One's beloved Child
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 心臓が飛び出るかと思った。
 

「あ、あのぅ!」
 用事(学会)で長野を訪れた時の事。
 ここの駅っていうのは広くて、少々迷ってしまったし、さてタクシーに乗ろうかどうか…迷いつつ、結局バスにしようと乗場付近を歩いていた時じゃった。
 自分で言うのもなんだが、物を考えているとどうにも他に目をくれない悪いくせがあっての。で、その声の主が何度も叫んでいるのに無視する結果になったのが照れくさかった。
「すみません! ちょ、ちょっと待って下さいってば!」
 いやにかん高い声じゃ、しかしこれは男の子の声。で、 後ろを振り向く。
 …いや、心臓凍ったわい。
 茶色の大きな目、くせのある栗色の髪。鼻筋も通ってなかなか可愛らしい顔立ちをした少年がこちらを見上げている。少女のような顔だから驚いた、それもあるが、
《綾乃さん!》
「…あの。どうか、しましたか?」
 これ、とその滑らかな若々しい手から、紳士物のスカイブルーのハンケチを手渡される。
「お? おぉ…こりゃ、すまんのう。儂のじゃよ、うんうん」
「よかったぁ」
 眩しい笑顔。柔らかそうな前髪が風に揺れる。それにしても…なんという偶然があるんだ、思わずその少年の顔に手を差し伸べかけて、慌てて引っ込めたのは憶えておる。
 そうこうしていると彼は「バス、乗るんなら同じ経由であっちからも来ますよ」と、約20メートル先の停留所を指差して、たたっと駆けて行ってしまう。が、どうも顔色が悪くての。ちょっと駆けては止まり、息を切らして歩き、また駆けるといった有り様はますますもって似ていたんじゃわ。

 気になる子じゃった。
 予約していたホテルにチェックインして、次の日に学会を行う会館の場所確認をしつつも彼が気になってしもうた。
 初恋の人。そして、親友の細君じゃった彼女になんと生き写しな顔立ち。
 おかしなものだな、と年甲斐もなく涙しそうになって、しょうがないから浴場に足を運んで気を紛らわせたり、土産物を見たりしたが、やっぱり気になってしまうんじゃよ。うん?おかしいかの?

『暁紘さんがいてくれて、本当に心強いんです。主人の事、よろしくお願いします』

 自分は幸福だ。そう言いきっていた彼女は、ほんに芯から強い女性で…ああ、いかん。涙で目が翳むわい。どうかあの世でも幸せになっとるといいが。ああ、死ねば人間は無だ。けれど彼女はきっと変わらず優しい笑みを浮かべたまま、天国とやら(実際にはそんなものはない)にいるに違いない(聡明な女性じゃった)のだから。
 次の朝そうそうに書類を持ち、簡単な食事をすませてから早めに出た。そもそも『学会』とは仮のもの、とどのつまり、最新式の電導体と二足歩行のロボットについての研究会。ほら、よくアニメでも『合体ロボット』とかなんやらあるじゃろうが。とか、二本足の巨大ロボットのコクピットにヒーローが乗り込むっていうものが。まあ、その土台を研究し網羅するのが目的の集まり…『すごい科学』とでも、いおうか。あまり難しく説明すると、少々長くなってしまうし省くとしよう。
 
 まあ、用事は済ませ、会館から出ると唐突に思い出したのが、旧友。奴は今、この近くの総合病院にいるんじゃ。ま、思い出したきっかけは、あいつの実家が駄菓子屋を営んでおったからで…それで、なんとなしに訪れてみる事にした。

