An Edge
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 花が咲いていた。普段から見慣れているし、ましてそこいらにありそうなマリーゴールド。
 ありきたりのオレンジのそれが、お人好しそうに揺れている。
 
 
「さ、入るんじゃ」
 人の良さそうな男性の手招きと微笑みに、そうしたい訳でもないのに咄嗟に身構えてしまう。きっと、僕の顔は強張っているに違いない。勝手に手汗が出てきて、口中がカラカラだ。
 自分の引っ張っている荷物の重さすら忘れてぼんやり立っていると、彼は子供みたいにぷぅっと膨れ、「早くせんかい」とせかす。
 鍵を開けた扉の先には、廊下が見える。


 彼は、僕の通っていた病院の先生と知り合いなんだそうだ。
 今まで長野から出た事もなかったのに、いきなり東京に連れてこられて戸惑いを隠せないのは、仕方がないと思ってほしい、そう、僕は引き取られた。この人の、養子として。
「君は…面白い能力を持っているそうだね」
 病院からの帰り道、妙なおじさんに声をかけられて硬直したのを覚えている。だって、出で立ちも相当に変わっていたし、なによりも、ハニーチュロスをくわえたまんまの中年がいたらそりゃあ、怪しさ倍増だろう?
 当然、悲鳴をあげたさ。
 ま。人さらいだとしても、孤児院から巻き上げるのには苦労するだろうし、得にもなるまい。だから、
「…おじさん…僕、親いないし身代金巻き上げられないよ?」
 総合病院の建物がバックに見える場所での爆笑は、忘れられないね。

 
 葉隠博士…彼は、どっかの偉い人なんだそうだ。
 園長先生もそうだが、僕の担当医も揃って「博士、と名がつくだけのものをお持ちだ」とかなんとか。
 でもどう見ても、僕には怪しいオジサンだ。ね?
 あの時も、商店街はどこだの甘味処はどういうものがあって、何件何を食べさせてくれるんじゃ?とか、散々引っ張りまわされて、でも気がついたらアンミツ食べていた。
 で、色々な世界中の甘いものの話とかで盛り上がって、お茶七杯、甘酒五杯飲んで、とことんさりげなくこちらは身の回りを話す羽目になり…今にして思えば博士は、情報引き出すのが巧かったのだ。
 
 僕は、孫 洵(そん・じゅん)という名前で、どうしてこんな奇妙な名前なのかという理由についても…。


 出会って一日とたたず、こっちの住んでいる孤児院まで足運ぶなり開口一番、「洵君を、儂が引き取りたいんじゃが」だ。皆、目を丸くしていた。
 園長先生はこっちを見るわ、幼馴染み達は一斉に僕と博士を交互に眺める。それに、一番ショッキングなのは、朝の八時過ぎで登校時刻だった、という事だ。

 まぁ、とどのつまり…変人の気紛れで僕は此所にいる。 

「国籍の問題が、あるのぅ。ま、お前さんが成人するまで放っておくか。どうせ儂が決めるものじゃないしの?」

 早朝に叩き起こされて(まだ四時じゃん!)、弁当作らされて…施設で育った身でも、やはりきつい。で「豆腐の味噌汁が飲みたいっ」という博士の理由なき願望に応えて僕はそれをこしらえたり。
 引き取ってもらったんだ、別にこのくらいは当たり前だしね。
「うむ。やっぱり、人が作ったのは格別じゃわい!」
 ただ、ちょっと豆腐が大きいのぅ…とかなんとか言われ、次の句が、上のソレ。うん、国籍ですか。
「…僕の国籍、どれなんだろ…中国でしょ、日本に…あとは、アメリカ」
 言われてみるまで、あんまり気には留めないようにしていたのに胸が痛いよ、忘れたいのに。
 でも、しょうがないよね。
 避けては通れない、色んな問題ってあるもんね…。


 
 長野の孤児院が恋しい、とはっきり分かってしまったのが、高熱を出した時だった。
 もともと、そんなに丈夫とはいえない上に、かなり気を使っていたからかもしれない。いや、寧ろ一ヶ月に一週間寝込むたちだったこの僕が、ここ数カ月ちょっとした微熱ですんでいたのが奇跡だ。
 でも、運悪い日ってあるものだ。

 博士のお兄さん、義理の父親の兄弟って事は、僕にとって叔父、という関係。その人と奥さん二人が訪ねてきた時だったからだ。
 なんとなしに部屋に活けておいたマリーゴールド。冬だってのに、やっぱり元気に咲いている。この脳天気さ、色は、知っている誰かにそっくりだ。
 ぼろくさい書斎だった場所をなんとか若者向けに設えて、僕専用の部屋として割り当てていたがそれが災いした、書斎とリビングは使いやすさで出来ていた為、続き部屋だった。で、客間としても使うのは、リビング。
 会話は忽ちにして、こちらの耳に届く。
 出るに出られないし、困ったな。トイレに行くのだって、あそこ通らないといけないのに。
 気分悪くて早退してきたから、とでも言い出せばいいのかな?盗み聞いているみたいでなんだか嫌だし…ノブを持って回そうとしたら、低い声が「暁紘!」と、博士の名前を呼び捨てていた。
 …布団に潜り込む。

 どうして僕を引き取った、とか。
 結婚も見合いも断り続けてきたのに、どういう気紛れだ?とか。
「相談もなしにこんな勝手な真似をするんじゃない。後々、問題が絡んできてからじゃ、遅いんだ。お前はプロジェクトを組んでいるし、仕事の帰りも遅いだろう。とてもじゃないが、子供を育てるのには、向いていないんじゃないか?」
「女手があるない、それだけで充分に違うわよ?ねえ、暁紘さん」
 
