荒野の月
(1) <2> (3) (4) (戻る)


「ごめんね、付き合わせて。でも石盤まであるとなると一人じゃキツくて」
エラドゥーラが庭に出ながらそう言った。
「お安いご用だ。力だけなら幾らでも貸せる」
女に続いたラサが戸を閉めながら応じる。二人はそのまま敷地を横切り始めた。

「あーあ。とうとうロンリコも引っ越しちゃうなんて。オルメカ、帰ってきたらがっかりするわ」
「親しい人なのか?」
「ええ。それにうちにある工具の8割がロンリコのとこから買ったものなのよ」
「父上やオルメカ殿のことを高く買っておられるようだな。店終いでもあるまいに、工具を譲りたいなどと‥‥」
「有り難いわよね。でもまあ、義父さんやオルメカの鍛裂は最高だもの!」
半歩前にいるエラドゥーラが肩越しに男を振り仰いでそう云った。女の両手が胸元にあがり、右手が左手首に触れているのが見えた。この女性が時々無意識にこんな所作をすることにラサは気づいていた。

彼女の左手首には細いブレスレットがはまっている。深い艶と色合いが実に美しい黒いブレスレットだ。それがマイカニウムで出来ていると知った時は驚いたものだった。オルメカがエラドゥーラに求婚した時に贈ったものだと聞いた。
「でも、義父さんもずっと昔、ヴァリエ義母さんにマイカニウムのブレスレットを贈ったのよ。今は形見になっちゃったけど。ねえ、まったく。この家の男どもときたら!」
そう笑い飛ばした時も、エラドゥーラはさも愛おしげにそのブレスレットに触れていたのだった。

庭のはずれのガレージにたどり着くと、エラドゥーラはシャッターを開けた。グレーの大型のコンテナ・ホバーに光が映り込む。
「あれ? すごく綺麗になってるじゃない。まさか、ラサ、掃除してくれたの?」
「いや、この間、父上と二人で砂嵐の中で採掘に行ったものだから‥‥」
「やーだ、ホバーの掃除なんてプルカに頼むから、良かったのに」
「だが、行きたいと云ったのは私だし、プルカも勉強が忙しそうだし、それに‥‥どうも‥‥」
「どうも?」
「‥‥こういう乗り物が埃だらけだと、なんだか哀れに思えてきて‥‥」
言い訳をするかのように小さな声でそういった男の顔をエラドゥーラは目を丸くして見つめ、次の瞬間爆笑した。



クエルボの家は街のはずれというよりは荒野の周辺部にあると云った方が正しかった。街まではホバーでも30分以上かかる。岩と砂の風景の中に点々と残る廃屋はかつての鍛裂打ち場の名残だ。
「エラドゥーラ。一つ聞いてみたいことがあったのだが‥‥」
助手席に少々窮屈そうに収まっているラサが遠慮がちに口を開いた。
「あら、なあに?」
「ご主人は余所へ行こうとは思われないのか? ここのマイカニウムが良質なのは分かるが、すっかり少なくなっているし、なによりこの地では"削ぎ"の仕事が得られないのではないか?」

鍛裂師にとって"削ぎ"が重要な収入源であるのは事実だった。「鍛冶」と「研ぎ」は独立した技術だが「鍛裂」と「削ぎ」は一連の技術だから、"削ぎ"だけを専門にやる者は殆どいないのだ。せめて"削ぎ"ぐらいやりたいと鍛裂師の下に通う愛好家もいたが、加温と多少の叩きは必須であり、向いている人間でなければ技術の習得は難しかった。

エラドゥーラは少し言葉を探してから答えた。
「‥‥オルメカはね、昔、鍛裂の神様と言われた人の剣を見たことがあって、いつか自分もって思ってるの。今は技術が未熟だから、せめてマイカニウムの質に拘りたいんだって」
「鍛裂の神様‥‥?」
「ずっと流浪してる‥‥なんかすごく変わった人らしいわよ。心と技のある鍛裂師のとこにはいつか必ず現れるんですって。でもいつも同じ姿のおじいさんに見えるらしいの。義父さんもずっと若い頃に会ってるんだけど、オルメカが会った時もぜんぜん変わってなかったみたいよ。えーと、なんて言ったかな‥‥。そう‥‥ツァルコって‥‥」

急に身動いだような衣擦れがしてエラドゥーラは思わず脇を見た。サブシートに座っている男は目を見開いて女の顔を見ていた。
「もしかして、ラサ。ツァルコ伝説を知ってるの?」
「‥‥あ‥‥。よくは‥‥わからない‥‥。ただ私は鍛裂をその人に教えてもらった」
「うそ!? だってあんた、どう見たって鍛裂師には見えないわよ?」
「ああ‥‥。だが、私は昔、ツァルコという老人に言われるままに1本の剣を作った。それは驚くべき名剣になって‥‥。だがツァルコはすぐに居なくなってしまった。その後、別の打ち師の元でもう数本作ってみたが‥‥駄作しか出来なくて‥‥」
「‥‥すごい! 信じられないわ! それで‥‥他には? もっと思い出せない?」