 時間は、四時過ぎ。手土産(菊姫。日本酒。ここは長野なのにのぅ…)なぞ持って、看護婦さんに聞き出し、颯爽と神経内科に向かった。エレベーターに乗り、三階で降りた。

 そこで、またしても偶然が!
《あの子は!》
 顔色の悪いことったらなかった。そう、お前さん達勘づいたかもしれんな。そう、洵じゃよ。
 学生服を着て、よろよろしながらカルテのファイルを抱えている。で、こっちなど見もせずにエレベーターに乗ってしまったよ。
《神経科から出てきたのか》
 で、つい、行動を迅速にすべく旧友のいる病室をこじ開け、急いで奴に色々聞き出した。『菊姫』を手渡すとニヤリなんていやらしい笑いをしおって…まあ、いい。
「さっきの…ああ、孫君か」
「ソン?」
「中国とアメリカのハーフなんでね。変わった名前だろ?」
 そして。あの子は両親の顔も知らない事、施設で過ごし、また幼い頃から病弱で何度も死にかけている、とも聞かされた。どこが悪いのか、は解明されていないのじゃ。それは、今でもな。
「一ヶ月に一度は高熱出して寝込む体質で、でも彼、頭が抜群に良いんだ。いや、暗算あるだろう?十秒間に三桁の数字を十並べてババッと計算できるし、あとは、一度見たり読んだりしたものは忘れないんだ。いやあ、マイナスにプラスっていうものはあるもんだ」


 もう無我夢中。気がついたら、儂は洵と一緒に東京駅にいた。
 胸がドキドキいうわい。ああ、こういうのは慣れないもんで、言うのはなんじゃが他人との交流はあんまりないしの。甥、姪と話すにも考え考え、気を使ってばかりのこの儂じゃよ。
 まして、親友の息子達(片方は竜太じゃ)。あやつらにしても、正月に顔を数回見る程度じゃったし…つまりだ、慣れておらんので緊張しておったんじゃよ。ああ、笑え!
「あ、あのぅ」
「ん?」
「…それ、テレホンカードですよ?」
 洵曰く、新幹線改札口から出るには『特急券』『乗車券』だと言いたかったらしい。迂闊じゃ。

 ゆっくり歩き、彼をなるべく緊張させるまいと甘いものの話題を出した。長野でも、この話をする時のみは、嬉しそうにしておったしの。
「僕、モンブランとババロア好きなんです。施設ではあんまり食べれなかったけど、園長先生のお友達でお菓子作り好きな方がいて、時々お土産に持ってきてくれたんですよ」
 銀座に、モンブランの美味しいケーキ屋があったな、と儂が誘うと目を輝かせたが、遠慮がちに「でも」とか言いよる。
「何を躊躇う。儂がいいと言っておるんじゃ」
 笑いはしても、やっぱりぎこちなかった。あの、最初出会った時の笑顔が見たかったんじゃよ…。


 園長だという五十代後半の女性は、佐々本さんといった。洵を引き取りたい、と即座に切り出すと途端に眉をひそめ、一言のみを告げられた。
『あの子を愛してあげて下さい。その自信がないなら、諦めてお帰り下さい』と。
 世間体にこだわったり、継承問題で養子の縁組みをするなら断る、とも。
 理由は、たったひとつじゃった。


 あの子は怯えていた。
 だから、知らんふりを通し、余裕が出たらこちらから切り出そう、と。

 そうやって、どうにかこうにか冬を迎えて…長谷川先生の自宅(健在だった時代。現在は隠居中じゃ)までこちらのテーマ『Z機構の必要性』を届け最終チェックの標を頂いた帰りじゃ。
「暁紘!」
 兄夫婦が、こちらの玄関先で待ち受けておった。

「暁紘、相談もなしにこんな勝手な真似をするんじゃない。後々、問題が絡んできてからじゃ、遅いんだ。お前はプロジェクトを組んでいるし、仕事の帰りも遅いだろう。とてもじゃないが、子供を育てるのには、向いていないんじゃないか?」
「女手があるない、それだけで充分に違うわよ?ねえ、暁紘さん。母親が父親を殺して、刑務所の中で産み落としたとかいうじゃないの。ね、素性は知っているんでしょ?もし、厄介事が起きてからじゃ、対処」
 ああ、ああもう、うるさいのう。どうしてこうも、世間体ってものを気にするんだか。
「義姉さん、何度言えば分かって頂けますかの?遺伝っていうのは、迷信です!あの子は、儂が保証する!洵君は、直感でピンときたんじゃよ、ああこの子と一緒なら家族になれる、と」
「…しかし。しかしな…言うのは酷だが、所帯を持たずに真っ当に子育てなぞ出来るものじゃないぞ?まして、その子が曲がった環境でどうなるか知れたもんじゃあるまい?」
 すぐに返してこい、とまで! 何を考えておるのかっ! どうして、洵の何もかもを見てもいないのに、産んだ両親の起こした事柄に惑わされるのやら…頭にくる。で、

