水浅葱(みずあさぎ) 

シュンッと空気を切る音がして、古くなじんだ二つの気が神殿に現れた。
小柄な戦友と共に神の住まいを訪れたその男は、7年前と変わらぬ笑顔で手をあげた。
「よぉ、ピッコロ」

「どうした、二人して」
浮遊して瞑想していたピッコロは神殿の石畳に下り立ち、腕組みをほどく。クリリンが面食らったように言った。
「あれ? ピッコロが呼んだんじゃなかったのかよ。ヒマなら付き合ってくれって、
 悟空がいきなりさ」

つい一週間前に魔神ブウの脅威から地球を救った男は、鼻の頭を掻いてはにかんだように笑った。いつもの山吹色の道着でなく、藍鉄色の脚衣に水浅葱の肩衣という出で立ちだ。真っ白な帯が目に鮮やかだった。
「何かあったのか、悟空?」
静かに、ピッコロが訊ねた

「いや‥‥その‥‥。オラ、おめえたちに礼が言いたくてさ。ほんとにありがとな、この7年間」
悟空が二人に向かって、黒いくせっ毛の頭をぺこんと下げた。
「なんだぁ、悟空? 用ってそれか?」
クリリンが呆れた声をあげた。ピッコロも意外そうな顔で目を見開く。
「ヘンか? オラ、チチから、死んでた間のこと色々聞かされてさ。特に悟飯のこととか、
 おめえたちにはホントに世話になっちまったみてぇだから‥‥」

「オレは別に、礼を言われるようなことはしてはおらん」
ピッコロが唇をへの字にゆがめて視線を外した。それがこの異星人の照れの仕草であることをクリリンは知っている。ニヤニヤ笑って追い打ちをかけた。
「オレはともかく、ピッコロには徹底的に礼を言った方がいいぞ、悟空」
「フン!!」
身体まで斜にしてそっぽを向いてしまった神の後見人と、瞳を丸くしてその背中を見つめ、ふわりと破顔した親友を見あげて、クリリンは7年前のことを思い出していた。


セルゲームで逝ってしまった悟空を生き返らせたいという思いは人一倍強かった。最初に自分が死んだ時、獅子奮迅の活躍で助けてくれたのはこの親友だった。そして二度目に死んだ時は‥‥この穏やかな男が怒りのあまり超サイヤ人になったという。悟空が自分をそこまで思っていてくれたのなら、たとえあのまま蘇れなくても悔いはなかったと本気で思った。

闘いの後、18号を抱いて神殿に戻りながら、何があっても悟空を生き返らせようとクリリンは決心していた。デンデに頼んで新しいナメック星の場所を教えてもらい、カプセルコーポの宇宙船を借りて・・・・・・。このままなら悟飯が父親の死を自分の咎と思い悩むだろう事は容易に想像がついたし、何よりこの自分が二度もこの世に戻ってきておきながら、悟空を死なせたままにしておくなど耐えられなかった。
だがその思いは行き場を失う。悟空は理不尽な理屈を言い立ててあの世に残ると言い張った。本人にその気がないのに、勝手に生き返らせるわけにもいかない。

いまさら何をと思ったが、そのときにはもう口が勝手に動いていた。
「なあ‥‥悟空。なぜ7年前、生き返らなかったんだ?」
「あんとき言ったろ。オラが生きてると悪いヤツを引き寄せる‥‥」
「それは口実だろ!? 他に何か理由があったんじゃないのか!?」

珍しく悟空が視線を逸らした。そしてクリリンは自らの詰問口調に驚いていた。自分は‥‥7年前のあの日、悟空に対して腹を立てていたのだと初めて気づいた。向きなおったピッコロが二人を見比べている。

何か考えるように神殿の石畳を見つめていた悟空が、視線を上げた。
「どうしても、ひっかかっちまったんだ‥‥。悟飯に対して、自分のやったことがさ‥‥」
「なんだよ、それ。そりゃオレだって最初はむちゃくちゃだと思ったさ。でも、結局全部
 お前の言った通りになった。最後の最後で悟飯が見せた力、あれは感動的だったぜ!
 誤算は悟飯があの力を引き出すのにちょっと苦労したってだけだろ?」
「表向きはそうなんだけどな‥‥」
「へ? どーゆーことだよ?」
悟空の言葉にクリリンはますます怪訝な面もちになった。

「セルを倒せるのは悟飯だけだった。だから悟飯に、どうしてもあの力を発揮してもらわなきゃ
 なんなかった。それは事実だ。だけどな。オラ、あんとき、別のコトも考えてたんだ」
「別の事?」
「悟飯のフルパワーを見てえって心のどっかで思ってた。セルを倒すことより、アイツの
 極限の力を見てみてえってな。だから必要以上に悟飯を追いつめちまって‥‥。
 ピッコロに怒鳴られて、オラ、初めてそんことに気付いたんだ‥‥」

