荒野の月
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「きゃあっ!」
「母さ‥‥!?」
エラドゥーラがキーを抜いて操縦席のドアパネルを開けると同時に、下士官はキーを持った女の手を掴み、そのままホバーから引きずり出した。

悲鳴に混じって「外へ出ろ!」という男達のだみ声が響き渡る。後方の二人がライフルと短銃を構える間に、下士官がエラドゥーラの手からキーを奪う。恐れと驚きで硬直した女を引き寄せ、背中から左腕だけでその身体を拘束した。
「早く降り‥‥」
顔を上げながらそう言いかけた下士官が怪訝な顔をした。助手席の男はど‥‥?

次の瞬間、その目が驚愕に見開かれた。

眼前にあるのはホバーのキーを握った自分の右拳。それがもっと大きく厚い手に覆われている。視線をずらすと、端正だが無表情な男の顔があった。なぜと思う間もなく視界が暗転して火花が散り、顔面が焼けた。がくんと右肩がきしんだと思ったら腹部に棒のようなものを突き込まれ、軍服を来た躯はくたりと脱力した。


あたりがしんと静まりかえった。隻腕の男を除いた全てが凍り付いていた。

ホバーの助手席から一跳びした男は、下士官の拳を本人の顔面に叩き込んだのだ。倒れそうになった躯を引き寄せると同時に、捉えた腕を背中にねじり上げる。そしてその躯を押しやって、仲間が構えているライフルにぶち当てるまで、わずか数秒の出来事だった。


「‥‥銃を捨てよ。仲間を撃ちたいか?」
図らずも自分の兄貴分の腹にライフルの銃口をめり込ませた形になったその若い兵士は、がたがたと震えていた。ラサがもう一度言った。
「銃から手を放すのだ」
兵士はまるで人形のようにぎくしゃくと引き金から指をひっぺがす。ラサは支えていた下士官の躯を脇に押しやり、ライフルをむんずと掴んだ。軽く投げるようにして持ち替えると、無造作に引き金を引き絞る。若い兵士は頽れた下士官の傍にへたりこんだ。

軍のジェットカーの傍でひゃっという声があがり、短銃を持っていた髭の男の足元で土煙が舞った。
「銃をそこに置いてこちらに来い。悪いが片手では生かしておく自信が無い」
そこには脅しも侮蔑も無く、ただ淡々と事実を述べただけのように聞こえた。三人目の男の手から、ぽろりと武器が落ちた。




ラサは彼らからナイフの一本まで取り上げ、エラドゥーラとプルカは渡されたそれらを少し離れた所に集めた。ホバーのキーもしっかりと返してもらった。というか、ラサは立ち回りの間にキーをポケットに確保していたのだった。驚きを通り越して呆れてしまった。
三人は道の脇に座らされている。下士官とおぼしき男はふてくされ、若い兵士は怯え、少し年配の髭の男は開き直っていた。エラドゥーラは彼らと自分達の間に仁王立ちになっているラサの背中を見上げた。

この男が家に来て二ヶ月。最初の一週間は意識が無く、次の一週間も殆ど眠っていた。一ヶ月めになんとかベッドを離れた生活が出来るようになってきて、半月前から鍛裂を学び始めた。
自分の右腕が無いことに気づいた時も、取り乱すでもなくただ「そうか」と言った。何か達観し過ぎているように思った。なのに日々の生活はどこかおっかなびっくりで、アンバランスに未熟な印象。ここに居ろと勧めたのは気に入ったからだけではない。この男がこれから生きていくのがどんな場なのか、エラドゥーラには今ひとつ想像できなくて心配だったせいもある。


殺伐とした印象を与えるグレーの空――実際はこの大陸を覆っている半透明のドームの壁――を背景に、男は今、初めて周囲にしっくりと馴染んで立っていた。片腕でありながら、食事をするより遥かに滑らかな挙動で三人の兵士を封じた。必要ならなんの躊躇いもなく殺したに違いない。

