邂 逅
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西都大学の1年生2名が集団に殴る蹴るの暴行を受け、全治3週間の重傷を負った。場所は人気の無い夜のグラウンドで、暴行の模様がたまたま監視カメラのエリアに入ったため、通報で駆けつけた警察が、容疑者総勢11名をほぼ現行犯に近い形で逮捕した。

容疑者は全員、過去詐欺行為で摘発されたことのある濱田事務所に所属していた。動機は容疑者らが行った不当、不法行為を被害者達が注意したことに対する逆恨みと見られる。容疑者が使用した車のうちの1台が、事件前に数回敷地内を通過したことがわかっており、計画的に待ち伏せたのは間違いなさそうだ。未成年の少年2名を大勢で襲ったことから警察は殺人未遂も視野にいれて捜査を行うことになった。

逮捕者のうち6名は逮捕時には気絶した状態だったが、特に大きな負傷はしていなかった。被害者はどちらも武術を学んでおり、それなりの抵抗の結果らしい。そして被害者の2人は西都大学付属病院に運び込まれていた‥‥。



「俺が、入院するなんてなぁ‥‥‥」
上掛けの上にこてんと仰向けている赤星が呟いた。隣のベッドで上半身を起こしている黒羽健がすまなそうに応える。
「悪かったよ。だから最初にケガするって言ったんだぜ」
「だって社交辞令だと思ったからさ‥‥」
「社交辞令?」
「‥‥違うや。‥‥捨てゼリフ‥‥じゃなくて、決まり文句‥‥」
黒羽が身を乗り出して見やると、赤星の瞼は授業で眠くなった学生のように、ゆっくりと閉じては開きを繰り返している。

警察の事情聴取もあるし、他の患者に迷惑がかからないように、2人は病棟とは別の階の予備室に入院していた。怪我の程度は確かに発表通りだったのに、丸1日過ぎたら、少なくともぱっと見は普通になってしまった。彼らの快復力とやせ我慢には医師も別の意味でさじを投げたようである。とはいえ色々面倒なので表向きは家族と警察関係者以外は面会謝絶の状態だった。

赤星は昨日からどこかぼうっとしていた。点滴に入っている薬の影響かもしれない。少しの風邪薬でやたら眠くなったりする人間もいるものだ。運び込まれた時の方がよほどしっかりしていた。人が寝ているのにわざわざ近寄ってきて色々言ってくるので、何か憎まれ口で返してやったら、しょぼくれていた顔がぱっと笑った。雲から太陽が覗いたかのようなその笑顔が、なぜか頭に焼き付いている。


奴らが、警察や大学が身構えるような事件を起こしてくれるのが、一番いいと思った。暴力沙汰なら簡単でインパクトも十分。自分は多少痛い目を見るが、子供のころからケガも病気も異常に早く治ってしまう体質だから気にすることはない。
ああいう手合いをジャマするなんて、頼まれなくたってやりたい。若めのヤツなら短絡的に走るだろうし、ダメならまた別のことを考えればいい。

全て思惑通りに事が運び、人気がない上に監視カメラ付きという最高のシチュエーションに相手をおびき出すことに成功した。ただ一つ誤算だったのが、他人が隣にいたことだった。

いや、誤算じゃない。いくらしつこくても突っぱねることは出来たはずだった。やたら楽しそうにつきまとって来るから、もう勝手にしろと思ってしまって‥‥。
そしてあの夜、奴らに囲まれて、初めて後悔した。

(オレは殴られてくる。手を出すな)

そう言った時、赤星は心底驚いた顔をした。陰謀めいたことはおよそ向かなそうに見えたし、計画を打ち明けるほど信じていない。唯一の救いは、この男ならフォロー無しに逃げ果せる力があることだ。

(それでこの件は片づく。お前は逃げるんだ)

だがこいつは逃げなかった。あろうことか自分に付き合って袋叩きの目に遭った‥‥。


「なあ、赤星‥‥。お前、なんで逃げなかった?」
「‥‥ん?‥‥」
「あの時、逃げろって言ったのに、なんで逃げなかったんだ」
赤星が顔だけ黒羽の方を向き、ぱちぱちと数度瞬いた。左手をあげてから点滴のチューブに気づき、今度は右手の甲でごしごしと目を擦る。擦りながら大きなあくびをした。もぞもぞと起き上がると、いささかだらしのない胡座をかいて、黒羽の方に向き直った。