悟空の笑みは口元にだけ貼り付いているように見えた。この男がこんな笑みを浮かべるなど、いったい誰が想像しただろう。クリリンがどう言ってやればいいのかと考え込んだ時、身も蓋もない一言が頭上から降ってきた。
「フン、くだらん」

いつも通り突き放したような物言いだが、ピッコロの眼差しには心なしか優しい光が宿っている。
「もしお前がそう思っていたのなら、それはただ、悟飯を一人の男と認めていただけだろう。
 うだうだと悩むようなことか。貴様らしくもない」
ピッコロの言葉に悟空は淡く微笑んだが、まるで息苦しいかのように胸元をまさぐった。
「そうなのかもな。でも‥‥。このへんが苦ぇみたいな酸っぺぇみたいな‥‥ヤな感じだった」

後悔。
確かにそれは、この孫悟空という男には似つかわしくない味だったかもしれない。共に武天老師の元で修行を初めた頃から、たとえ失敗しても、後悔するより先に前へ進むことを考えている、そんな子供だった。先輩や師匠の顔色と評価を気にして修行の日を過ごしたクリリンにとっては、当初、その奔放さは苛つきのタネにすらなったのだが‥‥‥‥。

悟空と暮らしたあの数ヶ月が自分をどれだけ変えたのか、歳を取った今だからこそよくわかる。そしてあの出会いに、自分がどれだけ感謝しているのかも‥‥。

「でもな。今の悟飯見てっとさ、オラ、やっぱしばらく死んでて良かったかなとも思った」
「なんでだよ」
「悟飯がセルやボージャックをぶっ飛ばした時のあん力さ。あれとマジでやってみてえって
 オラ、どうしても思っちまっただろうからさ」
悟空の瞳は既にわくわくした輝きすら帯びていて、クリリンは思わず嘆息した。

この7年、確かに悟飯は武道よりは学問に打ち込んできた。修行中の神様という破格の勉強友達を得て、少年の学習意欲はパワーアップする一方。「世の中、勉強が好きな奴ってホントに居たんだ」と改めて認識し直したぐらいだった。確かに悟空が側にいれば悟飯はまた色々悩んだのかもしれない。だからと言って、それが父親を失った哀しみより大きいはずはなかろうに‥‥。

だが悟空の表情にはさばさばと屈託が無くて、クリリンはもう一度、あーあ、と溜息をついた。
「お前が言うと、なんかこう、どんなコトでも『お前の言うとおりだ』って気になっちまうからな。
 ずるいぞ、悟空」
「そっかな‥‥。オラ、そんな気、ねえんだけど‥‥」
「そんな気なくてもそうなんですよ。もういいって。とにかくこうやってお前がここに生きてる。
 それでいいや。オレはすっごく嬉しいぜ」
悟空は照れたように頭を掻くと、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「オラもホント言うと、こうやって生き返れて嬉しい。死んだ時は、あの世でもこの世でも、
 あんま変わんねーかと思ったけど、やっぱ、なんか違うんだよな」
「へえ、そうなのか? オレは閻魔様のとこと、天国にちょっと入ったきりだったけど
 みんな生きてる時と同じような感じだったじゃないか。7年も居れば友達だってできただろ?」
「うーん、どうなんだろ。強いヤツも楽しいヤツも居たけど、ずーっと武道会の相手のままって
 いうか‥‥。オラも確かに強くはなったけど、なーんか物足りないような‥‥」

「それは、あの世では人は変われぬからだ。歳を取らぬかわりに心の成長も無い」
ピッコロの声は重々しく、厳かに響いた。長い時、たった一人でこの星を見守っていた神は、確かにここに在るのだった。
「この世では人はお互いに影響を与え合い、変化していく。良くなるにしろ悪くなるにしろ
 それが成長というものなのだ。だがあの世ではそれが無い。他人を尊重することはできるが、
 お互いに相手によって変ることはない。それが生前にその者が作った魂の最終形だからな」

「‥‥自分が居ても居なくても、おんなじみたいな気分になっちまうって感じなのかな?」
「そんなところだ。内観に重きを置く者や、老いて逝った者にとっては、それでもいいのだがな」
クリリンの問いにそう応えたピッコロは、そこでにやりと笑って悟空を見た。
「まあ少なくとも。自らを省み続けて生きるなど、この男にはできそうもないからな」
「ひでえなぁ、ピッコ‥‥。あーっ!!」
苦笑しかけた悟空が、急に素っ頓狂な声を上げた。