騎士などという装飾のついた言葉はもはや当てはまらない。

‥‥剥き出しの‥‥戦士だ‥‥。



「いやしくも皇帝陛下の兵士が民間人から強奪とは、何を考えている?」
ラサの物言いは普段通り穏やかなのに、どこか威圧的だった。だが下士官も精一杯の虚勢で応じた。
「何が皇帝陛下の兵士だ。望みもない三次元攻略にいつまでも拘る愚かな集まりだ」
「三次元攻略が今までのように行かぬのは元より承知のはずだ。ルートが無い上に、状況を温存しなければならないのだから」

髭の男がどっかと足を組み直した。
「知った風なことを抜かすんじゃねーや。怪人様とアセロポッドをひたすら作って送り込んじゃ失敗してよ! とうとうオレらを簡易改造して、アセロもどきに仕立てるまで聞かされて、付き合ってられるか!」

エラドゥーラは思わず立ち上がって兵士達に近づいた。
「うそ。だって順調だって話じゃない? 特に最近は毎回作戦は成功してるって‥‥?」
「けっ。オレだってこっそり聞いちまうまでは、そうだと信じてたさ! もうゴメンだ。おエライさんの遊びにつきあってられるか!」
「遊びなどではない。全体がよりよくなるためには、皆が少しずつ我慢して努力しなければ。皇帝陛下のお考えは、三次元の世界を鋳型にこの星の自然を元に戻すことに‥‥あって‥‥」

その声が苦みを帯び、ラサの左手が鳩尾のあたりを押さえ込んだ。エラドゥーラはそっとラサの上腕に手を触れた。三人が完全な悪人には思えなくなっていたが、それでもこの状態でラサに何かあったらと思ったら少し怖かった。ラサが手を下ろし心配するなという風に小さな合図をよこした。

幸い三人はラサの様子の変化には気づかなかった。髭の男はむしろ民間人の優等生めいた言葉が気に食わなかったようだった。
「はん。あんたもブラックインパルス信望者かい? まあ、確かに、あの人が生きてた時は色々うまく行く気がしたさ。だが死んじまったらお終いだ。ちょっとずつちょっとずつ、貴族連中が優遇されて、オレらみたいな兵士の待遇が悪くなってく。そんなもんなんだよ!」

一方、下士官の襟章をつけた男の顔つきは少し変わっていた。
「俺は‥‥前の参謀が好きだった。一時期は志半ばに逝かれたあの人のためにもと思ったこともある。だが‥‥軍は変わった。最近は、今しばらくは辞任を禁ずと臨時令まで出て、任期満了でも辞められない。‥‥俺達は抜ける。だから移動手段が欲しかったんだ‥‥」

表情こそ崩していないものの、ラサの手はぎゅっと握り締められていて、エラドゥーラはまた不安な気持ちになった。それでもこの三人に対して、同情に近い気持ちも芽生え始めていた。
「でも、うちのホバーは困るわ。これないと、商売できないのよ」
「‥‥悪かった‥‥」
驚いたことに、下士官の口からは素直な詫びの言葉が出た。

「ねえ、あんた達、お金はあるの? 中古の安いホバーを買うとか、借りるとかすればいいじゃない」
「カネはある。だが、身分証が‥‥軍のものしか無い」
「じゃあ、あたしが代わりに買ってきてあげようか?」

三人は驚いてエラドゥーラを見上げ、ラサも向き直って女を見つめた。エラドゥーラは構わずに話し続けた。
「安い中古屋があるのよ。あれもそこで買ったんだけど。ここでこの人と息子と待っててくれれば、急いで買ってきたげる。落ち着いてからまた考えなさいよ」
「エラドゥーラ‥‥」
少し咎めるような声音でラサが言ったが、エラドゥーラはにっといつもの笑みを返した。
「ラサ。貴方に貴方の考えがあるのはわかる。でも、あたしも、早く闘いが終わって、夫に早く帰ってきて欲しいの。だからこの人たちも‥‥」

まるでその場の最高決定者はこの隻腕の男であるかのように、三人の脱走兵も、エラドゥーラも、ラサを見つめた。だが男の顔は厳しいまま‥‥というより苦しげだった。
「‥‥難しい‥‥。お前達が、レジスタンスのアジトまで辿りつければ‥‥なんとかなるかも、しれないが‥‥‥」
「どういうことだ?」
下士官の声には困惑が混じっていた。この隻腕の男はいったい何を‥‥。