「あんな状況で逃げられるかよ」
「オレと一緒に殴られることはなかったんだ」
「お前と一緒に殴られてないなら、俺はあいつら全員のしてた。それじゃダメだったんだろ?」
赤星はいけしゃあしゃあとそう言ってのけた。自信過剰な物言いだが、その場にいた黒羽にはそれが事実だとわかる。

黒羽は顎を撫でようとして口元の傷に触れてしまい、顔をしかめて手を放した。聞きたいのはもっと違うことのような気がするが、うまく言葉にならない。
「‥‥怒ってないのか? いきなりあんな‥‥」
「そりゃ、びっくりしたけどさ。面白かったぜ」
「面白い?」
黒羽は面食らって赤星の顔をまじまじと見つめた。赤星はすっかり目が覚めたようで、にやにやと思い出し笑いをしている。

「ほら、やばそうなヤツから先にやったじゃん。手っ取り早くやんないとまずいし、できるだけ一発で決めようって、俺、すっげぇ真剣になっちった」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「得物だけ全部すっ飛ばしたのも、うまかっただろ?」
「‥‥まあ‥‥‥‥」
「やられ方もお前よりうまいな、俺。ほらほら。顔、一発も殴られてな‥‥」
得意そうに無傷のほっぺたを指さして乗り出した赤星の顔に、いきなり枕がばすっと命中した。

「怪我人に向かってそーゆーことするか、普通!?」
「顔はケガしてないんだろ」
「常識のこと言ってんだよ、俺は!」
「お前から常識なんて言葉、聞きたくない」
「どーゆー意味‥‥」

とんとんとドアをノックする音がした。赤星が抱きしめていた枕を慌てて投げ返す。黒羽がそれを背中に押し込んでどうぞと返事をした。警官に案内されて一人の生真面目そうな青年が入ってきた。驚いた黒羽がその名前を口にした。
「西条さん‥‥‥?」
「突然来ちゃって、どうも」
青年が一礼する。赤星がつられてぺこりと頭を下げると、青年は律儀に赤星にも挨拶した。
「法学部に在籍している西条といいます」
「あ、俺、工学部の‥‥」
「赤星君だよね。良かった。2人ともけっこう元気そうで」

黒羽が怪訝そうに訊ねた。
「先輩はどうしてここに‥‥?」
「いや、ちょっと警察に話を聞かれたから、ついでに君たちに会えないか頼んでみたんだ」
「まさか、今度の件で?」
「ああ。安全委員会の副委員長とね。本当なら僕なんかが出る幕じゃないんだが、サークル棟のカメラの設置に関わってたし、君と話したこともあったから」
「済みません。なんかまた、ご迷惑を‥‥」
「君が謝ることじゃないだろう? 被害者なんだから」
西条が微笑んでそう応じたが、また真面目な顔になった。

「でも、君たちには本当に悪いけど、今度の件で、大学側も新しい警備体制に早急に移行しようということになってね。感謝してるよ」
「へえ。先輩、この前は確か、大学がなかなか本気にならないって怒ってましたよね」
「まあ、予算のこともあるから仕方ないんだけどね。でも実際、夜間部の学生でひったくりに遭ってる人もいるし、せめて夜の警備ぐらいちゃんとしてもらわないと。今年から法律と経済の夜間コースもできて、女性の受講生も増えてきてるんだし」
「そうですか。じゃあ、オレたちもケガした甲斐があったってもんですね」

西条がちょっと小首をかしげて黒羽を見やった。
「だからってあんまり無茶なことはしない方がいいよ。気持ちはわかるけど本当に危ないから」
「はい。気を付けます」
「そうしてくれよ。じゃ、これで。2人ともお大事に」