「な、なんだよ、悟空!」
「ピッコロ。さっき、あの世じゃ人は変われねえって言ったよなっ」
「言ったがどうした」
「そ、それ、悪いヤツがいいヤツにはなれねーってことかっっ」
「もちろんだ。あの世では魂は変わらない。だからずっと閻魔大王のお付けになったランクの
 ままなのだ。地獄に行ったらずっとそのままなのも、そのためだ」
「げ‥‥。オラ、あのワルの魔神ブウ、いいヤツになって生まれ変わって欲しかったのに」

クリリンが呆れたように言う。
「悟空‥‥。お前って、ほんっとに懲りないヤツな‥‥」
「あーあ。ダメかぁ。オラもっともっと修行して、あいつと1対1でやりたかったのによ」
しょげた悟空はクリリンの嘆きに気付く風もない。ピッコロが思わず笑い出した。
「心配するな。あのブウはたぶんもうすぐ生まれ変わる」

「やったーっっ」
「ウソだろ!? ピッコロ!!」
悟空とクリリンの正反対の叫びが重なる。ピッコロはやれやれという表情を浮かべた。
「界王神様でも叶わなかったブウはあの世でも面倒が見切れない。封じ込めておく方法を
 今、バビディから聞き出しているところらしいが、なかなか一筋縄ではいかぬようだ。
 となれば当面は、ブウは悟空と同じ星に置いておくのが一番の安全策だろう」

「それじゃ、またいつか、あのおっそろしいことが起こるってことかよ?
 オレ、もういいかげん、ヤになってきたよ‥‥」
「そうならない可能性もある。生まれ変わったブウの肉体は小さな人間の赤子だ。魔物として
 生まれた最初の形ではない。適切な親が選ばれるだろうし、良い育てられ方をすれば‥‥」

「‥‥オラみたいに、だ‥‥」
悟空が突かれたように言った。その黒い瞳は驚いたように丸く見開かれている。そのうちその口元にいつもの悟空らしい、頼もしい、大きな笑みが広がった。
「‥‥なあ、クリリン。オラ、ブウが生まれ変わってきたら、ずっと見てるって約束するぞ。
 あいつの父ちゃんと母ちゃんが困るようなことがあったら、すぐ助けに行ってやる。
 強いけど悪いヤツになんないように、今度はオラが‥‥‥‥。よーしっ!」

悟空が急に大声を出し、右の拳を左の掌に打ち付けた。
「こーしちゃいらんねえ。がんばんなきゃいけねーことがまた増えた。
 クリリン、オラ、もう帰っけど、送ってくか?」
「‥‥いや、せっかく来たんだからさ、ちょっとデンデに挨拶してくよ‥‥」
「そうか、じゃ、お先に‥‥」

「ああ‥‥悟空」
手を上げかかった悟空に、ピッコロが声をかけた。
「なんだ?」
「お前の道着、神殿にまだ予備があったはずだが、持っていかんか?」

悟空が額にかざした手をすっと下ろした。
「いや、あれはもう着ねえ。わりいけど、捨てちまってくれっか?」
「え、悟空、どうしてだよ?」
クリリンが驚いた声を上げた。二人で初めて天下一武道会に出た時から、地球を救うという甚大過ぎる勝負に望む時も、悟空はいつもあの山吹色の道着に身を包んでいた。背中に描かれる文字は変わっても、彼が常にこだわったのはあの道着だった。
ピッコロも意外そうに言う。
「界王神界から戻った悟飯、お前と同じものを着ていたろう。親子揃いも見物だと思ったが」

「ああ。あんときゃホントに嬉しかったな。悟飯がすっげーパワーアップしてさ。
 オラと同じ道着で戦いたいって言ったんだ。でも‥‥だからもう、あの道着は着ねえ」
悟空が、ピッコロに向かってにっと笑った。
「あいつはオラとは違う。オラと同じようになって欲しいって思っちゃいけねえし、
 そう思わせたくない。やっと、わかった」
「悟空‥‥お前‥‥」
「フリーザやっつけたあとも、あちこちほっつき歩いてたしな。チチには苦労かけっぱなしだったし。
 またこうして生き返れたんだ。オラ、もうちょっと色々考えてみるさ。じゃ、また!」

声をかける間もなく悟空の姿が消え、クリリンは苦笑した。
「‥‥行っちまった。ったく、鉄砲玉より始末が悪いや」
「まあ、少しは成長してるようだぞ、その鉄砲玉も」
「でもさ。あの道着も、けっこうイカしてたよな。そう思わないか?」
「ああ。そうだな‥‥」

2人の視界の中に、水浅葱の落ち着いた色合いが残像として残る。それはなぜか、彼らが見慣れていた孫悟空の姿より、またひとまわり大きく、温かく感じられた。


===***===(了)===***===
2005/1/16
  (戻る)
background by 壁紙倶楽部