キ ヲ ク 〜辿りついた場所〜

 西都病院。ここが、僕の勤務先。そして、生きるべき道標。
 たった数時間前までは、再び戻ってこれないかとばかりに死を覚悟していた僕の、居場所。

 白い姿がちらほら動く、それは僕の日常で一番見慣れた光景。つんと喉の奥までむせかえす消毒液の匂いが先程直撃の際に切れた頭部に押し当てられた。
「は、は、林先輩っ、そんなのいいですってばぁー!」
「黙りなさい。いいかい孫君、君はさっきまで地下十数メートル下に閉じ込められていて、かつ衰弱も著しかった身分。…分かるかな?と、いう事は、抵抗力だってそこそこ落ちているだろう。傷口から黴菌が侵入し、なんらかのショック症状が出ないとも限らんのだろうさ。ん?」
「屁理屈ーっ!あたた。か、髪っ」
 体育会系体型の林ドクターに消毒されると、まず手荒さが第一だ。
「だれかぁーっ!」
 思わず助けを求めてみるのだが、周囲の看護婦さんと同僚の笑いがますますかん高くなるので、こりゃダメだと諦めてみた。つまりは、傷の痛み(?)に耐え、簡単なカルテを作成してもらって、夕陽も落ちるその時刻、僕はようやっと生理検査室から出る事が許されたのだった。

 ロッカールームに戻り、自分の携帯とノートパソコンだけ持って、廊下をふらりと歩くと見覚えある看護婦さんが手を振っている。
「やあ、渡辺さん」
 この女の子は新人のナースさんだが、いつもはきはきしてて楽しい子だ。
「洵先生っ、洵先生よかったですよー!てっきりもうダメかもって、みんなして泣いてたんですよ?!あんな場所からよく出て来れましたよね!」
「ホントだよぉー」
「えとですね。本日の洵先生用スケジュールは『休息』だって医局長からのご命令お伝えにきたんですよ」
 渡辺さんは派手な色の髪をいじりながら、そのまま特別棟まで僕を案内する。
「さ、ここですよ。分からない事…たって、洵先生ならこの病院のシステム忘れっこないか。じゃ、自分はここで失礼しまぁーす!」
 お父様がいらしてますよ、と言い残し、渡辺さんの姿が廊下の向こうに融けていく。


 ちょっと小奇麗な、一見ホテルの一室にも似たアンティークな洋室。
「おお、洵!」
 養父の葉隠博士がバルコニーから歩み寄る。昼間のままの白衣着たままだ。土埃はあるわ、あちこちほころびているわで、なんだか笑えてしょうがない。かくいう僕の格好も似たようなものなんだけど…。
「お前、なに笑っとるんじゃ?」
「ううん。別にぃ」
「おかしな子じゃな。ささ、なにかあったかいものでも飲むかの?儂がこしらえてやろう」
 バルコニーからつっかけサンダルを脱いだ博士がさっさと窓とカーテンを交互に閉め、その歳の割にきびきび室内の勝手をいじり回していく。あっという間に、ココアが差し出された。
 喉を潤すのと、身体中が温まるのと、ほろりとした甘さが味覚を呼び起こす。
 ついでとばかり、空腹の胃も鳴ってしまった。博士が大爆笑だ。
「おお、そうじゃそうじゃ!もしかしたらお前が食べるじゃろうて、さっき看護婦さんから差し入れがあったんじゃよ」
 備え付けの小型冷蔵庫から数箱のタッパー。見ると、伊達巻き、昆布巻、お煮染めに数の子…それと分かるだろうきっと家庭で作ってきたのを持ち込んだものばかり。ただ、一つ大きなタッパーにはタラバガニたっぷりのちらしずしが入っていた。ご飯ものは有難い。
「まだ正月始めじゃし、茶菓子の代わりに持ってきたんじゃと。お前もモテモテじゃな?洵」
「やだなぁー!そんな事、ないってばぁ!」
 室内にあったテレビをつけ、やはり備え付けの電気ポットでお湯を沸かして紙コップに緑茶を注ぎ、飲んだ。可愛いグループ歌手達の掛け声、歌声のうるささ賑やかさが院内を忘れさせた。

 お煮染めの里芋を食べ、最後の昆布巻を制覇すると、会話の始まり。次の語句を出さなきゃいけないんだけど…なんだかこそばゆいような、なんとも言えないくすぐったい気持ちが溢れていく。
 博士の大きな節くれだった手がタッパーを持ち、僕は急須と紙コップを片付けていく。
「…あ、あの、さ」
「ん?なんじゃ?」
「ううん…なんでも、ないよ…」
「おかしな奴じゃなぁ、うん?歯に物が挟まった物言いは歯痒いもんじゃよ?言いたい事はさっさと言ってしまいなさい」
「博士…今晩はここに泊まっていって」
「頼まれなくてもそのつもりじゃが」
 さも当たり前って顔の博士は、きょとんとしていた。

 壁時計の時刻表示はまだ夜間の九時をまわったところ。けど、院内のアナウンスがかかったので、就寝の準備だけはなんとかとらなくてはルール違反となる。
 博士がシャワーを浴びている間、簡単な掃除をすませておいて補助ベッドを床にセッティングしておいた。
「お、すまんの」
 病院で予め用意されていたパジャマに着替えた博士が現れる。お前も入ってこい、と言い渡されて、軽くシャワーを浴び、冷えきった身体に熱を補給してから浴衣型の青いパジャマに袖を通した。

