はるか上空の宙に浮かぶ島。昼間はどれだけ容赦の無い陽の光に曝されようと、ひとたび日が落ちれば大気は急速に冷めてゆく。温もりを保持する大地から程遠いこの場所はある意味苛酷な環境とも言えるのだが、神殿に住まう者たちにとってはそんなことは一向に気にならないようだった。

赤みを帯びた陽の名残を浴びながら結跏趺坐で瞑目していたピッコロがふと目を開けた。たくさんの生きとし生けるもの達のざわざわとした気の流れの中で、ピッコロにとって最も鮮やかな色を発するそれが、ある場所に動いたからだ。

"彼"が時折その場所に行くことをピッコロは知っていた。だがそれは"彼"の自由であって自分が気にするような事ではない。今の"彼"は幼いころの夢どおり"えらい学者さん"への道をひた走る立派な青年なのである。

だが今日はなんとなく心にひっかかるものがあった。心の中でコツコツとノックの音でも響いているように。
一週間前に"彼"の奔放すぎる父親がいきなり長い旅(のようなもの)に出てしまった事がちょっと気になっていたのかもしれない。まああれもあれでいかにもあの父親らしい事ではあったのだが。

ピッコロはすっと立ち上がった。振り返るとそこには地球の神がいた。この10年で随分と背の伸びた若き神はにっこりと微笑んだ。
「いってらっしゃい。悟飯さんにどうぞよろしく」

ピッコロの唇がばつの悪さを隠すように一瞬だけ反り返ったが、すぐににっと笑みを描いた。堅い沓が神殿の基面を蹴る。まるで大きな白い鳥が滑翔するように、ピッコロの躰は地表に向かって舞い降りて行った。

  〜 響 き 〜

神殿から東に30度程の位置ゆえに空は真っ黒だが、満月のおかげであたりは柔らかい光に満ちていた。砂漠の真ん中だがここには水がある。1キロ四方の安らぎの所。まばらであるが草が生えごつごつとした岩に混じって木も枝を広げている。だがここは大きな恐竜が二頭住んでいるので普通の人間はまず近づかなかった。
そんな場所で。

一人の青年が手足を投げ出して無防備に横たわっている。

薄いブルーのワイシャツにスラックス。緩めてはいるもののご丁寧にネクタイまで着けている。スーツの上着は脇に無造作に放り出されていた。どちらにしろ広大な砂漠に囲まれた恐竜の居住区でこんなに暗くなってから見かける人間としては、あまりにアンバランスな姿だった。

ピッコロはその青年の脇に静かに着地した。横たわった青年の瞼が少し震えたが開くことはない。それでも青年は口だけでどうにか笑んでみせた。
(こいつ……)
ピッコロは半分苦笑し、半分賞賛しながら、少し離れた位置に座り込んだ。

青年――孫悟飯――は別に寝ている訳ではない。ピッコロがここに来ることも居ることも全部分かっている。ただ順調な調気のただ中にいて、それを中断するのが惜しかっただけだ。
いささか無遠慮な行為ではあるが、この礼儀正しい青年がこんな甘えを見せるのは自身の父親とピッコロと、後はデンデ――地球の神――ぐらいのものであることがピッコロにはよくわかっていた。その事実はピッコロを満足させるものであったし、それ以上に今この空間に満ちているおだやかな気の共鳴に、ピッコロはどうしようもなく魅了されていた。


人が最も簡単に意識できる"気"は自分自身のそれだ。温かさや重さ、時には圧力として感じられる。最初は相応の注意が必要だがそのうち意識しなくてもそれがそこにあると確信できるようになる。呼吸と同じように。
"気"は常に流れているが、血液のようにそれを巡らすポンプがある訳ではない。その経路の全てが"気"を増減させ、巡らせ、時に放出させる役割を担う。本来は躰の持ち主がいかようにもコントロールできるものだが、多くの地球人にとっては、不随意筋も同然となっている。

