やりたいこと・・・なんだろう?考えた事がなかった。ただずっと、今の生活ができたらな、としか考えてなかった。
今まで、何も自分で考えた事がなかったのだ。
大工の仕事だって、父親を見ていて誘われたからしてみたら楽しかった。それだけ。
陸上だってグラウンド走っていたら、先生や友人に呼び止められて、部に入った。
タイムが縮まるのが楽しかった。それだけ。
水泳も・・・。それだけ。

一所懸命何かをすることが大好きだった。技術を身に付けることも、みんなで何かを作り上げることも。
水泳も、陸上も、大好きなのはいまでも変わらないけど。
・・・その割に、なんでもこなせる割に、自分でしたくてしたくてしょうがないことがなにひとつなかった。

父親に『うるせえっ!うるせえうるせえ、うるせえよっ!』と怒鳴り散らして出ていったが、非があるのは完璧に自分の方だ。
「今の生活ができたら・・・それ自体が、何も考えてない、事だったのかな・・・。」



「その通り〜。よくわかってんじゃん?まあ、この報告書よりも頭はいいのかな?」
いきなり軽い口調の明るい声が聞こえてきた。
気が付けば隣に見知らぬ男が立っていた。
夕焼けの明かりを背に立っている男の髪はばさばさの長めの髪。ちょっと着崩したスーツが長い足によく似合っている。人をバカにするかのように瞳が細くなり、ちょっと厚めの唇がニヤリと笑う。
「ったく、ネコの子みてーにこんな狭いとこにいんじゃねえよ・・・。探すの苦っ労したんだぜ。」
「な、なに?なんだよあんた?」
「ふうん・・・。」
画面に現れたとおりの美しい顔。男だってわからなければどうやって口説こうかずっと考えているところだ。だが、画面を通してわからなかったことがひとつ。

彼をとりまく空気。

いくら女性のような顔をしていても気配は男のものだ。
それをわかった上で輝を品定めするように、彼のまわりをくるりと一周してみせた。ジロジロと視線を投げつける。
厚い底のハイテクスニーカーに、ずるずる下がった靴下。糸がほつれているリストバンドに、安い生地のハーフパンツ。それにちょっとくたびれたパーカーを着ている。

やれやれ・・・わざとだな、このきったねえカッコは・・・。
顔を見ると、大きく丸い瞳が怪訝そうにこちらを見ている。やっぱりぱっと見ただけでは少女のようにしか見えない。
「お前、ホントに21なワケ〜?うっわー・・・信じらんねえぜ、声変わりもまだなんじゃねえの?毛も生えてなさそー・・・。」
黄龍が手を伸ばした瞬間、輝は横に弧を描くように拳で空を切った。

「さわんじゃねえよっ。なんなんだお前!」
「え・・・と、翠川・・・テルだっけ?」
「アキラだっ!!お前はだれだよっ?」
「黄龍瑛那、キリュウエイナ、だぜ。あ、漢字は覚えなくていーぜ別に。お前書けそうにないもんな〜。ひなたちゃん達が心配してたぜ。」
「なっ。」
妹達の名前が出てきた途端、輝の瞳がぎらぎらと輝きだした。

「お前ひなたに何したっ?人の妹達に近づくんじゃねえよっ・・・!!」
「おいおい、怖い顔すんなよな〜。ひとを見境なしみたいに言うなよ。けど・・・口説き落としがいありそーな子だけどな、特にひなたちゃんとか・・・って。」
言い終わらないうちに、彼の拳が顔をかすめる。子供のように細い腕だというのに、それが付いている拳が自分の顔をかすめる空気の重さにびっくりする。


こりゃあ・・・見た目よりもなかなかすげーじゃん?
さっすが有望さん&博士リサーチだなっ!


「こんのっ・・・っ!ひなたにも昴にもとーこにも近づくなっ!お前みたいなヤツが一番やなんだよっ!!」
「お、お、落ち着けよ・・・。顔は殴るなよ、オレの商売道具だぜ〜。女の子を口説き落とせなくなっちまう。けど、すごいな・・・キレがなかなかいーじゃん。予想以上だぜ。」
輝の繰り出すパンチを最小限の動きでかわしながら、面白そうにニヤニヤ笑う。
俊敏かつ重くかすめるパンチはなかなか目の前の男にヒットしない。輝は少し歯をぎりぎりとこすると更に出す拳の量を多くする。
「と、ところでよ〜・・・。うわったったた、初対面にパンチなのかよ、お前んちはよ?」
「そしたらお前は初対面でひとをバカにするのかよっ!」
彼の拳の勢いは更にましている。普通ならこれだけ空をかすめていればやる気も萎えるモンだというのに。


たあ〜、ラチあかねえぜ。このまんまよけててもいつか顔にあざができちまう。
それに予想以上だぜ、キレイな顔してるクセに動きはやっぱり鍛え上げた男の体だっ・・・!


「あ。」
「え?」
『エイナ』が唐突に宙を指さした。輝は思わず、無意識のうちに目線を指先に集中してしまう。
その瞬間、彼は輝の頭に手のひらをおいて、くるりと宙を舞う。路地裏の通路は狭いので、カベを長い足でもったいつけて蹴り飛ばして。
後ろに回った自分に抵抗しようとする両腕を左腕で押さえつけて、彼のこめかみに銃口を押しつける。
ひやりとするそれの感触で、急にこのビルとビルの間の空間が現実ではなくなった。

「はい、そこまで〜。合格だ。いっとくけど、これモデルガンじゃあないぜ〜。」
「え、な・・・?ま、まさか・・・ウソだろ?ニセモノだろっ?」
「まーさか・・・。ここでウソついてどーすんの?」

輝のこめかみから銃口を離して、ちゃきっ!と路地の一角にねらいを定める。

「・・・ばっきゅーんっ★」


彼がおどけてその金属を路地のゴミに向けて発砲すると、とんでもないことが起こった。

すぱんすぱんすぱぱぱぱぱぱんっ!!!
ゴミが派手な音を立ててそこら中に散らばったのだ。

「い、ほ、本物っ!」
「うっわ、とんでもないタマこめてくれちゃって・・・博士ってばひどいぜ〜。」
「い、い、い、一体なんなんだよっ!」
「タマん中に水銀の粒が入っているんだ。まー小さな爆弾ってカンジ?」
「そうじゃなくて!なんでお前は銃なんて持って・・・ぐ。」

黄龍が輝の首に一撃を加えると、彼は簡単にぐったりして、糸のはずれた操り人形のように腕を地面につけた。
倒れる瞬間に黄龍は彼を脇に抱える。
「ごめんな〜、テル。手荒なマネしてさ。けどまだ正式ってワケじゃないからさ・・・。場所を知られるとちょっと困っちゃうからな〜。」
まるで子供のように軽い輝を抱えると、クラクションが聞こえる。

「ハッデなクラクションだな〜・・・丸わかりってカンジだぜ〜?黒羽あ。」



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