西条はまた丁寧な挨拶をするとそっと部屋を出て行った。足音が聞こえなくなった所で、2人の会話を黙って見ていた赤星が小声で尋ねた。
「どういう人なんだ、今の?」
「サークルのとりまとめをやってる関係で、大学の安全委員会に学生代表で出てるんだと。入学式の時の件で色々聞かれてな。その時の話で、グラウンドのサークル棟でも監視カメラのテスト運用してるってわかったのさ」
赤星がくすりと笑った。
「それでお前、建物の近くに連中を案内したがったんだな? でも、えーと、西条さんだっけ? あの人の話通りなら、奴らも大学に入りにくくなりそうだな」
「まあな。警察に目をつけられれば、前と同じに好き勝手はできないだろうし。とにかくあいつらが細田さんに近づきにくくなりゃいいのさ。普通の事務員を脅してなんとかなる程度のことなら、逆に諦めも早いだろうよ。全部正直に警察に話せりゃいいけど、そんなことしたら今度は細田さんが大変だしな」

さっき慌てて背中の後に押し込んだ枕を膝に乗せて、カバーの皺を伸ばしながら喋っていた黒羽は、反応が無くなったことに気付いて顔を上げた。赤星がじっとこちらを見ている。
「なんだ?」
「いや‥‥。お前、ほんとに凄いヤツだな」
「は?」
「お前はほんとに凄くて、いいヤツだなって」
「‥‥下らねえ。とんだ見立て違いだ」
「いいんだ。俺がそう思って‥‥。なんつーか‥‥こう、お前と会えて嬉しいだけだから。‥‥‥‥ただな、黒羽‥‥」
赤星が上掛けをはねのけて、寝転がりながら呟いた。
「今度は、もうちっと色々話せよな‥‥」

赤星の言葉が黒羽に浸透するのに少しだけ時間がかかった。なので黒羽が「"今度"ってのはどういう意味だ」と突っ込もうとした時には、赤星は既に、くしゃりと丸めた上掛けにコアラの如く抱きついて寝息を立てていたのだった。


===***===

10日後。黒羽健は西都大学の正門脇の少し奥まったところにそびえ立つケヤキの木に寄りかかっていた。大学に戻って今日で3日めだ。

入院中、赤星の知人の女性が見舞いがてらに貴重な情報を持ってきた。医学部の清宮という新入生が退学したという。別の大学を受験し直すことになったそうだ。細田と清宮の間に何があったかは不明だが、べつに探求する気もない。ややこしい人間が舞台から降りて、穏やかな状況になればそれでいい。

退院してきた日、なんと細田から電話があった。その後濱田組は顔を見せなくなったそうで、申し訳ないとしきりに詫びてくる。偶然こうなっただけだと笑い飛ばしたが、信じてくれない。そのうち赤星にも連絡をとりたいというので、やめた方がいいと言った。赤星には家族がいる。細田と今度の事件の被害者が親しいと思われたらロクなことはない。

おかげで黒羽は、今、落とし穴にはまった気分でいるのだ。
「くれぐれもよろしく伝えてください」と言われて、うっかり、はい、と応えてしまったからだ。

返事をしたからには伝えなければならない。そのためにはあの脳天気男に会う必要がある。赤星は自宅の電話やら携帯電話やらの番号をありがた迷惑に教えてくれたのだが、人に電話をかけるのは大嫌いだ。工学部の時間割は張り出してあるが、こんな理由で教室の外で人待ち顔で待ってるのも絶対イヤである。しかたないので運を天に任せるべく、中途半端な時間帯に中途半端な場所で、待つともなく待っていることにした。


だが至極当然のように、歓迎しないでおきたい待ち人が正門から入ってきた。見舞いの時に紹介された幼なじみの美人と連れだって。女の方はやや距離のある所から丁寧な会釈をして、理学部棟の方に去っていく。そして赤星竜太は例の人懐っこい笑顔でこちらに向かってくるのだった。


黒羽はふうっと溜息をつくと、大木に預けていた長身を起こし、赤星の方に歩み始めた。
口元にまんざらでもない笑みが浮かんでいることに、本人は気付いてもいない。

これから先、幾度となく繰り返される光景が、今、始まろうとしていた。
清爽な大気の中、鮮やかに緑芽吹く、邂逅の季節に。

    (おしまい)
2005/6/1

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