他人の"気"は恐怖と共に認識するのがたぶん一番手っ取り早いのだろう。少なくとも自分にとってはそうだった。おのが躰を守ろうとする時ほど己の全てが解放される時はない。髪の先から足の爪先まで全ての器官が五感を持つように感じられ、目を閉じても相手の像が脳裏にくっきりと映り込む。像からいかに逃れ、またはいかに粉砕するか。その像こそが相手の"気"のカタチ。ならば己のそれを像より強くしなければ……

憎んでも飽き足らない宿敵よりも、強く。速く。
あの頃のピッコロはその為だけに調気に励んでいたものだった。

そして何の因果か。
宿敵、孫悟空の息子を預かって鍛えるハメになり、この場所で共に暮らして一ヶ月ほどした頃のことだった。

「ピッコロさん。あの木からね。なんかもやもや出てるの。あれ、何?」
子供は小さな手を挙げて、伸びかけの若木を指していた。

ピッコロには何も見えなかった。ただ眩しい光の中、透けそうな若葉に覆われて木が1本揺らいでいるだけだ。
「ホコリか陽炎だろ」
「ちがうよ、ピッコロさん。あっちの木からも出てるけど、こっちの木の方がいっぱいでてるの。ホコリならおんなじように見えるはずでしょ? それに名前わかんないけど、あれ、おんなじ木なんだよ」

"あっちの木"とやらの"もやもや"もピッコロには見えなかった。わけのわからないことを言う子供がうっとうしく思えた。一心に二本の木を見比べる子供の頭に拳固を喰らわし、いささかハードな修行に入った。
その後も子供にはそのもやもやが見えているようだった。修行の合間に鳥や小動物や虫を見てると同じくらい、黙って木を見ていることがあったからだ。

ピッコロは子供に体術だけでなく気の練り方も教え込んだ。子供の潜在能力を生かすにはそれが一番早いことが解っていた。物理的な修行はむしろ危機感によって子供の本能を目覚めさせ、勁を円滑に巡らせるためのものだった。
だが並んで座り込み調気をしていても、時に子供は異なるものを見ていた。ひたすらの内観など子供の集中力では無理かと放り出していたのだが。

子供の見ていたものが何かが判ったのは界王の元へ行ってから。その後一人の同胞と同化して知識としてではなく感覚として理解した。孫悟飯が子供自体に"もやもや"と呼んだもの。それこそが植物の"気"であり大地の"気"。孫悟空言うところの"元気"だったのだ。


恐怖や怯えとは無関係に大地の気を感じ取っていた子供は、否応なく巻き込まれた数々の戦いを経て成長し、今ピッコロの眼前でだらりと大地に伸びている。己の内勁だけでは飽きたらず、小川の中に寝そべってその流れを楽しむように大地のプラーナを満喫している。そして驚くかな。彼の勁はもはや流れをほとんど遮っていない。

目を閉じたピッコロの脳髄に結ばれる青年の像は、清流にたゆたう鮮やかな水藻のようだ。身の外も内も流れに濯がれている。それはまさに清爽なる酩酊。羨望を覚えるほどの忘我。気の移動が生むわずかな摩擦音がさらさらと水音のように響いている。

流れをなぞって観てゆけば、木の幹を駆け上り、枝々に満ち広がる。老いた木では少しずつゆったりと、若い木は溢れるほどに勢いよく。生気は幾万もの葉に染み渡り、そこからもやもやと宙に立ち上る。成長した葉の堅牢さも新芽の柔軟さも、掌の感触として捉えられる。

鳥瞰と仰視と八方からの眺めが混和して、単純なものを複雑に、複雑なものを単純に見せる。なぜ己がここに在るか、なんのためにここに在るか、そんな根元的な問いさえ飲み込み押し流し、意味のないものにしてしまう。
己が際限もなく広がって、世界の全てが己の内にある確信と、己の意志では指ひとつ動かせない木偶になった無力感が共存する。無力であっても恐怖ではない。それを不思議に思う隙も無い。

さらさらという響きにのって、ゆらゆらと。
ただ、ゆらゆらと。


静寂に気づいて目を開けた。まるで眠っているかのように己の頭が深く俯いていて驚いた。躰は空っぽで力が無く、足先から筋の一本一本、骨の一片一片を意識してやっと感覚が元に戻った。再生した時に感じるけだるい爽快感が全身にあった。