「今日は…帰ってくれ」

 リビングからきまり悪そうに出ていく兄貴を見、ちょっとは胸が痛んだ。言わんとする意味もよく分かる。が、そりゃあ世間一般の人間の考え方であり、どういった訳か、儂は物事を深く考えはしない。問題は、洵。新しい高校でも成績は優秀、うまくいっているみたいで安心しておった。
 このところ、顔色もいい。早起きさせて、食物は極力天然物を食べさせて。ま、当の本人は気がついておらんじゃろ。
「やれやれ…」
 とんだ客人じゃった、と卓上のティーカップを片付けていたその時、
 ガタン!
 けたたましい足音。バタバタバタ…と、走る、足音。

 まさか!と、彼の部屋を開けてみる。高校には、行かなかったのか? そういえば朝、具合が悪い、と呟いておったが、早退でもしていたのか。
 リビングと繋がっているし、まして怒鳴り声なら筒抜けだったのじゃろう。窓が開きっぱなし。雪が降り始めている。
 今までそこに潜っていたのか、ベッドはぐちゃぐちゃ、カバーが濡れている。
《…聞かれてしもうたか…》
 迂闊じゃったわい。

 あの子の事だ。きっと、東京駅から施設に帰るつもりなのだろう。追いかけるつもりが、足が重くなって気が沈む。溜息ばかりが出て、どうにもいかん。
 きっともう、ここには戻ってこないつもりでは。
 儂はもう、嫌われてしまったのか。
 昔好きじゃった女性にそっくりの顔で拒否されるのが、凍り付く程怖かった。情けないと笑え。
 ダイヤルを回す。
 佐々本さんに、連絡をする。と、何があったのかを順々に辿り説明を済ませると、
『諦めてしまわれるのですか』
 −−−−それでも貴方は、洵の父親ですか、と。

 場所すら分からずにただ、走り回るには体力がいるもんだ、と痛感した。
 ネオンの街、商店街、ゲームセンター…あの年頃の少年がうろつきそうな場所、でも、意外に人見知りの激しい繊細なタイプじゃ、きっと如何わしい場所にはおるまい。
 そう信じたかった。

 初めて行った場所。モンブランを食べに入った店。
『うっわぁ!あまーい、おいしーい!』
「…儂との思い出なんぞ、立ち寄る気にもなれんかの」
 諦めてしまうのか? 綾乃さんの時と同じに。
 気を引き締め、最後に東京駅に向かう。上野駅でも同じかもしれんが、ひょっとしたら、洵はここの方が頭にあるやもしれぬ。

 到着したのは、夜の九時過ぎだ。
 新幹線用の改札窓口でぼけっと立っておる若造、じゃなくて駅員に「十六歳くらいの、茶色の髪をした男の子は見ませんでしたかの?」と聞くと、奴め、「はあ?」とまでいうではないか!変な男とか考えておる可能性大。まあ、仕方ないんじゃ。コートよれよれ、息切らしたヒゲオヤジじゃよ、怪しまん方が変だろうて。
 が、そこに別の係員が「ひょっとしたら」と言うではないか!

 案の定、洵はおった。
 八重洲口の改札で、高熱出して運び込まれたらしい。
「…夕方六時ちょっと過ぎくらいに、あの改札で倒れたとか。いや、この子を担いで駆け込んで来た男の子がてきぱきと、説明してくれましたよ。きっと、あの寒い中ずっと立ち尽くしていたんじゃないか、とか」
「御礼をせねば」
「さっき、帰しましたよ。ちょうど、入れ違いだ」
「そうでしたか」

 真っ赤に火照った頬で眠っている洵を背負って帰ろうと、どんなに考えた事か。だが、どうも引け目を感じるし、照れくさくて。世の親は、どうやって実の子と接するのか分からん。
 そうだ、この子にまかせてしまおう。もう、自棄に近い。ああ…意気地なしめ。