ラサははっとしたように押し黙るとただ首を振った。
「‥‥そっか‥‥。ま、焦っちゃダメなのよね」
エラドゥーラは残念そうに溜息をつき、それからいたずらっぽく笑って付け加えた。
「‥‥でも、それを聞いたら、ますますあんたにここに居て貰いたくなっちゃった。ね、ラサ。あんたはここが嫌い?」
「いや‥‥そんなことはない‥‥。だが‥‥」

そう言いかけた男を女が遮った。
「だめねえ。ラサ。あたしの聞いてるのはそういうことじゃないの」
「え?」
「好きなの? キライなの? どっち?」

男は一瞬息を止め、少し視線を彷徨わせてから、観念したように言った。
「‥‥好きだ‥‥と‥‥思う」
錆び付いた歯車が久しぶりに動いたかのようなぎこちない声だった。
男は唾を飲み込むともう一度口を開いた。
「私は今、ここにこうして居るのが、好きだ」
ゆっくりとそう言い直すと、どこかほっとしたような表情を浮かべ、男は背もたれに体重を預けた。そんな男の様子をちらりと見て、女はにっこりと笑った。
「OK、ラサ。それでいいのよ」


===***===

かっとんでくる一人乗りのエアモービルに向かってエラドゥーラが手を振った。コンテナ・ホバーの操縦席の風防はオープンになっていて、向こうの乗り手にもすぐに分かったようだ。エアモービルはしゅんと空気を切り裂いてホバーのすぐ脇に停まった。

「ラサおじさん! おじさんも来たの?」
モービルにまたがったままゴーグルを押し上げた少年は、ホバーの中の母親と居候に笑顔を向けた。癖の強い髪は風に吹き散らされて鳥の巣のようだ。父親より少し暗い色合いの赤毛。くりくりとした大きな瞳は母親譲りの漆黒である。オルメカとエラドゥーラの一人息子でプルカという。ちょうど学校が終わる頃だったので、エラドゥーラは息子に連絡してみたのだった。

「あんた、いつもあんなに飛ばしてんの? いいかげんにしないと危ないわよ」
「だって母さん、待たせたら怒るくせに」
「そりゃそうよ。当たり前じゃない」
むちゃくちゃな言い様にプルカは大げさな溜息をつき、ラサの顔を見た。
「もしかして、おじさんもムリヤリ手伝わされたの?」
妙に分別くさい少年の表情に、ラサは思わず笑った。
「ムリヤリではないよ、プルカ。私もその名工具師に会ってみたかったのだ」
「ロンリコさんの道具は凄いって、父さんいつも言ってるもんね」
「だから、早く乗りなさいってば」
母親にそう言われてプルカは大慌てで自分のモービルをホバー後部のコンテナに押し込んだ。

息子が後部シートに納まると、エラドゥーラは風防を閉じてホバーを発進させた。少年は前に身を乗り出すようにして尋ねる。
「そういえばおじさん、今朝打ってたのどうなったの? もう割った?」
「ああ。きれいに割れたよ」
「そっかぁ! 僕も見たかったな」
「すまん。そう言ってたのにな。流れで、つい‥‥」
「いいよ。わかってる。"打ち"と"割り"は続けてやらないとね」
「そういえば教えてもらったコツ。やっとわかったぞ。響きが澄むってああいうことか」
「でしょ! おじいちゃんや父さんはさ、手の感触だけでわかるみたいだけど、こっちにはわかんないんだもん。音の違いの方がわかりやすいよね」
「ああ。役に立ったよ。そういえばキミのマイカニウム、もう打ちに入れるそうだぞ」
「うん。そろそろだと思ってた。帰ったらやってみるよ」

親子以上の歳の差を超えてすっかり同好の士の会話である。嬉しそうに聞いていたエラドゥーラが口を挟んだ。
「ねえ、プルカ。ラサはツァルコに会ったことがあるそうよ」
少年の眼がまん丸になった。
「え‥‥! ホントなの、おじさん!」

ラサは言い訳するかのように答えた。
「‥‥確かに昔私が出会ったのはキミたちの言ってる鍛裂の神様と同じ人だと思う。ただ、なんというか、たまたま出会って宿を貸したというか、そんなことだったんだ。つまり神様は、鍛裂の名人達のもとにも訪れるが、普通の人間と会うこともあるのだよ」
「それはどうかな。実は鍛裂の名人になるはずだったのに、あんたの方が違う職業についちゃったのかもしれないわよ」
エラドゥーラが混ぜっ返し、男はまた少し困ったような顔をした。