顔を上げると月明かりの中、横たわった青年の手が動き始めていた。仰向けたままそろそろと足を引き寄せる。いささか大儀そうに身を起こし、首を回し、とんとんとこめかみを叩いた。ぱちぱちと数度瞬きしてから、こちらに顔を向ける。黒曜石の瞳がきら、と笑った。
「済みませんでした、ピッコロさん」
「いや。別に用があったわけじゃない」

青年はちゃんと息ができることを確認するかのように大きな深呼吸をし、にこにこと笑った。
「ここ、ぜんぜん変わってないでしょう?」
「そうだな」
「僕、時々ここに来るんですよ。ちょっと疲れた時とかちょうど良くて」
「疲れる?」
「今日学会だったんです。なんとか終わったんで、つい来ちゃった」
「なるほど。それでそんなカッコウをしてたんだな」
悟飯は自分の服を眺めなおして、照れくさそうに頭をかいた。

普通の人間が「一仕事終わったから温泉にでも」という感覚でここに寝転がり、調気を楽しんでいたという事らしい。面白い。この青年の有り様はその父親よりもむしろピッコロの同胞に近い。考えてみれば不思議なことだが、それもそれで「有り」なのだろう。

「そういえば母親はどうしている。孫悟空がいきなりあんなことになって」
「最初は怒ってましたけどねー。そのうち食費が助かるって事に気づいて、あっさり収まりました」
ピッコロは思わず笑った。さすが宇宙最強の男の妻である。
「僕もちょっとびっくりしたけど、まあいいかって。父さん、退屈だったみたいだから」
「まったくだな。あれはああいう生き方しかできん。それがアイツの役割でもあるのだから」
ピッコロの言葉に悟飯がふっと微笑んだ。

「あ!」
悟飯が何かを思い出したように呟くと膝立ちする。少し離れた地面を見やって嬉しそうに声をあげた。
「あははっ 出てる!」
ぽんと跳ね起きると数歩移動し、片膝をついた。

「なんだ?」
ピッコロが覗き込むと悟飯が両手で囲った中には実生の双葉。茎はもう一人前に茶色がかっている。
「ここにね、なんかこう、渦のような不思議な感じがあったんですよ。たぶん発芽中の種だと思ったけどよくわかんなくて、ずっと気になってた」
「お前が芽生えさせたのか?」
「やだなぁ。そんなことできませんって。ちょうどそこに僕らが居合わせただけですよ」

見上げる悟飯の顔は月に照らされて眩しいほどに嬉しそうだ。こういう所は子供の時とまったく変わらない。
否定はされたが、この小さな芽吹きを早めたのは悟飯の調気のせいだろうとピッコロは思っていた。ナメック星でアジッサを育てるのに必要なのは水と肥料だけではない。それと同じことだ。

子供の頃の間口の広さは変わらずに、深みを増した感覚の赴くままにものを観ている。人間の社会に浸りなじみながら、濁りを浄化しつつ成長していくかつての弟子のこの在りようもまた一つの驚異だと思う。

「この芽、デンデに持っていってやってもいいか?」
「あ、いいですね。少し大きくなったら、僕が戻しに来ますから」
青年は揃えた指先を固い地面に苦もなく突き立てた。手をスコップ代わりに芽を掘り上げ、はいとピッコロに差し出す。ピッコロはにっと笑ってそれを両手で受け取った。

悟飯が手を払うと上着を拾い上げる。
「また改めて神殿に伺います。今日はそろそろ帰らないと……。調子に乗って長居しすぎました」
「そうだな。先に行け。オレはもう少しここにいよう」
悟飯がぺこりと頭を下げるとふっと浮かび上がった。もう一度手を振るとすっと舞い上がっていく。10分もすればもう家に戻っているだろう。

ピッコロはもう一度手の中を見た。目を閉じると、手の中からさらさらとさっきと同じ響きが聞こえてきて、ひどく満ち足りた気分だった。小さな頃に少しだけ手を引いてやった子供は、しっかりと成長して自分自身の響きを奏でていた。その響きは、ピッコロの奥底の種の記憶に不思議と柔らかになじむのだった。

===***===(了)===***===
2007/1/2
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