「もうちょっとだけ、休ませてやって下さい。で、一応これが、儂の住所です」
「お子さんなんですか?」
「…まぁ、な。でもこの子が、こっちをどう考えておるか」
 人の良さそうな駅員は細い目を伏せると、いきなり驚く事を言いよった。
「私の両親は、血が繋がっていないんです。本当の事を知った時、こうやって私もこの東京駅に飛び込んだ事があったもんです。…大きい駅にいると、このままどこかに行きたい、帰るべき場所が何度も何度も、浮かぶんです。ずうっと立っていたら自分がえらくちっぽけに見えて、心細くなって。そうしたら勝手に、自分の家に戻っていました。それがきっかけで、こうして駅員になったんですよ」
 
 あの駅員さん、洵が目を醒まして帰る場所を口にしたら、そこに送ると笑っておった。
 うむ。
「でも、もしかしたら此処に戻るとは…限らんの、か?」
 山手線のスピードがえらく遅く感じるのは、どうしてじゃ? 広告の文字が霞むのは、どうしてなんじゃ。
 自宅に帰るのが、こんなに寂しいものだったとは。花壇に植えたままのマリーゴールドが、牡丹雪で潰されている。
 鍵を取り出し、開いて上がる。真っ暗で、音すらない。
 二十年も昔から、この繰り返し。そして、これから…どうなる?

 あの、味噌汁。おずおずと、「失敗しちゃったよ」と差し出す卵焼。テレビを見ようとして、博士は何が見たいの? 風呂を沸かそうとして、今日は早く寝ないと駄目だよ? と。
「洵君」
 やっぱり、やっぱり無理矢理でも一緒に帰ってくればよかった!ああ、遅いのだ。
 過去は戻って来ない、それが当たり前。タイムマシンがあっても、あの子の気持ちは手に入れられない。儂が、馬鹿じゃった!

 諦める前に彼の部屋にもう一度入るとベッドを直し、暖房をいれておいた。まあ、やらないよりかましじゃろ。もしかしたら、そう、もし…、

 チャイム。

 あとはもう、憶えておらん。駆けていったら、あの駅員にコウモリ傘、それと。
「……あ、あ…の…博士」
 顔色が悪い。ああ、あれほど健康管理に気を配った儂の努力、台無しっ! もう、許さん。即行、どんなに嫌がろうと儂がお前を家に入れてやる。とは、流石に言えずに、
「冒険じゃったの。ま、入るんだ」
 
 
 電気アンカに暖房。そして、パジャマに着替えさせた。外に出るのに学校用の上履きで出る奴がおるかい、とこっちがボヤいた途端、それまで無言だったのにぶるぶる震えてこちらを見るではないか。口を歪めて、ぼろぼろと涙を流して。
「う…っ、うっ…うぅ」
《言い過ぎたかのぅ》
 甥も姪も、幼い頃ならそうしたであろう。でも、十五、六歳でこのように無防備な少年はそうそうおるまい。でも、おかしな事になんだか胸が熱くなったんじゃ。いや、おかしい。可愛い、はっきりと感じ取った感動の瞬間じゃ。
 頭を撫でてやると、顔を真っ赤にして、掠れた声で、
「は、博士…っ、博士っ!」 
 お父さん、は流石に無理か、ふう、残念。


 あったかいものを飲ませ、食べさせて解熱剤を与えると、やっと眠ってくれた。
 寝顔もまた、可愛いもんじゃ。ひねくれたところが全く無い。無垢そのものじゃった。
《最初は、この子の顔に惹かれてしまったが…》
 少し汗を吸った前髪をどかして、氷嚢を乗せてやると「う、ん」とか寝言。

『日本の国籍取るから、洵って呼び捨ててね』

 それは、過去との決別と受け取っていいのか?簡単な問題ではないのかもしれんが。

 兄貴達にも、正月に正式に挨拶に行こう。洵を、息子を連れて。

「それと、赤星家もじゃな」
 ほぼ同じ歳の息子もおるし、ちょうどいいかもしれん−−−−。


        〜おわり〜



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background by Little Eden