当のラサはどこか独り言のように小さく呟く。
「皇帝陛下が、何を赦され、何を赦されないのか‥‥私には‥‥」
男の言葉が途絶えた。いきなり空を仰いで見回し始める。その顔には畏怖と呼んでいい表情が浮かんでいた。それは周囲の人間に伝搬し、三人の兵士たちも思わず立ち上がった。

「エラドゥーラ、プルカ、下がれ‥‥。離れていろ‥‥」
エラドゥーラはすぐにプルカの傍に駆け戻った。目を丸くしていた息子を抱き寄せて振り返る。理由は分からないが、ラサの言うことを聞くのが最善だと信じられた。

「お前達、すぐに軍に戻れ! 今日のことは金輪際忘れろ!」
ラサの声には焦りと怖れがあった。三人の躯を突き飛ばすようにジェットカーの方に押しやる。
「何すんだよ」
髭の男の反論ももはや弱々しい。当惑と不満より訳の分からぬ恐怖感の方が大きくなっている。
「早く戻れ! はや‥‥!」


燃え上がるマグネシウムのように、強烈な白い光。

ガラスの器を落としたような、ぱしゃん、という音。


プルカの上に覆い被さって地面に踞ったエラドゥーラに判ったのはその二つだった。恐る恐る顔を上げるとラサはちゃんと立っていた。だが、三人の姿がどこにもない。さっきまで彼らが居たところから、白い蒸気のようなものが揺らめき上っている。

「‥‥天雷‥‥‥」
エラドゥーラの腕の中でプルカが呟いた。泣きそうな目で、それでも、けっして言い伝えではなかった皇帝の御業を正しく口にした。

「ラサっ!」
いきなり駈け出したラサに、エラドゥーラが叫んだ。
「来るなっ」
激しい言い方だった。プルカは怯えて母親にしがみつき、エラドゥーラもまた動けなくなった。


風が強くなり始めている。ドームが周囲から黒色に変異を始めたからだ。全てが黒に変われば夜になる。この星ではドーム無しに生物は存在できない。大気成分が変性しきっており、ダイレクトに届く太陽光は命あるもの全てを"殺菌"してしまう。日の出や日没にまつわる数々の現象が人の記憶から消えて久しい。


髪と右袖をなびかせて走る男は、荒れ地の中に大分踏み込んだ位置で立ち止まった。そして空を仰ぐと何か叫んだ。風に紛れて何を言っているかわからない。だがそれは、あまりに悲痛な声音だった。
数度声をあげた男は、かくりと躯の力を抜き、何かを待つように頭を垂れた。エラドゥーラは心臓が喉元までせり上がったような気がした。


そうして再度あの光と音が訪れた。


今度はエラドゥーラは踞らなかった。息子が自分の背中側に入るようにはしたが、ただ両腕で目を覆っただけだった。頭の芯まで白くなった気がした。瞼を開けるのが怖かった。それでも無理矢理目を開いた。


隻腕の男は今だ立っていた。エラドゥーラは安堵のあまりへたり込みそうになったが、なんとか踏ん張る。プルカの肩を叩いて、ちょっと待っているように言うと、ラサの方に足を踏み出した。
まるで借り物の身体のようにぎこちなく、男の傍に行くのにとんでもない時間がかかるように思えた。風で立ち上る砂に混じって判りにくかったが、ラサの足元でも、さっき見たような白い蒸気が揺らめいていた。

女が男の近くまで辿り着いたとき、男は跪き、俯き、穿たれた焼け跡にその残された片手をついていた。荒い息遣いが苦しげで、腕から肩にかけては小刻みに戦慄いている。エラドゥーラは錆びた蝶番にオイルを挿すように口の中を湿し、唾を飲み込んでからそっと口を開いた。

「すっかり遅くなっちゃったわ」

祈ったようないつも通りの声が出た。思わず顔をあげた男の瞳は、息子のそれとあまり変わらない様に思えた。エラドゥーラの顔に自然に笑みが浮かんだ。

「早く帰りましょう。夕食はご馳走よ」


2004/4/25

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