 喉が渇いてひりひりしたけれど、ずっと眠ったふりを続けた。
 両耳が痛い。塞いでいるのにどうしてもどうしても、一言一句が刻まれてしまう。

「母親が父親を殺して、刑務所の中で産み落としたとかいうじゃないの。ね、素性は知っているんでしょ?」

 僕の母親。僕の父親だった人を叩き殺して、そのまま僕を産んで、死んでしまった。

「義姉さん、何度言えば分かって頂けますかの?遺伝っていうのは、迷信です!あの子は、儂が保証する!洵君は、直感でピンときたんじゃよ、ああこの子と一緒なら家族になれる、と」
「…しかし。しかしな…言うのは酷だが、所帯を持たずに真っ当に子育てなぞ出来るものじゃないぞ?まして、その子が曲がった環境でどうなるか知れたもんじゃあるまい?すぐに返してこい」
 
 やっぱり東京だからって、過去は消えないんだ。博士の声が、反発する声が無いのは、当然だ。


 熱なんてどうでもよくなって、僕は窓から飛び出した。
 

 で、気がついたら東京駅の改札口、行き交う人を見ながら震えて立っている自分がいる。
 雪が降っていて、とても寒い。喉は相変わらずひりつく。死にそうだ。
 …簡単な格好、パジャマの上衣とジーンズ、パーカーのみ。最悪なのが、靴がなかったから学校の上履きなんだ。奇妙極まりないし、足先がかじかむ。
 皆、幸せそうだったり、疲れていそうだったり。でも、帰る家があるって感じだ。とても、羨ましい。
 僕も、帰りたい。
 長野の施設、山、幼馴染み達とふざけた土手と田圃に−−−−。
 
 目がぼやけて、涙がぼろぼろと溢れた。
 もう、嫌だ。もう、寂しい耐えられない、こんなのは沢山だ。
 
 熱でぼんやりした身体は軽く、もう支えている実感すらない。ふらり、と崩れて座り込む。
 でも、都会はこんな僕を見ていない。ひそひそ、と囁く声も見下ろす視線もあったけど、全て夢だと言い聞かせ、今度は重く痺れる頭を膝に乗せた。
「おい、お前」
 顔を上げると、そこには学生服姿の少年が立っていた。寒いのに、赤いマフラー以外、防寒具を身に付けていない。部活の帰りだろう、やはり赤色のスポーツバッグを肩にかけている。
「すっげー熱あるじゃねーか。平気か? 立てるか、あ、そうだ。駅員呼ぼうか?」
「…ううん…いい…」
 惨めでますます涙ばかりが出て、もう消えたい。なのに、そのお節介な少年は僕を背負うじゃないか!
「なに、を」
「医務室!こういう大きな駅ってのは、そういう場所があんだぜ!」
「…いいよ、お願いおろしてっ」

 大きなお節介、それは大きな背中だった。多分同い歳かそこらだと思うのに。
 人込みかき分けて走り、こっちも気恥ずかしくて熱くなる。


 東京に来て、お節介は二人目。
 …だよな、と目を開くとそこには茶色の見なれない天井が見える。で、警備のどうとか、色々ポスター貼ってある辺り、まるで役所のような場所だった。
「あ、気がついたかね?」
「…ここ…」
 跳ね起きる。…ソファに寝ていたのか、僕は…。掛け布団をはぎ、慌てて降りようとすると頭痛と目眩でふらついた。
「ああ、いかんよ君! さっき運ばれてきた時は、三十九度あったんだからね!」
「…あ、あの…」
「八重洲口改札前で、ずっと立っていたんだってね。ここは、東京駅の駅員用の休憩室。…君を運んできた男の子がさっきまでいたけど、帰したんだ。ほら、もうこんな時間だ」
「あ!」
 壁時計には、夜の十時、と表示されている。

「…嫌な事があったかどうかは知らないが、よかったら送るよ。さあ、お家は何処かね?」


  
 駅員と一緒にタクシーでの帰還。
 博士の顔は、かつて見た事ない迫力だ。
「…博士」
「冒険じゃったの。ま、入るんだ」
 ゆっくりと上がり、自分の部屋に通される。

 頭を撫でられて、それだけで満ち足りるなんておかしい。
 声を張り上げて、わんわんと泣いたらえらくすっきりしたのは確かだ。

「…聞こえるような場所で話してしまって、すまんの」
「いいんです、それよりも…」
「なんじゃ?」
「ううん、なんでもない。あの、喉、かわいちゃって」

 感動も束の間だった!博士、おかしいよ!
 ハチミツレモンのホットは美味しいさ、でも、
「…ミルク粥に、マーマレードは気味悪いってば博士」
「お、そうか?でも儂は、よくやるぞ」
 ベッドサイドでの話は結構盛り上がった。出会った当初と同じく、世界の甘いものについてを熱く語ったりして、気がついたら真夜中だ。

「洵君は、ザッハトルテを食べたいのか」
「あっまーいクリームいっぱいつけて、ね?」
 それと、一つだけ頼みごとをした。それは、簡単なお願いだ。


「僕、日本の国籍取るから、洵って呼び捨ててね」
 
 なんだか恥ずかしい。でもね、やっぱりここが僕の居場所なんだからいいよね?


                    〜おわり〜



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background by Little Eden