  
 こうやって暗闇の中にいるだけで、色々な思い出がよぎるのはどうしてだろうか。
 臆せずに目を閉じると、否応なくよぎるものはどうして鮮やかなんだろう。

 異次元から現れたという暗黒集団スパイダル。ここ数カ月、博士とその仲間達は日夜スパイダルと戦い続けている。
 毎日毎日、西都病院と『森の小路』を行き交う。出動した彼等『龍球戦隊オズリーブス』の詳細を受け、その度パソコンに結果を叩き込んでおいてから、体調の云々様々な記録を博士に引き渡す。昨日も正月元旦だってのに、例に洩れず、OZ基地に遊びにいくついでとばかりにMO一枚分のデータを博士に差し出したんだっけ…。

「洵」
 目を開く。暖房の唸る音と、かすかな足音が廊下からこちらまで響く。
 真横には、どっしりと大きな白い塊。スタンドライトの淡い光に照らされた博士が微笑んでいた。
「あまり早過ぎるのも、いかんのぅ。ここずっと、徹夜づけが続いとったからの」
「そっか…。じゃ、今日は休暇と思って、ゆっくりしてってよ。あ、竜太さんやみんな、は…」
「あやつら全員、みなベッドの中じゃろ。有望くんにも今日は休むように言い渡したがの、ま、きっと彼女なら今頃なんらかのデータの算出でもしてくれているんじゃろうが…」
「…ごめん。みんな、折角のお休みだったのに…」
「なに言うとるんじゃ。第一、スパイダルにとって正月も何もあったもんじゃないわい。敵さんも大忙しじゃな、彼等は祝いなどせんのじゃろうか。のう?」
 豪快な笑いをあげようとして、養父は自分の口元を押さえ、上目遣いにニタリとした。なんというか、この人の考え方はスケールが違うな、と感心さえしちゃえる自分もまた変人なんだろうか。


 いきなり生じた暗闇。
 震動、というよりも自分の体全体が分裂してしまうような衝撃、ふわりと浮いたのは意識だったろうか。
《閉じ込められた…》
 勤務中。僕は、防災棟と言われるコンクリートの建物に入った。そして、閉じ込められたのだ。

 暗闇に近かった。寒かった。苦しかった。
 ところどころ、崩れたコンクリートから針金のようなものが鋭く露出されていた。
 火事になっていないか、そうだ、この建物には燃料もストックされているんだっけ…。
《僕は、このまま、誰にも見られずに埋まったままなのか…?!》
 おかしな事に、絶望的な思い出ばかりが蘇って、それから…楽しかった最近の出来事ばかりが音声フルカラーの映像で浮かんだものだ。まるで操られてしまったみたいにエンドレスで流れるそれらは鮮明なフィルム、この僕の生きてきた証だった。

 昔、自分が産まれた意味を『罪悪』だと考えてばかりいた。じゃなければ、其処にたった1ミリでも自分が存在すれば、全てが不幸なのかもしれないとさえ。誰でも僕を嫌がる、疎ましいと思う、他人に交わる事も出来ないそんな子供だったから。
 でも、あの葉隠博士に拾われて…初めて、誰かに甘えても平気なんだって思えるようになって…。気が付いたら、他人と関わるのはこんなにも楽しい事だったのだ、と実感して。
 西都大学に合格、博士に竜太さん、赤星のおじさん、竜水さん。
 いっぱい、いっぱいの笑顔と、時に叱咤と…あたかも幸福が一番と誇示している風に、次々と、記憶が浮かんだ。

 死にたくない、と思った。考えた。病んだ心臓を守ろうと決断出来た。
 興奮と恐怖が与えるダメージに、心底負けたくない、と踏ん張った。

 養父のくれた、連絡用のブレスが振動した時。あれに驚かなかったのは、どこかで分かっていたからなのだろう。
 博士はきっと、来てくれる。再び会える。
 それだけは予感していたから。


「博士…」
「うん?」
 自分のベッドから身をのり出した僕は、とうとう博士のいる補助ベッドに腰かける。
「博士は、あんな場所に行くのが怖くなかったの?」
 この問いに、養父は「そりゃもう、恐ろしいやら怖いやら」とか答え、こっちの髪をわしゃわしゃと撫でる。
「でものぅ。とらちゃんがいてくれたからこそ、臆せずに進めたのかもしれん…儂一人じゃとても、お前の元に辿り着けたかも分からん」
「赤星のおじさんにも、迷惑、かけちゃったよね」
「そういう意味じゃないよ、洵。そうじゃない。ただ、お前に会いたくて、無事かどうか、兎に角お前の顔を見たくて、気が付いたらとらちゃん巻き込んどったのは儂の所為なんじゃよ」
「…ねえ、博士」
「ん?」
「あのね…」
「ん?どうした?」
「ううん…なんでも、ない」
「さっきからどうしちゃったんじゃ?ほれ、言いたい事があったら言うてみぃ」
 十年前に引き取ってくれた時からあんまり変わらない顔でそっと引き寄せられ、僅かな匂いと温もりに僕は甘えてしまう。まるで小さな子供に戻ってしまったかのように、僕は博士にしがみついた。
「うん?なんじゃ、大きな赤ん坊じゃのぅ」
「…もう少し、こうしててもいい?」
「かまわんよ。どうせ、ここには儂等親子以外おらんのじゃからの」
 なんだか目を閉じていると、本当に赤ん坊に戻れるような。
 このまま、博士の実の子供になれるような気に、あくまで気だけでいいから、今だけこうして博士を独占したかった。

 幼い頃、無邪気でいられた最後の青空がピンボケ映像で浮かぶ。
《ねえねえ、この子この子!母親が人殺しなんだって!》
 凍結していた記憶が今、博士の温もりで融けていく。再び目を開けると、今度はもっともっとしがみついて、互いの名を呼ぶだろう。
 

「…おとう、さん」
「ん?」
「あのね。ずっと、打ち明けたかった事が、あるんだ‥‥‥‥」


 〜ヲ・ワ・リ〜 
2002/11/11
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