「いいなぁ。僕もいつか会えるかな」
ラサは助手席で身を捻り、少年の顔をまっすぐに見つめた。
「なあ、プルカ。私は鍛裂の才能というのはよくわからない。だが、キミはその年齢としては信じられないほど鍛裂に対して真摯だ。もしもツァルコと会えなくても気にすることはない。神様と会っても、それで安心して考えることを止めてしまったり‥‥。逆に道がわからなくなったりする人間も‥‥いるのだから」

珍しく熱っぽい様子で語る男をプルカは少し不思議そうに見ていたが、小さい声で言い返した。
「でも、おじさん。やっぱり会いたいよ。だっておじいちゃんも父さんも会ってるんだよ?」
「‥‥あ、ああ、すまん。‥‥そうか。そうだな。お父さんの才能を受け継ぐ確率と、キミ自身の努力を考えれば、キミがツァルコと会える確率は50%は越えているだろうな」

少年がシートの背もたれにがっくりと俯いた。
「なんだ? 何かおかしなことを言ったか?」
「‥‥もう、おじさん。ヘンなとこで厳密すぎるよ!」

ホバーはオルメカの店に着くまで笑いに満ちていた。


===***===

その店は移転の準備に入ったところでがたがたしていたが、主のロンリコは満面の笑みでエラドゥーラ一行を出迎えた。ロンリコはちょうどオルメカとクエルボの間の世代になる。クエルボを心から尊敬しオルメカを可愛がってきた工具の名匠だった。

ロンリコはクエルボが荒野で男を助けたと既に聞き知っていた。だがホバーから降りたラサの風貌はロンリコの予想とは異なっていたようだった。その上その剛力。鍛裂用の石盤は厚みがあって重く普通の人間ではまず一人では運べない。しかしクエルボ家の隻腕の居候は、それをほとんど独力でコンテナに運び込み、太り気味の工具師はその様子を唖然と見物してしまったのだった。

「本当にありがとう、ロンリコ。こんなに凄いもの頂いちゃって。大事に使うわ」
エラドゥーラが神妙な様子で礼を言い、ロンリコが髭の中でにっこりと笑った。
「いやなぁに。その槌は特にオルメカに使って貰いたくて作ったものだし。それに盤は持って行くのも難儀でねぇ。かえって助かったよ」
石盤と置き台を数個。オルメカのための極上の槌を2本。プルカには小さな手でも使いやすいように柄や重さの配分に工夫した特製の槌。その上ロンリコは、商売品の中からこれは初心者に使いやすいからと、ラサにまで1本の槌を見立ててくれたのだった。

「引っ越し先にもまた行くわ」
「わたしも店を閉じたら、ここに戻ってくるよ」
「まあ、ロンリコ。そんな台詞早いわよ」
ロンリコは少し寂しげに笑うと、もらった槌を握り締めたままのプルカの肩をぽんぽんと叩いた。
「クエルボ先生は本当に良かったなぁ。オルメカもそうだが、孫までこんなに熱心なんだから。プルカ、おじさんが生きとるうちに、いい鍛裂師になっとくれよ!」
「うん!」
何も知り得ない年代だけが持つ混じりけのない輝きが、大きく頷く少年の瞳に宿っていた。




エラドゥーラはせっかくだからと街の市場で大量の食物を買い込んだ。店から店にコマネズミのように動き回り、店主に楽しそうに話しかけてはいつの間にか値引きさせている。プルカは荷物持ちから解放された代わりに、ラサに気を配る役目が回ってきた。
男は山のような袋を片手でぶら下げて、物珍しそうに市場の様子を見ている。逆に周囲の人々にとっては整った顔立ちの隻腕の偉丈夫が物珍しい。おかげでラサの周りでは人の流れが滞り、本気ではぐれそうになるのだった。

市場を出発した時は午後も遅い時間になっていた。エラドゥーラは鼻歌交じりに操縦桿を握っている。後部シートのプルカはいつの間にか寝てしまっていた。そうして街を出たあたりで、高速の乗り物がホバーの脇をすり抜けた。それは少し先で車体を横にして停まり、ホバーの行く手を遮った。

「な、なによ!」
エラドゥーラが慌てて制動をかけ、プルカは前につんのめって声を上げた。
高速のジェットカーから降りてきた三人の男は兵士だった。一人はライフルのようなものまで持っている。よく見ればジェットカーにはスパイダル陸軍のマークが入っていた。三人とも濃いサングラスをかけていて、うち二人はかなり軍服を着崩している。唯一きちんと軍人らしい男がホバーに近寄ってきた。こつこつとガラスを叩いて身分証を示す。詳しくはわからないが下士官のようだ。エラドゥーラは風防を跳ね上げた。

「どうしたの、兵隊さん?」
「ちょっと情報が入りまして。後ろの荷物を調べさせて頂きます」
「え、なんで? もらい物と買った食料が入ってるだけよ?」
「まあ、とにかく。大人しくご協力頂きたいんですがね」

上っ面だけの至極薄っぺらい"丁寧さ"の見本のような態度だった。


2004/3/30

(1) <2> (3) (4) (戻る)
background by La Boheme